「親と同居」についてのブログ解説が7月後半に増えた。朝日新聞(7月22日付け朝刊)で「『親と同居』20代後半男性の64%」の記事で「『パラサイト』増えるか?」が書かれ、ブログのVivid Associationでは「親と同居の30代が増加」(7月22日付け)として国立社会保障・人口問題研究所が発表した2004年の世帯動態調査を紹介している。
詳細は次のブログを参照してください。
http://wizz.at.webry.info/
ただここには、親と同居をせざるを得ない「経済格差」があることは間違いないが、同時に、親の方も子供と同居する意味が「経済格差」にあると感じる。0.5+0.5=1.0になり、生活のつじつま合わせによって、この窮状に耐えていると考えた方が良いかも知れない。
私の母が
特別養護老人ホーム(特養)に昨年の5月に入ることができた。それまで転々と介護老人保健施設(老険)を回っていた。毎月のこの特養での支払いはおよそ9万円であったが、10月から14万円になった。勿論、本人にその支払能力はなく、家族で賄うしかない。
そして、先週、脳梗塞を起こし、病院に担ぎ込まれた。1週間から10日の入院を通じて、次の対策として胃瘻(いろう)を作り、口から栄養補給できない場合のため、腹に穴を開けてそこから補給することになる。
それでも家族は、味を楽しむことができる口からの食事ができるように、その訓練ができる病院もしくは施設を探すことになる。
当然、特別養護老人ホームから離れた生活が3ヶ月以上になると、ホームから外され、家族の中で仕事を止めなければならない者を一人作り出さなければならない。
まずは、新たにこの病院への支払いと訓練機関への支払いを家族皆でかき集めなければならない。家族3人全てが仕事を持っているが故にまだ可能な事態である。仕事を一人でも止める羽目になれば、この
家族の互助体制は崩壊することになる。
このような場合は稀ではなく、いつどこで起きてもおかしくないコトである。生きて行くのに様々なことがあり、「パラサイトシングル」(山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』筑摩書房1999より)と一言で表すには複雑な様相を呈していると思う。余りに身近な出来事であり、そうせざるを得ない現実がある。精神論で論ずることが難しい問題である。
神奈川新聞(8月2日付け朝刊)に「
医療費未払い218億円」という記事が載った。小見出しに「低所得やモラル低下」と表現し、ギョッとした。
02から3年間の一病院当り年間平均で5百四十万円であったものが、04年に急増し七百十六万円になった。これまで、主に医療保険に加入していない外国人などの問題として扱われてきたが、国民健康保険料を払えない人(注)が増え、同時に医療費が払えない人も増えている、と伝えている。
(注)これについては、7月6日付けの「平等の不平等」の中で、「国民健康保険の保険料を長期滞納によって失効させられ、代わりに資格証明書や短期証が交付される。これを病院に提示すると先ずは全額請求され、後で7割が返金されるが滞納額と相殺される場合がある。要するに、保険料が払えない状況にある人が、治療や手術で全額払える筈がなく、結局、医療機関に行かなくなり死亡する場合が急増している」と解説した。
確かに何時でも何処でも、逃げ勝ちを実行している患者はいるのだが、保険が切れているために、お金がないために病院に顔を出そうとしない患者が増えていて、アパートで死んでいた人や救急車で運び込まれてきた人(この場合は医療費未払いを前提とした治療)が統計外に多いと知り合いの病院関係者から聴いた。「モラル低下」と言われようが治療を受けることが大事だと彼は語った。しかし、公然と外部にこれを言えば、病院が成り立たなくなる矛盾を抱えているとも語った。
払えるお金がないので、病院に行かないとする正直者が損をする日本という仕組みのようだ。
また、神奈川新聞の同日に、
「格差」に関する知事等の意見が載せられた。
○「勝ち組」の象徴である六本木ヒルズを抱える東京都港区では、高額所得者の増加で住民税収入が伸びる中で、生活保護を受ける世帯数が上昇している。
○「税金や水道料、学校給食の滞納が増え続けている」(愛知県東浦町長)
○「好調な企業業績の陰に非正社員の増加があり、着実に低所得者が増えている」(東京都西東京市長)
○「塾に通える子どもとそうでない子どもの学力に差があり将来が怖い」(三重県東員町長)
○「低所得者の国民健康保険加入者が増えている」(石川県内灘町長)=自治体財政の圧迫を心配
以上のような小泉構造改革への不満が日本中吹き荒れている。このような中で、東京都知事である
石原慎太郎は「日本は決して貧困ではなく、著しい格差があるとは思わない」と語っている。47都道府県の中で石原氏だけが唯一「格差」を認めていないようだ。
中西新太郎氏が言う「『経済格差』が現実であるとしても、その格差を『大したことではない』とみなしたり、『がまんできる範囲』あるいは『がまんすべき範囲』だとみなす主張」(季刊『前夜』2006夏号 p.23)がこれに当たる。「こうした主張は、格差の存続・拡大と固く結びついた差別問題を政治的に『処理』する場合にもきわめて有効にはたらいてきた。日本社会の不平等な関係が『格差―差別』のセットとしてあることに無自覚な状況をつくりだしたのである」と続けている。
結局、
石原氏の「格差」感は、どこにでもあるよ、大したことではないよ、そのうち慣れるよ、という主張になり、政治的責任を一切取らない方向へ民意を動かす狙いがあると言える。
とても小泉首相と石原東京都知事は良く似ている、本当に体質も同じである。
神奈川新聞同日の記事「
小泉首相 任期最後の“お国入り”」が載り、自身の地元である横須賀と三浦の両市を訪問したことが書かれた。
ところが、この記事から見えてこない事実を、あるブロガー氏は私にコメントをくれた。
「はじめまして。ご意見まったく同感であります。
先日小泉総理が地元である当地の視察?お礼?にきましたが、だい3セクター等の公共事業体の場所に足をむけません。我々が見ていただきたいのは、昼間、猫が散歩している死滅寸前のシャッター商店街なのですが。これも格差社会でしょうね。また読ませていただきます、元気の出るような記事をお願いいたします」というもの。
このブロガー氏こそ新聞記者ではないでしょうか。神奈川新聞の記者さん、ただ首相に付いて歩くのでは実態は見えないことを知るべきである。
現実の「格差」を見ようとせず、口先で誤魔化す小泉首相と石原東京都知事は良く似ている、本当に体質も同じである。
以上見てきた通り、「経済格差」は日本の隅々まで浸透し始め、他方でこれを誤魔化す風潮を作り出そうとする権力を握った政治家がいる。
この「経済格差」と強く
関係性を私たちは持っている。残念ながら逃げることができない。

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