前進座の公演で「赤ひげ」を観劇(11月22日)した。黒澤明の映画で見た「赤ひげ」が有名である。
山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』の舞台版である。
目の前で見る舞台の迫力に圧倒された。舞台装置は何層かの薄い幕を利用して、建物や部屋の構造を一舞台に構成している。そして、場の切り替え時のこの薄い幕と光のコントラストの面白さも体感させてもらった。
「赤ひげ」は小石川養生所で庶民の病気を無料で診ているが、幕府からその経費を削られる中での人間関係の進展を表現している。赤ひげはその怒りを、権力者・富める者から大金を治療費・薬代として取り立てることによって、貧しい者の治療代・薬代を免除する方法をとった。今でいう
「公的医療費の削減」問題である。
また、赤ひげはオランダ医学を学んできた新人青年医師に「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえしようとしないエセ医者が大部分なんだ」と言っている。
医療に携わる者は少なくてもこの心構えが欲しい。
最近、若い医者が、経験不足の中で町医者を開業している。大きな病院で様々な苦労をして、総合医として町医者になれば、身近にいる私たちには有難いことなのだが、経験が浅く休日がしっかり取れる町医者として安易に生きている姿は見たくない。
それにしても、ここのところ医療制度等をブログで扱い、医療に立ち向かう人たちの現状とそこでの悩みをこの演劇で見せられた気持ちだ。
しかし、残念ながら、この舞台は医療人の病気に立ち向かう姿が中心で、患者の心の揺れや悩みを追求し切れていない不満は残った。
毎週私が通う東洋医学のクリニックは、大きな病院で西洋医学を用いてきて悩んできた二人の医者を中心に、看護師、薬剤師、栄養士、事務職が総合的に患者と係わっている。決して、医者以外の職員はお手伝いさんではない。
朝一番の治療は、職員への治療から始まり、健康な職員によって私たち患者は診られている。そんな活気のある内部組織を持った小さな病院をここに見ることができる。
確かに、「赤ひげ」の舞台には現場で働く人たちの姿があり、清々しさを感じる。また、観劇仲間がここにいるという安心感に
関係性を覚えた。しかし、この興奮から醒めると、
ブログで書く自由さを私は持っているが、それを解決するための仕組みが見つからないじれったさを覚える。

0