2011/10/13

何だかんだ言ったってマンガは絵の上手さだ・・・・沙村広明 「無限の住人」  マンガ
 

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■ 五臓六腑が飛び散る「文化庁推薦マンガ」 ■

マンガやアニメなどというサブカルチャーは、反体制的で非常識である事が存在価値とも言えます。ですから、文部省推薦などというマンガがあるとするならば、きっとそれはトテツモナク「つまらない」作品に違い無いと勝手に思っています。

ところが文化庁が毎年開催する「メディア芸術祭」だけは「お役所仕事」の常識を覆し、ある意味良識的な大人が眉をひそめる事請け合いの作品に、堂々と賞を与え続けています。

「メディア芸術祭」の第一回のマンガ部門で優秀賞を受賞しているのが、沙村広明の「無限の住人」です。

作者が美大の学生時代に雑誌のマンガ賞に応募した作品がそのまま連載されたという、「無限の住人」は、従来の時代劇劇画の常識を、土足で踏みにじる様な作品でした。

■ 鉛筆で書かれたパンク劇画 ■

「百人切り」の異名を持つ万次(卍)は元旗本の侍。上司から正義の為と言われ、多くの良民を切った過去を持つ彼は、実は「不死身」の体の持ち主です。800年も生きている尼、八百比丘尼(やおびくに)は、生きる意味も、死ぬ正義も失った万次に、「血仙蟲」を植え付けます。「血仙蟲」は傷口に集まり、凝固し、破壊された組織の代用を果たす事で、宿主を不死の体へと変貌させます。

「不死」を持て余す万次は、妹の死をきっかけに、「100人の仲間を切った償いに、1000人の悪党を切る」との誓いを立てます。

そんな万次を一人の少女が訪ねて来ます。彼女、凛は町道場の娘でしたが、14歳の誕生日の晩に、両親を目の前で惨殺されます。襲撃したのは、祖父の代に道場を破門になった男の孫、天津影久(あのつ かげひさ)。彼の祖父は夜盗に襲われた道場の師匠を助ける為に、両手に刀を持って奮闘しますが、それがきっかけで破門されます。「無天一流に、二刀を使う技は無い、あまつさえ唐物の刀を振るううなど言語同断」。師匠に叱責され道場を去った影久の祖父は、その復讐を孫に託したのです。

しかし影久の目的は、私怨の払拭などという小さなものでは無く、太平の江戸時代に武士のタシナミに墜落した「剣の道」を、再び実戦的な戦いに戻す事。多くの道場を平定し、「逸刀流」の元に統一するという大志を抱いていました。

逸刀流の剣士達は、武士に限らず、百姓出身でも良く、ただひたすら「強い剣」を求める者達でした。剣技も決められた型など無く、2刀を振るうも良し。異形の剣を振るうも良し、但し、1対1の戦いだけが、決められたルールです。

影久は「無天一流」を滅ぼす事を皮きりに、剣術の天下統一の狼煙を上げたのです。


・・・とまあ、粗筋らしきものを書くと立派な「チャンバラ劇画」です。
・・・しかし「無限の住人」はそんな旧来の劇画の対極に位置するマンガです。

先ず、剣を振るう万次の正義が無い。人を切り、切られる事に正義など無い事に万次は自覚的です。そして、それでも彼が剣を捨てられないのは、命のやり取りが好きだから。「叩き切る」快感を捨てられないからに他成りません。命のやり取りの緊張感の中にしか万次の居場所は無いのです。(おっと、万次は不死でした・・・)

・・・しかし、これとてマンガをそれらしく見せる為の方便です。
「無限の住人」は、ひとえに作者が、五臓六腑の飛び散る様を書きたかっただけの作品です。

学生時代に書かれた序章「罪人」は劇画で書かれたパンクです。普通の日本刀の切り合いなど無く、同心すらが、大刀と脇差を束の根元でジョイントする様なトリッキーな刀を使います。まして、万次ともなると、着物の下に隠し持つは、倒した敵から奪った変形刀ばかり。

こんなとんでも無いチャンバラが、鉛筆デッサン混じりで展開する初期「無限の住人」に流れるリズムは、ハードコアパンクです。血しぶきが飛び散り、四肢が切断され、五臓六腑を大地にまき散らすその様は、ただただ破壊的です。

■ 知的な遊戯から、文化の発掘者へ ■

作者の加虐嗜好(サディズム)のはけ口の様な初期の作品は、しかしながらチャンバラというジャンルの持つ暴力性を極限まで表現する事で、一種の様式美を獲得しています。花鳥風月を背景に用いるなど、デザイン的なセンスもケレンミたっぷりで、暴力の美学が追求されて行きます。

ところが、巻を重ねる毎に、表現から過剰性が薄れてきます。印刷での再現性に問題のある鉛筆のシーンも少なくなります。暴力の後退と引き換えに、江戸時代の風俗を描く事に作者は執着してゆきます。

敵も味方も、確かな生活感を獲得する事で、「殺戮」は様式から、「苦行」へと変化して行きます。復讐は、「誰かの命を奪う事」であるという、あまりにあり来たりの事実に、凛は困惑してゆきます。

しかしながら、凛は復讐を止めません。復讐こそが、凛と万次を繋ぐ物だからです。

金沢に出かけた影久を追って、凛が「関所破り」するシーンは圧巻です。
地元の農家の娘を装い、通行手形無しで関所を抜けようとする凛を、関所の役人が尋問します。明らかに怪しいと知りながら、完璧なまでに農家の娘を演じる凛との駆け引きを楽しんでいるかの如きやり取りが続き、そして破綻無く演じ切った凛を、役人は、お目こぼしします。

刀など抜か無くても、この緊張感は異常です。言葉に生き死にが掛っているのです。

中期「無限の住人」は江戸時代の人々の常識(本当は作者の妄想なのですが)を読者に付きつける事で、振り下ろされる刀に重みを加える事に成功しました。

■ マンガは絵で決まる ■


(ダブルクリックでyoutubeに飛べます。是非、全画面モードで堪能して下さい。)


しかし「無限の住人」の最大の魅力は、「絵」です。
どなたか存じませんが、シリーズでも眉美のシーンをYouthbeにアップしてくれています。


初期の鉛筆画でも十分な画力を予想させますが、中期以降は劇画のタッチでありながら、現代的なセンス溢れる絵を量産してゆきます。

一般的に「バガボンド」の井上雅彦は、個展が開かれる程「絵」が上手いと思われていますが、私的に沙村広明の方が数段上手いと思います。

井上雅彦の絵は、「上手な絵」。
沙村広明の絵は、「センスのいい絵」。

確かに写実的なデッサン力では井上雅彦は素晴らしいマンガ家です。

しかし、「マンガは連続する絵による芸術」です。小さなコマのちょっとした表現、連なるコマの流れ、それらが見開きの「決め絵」に繋がってゆく流れは、映画監督のカメラワークに相当します。

これら一連の絵の流れにおいて、当代、沙村広明の右に出るマンガ家は存在しません。
ストーリーすらも忘れて、ただただ絵に見入るのが、「無限の住人」の正しい楽しみ方なのかも知れません。



どうです?沙村広明のマンガが白と黒で出来た芸術である事が、分かるかと思います。



■ ただただ、女性キャラ達に萌えてしまうのです ■

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「無限の住人」のもうひとつの楽しみは、「美女剣士」。

剣を握る女性キャラクターがゾロゾロ出てくるのですが、これが皆とても魅力的です。私個人としては、登場する度に「酷い目」に遭う「百琳(ひゃくりん)」姉さんがマストでありますが、その他にも上のYoutubeで紹介されている最強の女剣士「槇絵」なども、その薄幸さに萌えてしまいます。

凛と万次というアンバランスコンビの恋の行方も見逃せません。80年代ラブコメの乗りで全くと言って進展しないのですが、それはそれでお約束というか・・。


■ ハードSFギャグ漫画・・・「ハルシオンランチ」 ■

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「無限の住人」は丁寧に読むと、吹き出し以外にちょこちょこと「呟き」の様なセリフが書いてあります。これが結構笑えないジョークの様でいながら、ファンにはツボにはまります。派手な殺陣シーンばかり目が行きがちですが、実は「無限の住人」はギャグ漫画だったりもします。

そんな沙村広明のギャグ漫画家としての魅力満載?なのが「ハルシオンランチ」。

太陽系外惑星帯から地球に送り込まれてきたのは、美少女形態の物質転送装置。可愛い顔
して、お箸で摘まんで食べるのは、リヤカーやザリガニや廃家電など何でもあり。彼女の可愛いお口に入ったら、太陽系の彼方に資源として転送されちゃいます。

時には間違って人も食べちゃいますが、そんな時は吐き出せば良いのです。・・・でも一緒に食べた物と混じっちゃうから、それはすれは凄い状態で再構築されてしまいます・・・もうほとんどキメラです。

よく、こんなに下らない事考えるな!!状態のハルシオンランチですが、「作者のあり余る知識を放出する」というリビドーを解消するだけに書かれた作品です。

科学的な知識は勿論のこと、社会学的突っ込みや、経済学てきボケなど、頭でっかちなオタクには、ムフムフ笑えてしまう小ネタが満載です。

外惑星の指導者の名前がジェームス・デュプトリー・ジュニアだったりするのだから、もうSFファンにはタマリマセン。

2巻完結の小じんまりとした作品ですが、宇宙的規模での摂食と嘔吐は壮大です。

沙村広明には、この他に「ブラッドハーレーの馬車」という、サディズム志向全開の、それでいて気品に満ちた問題作や、女子高生のギャグパートが面白い、短編集の「シスター
ジェネレーター」、初期短編集の「お引っ越し」などが発刊されています。

どれを取っても、一筋縄ではゆかない作品ですが、好きな人はムチャクチャ好き。分らない人には全く分からないという作風は、昔も今も変わりません。



長文を最後まで読んで下さった方にサービスです。

沙村広明が描く、涼宮ハルヒです。
・・・どうです?一瞬でアニメキャラクターの記号性を消失させる破壊力はサスガです。

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2011/10/15  19:49

投稿者:m
人力さん、こんにちは。

> 沙村広明はストーリーテーラーとしては難在りで

もしかして、諸般の事情で、作者としては終わりたいけど終われなくなっているとか (w

> ・・・全巻揃っている会社も問題ですが、高校生に全巻読ませる親も問題ありですね・・・。

最近は、スピリッツでも、アイアムアヒーローとか、昼飯を食いながら読むのがきつのが連載されたりしてますから、まぁいいのかも(汗


http://ytaro.blogspot.com/

2011/10/15  1:31

投稿者:人力
mさん

「無限の住人」が全館揃って」いる会社って・・・確かに私でも引くかも・・。

私的には加賀編の道場での影久と門下生の立ち会いが、最近のマンガの作画の中で最も優れたシーンだと確信しています。全然派手な絵では無いのですが、連続するコマで動きの中の静けさを表現する画力は圧巻です。これが出来るのは、安彦好和と沙村広明くらでは無いでしょうか?

沙村広明はストーリーテーラーとしては難在りで、加賀編などは完全にダレてしまっていますが、しかしそれを締めくくる河原での死闘で、全て帳尻が合ってしまう気がします。剣を捨てた槇絵が、影久の危機を救うべく駆けつけるシーンです。絶対的な暴力に美しさがあるとすれば、まさにこのシーンではないかと・・・(単に私が槇絵が好きだけですが・・・。)

最近では雪の中での尸良(しら)との死闘(・・この二人は不死身ですから、死闘という言葉する無意味ですね)が圧巻でした。

マンガが白黒で表現される事を、これ程までに見事に活用したマンガ家は、今まで居なかったのでは無いでしょか?

私は「無限の住人」とは近所の床屋で出合いました。7巻まで床屋で読んだので、我が家には7巻以降と1、2巻だけが揃っていましたが、最近、高校3年生の息子が読み始め、「お父さん、3巻から7巻が無いと話しが分からないよ」と言うので、誕生日に買ってあげました。

・・・全巻揃っている会社も問題ですが、高校生に全巻読ませる親も問題ありですね・・・。

2011/10/14  22:30

投稿者:m
人力さん、こんにちは。

無限の住人、凛ちゃんの「関所破り」あたりまでは単行本集めてました。

当時の私の感想は「モダン・スプラッター・ホラー時代劇」

たしかに、最初方に時々あった、丸々一ページとか見開き2ページの絵は、「これはなんかすごい・ちょっと違う」って感じでした。

ただ、最近は立ち読みでたまに読むぐらいです。

あと、以前、とある会社の休息室に、無限の住人が全巻そろっていて「この会社、大丈夫か??」と思ったことがあります (w

http://ytaro.blogspot.com/

2011/10/14  17:01

投稿者:人力
鍛冶屋さん

「無限の住人」26巻の一気読みの週末ですね。
日本語が読める私達は幸せですね。

2011/10/14  9:13

投稿者:鍛冶屋
沙村広明っと来れば "ハルシオン・ランチ"は?っと突っ込もうと
思っていたんですが・・・やっぱりダメだったか^^;)。
"無限住人"は巻数が多いので敬遠してたんですが、これは
やはり読まなくては^^)。

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