2017/2/21

陰謀論好きの食指が全く動かない・・・金正男暗殺  時事/金融危機
 

「陰謀論好き」の私は、「見えそうで見えない事件」が好きです。

その意味において金正日の暗殺事件は、全くと言って食指が動きません。

ソソラレないのです。



ただ、利用価値の無くなったモノの再利用・・・程度の事件だと思っています。

同様に豊洲問題における石原元都知事も、リサイクルの好例では無いかと。

要はワイドショー的なネタに過ぎない。



陰謀論の奥深い所は、もっと世界の秘密に迫る様な事件。

それも全然派手さが無くて、でも、世の中の流れが変わるきっかけになる様な事柄・・。



トランプ大統領も派手ですが、その裏で蠢く人たちや事柄にこそ興味が在ります。

何だかトランプ大統領の登場を合図として、世界は変質しつつ在る。

それは表面的はポピィリズムの台頭の影で、

ひそかに次の時代のシステムを構築する原動力を溜め込んでいる様に思える。

ただ、それが何なのか、いまいち見えない。


だから陰謀論は密やかで楽しい。
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2017/2/20

劇坂チャレンジ・・・千葉県 富山(とみさん)  自転車/マラソン
 



■ 激坂を目指して ■

前回の激坂記事の最後に書いた「富山(とみさん)」。あれからネットで色々と情報を集めてみたが、かなりハードなコースらしい。「和田峠越え」とか「筑波山の風返し峠よりもムリゲー」みたいな書き込みが・・・。「体感的には延々20%超えが続く」とか、もう関東最強の激坂じゃね?

という事で、とにかくチャレンジしてみる事にします。浦安から富山までは、どのルートで行っても100km近くあります。なるべく足を使いたく無いので、内房を真っすぐ南下する事に。当日は朝から強風でしたが北風なので追い風です。

五井の辺りで右からの横風に。海沿いの産業道路は路肩が荒れていて、さらに大型車と並走するので普段でも怖いルート。本日は横風にトラックなどが煽られるのでかなり怖い。そこで養老川を渡った所で内陸にルートを変更します。養老川添いのバイパスから住宅街を通って姉ヶ崎まで出ます。後半は道幅が狭いので時速40km/h超えでタクシーの後ろに張り付きます。姉ヶ崎に着いた時には腿がパンパン・・・。

姉ヶ崎からは久留里街道で一路久留里を目指します。途中の田圃の中の平坦区間は超追風で40km/hオーバーで楽々進みます。

久留里でコンビニ休憩の後、410号線で一気に鴨川市へ。長狭街道との交差点を直進して、一つ峠を越えたら南房総市に入ります。

■ 日本酪農発祥の地 ■

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自衛隊の嶺岡山駐屯地への上り口を過ぎると直ぐに「酪農の里」が現れます。ここから先はコンビニが一軒も無いので、お昼ご飯はここで済ませる事に。

「酪農の里」は日本の近代酪農の発祥地だそうです。元々「嶺岡牧」は里見家が軍馬を育てていた「牧場」でした。房総半島を横断する嶺岡山地一帯、周囲75kmの広大な牧場は1614年に里見氏が幕府に難癖を付けられて改易された事で、幕府直轄の「嶺岡牧」となります。

8代将軍吉宗は積極的に軍馬の育成をし、さらにインドから「白牛」を導入して、バターに似た食べ物を作りました。下の写真が「白牛」です。

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最近、嶺岡山系を発掘して「野場土手」や「木戸」が発見されています。馬や牛を牧内に囲い込んでおく為の建造物です。当時の牧畜の飼料を主に草ですが、嶺岡牧では植生管理もされていた様です。

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その後時代は明治に移り、新政府の「嶺岡牧場」として管理され、アメリカから優良なホルスタインを導入するなど、日本の近代畜産の基礎を築きます。その後、千葉県の管轄に移され、民間に売却されるなどして、牧場の面積は次第に減少してゆきます。

千葉県は当時の牛乳の大消費地の東京や横浜から離れていたので、生乳の出荷は出来ませんでした。そこで、東京近郊の畜産家に乳牛を貸したり、或いは子牛を預かったりしていた様です。バターや練乳の生産にも着手していた様です。資料館には当時の畜産の飼料が多数展示されています。興味が在る人には貴重な資料です。

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そんなこんなでじっくりと資料館を見学し、うどんセットと名物のソフトクリームを食べてエネルギーを充填しました。

富山へは国道410号を途中で右折して県道89号線に入ります。89号線の入り口に棚田が広がっていますが、これは「蓮田」。ここの蓮根は生で食べても美味しいらしく「サラダ蓮根」の看板が出ています。

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■ いよいよ、富山に挑む ■

県道89号はしばらく御殿山を眺めながら、小さな川沿いを緩やかに下ってゆきます。道端には菜の花が風に揺れています。県道88号と分岐してしばらく上り坂が続きます。その頂上付近に「富山入り口」の看板を見つけます。

そこからは細い畑の中の道のアップダウンが続きます。所々の分岐に看板が無ければ完全に道に迷うでしょう。

「富山ってこんな楽なんだ・・・・」って思い始めた頃、急角度で道がターンする箇所が現れました。そこからは激坂区間が始まります。

その入り口に馬が三頭歩いていました。麓の観光牧場の乗馬用の馬だそうです。狭い道で馬を追い越すのは少し怖い。「馬、大丈夫ですかね・・・?」「自転車見るのは初めてでちょっと驚いてるけど、基本オトナシイから・・・」そう言われ、足付きしないでどうにか馬をパスします。

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その直後から激坂が続きます。何度かフロントタイアが浮きました。道が分岐してさらに斜度が上がる所で心臓が限界です。危険なので足付き・・・。

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しばらく休んで、再スタートしますが、もう坂のキツイ事といったら・・・。何よりもフロントが浮き上がるので怖い。体をハンドルの前方に出して前輪に体重を掛けると今度がリアが簡単にスt-リップする。さらに路面が荒れています。落ち葉、枯れ枝、小石、グレーチング、舗装が荒れた所・・・もうトラップの連続。

そうそう、途中で馬に抜かれました。馬は登りは得意だとか。(下りが苦手)。「1馬力」にも適わないとは屈辱。

■ 富山の激坂に散る・・・ ■

ちょっと登ると道端に「登山用の杖」が置いてありました。何だかこれを見た時点で心が折れました・・・・。

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しばらく進んで、転倒寸前でビンディングをギリギリ外す事数回・・・。結局、乗車を諦めて「押し」が入ります。押すたって・・・登山道を自転車を押して進んでいるんですから・・・楽ではありません。

「押し」で一番傾斜のキツイ処をクリアーして、どうにか乗車できる斜度になったので再度自転車の乗りますが、路面の荒れた所を避けて前輪が谷側に落ちそうになってここで完全に心が折れました。後は山頂まで再び「押し」ます。

・・・・この荒れた急坂を自転車で降りる事を考えると心が重い。

どうにか山頂らしき広場に到着しました。

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■ ノーマルクランクではムリゲーだった ■

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斜度はキツイですが、決して登れない斜度ではありません。ただ、前輪が浮く、或いは後輪がスリップする、蛇行しようとすると坂の下側に自転車が倒れそうになる・・・それが怖くて挫折しました。

帰りの電車の中で「激坂の登り方」をググってみた所、前輪と後輪に均一に体重が乗るポイントを探し、ペダルは回転を意識してトラクションにムラが出ない様にする事が肝心とあります。

しかし、ノーマルクランクの39t−27tで、私の体重の70kgだと、ペダルを踏みこまなければ登れないので、自然と「グウ〜ン、グウ〜ン」というムラムラのペダリングになります。さらに力を掛ける際にハンドルを引いてしまうので前輪が持ち上がります。これを避ける為に前輪に体重を掛けると後輪がスリップする・・・・。

これを防ぐ為にはギアー比を軽くするしか無いのですが、39t-27tでギアー比は1.44。リア側を29tにしても1.344。やはり素人が激坂を登る為にはコンパクトクランクが必要そうです。34t-27tで1.259になりますから、1.44よりは回転をスムースに出来そうです。

ただ、こんな激坂は滅多に無いので・・・その為だけにコンパクトを導入するメリットは・・・。遊びで105のクランクを付けて再トライするなんてのは在るけど、その前に体重を落とさないと・・・。


■ 八犬伝の聖地巡礼 ■

実は本日のメインイベントは激坂ではありません。

安房・富山と言えば「南総里見八犬伝」の序盤の聖地。

時は戦国、里見義実率いる里見軍は隣国・安西景連に責められ籠城します。しかし折からの飢饉で食べ物は無く、敗戦は濃厚。義実は目の前をふらつく飼い犬の八房に「お前が景連の首を取ったら娘の伏姫を嫁にやろう」と戯言を口にします。するとアバラの浮き出しやせ細った八房の目に生気が宿り、どこへとも無く消えてゆきました。

戻って来た八房の口には、何と敵将の景連の首が加えられていまいた。大将を失った安西軍は敗走し、里見家は滅亡を免れます。

さて、大手柄を立てた八房は丁重な扱いを受けますが、なぜか彼は不機嫌です。すると伏姫が義実にこう言います。「犬畜生と交わした約束でも、約束は約束。それを違えるとは畜生にも劣る所業です。父上、わたくしは八房の妻となります。」こうして、伏姫を背に乗せた八房は、空を掛けて里見の城を後にします。

義実の家臣、金碗大輔は伏姫と将来夫婦になる事を期待されていましたが、姫が八房と出奔した後に出家して、安房の隅々を歩き周り、姫と八房の消息を負います。そうして彼はとうとう、富山の人が立ち入らぬ山奥の洞窟に、姫と八房が住んでいる事を突き止めるのです。

八房は姫の傍を離れず、時折姫に近づこうとしますが、伏姫はその都度、八つの水晶の大玉がある数珠をかざして法華経を唱えます。すると八房はその場で静かに法華経に聞き入ります。こんな一人と一匹の隠遁生活を一発の銃弾が終わらせます。金碗大輔が放った鉄砲の弾は、八房を殺した後、伏姫にも当たってしまうのです。

金碗大輔そこに来合せた義実とともに洞窟に駆けつけますが、横たわる伏の腹は大きく膨らんでいました。「畜生を交わって子を成したとあっては里見家の恥・・・」と言う義実に伏姫は「私は決してそのような行いをしておりません・・・」と自らの潔白を証明する為に、その膨らんだ腹に自ら刃を突き立てて、ずいーっと切り裂きます。

何と、その時、伏姫の腹の中から八つの水晶玉が飛び出して、すごい勢いで四方八方の空に散っていったのです・・・・。

かなり以前に読んだので怪しい記憶ですが・・・南総里見八犬伝序盤のハイライトの舞台が、ここ富山です。そう、富山は江戸文学のベストセラーの聖地なのです。

■ 伏姫籠穴 ■

富山の山頂には「里見八犬士終焉の地」とあります。八犬伝は最後は里見氏に集った八犬士が、北条との戦で大手柄を立て、里見家の8人の姫をそれぞれ娶って「めでたし、めでたし」のハッピーエンドだったハズ。

ただ、実際の里見氏は北総まで勢力を拡大しますが、1564年、現在の市川市国府台にて北条氏に敗れ、千葉県の北部での権勢を失い安房地域を治めるのみになります。館山城を居城として江戸時代を迎えますが、1618年に改易となり、房総里見氏は終焉を迎えます。

実は里見氏の改易は徳川の謀略だと言われています。東京湾の入り口の千葉側の里見氏と、神奈川県三浦半島側を治めた本多氏。外様で10万石を超える里見氏は江戸の入り口にとっては本多氏同様に邪魔な存在でした。

1618年の幕府内での政争「大久保長安事件」において里見氏と本多氏はそれに連座した罪で改易されてしまいます。その後、里見氏は各地を転々と改易されますが、歴史の表舞台に登場する事をありませんでしが。里見の居城、館山城の跡には八犬士のモデルともなったと言われ里見の家臣達の墓があるそうです。

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そんな歴史?(フィクションですが)に思いを馳せながら、海側を望むと、かつて里見水軍と北条水軍が覇を競った東京湾の入り口が陽光にキラキラと輝いています。

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山頂から「伏姫籠穴」まではどうやら未舗装の遊歩道が続いているらしい。山頂の地図では距離はそれ程離れていない様なので、自転車を押して行く事に。

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途中、皇太子と雅子様がかつて富山に登られたのを記念した「愛の鐘」なるものを横目に見て進みます。

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■ おいおい、これって登山道じゃないか・・・ ■

しばらく遊歩道を行くと、道案内は急な下り坂を示しています。???と思いましたが、少し下ったっら在るのだろうと、自転車を担いで急坂を下ってみます。

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急坂は次第に木製の階段に代わり、倒木が道を塞いでいるわ、ちょっとしたガレ場があるわで、完全に登山道ですね、これ・・。シューズカバーをしていては危険なんで、カバーを外します。

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登るのも難儀する急な階段を自転車を担いで降りるのは一苦労ですが、MTBの人達は、重いバイクをよく担いでいますよね・・・それを思えばロードは軽いからマシかもしれません。

そういえば、以前も山を自転車を担いで登った事があったな・・・。そうそう、あれは直ぐ近くの犬掛の古戦場にある「滝田城跡」を行った時だった。今回は登山道が整備されているだけ楽かもしれません。

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ようやく登山道の入り口に到着です。登りで45分掛かると書かれています。25分で降りて来たので、45分は「老人の足で」でしょうか。

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■ いよいよ聖地 ■

自転車に「乗って」しばらく下ると、「伏姫籠穴」という山門が現れます。山中に忽然と現れる山門は、「三遊記」の妖怪が住んでいそうな佇まいです。

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山門からは登りが続きますが、幽山なんて言葉が浮かぶ不思議な雰囲気があります。

登り切った所に鉄扉が在り、その奥に岩屋が在る様です。八犬伝はフィクションですから、ここの伏姫と八房が居た事実はありません。誰が何の為に、いつ頃、岩屋を掘ったかは不明ですが、富山は修験道の山だったとも言われています。確かに山深く、修験道の僧が修行をしていそうな雰囲気があります。

館山には修験道の開祖、役 小角(えんの おずめ)が空から降り立ったと言われる場所が在り、房総には古来修験道が広がていたのかも知れません。

薄暗い岩屋の中には白い「玉」が置かれ、奥の方に目を凝らすと「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」と書かれたボーリングのボールが・・・失礼、珠が置かれています。

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「伏姫籠穴」は、「聖地巡礼に行ったら、キャラクターの看板がたっていた
・・・」って感じの、何だか微妙な聖地でしたが、房総の地では、八犬伝はフィクションでありながら、史実の様な存在になっているのです。

入り口の山門で振り返ると、塀の上に「犬塚」が建てられている事に気付きました。八房の靈を鎮める為の塚なのでしょう。

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■ 岩井の名所を巡る ■

何だかすっかり観光気分になってしまったので、電車の時間まで岩井の名所を散策します。

「岩井の蘇鉄(そてつ)」という看板を道路脇に見つけました。住宅地の中を進んで行くと、県の文化財の看板が出現。樹齢1000年って、まさかね・・・。

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ところが大蘇鉄、葉が一枚も生えていません。まさか枯れてしまったのでしょうか?ネットで調べると、冬は葉を切り落とした方が夏に葉の出が良いそうです。

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海の方角と思しき方にハンドルを切ると、しばらくして砂浜に出ます。

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野太い声と太鼓の音がしたので祭りでもやっているのかと見に行くと、海に向かって応援団の高校生達が声を張り上げていました。

風も収まってきて、東京湾の波も穏やかです。

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帰りは岩井の駅から輪行します。本日は観光三昧のロングライドでした。(いつもですが・・)

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2017/2/17

坂バカさんにチャレンジして欲しい・・・激坂 in 安房鴨川  自転車/マラソン
 
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世の中に「激坂」という言葉が在るのをご存じだろうか?

「急坂」という言葉は良く耳にするが、「激坂」という言葉は一般には耳にしない。

しかし、自転車乗り、特に「坂バカ」と呼ばれる方たちは「激坂」という言葉を多用します。例えばこんなふうに・・・・。

「本日はヒルクライムにチャレンジしてきました。最初の方は緩やかでしたが、途中からは激坂。途中で痛恨の足つきしちゃいました。」

ところで、どの程度の斜度(傾斜)から「激しい坂」と呼ばれるのか・・・大方は斜度10%を超えた辺りから坂道は「激しい」と表現され始める傾向が強い。

斜度と角度は混同されがちであるが、斜度は「( 水平距離 / 垂直距離 )x100(%)」で求められる。

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要は「地図上の100m進間に、何メートル上昇するか」を表す数字である。

ちなみに「道路構造令の第20条」によれば「道路の縦断勾配は道路の区分および設計速度に応じて、2〜12%以下でなければならない」事になっている。従って、国道や県道などは大方12%以下の勾配で設計されている。

しかし、私道などはこの範疇では無いらしく、上の写真は都内某所にある息子のアパートの前の私道であるが、写真で計測する限り角度は18°程度の「激坂」である。これを斜度に換算すると32%になる。

この坂道を降りる年配の方の多くが塀に手をついて降りている。そうしないと転びそうで怖いのだ。

ちなみに、以前、ミニベロで登攀を試みたが、ハンドルポジションの高いミニベロでは前輪が浮き上がってしまい、敢え無く挫折している。


ちなみに、プロのロードバイクの選手が、どの位の「激坂」を登れるかというと、




上のYoutube動画はティレノ〜アドリアティコ第6ステージにある有名な「激坂」。最大斜度は28%。多くの選手が力強く登っているが、最後の方の選手は、何と自転車を降りて押して登っている。雨が降ると後輪がスリップして登れない選手が続出するらしい。

ところで、関西の自転車乗り、それも「坂バカ」達が挑む「激坂」が大阪と奈良の県境にあるらしい。「暗峠(くらがりとうげ)」と言うらしい。何だかオドロオドロシイ名前である。

先ずはネットで見つけた写真を見てみよう。

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「マジ!!」と思わず口にしてしまった。この場所の斜度は31%だそうだ。ほぼほぼ息子のアパートの前の「激坂」と同じである。

ところで「暗峠」はれっきとした「国道」である。古来より大阪から生駒山を超えて奈良に至る主要な道路で暗越奈良街道と呼ばれていた。現在は「国道308号線」となっているが、道幅は小型乗用車が一台やっと通れる程度。写真が如き急勾配が続き、「酷道(こくどう)」と揶揄されている。

ネットにはこの「激坂」にチャレンジした映像が沢山アップされているが、大方は途中から自転車を降りて歩いている。希に足を付かない猛者の映像も在る。


自転車乗りの一部が喜ぶ「激坂」であるが、短い距離ならば身近にも点在する。息子のアパートの前の道も、「激坂マニア」はしっかりとチェックしてネットに情報があがっていた。


実は娘の鴨川のアパートの近くにも「激坂」が存在する。

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鴨川市を見下ろす魚見塚展望台に至る道がそれである。自転車乗りの中には、「ああ、あの道はすごい激坂だよね。20%は超えている」と思われる方のあるかと・・・。

しかし、彼らが知っているのは海側から嶺岡中央林道2号線にアプローチする坂道であろう。確かに駐車場までの数十メートルは20%に近い激坂であるのだが・・・実は展望台に鴨川市街の陸側からアプローチする坂がヤバイ。

田圃からいきなり65mの標高差を一気に登る坂道であるが、途中からは斜度は20%を超え、ところどころ30%に近い箇所も・・・。以前、娘と自転車で降りた事があるが、フルブレーキでソロリソロリと降りても、前側に転がりそうで怖かった。歩いても腰が引ける。

先日、嶺岡中央林道を走破した際に、試しにロードバイクでこの「激坂」を登ってみました。娘のアパートに泊まったので、足がフレッシュだったので思いついた無謀なチャレンジです。

20%超え区間は100m程だと思うのですが、30%に近い所では後輪がスリップして、無理にトラクションを掛けるとかえって登れなくなります。

そして、苦しくなって蛇行をしようとすると前輪が浮き上がってしまってハンドルを切り返す事が出来ない・・・。

それでも何とか39t−28tのインナーローで登り切りました。次にチャレンジしても多分無理だと思います。脳が「苦痛」をメモリーしてしまったので・・・。

この坂を上った後は、10%程度の傾斜は「緩やかな坂道」に感じられました・・・。





ちなみに東京都には「和田峠」という激坂があるらしい。奥多摩の方だという。自転車乗りの多くがチャレンジしている。


ところが、千葉県に「和田峠越え」の「激坂」が存在するという情報がチラホラ。「富山(とみさん)に至る登山道がヤバイらしい。


・・・・自転車乗りの血が騒ぐ・・・。
ア!!、先日、後ろのスプロケの最大を28tから27tにしちゃった・・・・。
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2017/2/15

インフレ税は日本を救うのか?・・・公平性は高い  時事/金融危機
 

■ にわかに脚光を浴びるインフレ税 ■

昨年8月のジャクソンホール会議(カンサスシティー連銀主催の経済会議)で講演以来、プリンストン大学のクリストファ・シムズ教授が日経新聞などのメディアに登場する事が多くなりました。

彼の主張は「政府債務の一部を増税ではなくインフレで相殺すると宣言し、金融緩和に加えて財政拡大で人々のインフレ期待に働き掛けることが重要だ」というものです。

1)ゼロ金利下では金融緩和は機能しない(リフレ論は有効でない)
2)金利が低いのでリスクの低い国債の魅力が相対的に高まる
3)資金が国債に集まるので景気が活性化しない

4)財政を積極的に拡大して、将来的に「財政インフレ」が発生すると予測させる
5)将来的なインフレを予測して物価が上昇し始める

6)大きすぎる債務残高を増税でファイナンスすると景気を後退させてしまう
7)将来的なインフレによって実質債務を圧縮する事ができる(インフレ税)

8)金融緩和も継続的に行い、インフレが発生し易くする
9)インフレのコントロールは政策金利や中央銀行のバランスシートの拡大で可能

10)日本で心配すべきは財政を積極的に拡大してもインフレマインドが発生しない事

・・・うーん、何やら日本を舞台に再び経済実験が始まる予感が・・・。

■ 物価水準の財政理論(FTPL)とは? ■

シムズ教授の主張は「物価水準の財政理論(FTPL=The fiscal theory of the price level)」は1990年代から主張されているもので新しいものではありません。

様々な解説がされていますが、私は下の解説が分かりやすかった。

http://anond.hatelabo.jp/20161116045208 より引用

<引用開始>

『物価水準の財政理論』というのはその名前がミスリードなもので、基本的には「まともな経済なら、現在の政府債務の実質価値は、将来にわたる実質の基礎的財政黒字とインフレ税の合計を実質利子率で割り引いた現在価値に等しくなっている」という予算制約式でしかない。ここに、将来までの金利や基礎的財政黒字などはある固定値であるといった追加的な仮定を入れると、政府債務の実質価値が一定となるため、政府債務の量と物価水準が比例的関係を持つようになるのでまさに『物価水準の財政理論』という感じになるが、別に将来の金利や基礎的財政黒字などは固定値となる理由はない。固定値どころか、政府債務の量と無関係に外生的に決まる(たとえば政府が財政支出を減らしたり、税金を引き上げたりして、財政赤字に対処しない)という保証すらない。実際にはこの制約式から言えるのは、ある政府債務の下、現在および将来想定される金利政策、税制策、支出政策の組み合わせが決まれば物価水準が決まるということである。たとえば一定の金利政策の下で、政府が基礎的財政赤字を早く削減しようとすれば、名目債務が増加しても制約式を満たす物価水準は下落となるケースも考えることが出来る。

ここで、流動性の罠の下では金利政策、税制策、支出政策のうち金利政策は流動性の罠が続く当面の期間においてゼロで固定値となるため重要度が下がり、残りの財政面の現在および将来のパスが物価水準に主体的な影響力を持つ。ただし、流動性の罠にない場合には財政面はその決定的な影響力を失い金利政策との兼ね合いとなってしまう。そして現実的な増減の範囲では財政面より金利政策の方が物価水準に与える影響が大きい(小さな金利政策の変化の影響を打ち消すのにさえ大きな財政面の変化が必要になる)。その結果、流動性の罠にあるときには財政面から物価水準を考えるのが正しくても、それを流動性の罠にないときにまでそのまま伸ばせない。
また、財政面が効果を持つのは現在の政策のみならず将来のパスも含めてであり、いま財政を拡張的にしてもその分だけ将来に緊縮が行われると思われてしまうと物価水準への影響力も失われてしまう。流動性の罠にある間は財政拡張を続けることへのコミットに加え、流動性の罠から抜け出したあとには財政は通常時のルールへの復帰にとどめそれまでの拡張による債務の増加分を取り戻そうとはしないことへもコミットすることが重要になる

<引用終わり>


政府債務評価方程式 The government debt valuation equationを根拠にしているらしい。

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M=マネタリーベース(日銀の借金)
B=政府債務
P=価格

であるので、式の右辺は「統合政府の借金の実質値」となります。この式自体は、政府の借金の実質値を中央銀行と物価も含めて正確に評価する式となります。

左辺は積分の式ですが・・・

E=条件付き期待値
R=政府債務の実質利回り
s=プライマリーバランスの黒字

本来、Rの実質金利は経済状況によって変化しますが、ゼロ金利が続く状況でゼロに固定する事ができます。私の解釈としてはゼロ金利の元では左辺は定数Aとして扱えると解釈します。

これを価格Pについて解くと・・・

P=(M+B)/A となります。

要は、物価はマネタリーベースと政府債務の大きさで決まるという事になる。
要は、金融緩和をしながら緊縮財政を行ったのではゼロ金利の元ではインフレは発生しない・・・という何だか当たり前な事を言っている・・・。


■ 「金融緩和 + 財政拡大」を主張した三橋氏らの主張と何が違うのか? ■

シムズ教授らのFTPL論ですが、私にあは「金融緩和と財政拡大でとっととデフレを脱却しろ」という三橋貴明氏らの主張と同じに見えます。

ただし、シムズ教授の主張が三橋氏らと根本的に違うのは、彼の目的が「政府債務はインフレで相殺する」という点にある事。彼はインフレが良いとは必ずしも言ってはおらす、「デフレ時よりインフレ時の方が好景気である事が多い」程度の認識しか示していません。

これ、当たり前の様に聞き流してしまいますが「景気縮小時にのインフレが発生する=悪性インフレ=スタグフレーション」の存在をさらりと無視しています。(多分意図的に)

要はシムズ教授は「インフレを使って債務を圧縮するインフレ税の方法」を解説しているのであって、景気回復の方法を語ってはいません。

ここら辺が三橋氏や上念氏らとの大きな違いでしょう。

■ 実質金利がゼロに固定される=金融抑圧政策 ■

インフレ税で債務が圧縮される条件として、マネタリーベースや財政が拡大しても金利が上昇しない事が重要になります。要は上限金利を設定したり、現在の日銀の様に10年債までの金利をゼロに固定する様な政策が不可欠になります。

この様に経済状況に関わらず金利の上限を固定する政策を「金融抑圧」と呼びます。

第二次世界大戦の莫大な政府債務はアメリカは上限金利の固定と、戦後復興の旺盛な消費によるインフレで短期間に圧縮しました。

イギリスはアメリカ程成長率が高く無かったので、十数年を掛けて金融抑圧によって政府債務を圧縮しました。

日本は戦後の物資不足による高率のインフレに、預金封鎖と新円発行という合わせ技で一気に債務を圧縮しました。

「債務圧縮」と書くと悪い事では無いように思えますが、片側には国民の資産があって、インフレによる資産の目減りが債務圧縮の財源となっています。


インフレ率に対して国民の金利収益が正当に払われ無い事で、政府が国民の資産を税金と同様に没収しているのです。これを「インフレ税」といいます。


■ リフレ論とFTPL論は多分セットで準備されていた ■

私はリフレ論とFTPL論はセットで準備されていたと妄想しています。

1)リフレ政策によって金利水準を極端に低下させる
2)金利操作付きの異次元緩和によって10年債金利までをゼロにペッグする

この1)と2)のプロセスを抜いて財政拡大を行った場合、財政破綻が意識されて国債金利が上昇してしまいます。ですから、FTPL論の主張する財政拡大の下準備としてリフレ政策が実行されたのでは無いか?

ほぼ安定的なゼロ金利が実現した処で、にわかにジャクソンホール会議でシムズ教授が登場し、日本に対して政策提言を始めた感が強い。


■ ポピュリズムの結果、結局は「インフレ税」を払う国民 ■


仮にシムズ教授の説が正しいとしても、国民は「インフレ税」を支払い、国家は「実質債務が圧縮」できます。結局は国民が損をする。

「インフレ税」のタチの悪いのは、国家などの承認が不要な点です。一般的な「増税」であれは国会決議が必要となりますが、これには国民の反発が強いはずです。

ところが、「政府が財政を拡大すると結果的に政府の実質債務が減りますよ」という免罪符があれば、国民は財政拡大を容認し、自分達の利益を優先します。これこそ「ポピュリズム」の典型です。

しかし、国民は徳する事は無く、インフレによってより多くの負担を強いられる事になります。


■ 「世代間格差の解消」という公平性において私はインフレ税を支持します ■


「人力さんはインフレ税に反対ですか」と聞かれたら、私は「インフレ税に賛成です」と答えます。

もともと私は「ガラガラポン」支持者ですから、それが緩慢に進行するインフレ税には反対ではありません。

現在の日本において最大の問題は「資産が高齢者に偏っていて、国と高齢者の間でお金がキャッチノールされる」事。インフレ税は貯金などの資産に効果的に掛かる税なので、将来的な増税で若者や子供世代に負担させるよりは公平性が高い。

■ 所得の再分配の為の財政拡大で、アメリカに上納する事無かれ・・・ ■

問題は、財政拡大による支出の行先です。つまらないバラマキに使ったり、箱物を作ったり、ましてやアメリカに上納されてしまうのでは本末転倒です。

■ ハイパーインフレは起きない?のか・・・・ ■

FTPL論は1990年代からありますが、実行に移されなかったのは国債金利のコントロールができなくなる恐れがあるから。

では現在の様にゼロ金利が実現している場合は安心なのでしょうか?

問題はFTPL論が目的にしているインフレ率にあります。現在の日銀のインフレ目標は2%ですが、これは為替変動や原油価格によっては達成可能な目標ともいえます。そうなると、異次元緩和を継続する口実が失われ、日銀がテーパリングに入らざるを得なくなります。その時点で財政拡大に舵を切っていたとしたら・・・国債金利は急上昇します。

シムズ教授は、「インフレ率の抑制は政策金利を上げたり、日銀の資産売却で可能」と主張しますが、悪い金利上昇が始まった場合、日銀が資産である日本国債を売却したら国債金利の上昇に歯止めが掛からなくなります。その様な状況で政策金利を上げたら、日本経済が崩壊し、結局「ガラガラポン」が始まります。

これ、結局は「急激なインフレの実現」なので、FTPL論が目指す「インフレによる実質債務の圧縮」が一瞬で達成されます。ただい、国民の生活は大きく破壊されますが・・・。


リフレ論者もFTPL論者も結局は「国民の為」なんて事は爪の先程も考えていないのでしょう。
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2017/2/13

酷寒から春へ・・・房総ライドの醍醐味  自転車/マラソン
 
■ 温暖な南房総でも山の北斜面は凍結する事も在る ■

最近2月になると桜が咲き始めます。別に地球が温暖化している訳では無く、早咲きの河津桜がいたる処で大増殖しているのです。元来、初物が好きな日本人だけあって河津桜が各地の公園や河原に好んで植えられるようになったのです。

浦安の最近出来た公園の河津桜は7分咲き。そこだけ一足早い春が到来していますが、そうは言っても2月の初旬は一年で一番寒い時期です。温暖で路面凍結が無い為に、冬は関東の自転車乗り達が遠征して来る南房総ですが、さすがにこの時期は林道の北側斜面は凍結しています。

本日は養老渓谷から麻綿原高原経由で鴨川を目指しますが、麻綿原高原に向かう林道は雪が薄っすらと積もった様に凍結していました。時間は11時を過ぎていますが、山の北斜面はヒンヤリとした冬の空気が漂っています。後輪がスリップしない様に細心の注意を払いますが、急斜面だったらスリップして登れなかったでしょう。

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実はこの林道、昨年末に稜線が崩落して以来、一部通行止めになっています。車の往来が無い林道は一気に荒れます。枯れ枝、落ち葉、石などが散乱しています。それらを慎重に避けて、ノロノロと登ります。

■ 鴨川は春の佇まい ■

麻綿原から一気に標高差300mをダウンヒルした鴨川の海辺は、一転して春の香りに満ちています。菜の花が満開になり、水仙が風に揺れています。


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そんな、早春の房総半島を浦安からほぼノンストップで一気に走って、安房小湊までの100kmを4時間15分で走破。山中は凍結と悪路で徐行したので、その気になれば4時間を切れるかも・・・。

尤も、本日は新兵器を投入しています。リアのスプロケをアルテグラ11-28Tからレコード12-27Tに交換しました。別の軽量化を意識した訳では無く、16Tが欲しかったから。私の脚力だと平地巡行に53-15tは少し重く、53-17tは少し軽い。丁度良い16t入りのスプロケはカンパしか無い。

軽いギア-側が28tから27tになってしまいますが、これがどう影響するかを確認する為に麻綿原を登ってみました。結果は全然OKでした。本日はインナー封印で、ほぼシッティングで登れました。(養老渓谷までダンシングを使いまくってので、ダンシングの足が売り切れていましたが・・・)

ディレラーとチェーンはシマノですが、スプロケをカンパにしたので変速はスムーズになりました。迷いが無くなった。それにカンパのスプロケの良い所は、トルクを掛けた状態で変速がスムースに出来る事。これ、シマノのスプロケだと、変速時にトルクを抜かないと上手く変速しなかったりします。ズボラな私にはカンパのイタリアンらしい「大らかさ」の方が相性が良い。走っていて数段楽しい。

■ ノンキーズカフェ ■

週明けから学年末試験の娘を強引に誘って、海辺のノンキーズカフェでランチをします。隣にある老舗サーファーショップのノンキーズに併設されたカフェですが、奥様が切盛りしています。

いつもは2Fのベランダから海を見ながら食事をするのですが、本日は寒いので店内へ。薪ストーブの暖かさがうれしい。

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店内には戦後の鴨川に集まった米軍のサーファー達の写真が飾られています。鴨川は日本のサーフィンの発祥の地だそうで、日本で初めての全国大会も、前原海岸で開かれたとか。

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店内から見える海は濃い藍色で、夏の海とも一色違います。

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こんなオフシーズンのビーチを堪能できるのも、自転車の楽しみです。

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思わず、ビールを注文してしまったので、帰りは電車で輪行します。明日は早朝から仕事なので・・・本日の自転車は軽めの足慣らし程度。




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