先の見えない社会で、何かに光明を求めて行動する人たちが多数くいても不思議ではない。たとえそうでなくても、朝の芸能・新聞ニュース番組での星座占いを見ないと落ち着かない人たちは多い。何かに頼らざるを得ない状況に、ニセ科学が隆盛しているようだ。特に、わらにもすがりたい状態の人たちは間違いなく増えている。
事実、私でさえ、毎朝のテレビの金銭運を見てしまう。通勤電車に乗った途端にそんな情報は全て忘れているのだが。
わが社内でも平然と血液型を口にする人間がいる。それが会話の糸口であると本人は考えているようだ。芸能ニュースと共に、その知識は奥さんから得ているようだ。知性の欠如を感じるし、市場を見る眼も曇るだろうと予測している。
江原啓之氏と林真理子氏の対談(『週刊朝日』06年8月18日・25日号)を題材に、
香山リカさんは『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(幻冬舎新書)で次のように語っている。

「『僕(江原)が救われるのは奥さん方のおかげです。男性は信じないけど、信じてくださっている奥さんの力は強いんです。かたくなな旦那をねじ伏せる力を持ってるんですね』
それを受けて林氏は、『男性って、なんであんなふうにかたくなに受け付けないんですかね。女の人は、その点、柔軟ですよね』『目に見えるものしか信じないというのは、すごく狭量だと思います』と、スピリチュアルな現象に対して懐疑的なことを『柔軟性がない』『狭量』と批判し、それはまた世の男性の欠点でもあると指摘している。・・
江原啓之氏は、『オーラ』という日常語にもなっている概念を多用することで、スピリチュアルに対していまだに残る『怪しい』『胡散(うさん)くさい』といったイメージを払拭するのに一役買った人として知られている。・・
私の授業での調査で・・
Q.人にはその人特有の色を持ったオーラがあると思いますか?
ある・・80%
ない・・4%
わからない・・16%
・・『生き返り』や『霊魂』については確信が持てない学生でも、この『オーラ』についてだけは『ある』と思っている」と。
そういえば、私の小学校時代。私は皮膚病で困っていた。
これを治そうと母親が
「拝み屋」を呼び、祈祷を受けた記憶がある。唯一、覚えている言葉が“疑うでないぞ”であった。巫女さんを含めて3人で祈祷し、立ち上がったり寝転んだりして“きつねがついている”と言われ、患部に豆腐を毎日乗せるように言われた。
どの医者や大学病院に行ってもらちが明かなかったことが、母親を駆り立てていたのだろう。
まさに、人の弱みにつけこんでの「商売」である。
この祈祷でだめならとばかり、母親は創価学会に入信した。その後連日、学会のおじさんやおばさんたちが、家に来ていた。私も母親に連れられて当時の本山に行った記憶がある。夜中に起こされ、お経を読まされ、集まった人たちの前で日の丸の扇子を振って踊る幹部がいた。この姿を見た母親は少しずつ学会から離れてきたようであった。日の丸の扇子を振られては、苦難の戦争をくぐり抜いてきた母親にとってはいたたまれない状況だったのであろう。
わが家に来る学会員は大学生の長男にも食指を伸ばすが、宗教論争(創価学会は宗教ではないと学会員は主張)になり、知らず知らずのうちに母親は学会をやめていた。
いずれの場合もお金がかかっている。どれだけお金を吸い取られたか。
池内了著『疑似科学入門』(岩波新書)は科学を装う怪しげな精神世界(スピリチュアル、テレパシー、オーラなど)を扱った商売を的確に批判している。
前出の香山リカ(精神科医)さんが
「なんでも信じやすい人は、ぜひ」(朝日新聞6月15日)で、『疑似科学入門』の書評を書いている。

「霊能力者と名乗る人は科学的には見えないが、『科学では証明できない世界が見えている』と信じる人は後を絶たない。一方、あたかも科学的な裏付けがあるかに見せかけつつ、効果が証明されていない健康食品などを高額で売る人もいる。両者は一見、異なって見えるが、非合理的なものを疑いなく信用させるという点では共通性がある。著者は前者を第一種疑似科学、後者を第二種疑似科学に分類して、それを信じてしまう人間の心のからくりを解き明かす。
さらに著者は、いまホットな環境問題、食の安全をめぐる問題なども、真正科学と疑似科学のグレーゾーンに位置する第三種疑似科学である可能性を指摘する。もちろん、これらは人類の重要課題なのだが、たとえば『地球温暖化』が挨拶代わりになるとそれ以上、科学的に検証するのをやめてしまうクセが人間にはある。『思考停止は疑似科学の入り口』と著者は言う。
この手の疑似科学には『信じるのは勝手でしょ』という強力な理屈があり、それを覆すのは実にむずかしい。著者も疑似科学の有害性の説明には苦労しているようだが、アヤシイものを信じることに慣れれば『ご託宣を待ち望むように洗脳されていく恐れがある』というあたりが重要なのではないか。なんでも信じやすい人に読んでほしい」と。
『自己変革と社会変革を考える全5章』(学習の友別冊 essence2)の第1章に「スピリチュアル・ブーム」を考える(中田進著)がある。

この中で、江原啓之氏のスピリチュアリズムの「8つの法則」が紹介されている。
@「スピリットの法則」
楽しいことも辛いことも、全てが「学び」で、仕事の苦しさもスピリットの磨きのために必要で、故郷であるスピリチュアル・ワールドに成長したスピリット・たましいを持って帰る。換言すると、社会の仕組みそのものに苦しみの原因があるのではなく、「たましい」を磨く「試練」なのだ。
A「ガーディアン・スピリットの法則」
誰にでも守護霊がいて、たましいの成長を温かく見守ってくれるから安心。
B「グループ・ソウルの法則」
スピリットはスピリチュアル・ワールドと現世を行き来し、それをガーディアン・スピリットが見守ってくれる。
C「ステージの法則」
現世からスピリチュアル・ワールドに帰るとき、どのレベルの階層に進めるかは、学びの質によって決まる。グチや不満を言うだけなら学びは少ないし、低いステージに留まる。
D「波長の法則」
前向きな高い波長は、必ず同じ波長を引き寄せ、仕事も人間関係もうまく運ぶ。
E「カルマの法則」
自分のしたことは良いことも悪いことも全て自分に返ってくる。
F「運命の法則」
誰と出会うかは運命で、その関係をどう切り開くかは自分の力。
G「幸福の法則」
マイナスの経験も辛い経験も学ぶことによって、本当の幸福を得るための大切なステップ。
以上の「8つの法則」を通じて、著者は「『波長の法則』と『カルマの法則』はスピリチュアリズムの二大法則で、現世はこの二大法則で動いている。だから自分に起こるすべてのことは自分の責任」とし、「利潤最優先の資本にとってなんとありがたい『教え』でしょう」と述べている。そして、「『心』を根源とし、『心のもち方』を重視する観念論としての本質があり、現状肯定、現状容認の思想的特徴がある」とも述べている。
大槻義彦著『江原スピリチュアルの大嘘を暴く』(鉄人社)は、オカルト批判をしている。

彼のブログを覗く。
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/
「ここで私の本の読者の一部の皆様にいくつかお答えしておきましょう。・・『この本に書いてあることは、分かりきっていて内容は薄っぺら、わざわざ言うまでもない当たり前のことで江原の言動の揚げ足取り』というものです。
そのとおりです!私の江原批判本は内容が薄っぺらです。
なぜなら、江原スピリチュアルそのものが嘘八百、内容が薄っぺらだからです。それを批判しても薄っぺらになります。
また、江原のやることが実際に超常現象を示すものではなく、単に言葉によるデマカセですから、批判も言動批判、つまり揚げ足取りになるわけです」と。
以上のように見てくると、この「ニセ科学」に踊らされ、お金を使わされ、世の中を直視する眼を曇らされている人たちは何と多いことか。本屋で見ていると、スピリチュアル系の本がいっぱいで、そこに立ち止まる女性、特に若い女性の多さに驚かされる。
そして、それを煽り立てるテレビ番組や週刊誌はそのすそ野を広げている。
私は一方的に批判し、罵倒してしまう。
しかし、健康食品で騙され、スピリチュアルで騙されている人たちは生きるための出口を探しているだけなのだ。身体の悩み、心の悩み、将来への不安・・、これを金にする輩が許せないだけなのだ。周りにいる人たちは仕掛ける側の人たちではなく仕掛けられて被害を被っている人たちなのである。私が批判を口にすると被害者と面と向かうことになる。この「ニセ科学」に乗せられているのは庶民である。
「ニセ科学を考える」(しんぶん赤旗5月11日)で、「書店の『精神世界』コーナーの常連客は、ニセ科学批判には耳を傾けないだろうし、いっぽうでニセ科学に批判的な人は、ニセ科学的なものにたいして一刀両断的になりがちです。ニセ科学がウケる現状と、その危険性の告発と。両者を橋渡しする言葉がいま、求められているように思えます」と金子徹氏は述べている。
残念ながら、今の私には橋渡しができる能力はないが、私が所属するいくつかの社会運動組織にはスピリチュアルや宗教的なものを持った人たちが多くいる。“違和感”を未だに感じたまま所属している。
この社会運動組織の人たちは、憲法9条を守りたい、全ての戦争に反対、環境問題に大きな関心を持っている、原発推進に反対、農業を大事に思っている、有機農業・無農薬、自給自足、半農半X、フェアトレード、等々への関心の高さが際立っている。
ただし、このスピリチュアルさが多分この組織での他者にたいする“優しさ”と理解できる。特に、私は企業の生き残りに向けて、他の企業との競争に明け暮れてきたことも起因しているが、常にファイティングポーズを取る習慣ができている。それだけに、自覚的に“優しさ”を受け入れないと、自分自身の安寧はないと思っている。
ところが、ここに集まる人たちの中には、ナポレオン・ヒルの『成功哲学』とジェームス・スキナーの『成功の9ステップ』そして、スピリチュアルを前面に出す人たちが大好きな船井幸雄の本を薦める人もいる。とっても“違和感”を感じる。
金を追いかける資本主義制度そのものを精神面や意欲から補完しようとする書物であると私は理解している。結局、この社会の「格差」を容認した上で、一部の成功者を持ち上げているに過ぎない。
過去に、実際に経営に苦労している私に対して、ナポレオン・ヒルの『成功哲学』を教えるという怪しげな企業まで現れていた。最近は見かけないが。
勝ち組意識が強い者たち、もしくはそれに追随しようとする人たちが好む本だと私は思っている。「競争」に明け暮れた私でさえ「嘔吐の感覚」を覚える書物である。
例えば、介護関連で働く人たちの「真面目さ」と「ワーキングプア」ぶりの真っ只中で、軍事が力を発揮し、大企業が史上空前の利益を上げている。この大きなギャップに「嘔吐の感覚」を覚える時と似ている。
ここであらためて
『疑似科学入門』の一節を紹介する。
「今、心の教育と称して採用されている『水からの伝言』もその一種である。『ありがとう』と感謝の気持ちで水を冷蔵庫に入れると美しい形の結晶となり、『バカやろう』とか『死ね』というような相手を罵倒する気持ちで水の結晶を作ると不揃いのものしかできない、というのだ。『水はなんでも知っている』かのごとく、人の心まで映し出すと、学校ではまことしやかに教えられているらしい。水は摂氏ゼロ度以下に冷やせば結晶になる。どんな気持ちで操作しようと、水の条件や周囲の環境などの物質の状態で決まった結晶形を作るだけである」と。
「ありがとう」という言葉の行き来は、教師と生徒の心の通った姿や、それを受け容れる母親の姿が眼に浮かぶ。これが平然と受け容れられてしまう殺伐とした社会を変えない限り、この非科学的行為は子供の心の奥深くに浸透し、疑似科学への信者を増やすことになる。
これを食い止める現実との対峙こそが大きな役割を担いそうである。非現実世界に逃避しないで済む社会こそ大事なのだ。そんな社会のために、
関係性を深めよう。

0