昨年の半ばに、六ヶ所の原燃工事現場で働く若い人たちの中には16歳で雇われている者もいることを友人からのメールで知った。実際は18歳以上でないと働けないが、雇われるためにウソを言っている。そして、その人は親を自殺でなくしていて、働く場を求めてここに来ている。この現場ではそんな人たちが何十人もいるそうだ。
そして遅れて
「18歳未満が違法従事/東通原発」(東奥日報6が4日付け)のニュースが発表された。
「東芝は四日までに、東北電力・東通原発など東北地方の三原発の定期検査で、下請け会社で働く十八歳未満の少年六人が、年齢を偽って放射線管理区域内での作業に従事していた−と発表した。東通原発では、うち男子一人が四月から五月にかけて入域し、点検の補助作業をしていた。十八歳未満の管理区域内での作業は労働基準法で禁じられており、むつ労働基準監督署は近く下請け会社などから事情を聴く方針。
違法な作業が行われていたのは、東通原発と東北電力・女川原発(宮城県)、東京電力・福島第一原発(福島県)。
東芝の三次下請け会社で働く少年六人が、年齢を偽って放射線管理手帳を取得し、放射線管理区域内での材料運搬などに当たっていた。東芝によると、少年らの雇用にかかわった第三者が、うその住民票などを提出して、不正に放射線管理手帳を得ていたという。
三原発での違法作業は、いずれも五月に発覚。東芝は同月二十九日、東北電力に東通原発での件を報告した。下請け会社の所在地や六人の年齢、性別などについて、東芝は「労働基準監督署が調査中であり、明かせない」としている。
東芝は「誠に遺憾。今後は下請け会社に対する指導を徹底する」としている。一方、東北電力は「作業員が放射線業務に従事できるかどうかは放射線管理手帳で管理しているが、事実関係の詳細は確認中」としている。
東通原発は三月下旬から、運転を止めて定期検査に入っている」と。
後期高齢者医療制度も同じだが、何から何まで弱者を的にした行動が目立つ。それもウソを塗り重ねたモノばかりである。働けるまで働かせ、文句を言わさず、廃物同様に捨て去っていく。この陰に怪しげな「原発」開発を見るとき、環境を口実にした国家を利用した資本の論理が暗躍している。
「この国は病んでいる」(朝日新聞6月10日付け朝刊)を多田富雄さん(東大名誉教授)が書いている。

ブログ「Outdoor Basic Technique」1月23日付けより写真転載
http://obtweb.typepad.jp/obt/
「多田富雄さん(74)は世界的免疫学者で『能』作家、文筆家にして、第1級の障害者である。脳梗塞に倒れて7年。日々後遺症と闘いながら、何とか左手だけでパソコンを打ち、命の言葉を紡いできた。最近、社会に向けた発言が増えている」。
「このごろ、私はこの国の行方を深く憂えています。ひと言で言えば、私には国自身が病んでいるように思われます。
戦後の復興期には、私たちも貧しかったが、少なくとも人間らしい健康な日常がありました。そして誰もが意見をもっていた。学生だって、時には反体制の運動に走るくらい元気がありました。
ところが最近は、暮らしの原理ともいえる憲法を改正する国民投票法が強行採決されても、文句も出ないし、デモらしいデモも起こらない。
昭和の日本には社会の中心となる健全な中流が育っていました。日本はこの健全な中流に支えられていたのです。それが過剰な競争と能率主義、成果主義、市場原理主義で『格差』が広がり、もはや中流はろくに発言ができなくなった。健康な社会ではなくなった。
一昨年4月から施行されたリハビリの日数制限、そして今年始まった後期高齢者医療制度など、市場原理主義にもとづく残酷な『棄民法』としかいいようがありません。
日本はいつからこんな冷たい国になってしまったのでしょう。病にかかっているとしか見えません」と。
この多田富雄さんの病んだ国への深い嘆きを肌で感じる。
同時に、unaさんの
「韓国の国民行動から思うこと」(ブログ「気の向くまま」6月11日付け)に共感する。
http://blue.ap.teacup.com/una3310/
日本で大きなデモを余り見かけない状況が、日本人の怒りはどこに行ってしまったのかを率直に感じ、イライラするunaさんの気持ちに同感した。
60年安保当時はまだ私は中学生であったが、夜わが家に多くの人たちが集まり、「日米安保条約」とは何かを議論していた。大学の先生、大学生、中学や高校の先生、近所のおじさんやおばさんたちであった。戦争大好きな私の担任の教師までここにいたのにはびっくりした。特に、大学生から話を聞こうとみなさん必死であった。少なくてもこれからの日本がどうなるかを共に考えていたようだ。
それから10年、70年安保当時に、私は大学生で、unaさんが書かれていることをしてきた。しかし、あの当時に元気の良かった連中は、今どうしているのか。少なくても、地道にデモにも行き、本もシッカリ読み、暴力を嫌がった人たちは未だに真面目に社会運動をそこそこに行っている。未だに彼らとは議論できる状況にある。
70年安保闘争の中で、学生運動から脱却して連合赤軍事件に身を投じた人たちもいる。私の高校時代の知り合いもピッケルで殺されている。
だから、unaさんに共感しつつも、庶民の地鳴りを起こす運動を希求して地道で継続的な戦いに関わり続けなければならない。選挙の結果を見る度に変らないこの国と国民に愛想を尽かし、“俺はこいつらと関係ない”とわめきたいが、この“こいつら”の一部が私であることに落ち込む。しかし、落ち込んでいられないほど「プレカリアート」は増加している。
「『病める国』の政治こそ問題」(朝日新聞6月18日朝刊「声」欄)を54歳のアルバイト男性は書いている。
「・・派遣労働者が受けている非人間的扱いは、企業の容赦ないリストラや過労死と同根だ。新自由主義の『構造改革』の下で荒れ狂う弱肉強食の競争社会は貧富の格差を広げただけではない。思いやりや協力の心を奪い去り人々を孤立の寂寥感(せきりょうかん)に閉じ込める。家族という共同体の小船もその嵐に大きく揺れている。相次ぐ親族殺人や年間3万人を超す自殺も『病める国』の発症事例ではないか。
病原はこの国の政治に他ならない。だが同時に病気を治す力を持つのも政治である。国の病死を座視できない。主権者である我々一人ひとりが処方箋を考え、政治を治療に向かわせよう」と。
同じ現実を見ても、どの層を基点に見るかによって、現実は違う。この基点だけはずらさないで見て聞いて行動したい。
「プレカリアート」と呼ばれる人たち、社会からいいように利用されている(されていた)人たちを基点に、私は行動し続けたい。一瞬の怒りで行動しその後は知らん振りするのではなく、目立たなくても続けることの大事さの
関係性を重視し、彼ら(私も含めて)が歴史の先頭に立てる社会を望みたい。「世の中の悪党どもと闘」(unaさん)い続ける仲間を増やしたい。