読んでいて考えさせられるブログがとても多い。
新聞記事をそのまま伝えるブログからニュースとして獲得し、本の紹介ブログからその本探しに本屋に行き、真面目な政治家ブログの行動・思考・議論に対してコメントで係わる。そして、中でも自らの意見を前面に出し、社会の様々な矛盾・ジレンマや政府批判を展開するブログ、哲学的・文学的に批評するブログ、ブログを書いた後は直ぐ行動に出ようとするブログ等々から、多くのことを学ぶことができる。
身近な出来事―企業間の取引関係、社員間の係わり、銀行との貸借関係、夫婦間の相手を思いやる関係、息子の病気と医療、特別養護老人ホームにいる母親と負担費用、母親の認知症の進展と家族の係わり、年金制度と将来不安、テレビ・新聞記事からの怒り、鬱状態への抵抗、etc.―が際限なく現れる。
ブログへの参加によって、他のブロガーからのコメントやトラックバックは大きな刺激となり、より一層精度の高い資料と論理を積み重ねる
意欲を与えてくれる。
また、私から他の魅力的なブログへのコメントやトラックバックとそのブロガーからの返信に、暖かさや優しさと共に、新たな
発想を沸き立たせてもらえる。
そして、身近な出来事がコメントやトラックバックによって、生活の中で生き生きと鮮やかに蘇り、分断されている日常の事柄がつながりとして見えてくる。まさに、実態と乖離しないブログを目指せる
関係性が出来上がってくる。
人間関係は確かにブログだけではない。7月8日(土)の午後に、ランチを共にしながらある友人と語ることができた。私からのブログの大事さに、読書家の彼からの“身近な戦争犯罪者”についての話題が絡み合って、2時間半を過ごした。特に、印象に残った部分が“隣のおじさんおばさんが戦争当時何をしていたのか”であった。
ところが、この朝一番にkomichi管理人の「嗚呼、負け犬の遠吠え日記」というブログで、「敗者・弱者最後の逃げ場も愛国心 ぷらす・あるふぁ」を読んだばかりであり、このコメントに私も参加したばかりであった。
実際の会話とブログが余りに一致し、考えながらの会話とブログの中での論理の組み立てのどちらからの影響が大きかったかを今となっては説明を付けられない。
以下がkomichiさんのブログの一部と私やrさんやその他のブロガーへの返事である(komichiさん、rさん、ここへの転載お許し下さい。また、一部の転載のためkomichiさんやrさんの意図するモノと違う場合は全て私の責任です)。
Komichi:「・・ネット右翼と呼ばれる人々をただ叩くだけなら簡単だ。だが、それだけで十分なのだろうか?
『おそらく一部の煽動者や、いわゆる“プロ”等を除いては、ネット右翼と呼ばれる人々の多くは、実は社会的弱者やその予備軍みたいな人たちではないか?』という見方に基づいて、私は本論を展開した。
昔だったら、そういった人々は左翼運動や、あるいは【Under the Sun】などの「格差社会に反対しよう」という運動に加わったかもしれない。直接加わらなくても支持・賛同をしてくれたかもしれない。
だが……今の現実はそうはなっていない。何故か?
それは本論で述べた「ネット右翼に走る者たちが抱える問題」だけではないような気が、私にはする・・」。
上記はブログ本文の一部であり、これへのコメントとその往復が以下である。
Morichan:「人間誰でもどこかに拠り所を持とうとします。それは必ずしも、『社会的弱者』だけとは限らないと思います。
社会的強者は権威としての官僚組織・大企業であり、仲間意識としての宗教団体・各種組合等々に帰属する。
そして、社会的弱者は帰属するものがなく、一般的に家族という囲いの中で強者になる。しかし他方で、外部に対しては権力に依存する安全さと最高権力を握った優越感が生きる力を与えている場合もある。
そのように見ると、体を張った、もしくはブログだけでの反権力も投稿者を多く集める“場”への帰属先を持っているに過ぎなくなるのではないでしょうか。
でも、komichiさんのこの見方はバランスの取れた心理学の世界にあるのかも知れません」。(7月8日06:13)
Komichi:「『そのように見ると、体を張った、もしくはブログだけでの反権力も投稿者を多く集める“場”への帰属先を持っているに過ぎなくなるのではないでしょうか』。
あー、なるほど。
こういう見方もあるとは、正直ちょっと気づきませんでしたね。
でも、言われてみれば『確かにそうかもしれない』、『そういう側面はあるだろうな』という気がしてきます。
もちろん、私が『反新自由主義』の言説をやっているこちらにも、そのような側面があるだろうということも否定はしません。
ただ(他のROM状態の皆様にも誤解のなきように断っておきますが)、私は帰属意識を持つこと、持ちたいと思うこと自体がダメだ、と言っているわけではありあません。それが国にしろ、宗教にしろ、勤め先や学校にしろ。
そのあり方が、おかしな方向に向かって、過激な排他主義等に結びつき、それが社会全体に様々な危機や弊害をもたらすことを懸念しているのです。
なお、私としては『バランスをとる』という意図もありますが、旧来の『左』『右』の枠を越えたものを模索して行くには、ただ相手側への批判・非難を繰り返すだけでなく、自分や自分の所属する陣営(という言い方が適切かどうかはわかりませんが)、自分に近い立場の人たちが持つ課題や限界にも目を向けることが必要ではないか、と考えた次第です」。(7月8日13:52)
r:「仰るとおりですね。
人間、追い詰められたり自暴自棄になると自分より弱い立場の人間に対して攻撃的になったり、大義名分を振りかざして居丈高になったりします。
戦時中の日本にもそういった人たちはいっぱいいたそうですね。(私は生まれていないのでリアルタイムには知りませんが。)
そして敗戦後、そういった方々は口を噤むどころか率先して何事もなかったが如く開き直り旧体制を批判したらしいですね。
まるでどこかの国の総理大臣みたいですね。(7月8日18:01)
Morichan:「『自分に近い立場の人たちが持つ課題や限界にも目を向けることが必要』は、とても大事な事だと思います。
だから、軍国主義反対だけで一致して安心するブログにしないで、軍国主義という枠組みの中で、無意識の内に差別意識やイジメや殺人や慰安婦問題に介入していた軍人・庶民も分析する必要を感じます。
A級戦犯であった東条英機を責めることで終わることなく、我々の心の内なるA級戦犯にも常日頃から目を向けなければならないと思います。
その意味でも、komichiさんの分析手法に間違いはないと思います」。(7月9日19:57)
Komichi:「rさん
いつもコメントありがとうございます。
ここ数年、特に最近思うことなのですが、特定の政治家や集団ばかり批判しているだけでは、不十分なのではないか、という気がするのです。
人間、追い詰められたり自暴自棄になると自分より弱い立場の人間に対して攻撃的になったり、大義名分を振りかざして居丈高になったりします。
戦時中の日本にもそういった人たちはいっぱいいたそうですね。
どんな体制、政治家であれ、それを(直接であれ、間接であれ)支える人たちがいなければ成り立たないと思うのです。そういった人たちについての考察も必要かな、と思います。
いわゆるネット右翼と言われる人たちについて考えることも、その一環にはなる、と思っています」。(7月10日00:18)
Komichi:「morichanさん
どうも!
コメントとトラバ、ありがとうございました。
今後は、特定の人物や勢力を批判するだけでなく、そういった自分たちの課題や限界などについて少しでも考える、といった考察もしていきたいと思います。
次のエントリーは、そんなエントリーにしたいのですが……すみません。土日は他の用事で忙殺され、完成させることができませんでした。あと2〜3日中には仕上げたいと思いますので、もう少しお待ちを。
なお、あなたのブログも、いくつかのエントリーを読みましたが、面白いですね!
今後はちょくちょく寄らせていただきますのでよろしく」。(7月10日04:05)
このブログで明かなように、物事に対して言いっぱなしのブロガーは少ない。Komichiさんの問題提起から始まり、それを受けてのコメント会話は、深く考えることを要求し、新たな
問題提起を作り出す。そして、以後のブログ書きに大きな
影響を与える。
私達は今、ネットで繋がった会話と目と目を合わせた会話の双方から、広範囲のそして生身の情報を感知し、
関係性が深められている。

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