時間ー空間論はすべてを統括する基礎である。だからojisan
は中学生のときから繰り返し、考えている。
(そのわりに進歩ない!スンません)
そこで現代では相対論と量子論が出てくるが、これがなかなか素人にはわかりにくい。
ニュートン力学とキリスト神学に侵された頭では「ぴかどん」(びっぐばん)が無きゃならないが(カトリックのでっち上げた終末と復活のためには「最初」がどうしても必要)じつはぜんぜんいらん、ということ。
時間はどこで生まれるのか (集英社新書) (新書)
橋元淳一郎氏の記述からふとおもったこと。
要点はすでに複素数空間を時空記述に使ったとき(ミンコフスキー空間)から、相対論は量子力学の時空特性を内包していたのではないか、ということです。

これはいいでしょう。たぶんニュートン力学頭はこうなっている
で現実はどうなのか:
ds*ds=dt*dt-dx*dx-dy*dy-dz*dz で空間を虚軸、時間を実軸で表現するとこの4次元空間の距離は
ds*ds=dt*dt+(i*dx)(i*dx)+(i*dy)(i*dy)+(i*dz)(i*dz)
となるからである。

で、光の世界線の距離をもとめると
ds*ds=0が常に成立する、というところが重要
光の世界では時間が成立しない、のであるが、量子論では光は物質化するのである。虚軸と実軸の転換メカニズムを記述したものが量子力学と考えられる。光から物質が出現するとどうなるかというと、時間、空間的距離という概念の成立しない世界から出現するので、忽然と消えたり出たりすることになる。また物質世界からは、瞬時に移動しているがごとくに見える(量子の瞬間移動)
有名な E=MC*Cが成立するからして、エネルギーと物体は相互転換するが、このエネルギーが曲者である。現在、エネルギーの伝達は素粒子か電磁波か素粒子の集合体である原子の衝突しか知られていない。
(これに合致しない現象は気、ouiのみである。また重力は「空間のゆがみ」としてとらえられ、物質の属性のひとつである。)
で素粒子と電磁波(光)とは相互転換可能であるからして、「エネルギー」は最終的に光に帰結されうると考えられる。
また物質は光の存在形式の一種であるからして、とうぜん光の速度をこえるわけはない。
「すべては光の子である」、というのは事実でなかろうか、となる。
で、生物一般を含むわれわれの認識構造の基盤に、この事実が組み込まれているのでなかろうか、ということが予想される。
それがおそらく、自己肯定を伴った強固な宇宙との一体感、すなわち「空」あるいは「カミ」認識ではなかろうか?
(これはojisanの直観だから決して、信じてヒトに言っちゃだめよ。馬鹿と判定されるから)
参考資料:キリストの死と復活
ネットのどこかにあったはなし
「キリストの死と復活」は冬至をめぐる太陽の動きを物語化したものでなかろうか?
縄文と同時代の全世界の巨石分化の遺跡は例外なく、春分や冬至を見つけるためにある。
冬至のとき、日の上り口が南へ移動(日が短く)していたものが今度は北へ移動(日が長く)しだす。そのとき太陽の位置は3日間とまったように見え、そして動き出す。
死:(太陽の消滅へむかううごき)が3日間の停止後に(日が長くなる方向へ)復活する。
これはきわめてありそうな話である。
(当時の人々には神(太陽)の復活の実感があったので権力者はそこへ救世主を人格化してはめ込んだ。それで神を擬人化し、唯一にすることで、時空もろとも世界を簒奪した。手口は「テロとの戦い」や「地球温暖化」とおなじである。西欧のもっとも特徴的な点はウソ(虚構)を文明の基盤におく衝動が強烈なことである。東洋が虚構をはずそうと努力するのとちょうど反対の衝動で、陰陽をなしている)
参考資料2:世界を貫徹する陰陽構造
光を陽、物質を陰とすれば世界は下の図で表現できる

弥生時代のひとつのシンボルである、勾玉はこれを現しているのかもしれない。
