(副題:真円真珠発明100年)
「細る浜 老いる漁村」(朝日新聞06年11月20日付け朝刊)で、三重県の五ヶ所湾の現状をアップしている。
「渚、砂浜は、人間で言えば肺。海の肺ですわ」「渚に波が打ち寄せては返す。それが海の浄化作用になる」と、川口祐二さん(三重県南伊勢町)はいう。
五ヶ所湾は御木本幸吉が財を成す礎であり、大正から昭和初期にかけて御木本養殖場は最盛期を迎えた。そして戦後、ここでの真珠養殖業は漁民に解放され、タイやハマチの養殖業の開発へと進んだ。
そして現在、二つの町が合併し南伊勢町になり、漁業者1700人で、新規就業者は04年に1人、05年に3人にすぎない。五ヶ所湾の水揚げは73年にピークで、今は半分ほどで推移しているそうだ。
「五ヶ所湾のハマチ漁が62年に始まる。当時、ハマチの餌となったイワシのすり身から魚脂が出てバター状となって海面を埋めた。雑排水とともに赤潮の原因ともなり、汚染から湾を守ることの大切さを漁民は身にしみて知った」と彼は語っている。
今では一般化している魚介類の「蓄養」や「養殖」の先端を切った真珠「養殖」が成功したのは明治末期の1907年であった。今年が丁度100年目にあたる。
1893年(明治26年)に御木本幸吉が半円殻つき真珠(半円真珠)を開発した。今で言うマベ真珠(真珠ではない)である。そして、1907年に見瀬辰平と西川藤吉による真円真珠が発明され、この年から100年目が今年である。
ただし、ここで重要なのは技術としてのイノベーションだけではない。日本での消費力は極めて小さい中で、海外市場をターゲットに産業化(生産拡大)した御木本幸吉の流通イノベーションが日本の真珠産業を形成させた。
これによって、王侯貴族やブルジョワジーの消費に頼る産業であったペルシャ湾等の天然真珠採取とその流通は破壊され、日本で「養殖」され欧米で消費される新たな産業構造が生まれた。そして、第二次大戦後の日本真珠産業の急成長は、他の魚介類の「養殖」に刺激を与え、大量生産・大量消費に見合う工業的水産業を確立していった。特に真珠「養殖」は初めから地産地消からかけ離れたグローバリゼーションであったが、高度経済成長に合わせて国内消費も急激に伸びた。
日本のアコヤ真珠が真円真珠の養殖生産として突き進むのに合わせて、染み抜き・染色技術が加わって、均一な品質を確保できる工業的産業に真珠産業を押し上げた。ここに、養殖生産・加工・流通の日本での一貫産業が確立した。
1963年に戦後復興の先頭に立った真珠産業は輸出総額のおよそ1%を稼ぎ出す優良産業へと突き進んだ。「戦前に比べ他の物価は100−200倍に対し、真珠価格は1000倍といわれた。いわゆる、“真珠ブーム”である」。
まさに、国内も真珠の「大衆化」が進み、「需要層の意識は、“真珠は高級品であり、真珠は嗜好品である”という古めかしい物の見方から、女性にとって“真珠は日用品であり、真珠は必需品である”という見方のほうへ、需要層の意識が変化している」といえた。
そして現在では海外産真珠(白蝶真珠、黒蝶真珠、淡水真珠)との競合もあり、生産量を減らし、環境悪化や感染症問題も加わり、真珠貝の斃死状況を引き摺りながらの生産である。
その一つはイノベーション理論(注1)の実証である。それは古いものを積み重ねて新しいものを作り出したのではなく、「不連続な経済発展」を見せ付けた功績である。古い状況を一瞬にして飛び越える状況を作り出した功績である。
もう一つは、努力すれば誰でも手が出せる商品開発である。養殖真珠の生産と加工によって、均一的工業的大量生産の功績がここにある。
(注1)シュムペーター『経済発展の理論』(上)(岩波文庫 塩野雄一・中山伊知郎・東畑精一訳 2000)で、新結合(イノベーション)の遂行は「すなわち、われわれが取り扱おうとしている変化は経済体系の内部から生ずるものであり、それはその体系の均衡点を動かすものであって、しかも新しい均衡点は古い均衡点からの微分的な歩みによっては到達しえないようなものである」(p.180)と述べている。
ところが、真珠養殖は決して工業ではない。自然環境と深く結びついた漁業である。戦後の生産急増は“巻きの厚さ”を軽視し、加工(脱色・染色)に乗った経済主義を招き、蜜植や海の汚染を導いてきた。
「真円真珠発明100年」は輝かしいイノベーションの産物であるが、他方で負の遺産(海の汚染)も持ち込んだ。同時に、真珠養殖の成果は他の魚介類の養殖に火を点けた。森の無秩序な伐採や合成洗剤の使用による海の汚染もそれに付け加わった。
先駆的役割を果たした真珠「養殖」の技術開発は100年経った今、「細る浜 老いる漁村」を作り出している。
「食べる前に考えた」(しんぶん赤旗06年12月24日付け日曜版)は最近のマグロ事情を述べている。それも大きな写真だらけの見開きで。
そして結局、「資源保存」を言い、「各国が規制を守り、正確な漁業データを基に科学的に資源が管理されるなら、マグロを食べ続けることは可能です」と。そしてまた、近畿大学水産研究所によるクロマグロの「完全養殖」の成功を論評なく記事に取り入れている。
今、マスコミで語られているコト、消費者への影響等々を分かり易く整理することは重要であるが、ただそれだけなら「赤旗」はいらない。「資源保持」「環境保護」「格差拡大」等々での奥の深い論評がなければ、御用学者によく見る評論家と同等になってしまう。このレベルなら民主党と変わらない。
マグロ消費と環境(下−1)に次のようなコメントが入った。
una:TBありがとうございました。
>上層は今まで以上に食し、下層は我慢する構造が見えてくる。
TVなどで、これ見よがしに流される”グルメ番組”も何も考えない庶民を更に煽っているように思いますね^^;
(unaさんのブログ「気の向くまま」
http://blue.ap.teacup.com/una3310/)
morichan:unaさん
いつもお世話になっています。
確かに“グルメ番組”にはその兆候があります。同時に、庶民は食べること以外に頭がもう回らない状態に置かれているのかもしれません。“グルメ番組”の本当の狙いは何なんでしょうね。
starstory:はじめまして。
「食」の問題とグローバル経済の問題のつながりに関心を持っています。環境問題も含め、「持続可能な経済」はいかにして可能なのかという問題です。経済の問題が経団連や八代氏など御用学者によって語られるとき、環境の問題や日本の食糧安全保障や資源の問題については全く語られていません。「ダーウィンの悪夢」という上映中の映画を観て、そんなことを考えました。TBさせて下さい。
(starstoryさんのブログ「キリスト者として今を生きる」
ttp://blogs.yahoo.co.jp/starstory60)
morichan:starstoryさん
始めまして。コメントを有難う御座います。
私からもTBさせて頂きました。
総和がゼロとなるゲーム理論がありますが、純粋に経済部分だけを取り上げると、「経済格差」も上下の足し算でゼロとなります。しかし、「環境の問題や日本の食糧安全保障や資源の問題」を含めるとマイナスサムとなると私は考えています。
過剰生産、過剰消費、過剰輸出入、宣伝による欲求刺激(unaさんのいう“グルメ番組”)、等々によって「環境の問題や日本の食糧安全保障や資源の問題」を過度に引き起し、より一層の「経済格差」を作ります。
「経済格差」を縮めることと「持続可能な経済」とは同義のような気がしてきました。
jun:TBありがとうございます。
朝のNHK番組、「矢切のねぎ」でした。とーってもおいっしいのに残念ながら、一般のお店に出ることはなく、<高級料亭や、これではなくてはという人のところにいくねぎ>なんだそうです。見渡す限りのねぎ畑でした。庶民は2本で100円の中国産^^。あのねぎ、いくらするのかなあと考えちゃいました。
(junさんのブログ「もしもし 私です」
http://red.ap.teacup.com/tyoiba6/)
morichan:junさん
おはよう御座います。
ある栄養士さん曰く“添加物の多い食品で、特にインスタント麺類やお菓子類に慣れた子供たちはそれを美味しいと理解している”そうです。
「経済格差」は、時間も金もない親が手っ取り早い食品を子どもに与え、農薬さえ舌にピリッと来る快感を子どもに覚えさせるのかもしれません。
そして、ついに考える意欲さえ無くなる庶民が出来上がります。環境悪化は庶民の身体も心も痛め付ける速度を上げているのではないでしょうか。
このような「美しい国」が完成しないうちに私たちの議論を周囲に広げる必要があると思います。美味しいねぎを気軽に食べ、美味しいと感じる庶民の幸せを取り戻しましょう。
真剣に現場で悩んでいる人たち、将来の家計や子供たちの行く末に不安を感じている人たち、様々な病気を抱え医療に不安を持つもしくは一切期待できないでいる人たち、いくら働いても非正規雇用で休むことさえままならない人たち、との
関係性を深めて、事実を事実として学び、その背後でこの矛盾を深刻にさせている勢力と対決しなければならない。

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