関係性

 社会のすべてが関係性によって成り立っている。
 この関係性によって多くの市場情報や生活情報を獲得でき、次の一歩への考えもまとめることができ、今までの考えを変えることもできる。
 情報取引の連続性によって、企業間関係や人間関係に信頼関係が結びつき、相互依存関係にまで達することを期待したい。

 

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投稿者:morichan
kokemomoさん
しばらくです。
そうですね、私の「半農半X」感で書いていますので、実際に「半農半X」を行っている人とは違いがあると思います。
特に「半農」に関して言えば、自然もしくは自然素材を相手にした「営み」は全てこれに入ると思います。
私が聞いたり読んだりしていることから言えることは、「半X」は執筆活動や講演が多いです。

ですから、一般的に、スローライフを目指して「半農半X」を志向しても成功はおぼつかないと思います。
大事なことは、「半X」の分野で一定程度稼げていることが重要です。「半農」をしながら「半X」を作り出すことは先ず不可能だと思います。
ですから、「スローというスタイルに逃げ込んで」「半農半X」を志向すれば手痛い目にあうと思います。

この議論を続けるうちに、私の考えも変らざるを得ません。
ほんの一部の、ある意味一定程度余裕のある人(「半X」を持っている人)が「半農半X」に入り込んで、「モヤモヤ感」を一定程度解消して済ませるならば、膨張主義を上手に受け容れながら厭世的生活観を持つことはできます。
しかし、圧倒的に多くの人にとっては、「半農」に苦労しながら「半X」での現金収入もないという状況が出てきます。よって、何でもやる「半農」、言い換えれば「全農」として生きていかなければ、続かない生活となってしまいます。このとき初めて「モヤモヤ感」はもっと大きな「モヤモヤ感」として地に付いた生活・社会の矛盾を抱えた生活を前提とするでしょう。そこにこそ豊かでウソのない精神で「農のある暮らしの大切さ」を理解することができるのだと思います。

しかし、唯一つ重要なことは、土に手足を付ける生活を少しでも受け容れるなら、今までと違ったモノが見えてくると期待しています。スーパーでの商材の選び方でさえ違ってくると期待します。
そんな都会人(可愛そうな消費者)の「半農」というより「土いじり」への期待があります。

http://green.ap.teacup.com/passionnante
投稿者:kokemomo
Morichanさん、こんにちは。
「半農半X」の農が業ではなくても,営みでも当てはまるのならば、私も「半農半X」に入るのかなぁ・・・と思っても,何かしっくりしません。土を耕し、作物を作り、花を育て、羊を飼い、毛を紡ぎ、木を植え、森を育て、木を刈り、家を建て,家具を作り、山の幸を採取し、魚を釣り・・・それは「農」というひとつの言葉には収まりきらないからでしょう。それはかって、この原野でアイヌの人々が営んでいたような暮らし・・・私が望んでいるのは、大地と共に生き、そして生かされること。そんな生き方を現す,「農」に代わる適切な言葉があればいいのですが・・・

私にとって、「半農半X」はスローライフという言葉と重なります。この北の原野にも、都会の生活に見切りをつけた人が移り住んできています。けれどもその多くは、今が良ければ良いという,自己に埋没し,スローというスタイルに逃げ込んでいるようにも見えます。環境に対する意識は多少あっても,社会対する問題意識はほとんど持ち合わせていません。そこには,愚樵さんが書かれている膨張主義を,自己に埋没し、縮小することによって結びつき、支えてしまう危険性さえ感じてしまいます。農のある暮らしの大切さに、多くの人が気がつき、実践していくことはとても大切ですが、同時にもやもや感の原因となる社会問題に目を向ける意識をもたなければ本当の意味での豊かさにはたどり着けないでしょう。そういった意味では,農に結びつく働きかけばかりでなく、morichaさんのように、平和や社会問題に対する確かな意識を持つ人の存在がどんなに大事か・・・・これからもそんな存在であり続けてください。

投稿者:morichan
愚樵さん
再度のコメント、有難うございます。

間違いなく、『半農半X』が膨張主義を認めてしまう要素は十分あると思います。

しかしそれより、「癒しビジネス」化する傾向が強く、社会から逃避する向きもあります。それでも、『半農半X』に成功している人はかなり少なく、社会の矛盾を抱えて経済的困窮に耐えられなくなる人も多いようです。

それでも、都会のワーキングプアよりも、『半農半X』でのワーキングプアの方が「モヤモヤ感」は少ないように思えます。笑顔のなくなったワーキングプアを開放するにも、政治の変化だけを待っていられませんから、私は『半農半X』を推奨します。

http://green.ap.teacup.com/passionnante
投稿者:愚樵
morichanさん。まずは、申し訳ありませんでしたとお詫びさせてもらうところから、再度コメントさせてもらいます。

前のコメントで『半農半X』に批判的に書きましたが、本心では『半農半X』には大いに期待しているのです。仰るとおり、

>大上段に構えた思想ではなく、自然な流れである

であると私も考えます。そうした自然な流れには、ナチスの例を持ち出して批判した膨張主義は含まれていないでしょう。あくまで自分の中にある「モヤモヤ感」と対峙する中で生れてくるもので、そこは膨張ではなく、むしろ均衡を求めての行動なのだと感じます。

そう思いながらも批判してみたのは、『半農半X』の中にもやはり膨張主義ビジネスと結びつきかねない要素があって、『半農半X』を無条件に信奉するようなことになれば、知らずのうちに膨張主義へ陥ってしまう可能性があると考えたからです。つまりはmorichanさんを試したような格好になってしまったのですが、頂いたご返答は期待以上のものでした。お詫びと共にお礼を申し上げます。

人間は社会に属していなければ生きていけない。なのに今の社会は、そのなかで生きていくことが難しいものになってしまっている。そんな状態ですから、現状の社会に属しつつ(半X)、そこから抜けそうとする流れ(半農)が人々の中にでてくることは、何の不思議もないことです。

そうはいうものの、人間はやはり社会からは抜け出しきれない。『半農』を『半X』からくる「モヤモヤ感」を単なる解消する要素だと捉えるなら、これは今流行の“癒しビジネス”にしかならないんですね。そうなると『半農』も『半X』を支配する膨張主義の支配下に入ってしまうことになる。これではそもそもの『半農』の意義が失われてしまうのですけれども、現代人の我々には『半農』の意義そのものが見失われて久しいですから、“癒しビジネス”などが振りまく魅惑的なイメージに惑わされやすいのですね。

人間が社会に属さねばならず、かつ『半X』を支配する膨張主義と決別しようと思うのなら――膨張主義では地球環境が持たないのは明らか――、『半農』を基礎にすえた社会を考え、
創造し、そこに属していくことまで視野に入れておかなければならない、となどと考えたりするわけです。

こうした考えは多くの人には荒唐無稽に響くのでしょうけれども...。

http://gushou.blog51.fc2.com/
投稿者:morichan
愚樵さん
しばらく振りです。

おっしゃる通り、『半農半X』の『半農』は決して「農業」ではありません。ですから、本来の「農業」をやられている人の「モヤモヤ感」を全面的に理解できるわけではありません。

私の理解(『半農半X』を志向しようとしている人たちの感覚も含めて)では、次のような人の行動ではないかと思います。
都会で住みながら企業に勤め、自分のしたいことが何もできないもしくは未だに見つからなく、ファストな生活に追われている。何とかそこから抜け出したい。身体のキツさや将来不安からくる「モヤモヤ感」から開放されたい。このような思いが『半農半X』へと導かれる所以であると思います。ですから、大上段に構えた思想ではなく、自然な流れであると私は思っています。

しかし、『半農半X』によって本当に開放されるかと言えば、社会の中に組み込まれている存在から抜け出すことはできなく、『半X』によって強固に社会化された自らの存在を自覚しなければなりません。
その意味で、「『半農半X』の思想には、どこかまだ膨張主義を背景に背負っているような気がしてなりません」は正解だと思います。
しかし、ファストな生活で「ワクワク感」を失うよりも少しでも「農の営み」に係わり、客観的に自分を社会を見れるチャンスを獲得することに私は賛成です。

現実に、私は零細企業を動かし、この急激な経済変動に揺らされ、自分だけでなく社員の生活に頭を痛めています。素材仕入―加工―卸という過程全てに不安を感じる社会的存在としての自分がここにいます。まさに「モヤモヤ感」だらけです。
この立場で、私自ら『半農半X』に入ることもままならず、できる人から『半農半X』の世界に入ることを私は望みます。少なくても、『半農』によって環境問題に精通し、『半X』によって客観的に社会構造を見る機会が増えると思います。もし、それができなくても、「モヤモヤ感」を減らせた人が増えるならそれも良いと考えます。

愚樵さん
このような議論で、あらためて『半農半X』を考える基を頂けたと喜んでいます。
これからもお付き合いの程を。

http://green.ap.teacup.com/passionnante
投稿者:愚樵
morichanさん、こんにちは。なんだか久しぶりのような気がします。

『半農半X』の“農”は「農業」の“農”でしょうか? それとも「農の営み」の“農”でしょうか? 塩見直紀氏の言葉によるなら後者のようですが、「農業」と「農の営み」は似て非なるものです。

>本業として励んでいる農民の実態を見ざるを得ない。この実態も巨大な「モヤモヤ感」の根源と一致することに気が付く。

現在農民が営んでいるのは「農業」だからです。「農業」は産業社会の一分野に過ぎません。だから同じ「モヤモヤ感」を抱いてしまうのです。

>「自然に足をつけて生きる『半農半X』はまだ実験的であっても、地球環境をこれ以上壊さないためにも、大きな希望の可能性を持っていると、私は確信する」

『半農半X』で思い起こすのは、ナチスの生存圏(Lebensraum)という構想です。この構想はナチス・ドイツの膨張主義の表れとして捉えられますが、内政的には平日は都市政策、休日は田舎暮らしというもので、そのためのアウトバーン、そのためのフォルクスワーゲンでした。こうした内政政策と膨張主義が結びつくのは容易に想像できることと思います。

「農の営み」とは「自然に足をつけて生きる」のと同義ですが、これは人間もまた自然の一部として生きていくということでもあります。自然の一部だからこそ、自然の循環のなかで生きていられる。そのことは必然的に個々の人間の生存圏が限定された範囲に制限されていくということでもあります。

ところが『半農半X』の思想には、どこかまだ膨張主義を背景に背負っているような気がしてなりません。

http://gushou.blog51.fc2.com/
投稿者:nakayosi
何度やってもメールが戻ってきます(^^;

http://white.ap.teacup.com/nakayosi/
投稿者:morichan
nakayosiさん
私もボヤキが多くなっています。
その分、他人のボヤキもよく聞くようになりました。
お陰で、「気付き」に触れて、見通せるように少しはなったと思います。
「畑も田んぼも」ない私ですから、これにあこがれます。

http://green.ap.teacup.com/passionnante
投稿者:nakayosi
morichanども^^;

半農半NPOの中嶋です(笑)

人の話聞くのもいいけどぼやきばかりで何とも悔しい。役に立たないハナシばかりのコロはいい加減にしろと思ったけど、この頃はその悔しさが何ともありがたく、それこそが必要性を探すエネルギーになってます。やってやるのお仕着せでなく、「こんなものが足りないんだ」って気付かせてくれるってごっちゃんだよね。必要だから欲しいんです。もっと便利ならみんな喜ぶ。なかったらつくればいいんだよ。畑も田んぼもあるから・・・ね。


http://white.ap.teacup.com/nakayosi/
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