「学びほぐす(unlearn)・教え返す(unteach)」
係わりと繋がり
長々と「マグロ消費と環境」について書いてきた。この中で最も大きな収穫はコメント交流であった。また、コメントによる実体験をわが物として次の記事への導入とさせて頂いた。このことが結局、長い連載となり読み難い内容となったかもしれないが、少なくても私の中の“環境”が整理できたことは間違いない。
このブログ間の
関係性は、「学びほぐす(unlearn)」や「教え返す(unteach)」を実行したのだろうと思われる。
「地域の人々和む作業所」(朝日新聞06年11月8日付け朝刊)は、「ぴぐれっと」(横浜にある知的障害者の作業所)の活動15年を記事にしている。
ここには見学者も含めて、年間1000人以上が足を運ぶ。知的障害児を抱える西村信子さんが自宅で仲間のお母さんと始めた集まりで、86年から菓子作りやバザーを続け、91年に作業所をスタートした。02年には障害者の生活の場となるグループホームも始めた。この中で、「親も、子供の自立を受け入れる準備が」できるようになる。
暮らしていく上で欠かせないのは、地域の理解であり、「ぴぐれっと」の祭りには約300人が手伝い、不登校の子やお年寄りが立ち寄れる場となり、普段でも20人以上のボランティアが集まる。
西村さんは「ぴぐれっと」の目標に次をあげている。
@障害者も職員も互いに認め合う
A障害者の家族も支える
B地域の人と交流する
「多世代交流の賃貸マンション」(06年11月17日付け朝刊)が載った。
地域の交流が崩れ、新たな交流の場作りが要求されている。老後を楽しく過ごせる仲間、子どもを安心して預けて働きたい家族、等々の多世代交流マンション「コミュニティーハウス」が神奈川県藤沢市に今春できあがる。
「12階のテラス。リタイアしたばかりの男性が腕をふるった夕食会の席に、保育士に連れられた子どもたちが“おいしそう!”と走り寄る。仕事から帰ってきた親たちも輪に加わった。隣の部屋では、生け花が得意なおばあさんの教室が始まった―」という光景を意識したものである。
岡本健次郎さん(NPO法人「共生のすまい全国ネット」事務局長)は「高齢者、子育て支援など、テーマをもった集合住宅は増えている。うまく機能するには、地域に開かれ、地元の人たちとも連携して助け合える関係を作っていくことが大事だ」という。
この二つの記事は、人間関係の崩れた社会で生きる人たちが「援助される喜び」と「援助する喜び」が交錯する場作りが描かれている。ただし、前者は自らの利益を捨てて参加し、皆で育て上げようとするエネルギーを感じるが、後者はある一定以上の収入を持った人たちが相手で、「子育て+中高年の生きがい支援」を目標としたものであるため病気もしくは病弱な人は排除されている様な気がする。
千年虫さんに言わせれば多分「ビジネスチャンスの追求」ということになる。
しかし、いずれにせよ、まさに「学びほぐす(unlearn)」や「教え返す(unteach)」ことによる喜びを分かち合える“場”である。
「今日のいじめを考える 、」(しんぶん赤旗06年12月26日、27日付け)は、浅川道雄さん(元家裁調査官)の「いじめ」についての投稿である。これを前提に、私の見方も含めて整理する。
鶏を狭い鳥小屋に押し込めると、大騒ぎになるが時がたつと静まって秩序が生まれる。それをペックナンバー(鶏がくちばしで突っつく順位のこと)という。すべてを突っつくことができる王様鶏からすべての鶏から突っつき回される最末端の鶏までの順位が生じ、ついに死が。しかし、この鶏たちを小屋からだしてやるとたちまちペックナンバーは解消する。
このペックナンバー現象は学校にも起きる。集団の上位に君臨する成績が良く影響力が強い子どもたちの意向で「いじめ」の程度や手口が左右される。そして、集団の意向を受けた“下士官クラス”の子どもたちが手を下す。だから、この解決に「下手人の摘発と排除」といった表面的な対処は危険である。この子どもたちを管理する教師がいて、その教師を管理する校長が、その上には教育委員会が、その上に文科省が。勤務評定と数値目標による管理が徹底している。
また、このペックナンバー現象は言うまでもなく企業組織にも当てはまる。それが家庭に入り込み、企業主義的もしくは学校的な価値基準が各家庭の固有の文化までも無味乾燥化させ、子どもへの迫害的な道を歩まされる。
学校も家庭も、お互いに思いやるという人間関係が上下の関係(ペックナンバー)に集約され、「学びほぐす(unlearn)」や「教え返す(unteach)」ことによる喜びを分かち合える“場”を失わされた時に悲劇が起きている。
「鶴見俊輔さんと語る 生き死に 学びほぐす・・」(朝日新聞06年12月27日付け朝刊)と
「人はいかに まなびほぐすか」(朝日新聞1月23日付け朝刊)が心に滲みる。
前者の記事は鶴見俊輔氏と徳永進氏(鳥取市内にホスピスケアの診療所を運営している内科医)の4つの部分に分かれた対談である。
第1の部分
徳永:「ベルトコンベヤーにのった人生はつまらない。・・『死の野郎がもうちょっと遅くきたらいいのに。でも山登りもいっぱいしたし、しょうがないかな』と、どこかで手を打つ。・・だが、ベルトコンベヤー人生では取引できるものがない」。
第2の部分
鶴見:「哲学者ラッセルが『疲れて帰ったとき、自分が言ったことは全部間違いだと思う瞬間がある』といった・・哲学者ホワイトヘッドの講演も聞いた。『精密であることは、つくりもの(フェイク)だ』と・・矛盾のないことを目指す記号論理学体系の『プリンキピア・マテマティカ』の共著者2人が、ほぼ同時代にこう語っている」。
徳永:「矛盾はすべてに起きる。・・『押付けない、押さえつけない、決め付けない』でなければ、と日々感じる。・・医療も教育もマニュアルが現場に下りてくる・・現場では、その画一化からはみ出す『その他』が必要なのに」。
鶴見:「はみ出すことがかつては許容された。ベトナム戦争のとき私は、日本で脱走した米軍兵士をかくまい、海外に送り出す活動の京都方面の中心だった。でも、近所の人たちから密告されたことは一度もなかった。党派に関係なくね。一種の共同体ができていた。それが理想だ。でも同じことは今後期待できない。
将来、多数の難民が日本にやって来て、暮らすことがあり得る。難民との付き合いが生じれば、それがある種の教育になって、日本を変えていくと思う。マニュアルでなんてやっていけない。
徳永:「私が医者になったころ、自宅で亡くなる人と病院で亡くなる人は半々。今、自宅で亡くなる人は1割程度。自宅か病院かではなく、両方を行き来できる死があっていい。できれば、いざというとき食事できる『国民食堂』も開き、お年寄りが1人で暮らせるまちにして、治療共同体をつくりたい。『その他』は今、はみ出していく者がつくり出すしかないのでしょう」。
第3の部分
徳永:「死亡診断書に死亡場所として記入する場は病院、診療所、老人施設が多い。・・現代は死の迎え方さえ画一化されてしまっています。長く農業をしていた男性患者さんが入院していて、『家に帰る』というので息子さんらと一緒に帰ったことがあります。雪の深い山の家で・・表情は、診療所での患者の顔とまったく違った。人間としての誇りが感じられました」。
第4の部分(対談の後 考えた)
鶴見:「戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。私が大学生であると知ると、『私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった』といった。まなび(ラーン)、後にまなびほぐす(アンラーン)。『アンラーン』ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。
大学でまなぶ知識はむろん必要だ。しかし覚えただけでは役に立たない。それを学びほぐしたものが血となり肉となる。
徳永は臨床の場にいることによって、『アンラーン』した医者である。アンラーンの必要性はもっとかんがえられてよい」。
後者の記事は前者の記事を受けて、大江健三郎氏の昨年末に出版した長編三部作『おかしな二人組』(講談社)を読み直して、「新しい記憶ほどモロイという、別の『老い』の指標を認めました。unlearnを(unteachと並べるかたちで)自分の作中人物にしゃべらせていた」。
「教育の現場で・・教えた相手から過ちを指摘されて、苦しく自己修正することはなかった。それをやるように、教えている相手から逆に励まされるということもなかった・・この経験の欠如が自分にもたらしている、本当に成熟していないところをさびしく自覚する、そういうことはしばしばあったものなのです」。
この2つの記事を題材にした次の二つのブログにも是非皆さん訪問してください。
さきさんのブログ「内申書制度の廃止を求めます」
(1月8日付け記事「今年もよろしくお願いします」)
http://blue.ap.teacup.com/paletoutseul/
junさんのブログ「もしもし 私です」
(1月23日付け記事「『unlearnとunteach』」)
http://red.ap.teacup.com/tyoiba6/
そして、
前回記事「マグロ消費と環境(おわり−後)」にコメントを頂いた。
yohko:morichanさん
>>意識的に「学びほぐす(unlearn)」と「教え返す(unteach)」の連鎖に関係性を深める努力を今年からの目標とします。
素敵な言葉ですね。
心に響きます。
(yohkoさんブログ「幸せになるために」
http://blog.livedoor.jp/yyyyohko/)
このコメントは私に対してというよりも、上記二つの記事に与えられるものです。
これからも皆さんと一緒に「学びほぐす(unlearn)」と「教え返す(unteach)」をしましょう。ペックナンバーが起きない“場”であれば、「学びほぐす(unlearn)」と「教え返す(unteach)」は起り得ると思います。

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