ガソリン問題も後期医療制度もそしてそれへの政府の対応にも腹が立つ。この中で、止め処なく滑り落ちるワーキングプアの拡大に最も怒りを覚える。「プレカリアート」(注)社会への怒りである。
(注)ウィキペディアより:プレカリアート(英precariat、仏précariat、伊precariato)とは、「不安定な」(英precarious、伊precario)という形容詞に由来する語句で、新自由主義経済下の不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者を総称する言葉。国籍・年齢・婚姻関係に制限されることなくパートタイマー、アルバイト、フリーター、派遣労働者、契約社員、委託労働者、移住労働者、失業者、ニート等を包括する。主に「負け組」とも呼ばれている。この他に貧困を強いられる零細自営業者・農業従事者等を含めることもある。
“あなたは最近、怒っていない時がないわね”と女房に言われる。その分、女房にはなるべく優しく付き合おうとするのだが、彼女も病院務めで蓄積している後期医療制度への怒りが私に噴出する。家の中は怒りの渦である。唯一、花屋を回ったり小さな花壇をいじったりしている時にはその怒りが消えている。しかし、それは一瞬である。
お互いの会話は、「あれ」「これ」「それ」の多用の中で、大まかに理解し合い、優しく対応するのだが、話題の根底が怒りを作り出すためにこの優しささえ失くしそうである。
そんな折に、落合恵子さんの
「あれ、の多様」(朝日新聞5月17日朝刊)が載った。もの忘れが「あれ」「これ」「それ」の多用につながることを述べながら次のことを語っている。
「あらゆるタブーの中で女に最もタブー視されていたのは、怒りである・・。」
「・・どんなにタブー視されようと、憤りもまた意義申し立て同様、わたしたちの権利だ。」
「憤りはこのところまったく冷めないが、冷めたコーヒーはおいしくない。・・」
私も女房も落合さんも、私たちに共通する年代のためか、この冷めない怒りは。
「ロスジェネ宣言」「『優しさの連帯』つくれるか」(朝日新聞「ポリティカにっぽん」5月19日)は、団塊の世代の子供たち(20代後半〜30台前半)を中心としたロストジェネレーション(就職氷河期の「失われた世代」)の行動を扱っている。
「5月3日夕、東京・新宿副都心の高層ビルのたもとを這い回るように、『自由と生存のメーデー』の数百人のデモが進んだ。『連合』の正社員や公務員のではない、非正規雇用の人たちのメーデーである。林立するプラカード。
『ロスジェネに雇用を』『アタシを使い捨てにするな』『仲間たち、黙ってのたれ死ぬな!』・・彼らの苦闘を著書『生きさせろ!』に書いたゴスロリ姿の作家雨宮処凛(かりん)さん、マイクで叫ぶ。
路上で踊れ/路上で歌え
フリーター、派遣、アルバイト、名ばかり管理職。ビートに乗って、跳びながら歩く。デモのわきはびっしり警官。
こきつかうな/命令するな/日給あげろ/お前がお茶くめ/社長が掃除しろ/セクハラやめろ/ただ飯くわせろ/ただ酒のませろ・・
外国人に生活保障しろ/年寄りを追い詰めるな/医療にかからせろ/戦争反対/イラク撤退
おれたち若者だけが苦しいんじゃない、外国人労働者、後期高齢者。アメリカの若者は、貧乏で大学にいけず就職もできず、そこをスカウトされて戦地にいくそうじゃないか。虐げられる若者の優しさは、同じように差別され苦しむ人々に飛ぶ。・・
『超左翼マガジン ロスジェネ』(かもがわ出版)、編集長は浅尾大輔さん。・・その巻頭に『ロスジェネ宣言』という一文がある。
『一連(ひとつら)なりの妖怪が――ロストジェネレーションという名の妖怪が、日本中を歩き回っている・・私たちは、いまだ名づけられ得ぬ存在として日々働き暮らし死んでいきつつある。その数 20000000人』『全国のロスジェネ諸君!今こそ団結せよ』(マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』のパクリ)
『絶滅したと思われていたプロレタリア文学がゾンビのようによみがえる。私たちは依然として蟹工船で働いていた。娯楽はあふれている。マンガ・ゲーム・ギャンブル・インターネット。しかし、気づけばそこから一歩も脱出できない。密閉された奴隷船』・・
いま、小林多喜二の『蟹工船』が若者に売れている。・・周旋屋の口車で農村、漁村、炭鉱からかき集められ船に乗せられ『糞紙』のように働かされる物語は、派遣会社からケータイで呼び出されて日雇いで働くロスジェネ世代にそっくりということらしい。・・冷戦が終わったとき、階級闘争は終わった、マルクスは死んだなどという議論がはやったけど、とんでもないね。『時代時代の貧困が生み出されているからね』・・若者たちは、生きづらさにめげずに、自分たちの言葉と思想、自分たちの歌声で、『優しさの連帯』をつくろうとしているらしい。そんな気がした」と。
また、
「耕論」(朝日新聞5月18日)で、
雨宮処凛さんが「生存をかけた若者の反撃」を述べている。

「『蟹工船』や『資本論』で描かれる世界は学ぶべき歴史ではなく、自分や友人が身を置く現実と重なって映っている。
そして、そんな若者たちがいま、泣き寝入るをやめて立ち上がりつつある。雇用先から解雇を言い渡され、その日のうちに労働組合を結成して撤回させたり、訴訟という手段で対抗したりする例が増えてきた。音楽をかけながら路上を練り歩く『サウンドデモ』をする人たちもいる。・・
数年前に、小泉元首相の『痛みなくして改革なし』という言葉に若者も熱狂し、ネットカフェ暮らしも『自己責任』(注)だと自分を責めていたのがうそのようだ。国について行けば何とかしてくれておこぼれも来ると思ったのに、け落とされてしまったからだ。
私自身、以前は生きづらさから『国』にすがっていた。変ったのは、06年に不安定な労働者や失業者の総称である「プレカリアート」という言葉に出合ってからだ。
私たちの敵は、若者を生かそうとしない政府や企業であり、グローバリズムや新自由主義という思想であった。そのことに気づいて闘い始めると、少しずつだが、息苦しさまで感じなくなってきた。・・
私たちの運動は、右や左といった思想を出発点にしているわけではない。労働者だけを対象とした労働運動とも違う。貧困という生活の実感に根ざした生存運動なのだ。
これまでは社会の仕組みや闘う方法を知らず、国や企業につけ込まれてきた。でも、自ら動けば社会は変えられるのだと気づき、闘うことが楽しくなってきた。生存をかけた反撃が始まったのだ」と。
同時に、
的場昭弘さんが「新たな階級闘争の始まり」を書いている。

「自然資源と農産物の価格は確かにこれまで低すぎたともいえる。安価な自然資源と農産物は、先進国の人々の賃金を抑制する反面、安価で豊かな社会を実現させてくれた。しかし、それは失われた。資源と食料価格の騰貴は、第三世界の人々にもっとも大きな危機を与えるが、それは大きな津波となって先進諸国の人々の生活苦も招きつつある。
これは不安定な職場と低賃金に抑えられた若者たちを直撃する。・・
日本の若者も例外ではない。フランスの若者ほど政治意識をむき出しにはしないだろうが、内心は怒りにうち震えているはずだ。今の状況はグローバルに広がる新たな階級闘争の始まりなのである」と。
(注)
「『自己責任』を問い直す」(カモブログ4月13日)を参照
http://blue.ap.teacup.com/perie/
生活必需品やガソリンの値上げで、絶対的低所得者に加えてより一層相対的低所得者が急増するだろう。その意味でも団塊の世代も高齢者も若者たちも同じ境遇に追いやられている。
そして、“怒り”や“闘い”のニュアンスの違いはあるが、デモがパレードに変っても同じ方向性を感じる。同世代にも高齢者にも若い世代にもお互いに耳を傾けあい、本質を見失わない仕事や運動や安らぎを共有しよう。そこでこそ
関係性は深まる。安らぎや癒しだけを追って、現実逃避だけはしないで連帯をしよう。