とある研究所に新しい電子顕微鏡が入ることになった。二つのメーカーが写真を持ってきたという。サンプルなのだが、どれも鮮明できれい。また故意に着色がされているモノもある。教授が言う。 ”今のはもうピント合わせなど要らないんですね、どの深度でもピントが合っている。モノの善し悪しは、撮った後の画像をどうやって処理するかという、パソコンソフトの技術に掛かっているんですね。”
顕微鏡を覗くとき、何を見たいかが判っていないとそれが見つけられない。何かが見える、では顕微鏡は扱えない。像を結ぶためには、ピントが合わないといけない。どれかにピントが合うと、それ以外にピントがあわない。目的以外の像はピントが外れてしまう。つまり、輪郭がボケてしまうのだ。
光を扱うとき、焦点を合わせることが意外と大変なことが判る。あれもこれも、こちらもあちらも簡単に一度にはっきりと焦点が合わないのだ。これは当たり前のこと。物理の法則に則っている。
しかし、カメラを覗く以前、私たちはピントが必要なことを知らなかった。眼球は、手前から奥まですべての距離をくっきりはっきりと映してくれる。もっとも、年を取ったり近眼遠視は、話が別だが。ともかく、人の眼だけが、特別なピント合わせの能力を持っている。その原理は?
眼の仕組みを見ると、なんのことはないカメラと同じ。レンズの厚みを替え、光の量を変え、網膜に焦点を合わすそれだけの単純なモノ。特別な装置はない。
なのに、なぜカメラのピントは焦点距離に関わり、人の眼はどこまでも焦点が合っているのだろうか。
人の眼の仕組みを使って新しい電子顕微鏡は画像処理をしている。焦点に関係なくピントがあった写真が得られる。それはつまり、焦点を移動しながら何枚も写真を撮ってそれを合成している。捜査(スキャン)しているのだ。
人が遠くも近くもはっきりくっきり見えているのは、眼に入った像ではなく脳が記憶していた像なのだ。眼は絶え間なく動き、脳に像を送る。脳はいくつもの像を結びつけて、景色をゆがみ無くきれいな形で意識に映し出す。時には、都合の良いつじつま合わせをして。
脳の一部のある障害を持つ者は、止まった像しか見えないという。また、平面しか見えない人もいるという。立体は、画像の時間的な変化をみてそれを認識する。
生き物から学んで撮影技術は進み、鮮明に、あり得ない像をわかりやすく映し出す。

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