(副題:資源維持)
先ず、(中−1)へのコメントの紹介から入る。
una:TBありがとうございました。
東京新聞経済欄に、EPA(経済連携協定)の記事がありました。オーストラリア側の要求は、小麦・砂糖・乳製品・牛肉の4品目の関税を撤廃せよ・です。もしも、これらの要求を丸呑みにした場合、食糧自給率は40%〜30%に下落するそうです。恐ろしい事ですね。
政府は、日本農業の競争力を高めるとかで、大規模農業やら会社形態農業を進めようとしています。地産地消を唱えるのに、小規模の地産をしてくれている農家を潰そうとしています。矛盾だらけですね@@;
(unaさんのブログ「気の向くまま」
http://blue.ap.teacup.com/una3310/)
morichan:unaさん
前回にコメントくださった「薬漬け」食品については、理解して・書いて・分かっていたにもかかわらず、改めて考え直す機会になりました。食材の買い物や台所で食事作りをしない私のような人間には実体のない話だったということです。生産から消費までの肌感覚の欠如です。
私たちのできる抵抗は、小規模な農家・漁家と結び付いて、時には手伝いに行きながら、自ら「食料自給率」を高める生活スタイルにすることなのかもしれません。
jun:今晩は。
私は米とスイカの名産地に生まれました^^;でも実家は田圃も少なくて自家用米だけ。大百姓の家の子が羨ましかったです。小学生の頃、何で貧しい家と金持ちがあるんだろうか、どの家もみんなで必要なだけ分け合えたらどんなにいいかと真剣に考えていたのをイヌイットの話を読んで思い出しました。人にそれを話すと「バカだな、そんなことしたら働くヤツは誰もいなくなるだろ」といわれ、ああそうかとイヤに寂しく納得したのも思い出しました。
農業は本来楽しい仕事、土が生み出してくれる艶やかな作物は農業者の愛そのもの。経済成長を出稼ぎで支えたのに、いつの間にか工場から田圃に帰れなくなってしまった農家の人たち。自動車を売るために、農産物を輸入してる、としたら農業者は踏んだりけったりですよね。つまらない話ですみませんでした。
(junさんのブログ「もしもし 私です」
http://red.ap.teacup.com/tyoiba6/)
morichan:junさん
20年前に、ある九州出身の男から“子ども時代に、農家でないサラリーマン世帯は非農家と呼ばれて差別された。柿泥棒がバレて、やっぱり非農家なのかと言われた”、そして彼は東京での生活に一定程度満足して“農家出身でなくて良かった”とその当時は語っていました。
しかし今は、リストラの嵐でその田舎に彼と家族は帰っています。一生懸命、パートと小さな農業で食いつないでいます。しかし、都会生活より充実していると彼は言っています。
「経済成長」で農業やそれに係わった社会全体が揺り動かされ、今は「自動車を売るために、農産物を輸入」を当然の社会とした政策がはびこっています。
時代に動かされた人生とは言え、心休まる農業への回帰は決して後ろ向きではない九州男児の姿を思い出しました。
以上のコメントには、国内の農業・漁業を重視し、農・水産物の自給率を上げる重要性が含まれる。そしてそれには、都会で住むことと田舎で暮らすことを統一的に捉えることの大事さがある。企業勤めから農・漁業へ、農・漁業から企業勤めへという移動の自由さが保障される社会を要求することになる。
その中には、土日だけは楽しい農・漁業に自由に従事できる仕組みも含まれる。そこには大人の癒しだけではなく、子どもや孫の農・漁業に対する柔軟な思考回路を与える可能性も大きい。これによって、食の役割や安全性の意味まで次世代に繋げることになる。
「世界の富 人口の2%、半分以上所有」(日本経済新聞12月6日付け朝刊)という記事が載った。国連の研究機関の2000年調査である。この中で、世界の成人人口の上位1%が世界の富の40%を握っているという事実が報告されている。そして、
「欧米・中国に『買い負け』」(日本経済新聞12月12日付け朝刊)で、マグロなどの漁獲規制で高値に拍車がかかり、円安により日本の優位性が損なわれ欧米・中国に買い負けしていることを述べている。
上記二つの日経記事から、世界の富が偏在(かたより)し、マグロの輸入量がどの国で多く買われるかではなく、食べられる人間と食べられない人間に分解し始め、価格上昇はそれを鮮明にさせていると理解すべきである。
「養殖の実態知り絶滅回避を」(朝日新聞11月11日付け朝刊)というWWF(世界自然保護基金)の伊沢あらた氏の主張が載った。
「90年代後半以降、巻き網漁船が取った幼魚をいけすに入れて太らせ、脂ののりを良くして出荷する「蓄養」と呼ばれる手法が、クロアチアなど地中海一帯に広がった。こうした『蓄養マグロ』は、日本の商社を中心に買い付けられ、回転ずし店やスーパーなどに大量に並んでいる。・・適切な資源管理ができなくなった結果、地中海西部ではほとんど枯渇し、地中海に残った最後の産卵域とみられる東部の海域に漁船が集中し、資源消滅へと突き進んでいる」と実態を説明し、「小売店の店頭で、蓄養マグロは『養殖』と表示されている。天然より養殖の方が、資源に配慮した商品だと誤解している人も多い。・・消費者の行動が政府や企業を動かし、限られた資源を持続的に利用できることにつながる」と結んでいる。
上記の「蓄養」にしても国内のマグロ「養殖」にしても、太らせる以上にエサとしての他の魚介類の消費が大きく、資源維持に大きく反する行為であり、尚且つ薬剤の使用による汚染も問題を大きくしている。
「蓄養」に関しては、当初、定置網で漁獲されたマグロに餌を与え、脂がのってから出荷するという方法であり、1970年代のカナダからその試行が始まり、スペインへと進み、90年代初めに巻き網でオーストラリアは「蓄養」を成功させた。
オーストラリアは漁獲したマグロをほとんど缶詰に加工していたが、一定期間イケスで育て脂をのせて出荷する技術が確立してからは、大半を利益の上がる「蓄養」にまわすようになった(注1)。
この「蓄養」の成功は、一方で日本市場の「トロ」好みがあり、他方で日本のオーストラリア観光人気があった。後者によって日本−オーストラリアの飛行機便が急増し、飛行機中の安い貨物容積も同時に急増したことが、日本市場の価格変動に合わせて出荷できる要因となった。生鮮食品は冷凍・冷蔵管理と速さが勝負であった(注2)。
そしてこれ以後、日本市場を目指した脂の乗ったマグロの「蓄養」が地中海にも広まった。
(注1)TUNA QUEEN WEB SITEより
http://www.tunaqueen.com/jiten/rekishi.html
(注2)Y.I氏(元・水産物貿易商社および元・築地中卸に勤務)からの聞き取り
そして今、日本だけではなく欧米や中国にもマグロ需要が増し、資源保護との狭間で価格高騰へと突き進んでいる。自分達の食生活を見直す良い機会でもある。
しかし、
資源保護に賛成する庶民にとって、「経済格差」の異様な拡大は平均的に皆で食べる量を落としましょうということにはならず、上層は今まで以上に食し、下層は我慢する構造が見えてくる。
市場主義の下品さはここにも現れているが、もし庶民が“俺たちも”と言えば、「蓄養」や「養殖」が過度に進み、クスリまみれの安いマグロを庶民は食することになる。そして、沿岸域での汚染を進め、他魚種を減退させ、漁民の生きる道も閉ざし、海全体の資源保護も危うくする。
残念ながら、庶民の役割は資源保護にとってとても大きい。資源保護と安全な食品を求めて、「経済格差」を縮小させる意識的集団と
関係性を持たなければ次世代の地球環境も経済環境も保障できない。