中小企業のオヤジ連中と顔を会わせると、皆ひまでイライラし、銀行員に勘ぐられまいと遠くを眺めている風情である。全く注文がなくなり、見えない将来を見ようとするが見えっこないことを承知の浮かなさである。
“手の打ちようがないよ”
“この不景気、相手が悪すぎる”
“欧米に売っていなかっただけでも内はまだまし”
“ここまで耐えてきたが、来年3月を越えられない”
“注文に合わせて素材を仕入れたが、急に注文がキャンセルで生産にも入れない”
“支払日を伸ばされた、現金がない”
“人の心を覗き込もうとする銀行員に会いたくない”
連日、非正規雇用の首切りのニュースが圧倒し、この寒空での路上生活者の急増を予見させる。
法人企業統計によると、大企業内部留保は今年9月末で255兆円になり、この半年で29兆円も増加した(
しんぶん赤旗12月18日付け)。
この半年に得た留保分だけでも年収290万円の非正規雇用労働者を1000万人雇えることになる。それを隠して平然と解雇通告を出せる経団連・御手洗会長の心の汚らしさが透けて見える。それでも連日、トヨタの今期営業赤字1500億円を大々的に各紙面は発表し、非正規雇用労働者の首切りを正当化しているように見える。
そんな中で、差し迫った雇用対策をしようとしない政府や自公に対して、民主党は雇用関係四法案を参院厚生労働委員会に提出した。そして、1日だけの審議で採決を強行した。緊急法案であることは確かであるが、非正規雇用労働者から見たら絵に描いた餅では意味がない。参議院でも衆議院でも通過して初めて実体化する法案である。強行採決をするということは衆議院での否決を前提とした意味のないものである。実行しかないときに、戦略を振りかざして何の意味があるのか。この民主党の強行採決に対して常識のカケラもない麻生首相は「常識的ではない」と批判した。
どっちもどっちの政治に期待できない状況を見せ付けられた。
この暮れに来て、住まいも仕事もない人たちの心を踏みにじる非常識な国会議員は経団連・御手洗会長の心の汚らしさと同類である。
「発言 私の選択」(しんぶん赤旗12月14日付け)に、経済アナリストの
三國陽夫(みくにあきお)氏は「通貨植民地」として今の日本を説明している。
「日本は輸出主導の政策で黒字を増やし、1980年代には世界最大の純債権国になりました。外国にお金を貸す国になったのです。しかし、日本の巨大な黒字は、日本国民の豊かさにつながっていません。
なぜか―。たとえばトヨタが米国に車を売ったとします。米国はドルで支払います。ドルは円に換えないと日本国内で使えませんが、全部を円に換えれば円高を招いて輸出に不利です。そこでトヨタはドルを銀行に買い取ってもらい、銀行はそのドルを、資本輸出で米国に還流する―日本はそういうことをやってきました。
米国にすれば、品物を買って払ったお金が戻ってくる魔法の財布です。だから、いくらでも消費を拡大し、経済成長できる。日本国民にすれば、労働の成果である車を、ただの紙にすぎないドル紙幣と交換しているのですから、『働けど 働けど・・』になりますね」と、語っている。
10月29日このブログにエントリーした「虚業に“俺のせいじゃない”と若者は言う」の中で、三國陽夫氏は朝日新聞の記事で「東京市場は日米の政策で極度にゆがめられてきた」と述べ、それを紹介した。これを分かり易く赤旗で解説している。
トヨタや大手輸出企業が“虚業”で利益を上げ、その後始末を庶民や非正規雇用労働者に押し付けている。この不況を作り出した大手企業の責任を全く受け入れていないことが分かる。
同様に、この演出をしてきた自公政権は、この不況を外から降って湧いたかのような態度を取り続けている。
「政治の監視、市民の責任」(朝日新聞12月17日朝刊)で、
湯浅誠氏(反貧困ネットワーク事務局長)はこの不況を外から降って湧いてきたものではなく、「人災」と述べている。
「キャノンのある工場で働く派遣労働者は、05年から偽装請負→派遣→請負とめまぐるしく雇用形態を変更させられながらも、3年以上まじめに働き続けてきたが、今月4日から待機を命じられた。期間満了を迎える25日には、あっけなく更新を拒絶され、仕事を失い寮も追い出されるのではないかと不安のどん底にある。
今回の不況『人災』
日本経済にとって、今回の米国発不況は『天災』のように言われることがある。しかし、アメリカン・スタンダードをグローバル・スタンダードと言い換えて、新自由主義的資本主義に無批判に追随してきた経営者団体、規制改革会議・経済財政諮問会議等の責任は大きく、その意味では『人災』である。にもかかわらず、反省の弁は聞こえてこない。結局、自己責任論とは、自己責任を棚上げする人たちが主張していたものなのだ。私たちが、そんな下劣なものに引きずられる必要はない。
私たちのとるべき責任は他にある。それは、市民生活が健全に保たれるように政府・企業を監視し、法を守らせ、一人一人の命と暮らしを守る政治を行わせる、という責任である。『お金がないから仕方ない、不況だから仕方ない』と言って、結果的に弱者の命を削ることになる政策を採用しようとする政治家は、いくらでもいる。しかしそのとき、医者は『この患者を見殺しにしろと言うのか』と、介護ヘルパーは『この寝たきりのお年寄りを放置しろと言うのか』と、労働者は『今日まで一緒に働いてきたこの仲間を路上に放り出せというのか』と異議申し立てをしなければならない。それが、市民としての責任だ。
私たちの毎日は、『この人、あの人』と名指せるような家族・友人・同僚らとの身近な関係の中に、その一人が苦しんでいれば心ざわつき、死ねば悲しい。それが私たち市民の日常であり、その平凡な生活を守るのが政治の役割に他ならない。難しそうな顔をして国家財政の危機を語る政治家に、私たちは一瞬もひるむことなく、『この命、この生活を守れないならは、あんたは政治家失格だから退場しなさい』と言っていい。
そうするとすぐに『では財源はどうするのだ』と威嚇されることがある。2年前まで、私たちにとって『埋蔵金』など存在しなかった。しかしそれが「ある」ということになった。私たちに真実は伝えられておらず、したがって正確な判断もできない。それは私たちの責任ではない。『財源問題は、すべてがきちんと整理されて公開してくれるなら検討しますよ』とこたえればよく、そんな威嚇にひるむ必要はない。
主権は民にある
結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う。自らの責任を棚上げしたところでの自己責任論や、情報公開なき財政危機論で黙らせられる、と見くびられてきた。私たちに責任があるとしたら、そこにこそ責任がある。私たちは、どんな悪政にも黙って付き従う羊の群れではない、と示さなければならない。政権を担う人たちには、私たちを恐れてもらわなければいけない。そのとき初めて社会は健全となり、悪化し続けてきた世の中に、折り返し点がもたらされるだろう。主権は民に在る。私たちはもう一度、その原点を思い起こすべきだ」と。
結局、庶民が行動しないと何も変わらない。いつまでも政・財・官に騙され続けることになる。反貧困運動は最後の砦である。貧困の真っ只中にいる人を第一に考えなければ、この世界は変わらない。この人たちを生み出す限り、心のもち方や癒しに逃げ込むことはできない。反貧困運動に
関係性をもっと強めて来年は過ごそう。
新聞、雑誌、取引先、異業種交流、そしてブログ間交流によって、社会を多面的に見れるようになって来ました。実際の商売と経営学を専門にしながら、結局、狭い業界しか見えてこなかった自分を今は反省しています。
この1年、みなさん、本当にお世話になりました。
来年もどうぞブログ「関係性」と係わっていてください。
宜しくお願いいたします。

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