11月5日に川崎で
「起業家・経営者のための発想転換セミナー」が開催され、副題が
「愉しい起業・愉しい発明」というもので、「非電化」で有名な発明家・藤村靖之さんの講演であった。
藤村靖之氏
最近の著作では「テクノロジー革命」(大月書店2008)を辻信一氏(明治学院大学教授)と共著として出版している。

辻 信一氏
この講演は、今年9月21日放映の「TBSテレビ『夢の扉』でモンゴル非電化プロジェクト」の映像から入った。モンゴルで用いた発明品が「非電化冷蔵庫」である。放射冷却を利用したものだそうだ。
この映像を基に二つのことを語った。
一つは、発明が初めにあって、それを使ってビジネスを起こすのでは殆ど失敗する。要するに、シーズ(技術)から発想するのではなく、消費者のニーズに隠れた潜在的欲求から始めなければならない。そして、その潜在的欲求のビジネスモデル(作って、売って、利益が出る)をシッカリさせることである。ビジネスの癌は・売れない、・儲からない、・立ち上がらない、である。
ただし、この潜在的欲求を消費者に聞いても出てこない。彼らは目の前に出くわして初めて“そう、それが私が欲しかった物なの”と言う。
それでは、この潜在的欲求を想像することができる人は誰なのか?
それは、発明家、企業家、芸術家であると、彼は述べた。
二つは、発明もビジネスも1回、2回で上手くいく訳がない。金切れをしないように3回、4回と挑戦すれば上手くいく。このめげない力が大事である、と。
全体を通して、藤村さんの最も言いたいことは二つあったと思う。
@ 現実をどう見るか?
株価が下落し、円高に進んでいる。これを「一つの文明が終わるとき」と解釈すると、こんなにワクワクする時はない、と考えることができる。これをそのように感じない人たちはお金や権威を持っている人たちで、彼らにとってはイヤな時代である。
実際に、藤村氏はエネルギー、食料、経済は今のままでは10年もたないと主張していた。
A そして、それへの対応は?
10年後に向けた対処は、家族を守ることと社会のために役立つことで、これに向けた行動をすることである。今までのマインドセット(型にはまったものの見方・考え方)のままでは対応はできない。
発明起業塾を東京、神奈川、大阪、福岡など、各地で展開し、その内容とそこから育った人たちのネットワークを説明しながら、様々なことを語ってくれた。しかし、その部分は省いて、私が最も気になったものを私なりに上記にまとめたものである。「消費者の潜在的欲求」を見出すのは企業家であるという論理は以前から私の口癖でもあったのだが、時間的に近い範囲でのことであった。それに対して、発明家はもっと長期の視野ではないかと思う。企業家はどうしても短期決戦をイメージするからなのかもしれない。私は10数年前にインドネシアにインドネシア人看護士による日本人向け老人ホームを作ろうと、日本の役所と交渉したことがあるが、時期が早すぎて問題にされなかったことを思い出す。今になると早すぎたと自戒している。
そして、帰りがけに藤村氏に挨拶し、この強烈な不景気には参っていることを伝えると、“もうその歳まで頑張ったのだからいいじゃないか”と慰められた。実は1年ほど前にスロービジネスの清里合宿で藤村さんの講演を聞き、その帰りの電車の中で長い会話をして、発明起業塾に入れと誘われていた。発明のはなし、社会のはなし、若者のはなし、起業のはなし、私の会社のはなし・・はなしは止め処なかった。
そして、発明起業塾については忘れていて、今回、二度目の講演を聴くことになった。
藤村氏と私は年齢的にほとんど変らないが、藤村氏は
ネットワークを広げながら一匹狼で生きてきている。それと比べると、私の場合、起業と同時に社員を雇い、個人的つながりではない
組織を作ってしまっている。私は私ではなく、組織の一員としての私となっている。法人化した企業が私も含めた社員を管理している。
言い換えると、歳を取った私もいるが若い人たちもいるという組織である。特に、20年間この仕事一筋に続けてきた30代後半の社員にとっては、大変な不況である。前々回エントリーした「虚業に“俺のせいじゃない”と若者は言う」の張本人である。
私はもう自由になりたいと思う反面、組織への責任が重く圧し掛かっている状況が続いている。
特に、零細企業では、組織内のつながりは大きな力となる。
前進期にはとても大事な仲間となり、切っても切れない縁が深まる。それだけ、彼らの自由も取り上げている。行動も考え方も規制している。
後退期には不安だらけで、社員は経営者の顔色を見ながら言葉少なに仕事を続けている。彼らを解雇した方が彼らに自由を与えられる。彼らは他の生き方を早く身に付けられる。そう考えられれば気は楽だが、30代後半の社員の背中を見るとそんなことは言えない。この猛吹雪の中に新しい仕事が見つかるとは思えない。
多分、他の経営者からは“あまい”と言われるだろうが。
「生活危機:08世界不況 東京・大田、従業員2人の町工場」(毎日新聞11月4日朝刊)は、「売り上げ半減、月150万円 今月注文あるのか」という副題をつけている。
「羽田空港にほど近い東京都大田区本羽田に、50社ほどの町工場が入居する工場アパート『テクノWING』がある。低額の家賃で中小企業に入ってもらおうと、区が00年に建てた。鉄筋5階建ての外観はマンションか学校の校舎のようだ。
2階の一室にある精密機械加工『木南(きなみ)製作所』は従業員2人の有限会社だ。100平方メートル弱の作業場で、輸送機械に使う金属製のローラーなどを作っている。
文化の日の3日、経営者の木南浩一さん(48)は1人で旋盤を動かした。取引先の都合で休日操業したが、表情はさえない。『夏ごろまでは、このアパートでも曜日に関係なく操業する工場が多かった。今は静かだね』。
取引先は5社。これまで何度か景気の波をかぶってきたが、どんなにひどくても、2社はきちんと発注してくれた。ところが10月以降、5社すべての発注が減った。
大田区には4800もの工場がある。従業員が1ケタの中小零細が大半を占め、大企業の下請けや孫請けとして日本の産業を底辺から支えてきた。だが、その『ものづくりのまち』に、いち早く不況の足音が響き出した。
10月末、木南さんは神奈川県にある大手機械会社の下請け工場に部品を納めに行った。そこで見た光景は象徴的だった。
自分と同じ立場の孫請けが製造した部品が、段ボールに入ったまま、工場内にうずたかく積まれていた。
『みんな在庫だよ』。工場長の言葉にがくぜんとした。自社の部品とは別の種類だったが『ますます景気が悪くなる』という確信に体が震えた。
木南さんの工場は、父政良さん(77)が目黒区で創業した。バブル崩壊前には売り上げが月5000万円もあった。6年前、テクノWINGに入居し、ほどなく木南さんが経営を引き継いだ。
波はあったが、月300万円前後の売り上げを維持してきた。だが、08年に入ってから月平均250万円程度に減った。売り上げが落ちた時は、月15万円の両親の年金に生活費を頼った。独身だからこそ、それも可能だった。思い描く結婚も今は現実味がない。
景気の後退を実感し始めた時に、米国の金融危機が起きた。10月の売り上げは150万円程度に落ち込みそうだ。従業員の給料や工場の賃料を払えば、かつかつだ。『これまで苦しい時は、取引先以外のどこかしらから助け舟みたいな飛び込み仕事が入った。今度はそれもない』。・・
木南さんは4年前、約2000万円で新しい旋盤を購入した。そのローンも重くのしかかる。『お金より、とにかく仕事がほしい。安くても仕事があれば、やり方を工夫して利益を増やすことを考えられるのだが……』。
主力の取引先からは、11月以降の注文が来ていない」と。
「町工場『仕事ない』」(朝日新聞11月15日朝刊)の副題が「資金求め窓口に列」である。国が信用保証協会を通し20兆円の枠を設けた「緊急保証」制度(前回のこのブログでエントリーしたもの)の受付が始まった。
「半年ぐらいはこれで何とか」
「年越しの運転資金として200万円は必要」
「百年に一度のツナミ」
「いきなり仕事がなくなった感じ」
「毎月の売上高は3分の1まで落ち込んだ」
「不況が長引けば、返済のめどは立たず、借金は増えるだけだ」と。
「採用一転、抑制へ」(朝日新聞11月16日朝刊)で、主要100社新卒採用調査が載った。
05年春 07年春 09年春 10年春
増やす 29社 52社 30社 2社
前年並み 58社 39社 48社 44社
減らす 3社 1社 7社 15社
未定 10社 8社 15社 39社
そして、このような状況下で、09年春向けの大学4年生の「内定取り消し」が頻発している。
いよいよ
第二期のロストジェネレーションが生まれようとしている。
若者は企業に頼らず、起業で生きていくしかないのか。
このような中で、会社を閉める怖さを覚える。若者は決して「不良在庫」ではない。
零細企業のみなさん!
そこを支える労働者のみなさん!
大企業にいいように扱われている非正規雇用のみなさん!
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