大学関係のある友人から「中国・韓国等アジアの幼児教育と日本の経済」についてのコメントを要求された。残念ながら、この友人は経済学音痴で、私は教育学音痴であるので、気ままに短く書いてみた。
その内容が次である。
国内で「
経済格差」の議論が盛んに行われ、経済協力開発機構(OECD)の対日経済審査報告書でも2000年段階ですでに日本の「所得格差」はアメリカに次いで2番目であると指摘された(朝日新聞夕刊7月20日付け)。言うまでもなく、統計資料のある先進諸国の中での順位である。
これをグラフを添えて、分かり易く説明している「Internet Zone--Movable TypeでBlog生活」の7月21日付けブログも参考にしてもらいたい。
バブル経済崩壊後の景気低迷は、生産工場のアジア進出と商品価格低下に連動し、国内企業のリストラを推し進めた。これによって、正規労働者と非正規労働者による労働市場の二極分化(同上朝日新聞)という「格差」を作り出した。
同時に、中国でも都市と農村での「格差」、新ビジネスの興隆による富裕層の増大と低賃金の工場労働者の増大も「格差」を作り出している。
以上のような経済グローバル化は、先進国と同様の「格差」が発展途上国にも及んでいるが、先進国以上に急激な発展をしているアジア全体に「格差」が深化している。
このことによって、親の「格差」はそこで育つ
幼児の「環境格差」まで作り出し、均一的な幼児教育を語れない様相を呈していると考えられる。要するに、家庭環境としての「格差」や経済的な「格差」によって、受け容れられる幼児の能力に差が生まれ、一元的一箇所集中の集団教育を難しくしている。
また、中国や韓国で起きている飛び級制度は、格差の中の上層で進展し、幼児段階での親の期待にも大きな影響を与えているのではないかと予測できる。勿論、日本での有名小・中受験でも見られる現象ではあるが、飛び級という英才教育とは若干趣を異にする。
このように見ると、アジアでの「格差」は幼児教育の実践で欧米や日本から学ぶことはできず、全く新たな視点で語られなければならないと思う。
この文章が要求に合っているかどうかは分からないが、これを書きながら末恐ろしさを感じた。
「格差」問題は底が深く、大人だけの「格差」に終わらない問題を含んでいて、
不平等の連鎖は親子を通じて進み、このままでは決して縮まることはない。
この「格差」との
関係性は自分の子どもや孫の代にまで進み、遺伝子以上の強さで連鎖していく。遺伝子なら他人が間に挟まり、次への連鎖は薄まるのだが。

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