9月8日の金曜日、スメタナの連作交響詩
《わが祖国》全曲(1874〜79)を日本フィルハーモニー交響楽団(指揮:イルジー・ビェロフラーヴェク)で聞いた。
夜7時の開演(サントリーホール)に女房と二人で走ってギリギリ着いた。
この作品はチェコ民族独立の凱歌を描いたものであるが、曲そのものの清々しさを70分満喫させて頂いた。
そして翌日、朝からチェコ・フィルハーモニー管弦楽団(ヴァーツラフ・ノイマン指揮)のCDを一人で聞きながら、私にとって「
祖国」とは何なのかを考えることにした。
仕事で海外に長期出張したとき、帰りたくなる場所(家庭、食事)がある。そこに四季があり、さしみ・煮物があり、気兼ねなく日本語で話せる場がある。勿論、私を生んでくれた父母が育った場でもある。
これが私の「
祖国」である。
海外に行くと、第二次世界大戦の悲劇を方々で見ることができる。インドネシアのアンボンでは旧日本軍の沈没輸送船を見、そこの年寄りから私に指を刺し“ワタナベさん”、海を指差し“サカナサカナ”と声を掛けられ、後ずさりした経験もある。いろいろな国で、日本人である私が戦争で責められる場合もある。私はその時丁寧に謝ると、何故そのようにあなたの政府はハッキリと謝らないのか、と言われる。
このような時、私と私の政府は係わりがないと言うことにしている。大概は、お前の考えは面白いと言われるが、彼らは納得していないようだ。
私の「
祖国」と通勤電車で隣に座った人の「
祖国」とは違うのではないか。ブログでコメントやトラックバックで知り合いになった人たちの「
祖国」とも違うのではないかと思える。ただし、関係性が強まると、近所の「
祖国」になるのだろう。
一人一人の「
祖国」が違うと考えた方が分かり易い。そして、その違いを理解する方が良い。
あらためて、海外侵略した日本は私の「
祖国」ではないのかという疑問に答える必要がある。海外、特にアジアの人たちから批判される軍国日本である。靖国参拝を相手の痛みも分からずし続ける軍国日本と私の「
祖国」との係わりは何なのか。
ここで重大な発見がある。確かに私の「
祖国」は日本と呼ばれる地域の中にありそうである。私の父母が嫌っていた軍国日本は私の「
祖国」ではない。要するに、日本という地域を軍国日本という名の国家が占領したのだ。だから、私や私の父母の「
祖国」(今では私の女房や子供も同じ「
祖国」にいる)はその中に併合され占領されたのだと考えられる。沖縄の人たちも自分たちの「
祖国」を多分日本国に占領されていると思っているのではないだろうか。
そして、この占領に無理矢理もしくは主体的に加担した人たちが多くいた。井上ひさし氏は朝日新聞(8月14日付け夕刊)の「ニッポン人脈記」の中で、“戦争に熱狂し、一番気合が入っていたのは、たとえば在郷軍人会や町内のおじさんたち。何かあるとすぐ『そんなことで勝てるか!』『国賊!』でしたからね”と少年時代を語った。
海外侵略とそこでの残虐な行為は日本国家が行った訳で、決して私の「
祖国」がした訳ではない。ただし、「
祖国」がこの国家に追従・加担した場合もあり、それへの謝罪が必要である。
この町内のおじさんたちもその過ちを認め、自分の「
祖国」探しの旅に出かけましょう。皆で探しに行きましょう。自由で国家と
関係性を持たない私の「
祖国」を求めて。
いつからか、知らず知らずの内に、私たちは国民と呼ばれていた。今は二重の国家(日本とアメリカ)の中で身体とポケットは管理されているようだ。
でも私の「
祖国」は私のもの。日本国家やアメリカ国家のものではない。私は庶民であり、国民ではない。しかし、日本国家に占領されている今でもまだ私の「
祖国」をイメージすることができる。まだ思想の自由や言論の自由が許されているからである。
しかし、日本国家の「経済格差」という注射を打たれ、思考が薄れるのを感じる。私の「
祖国」をイメージする日が減っている。そんな余裕も無くなっているのだろう。ここに付け入って、憲法と教育基本法を全面改悪しようとする国家主義者が現れた。井上ひさし氏が語った加担者が国家という看板を背負ってまた現れている。思想の自由や言論の自由が取り上げられたら、永遠に私の「
祖国」をイメージすることさえ無くなる。
この状態に向けて、日本国家は「美しい国へ」と叫んでいる。様々な「
祖国」が自由にものを語る騒がしさは無くなり、“バンザイ”という雑音の無いこだまだけが響く美しい国家が作られる。
様々な意見が交錯する弦楽器、管楽器、打楽器、鍵盤楽器で作られる交響曲はそこにはない。そんな雑音のない「美しい国」が目の前に迫っている。
私の「
祖国」と
関係性を強めたままでいたい。そうしたら、意見の異なるあなたの「
祖国」を理解することもできる。

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