CNBCのどんどん上がる株価と下がる金、原油価格、さらにポールソンが金融危機が終わりつつあるという宣言を出しているのを見ていて、このことばが浮かんできた。
いつのまにか信用崩壊という現実を紙切れ処理のごまかしで消しつつあるように見える。「現実」を「仮想符牒」で変えてしまう魔術!
どうやら金融貴族は世界の頭の改造を行っているようだ。
# 過剰消費から適正消費への転換。
あめりかじんの体も生活も家庭も、過剰戦争、過剰薬品、過剰食物、過剰エネルギーで限界だ。もうもうけられん。
しかし金融貴族は支配力を拡大しながら過剰消費から適正消費に転換しないと世界から抹殺される。
(この恐怖心が彼らの抽象的思考力の原動力であろう。勢いを失えば抹殺される恐怖、が精神の駆動力だ。だますことが生き延びること!)
# この中でさらに支配力を高めるにはどうすればいいか?
中国とインドをを過剰消費に導き、がけから突き落とすのである。突き落としたあとに、すでに開発してある「適正消費文明」を高く売りつける。
「過剰消費」という文明を売りつけて、つぶれるまで消費させた後、こんどは「適正消費文明」で洗脳する。
「マクドナルド」から「日本食」へ。
「エネルギー過剰消費」から「地球とバランスした消費」へ。
それへ向けた新手の税金、「世界環境税」と新手の消費、「テロとの戦い」つまり二つはペアなのである。ゴアとブッシュはペアである。
悪役と善人、ボケと突っ込みの土俵設定、そのうえでおどるベンさん、という絵も見える。
また参考になるのは、家康と江戸時代。
覇権を維持しながら、秀吉の拡大消費経済から、均衡消費経済へ転換しニホン内部のNWOを実現した。
それに使った道具は倫理に仮装した、奴隷の論理、帝王支配思想、「朱子学」。戦闘力のある唯一の集団、浄土宗をおひがしさんと西本願寺にわけて、利権としての人民ID管理業をあたえた、宗教分断政策。「この世の支配は俺がやるから、あの世は任せるよ、そのかわり人間の帳面はつけておいてね。」(いまだにそれにやられているあほ坊主ども、しっかりせんかい。)
いまは平等、民主主義という名前の身分制度。
貨幣、証券も、消滅と生成を繰り返すが、「仮想現実の生成過程」を握っている限り、文明支配力は変わらない。
これが「天皇」の長期権威の秘密であろうか?武力を放棄して、実体権力をのっとられるまで、500年かかっている。価値創出を握ればそれくらいは支配可能。
で、ハクジンは武力開発を米国を主な開発勢力としてまい進している。
武力を独占し、仮想現実創出が維持される限り、権力は安泰だ。
こういう大きな流れで見ると、そう簡単には構造変化を起こさないのでなんとなく、文明800年説は正しそうだ。
そうするとアジア人の苦難はまだ200年は続くことになる。
われわれの生きている「現実」は少なくとも半分は「仮想」である。生の現実はパニックにならないと見えない構造になっている。
「仮想に生きる不思議動物、ホモサピエンス」
がレビ=ストロースの一番の巨大な発見でなかったか?これをうまく使えば世界は操作可能、と考えてるんでしょう?
参考資料:レビ=ストロース、こいつもユダヤ人だ。
<引用開始>
クロード・ギュスタヴ・レヴィ=ストロース(Claude Gustave Lévi-Strauss, 1908年11月28日 - )はフランスの文化人類学者、思想家である。コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年まで担当し、アメリカ先住民の神話研究を中心に研究を行った。アカデミー・フランセーズ会員。専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における構造主義の祖とされ、彼の影響を受けた人類学以外の一連の研究者たち、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセールらとともに、1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとりとしてよく知られている。
生い立ちから学生時代まで 1908−1929
1908年に両親が一時的に滞在していたベルギーのブリュッセルにて生まれる。両親ともアルザス出身のユダヤ人の家系であり、また両親はイトコ同士であった。父親の職業は画家であり、その交友関係は芸術を通じてのものが多く、幼少期から、芸術に親しみやすい環境で育った。
少年期には、ピカソやストラヴィンスキー、ワーグナーなどを同時代的に摂取しただけでなく、ジャポニスム期、印象派の時代からフランスへさかんに紹介されていた浮世絵を初めとする日本の文物にも触れており、この日本の美術工芸への関心は現在まで持続している。
両親の友人らを通じて、比較的早くからマルクス主義にふれる機会があり、高校から大学時代にかけては、社会主義運動に参加して学生組織の書記長を務め、ベルギー社会党の協同組合運動をフランスに紹介するなどの活動を行ったほか、社会党代議士ジョルジュ・モネの秘書として法案作成に携わるなど、積極的な政治活動を行っていたという。パリ大学で法学の学士号を取得するかたわら、哲学を学び、アグレガシオン(哲学教授資格試験)に合格する。
合格後の教育実習の同期生たち、モーリス・メルロー=ポンティ、シモーヌ・ド・ボーヴォワールなどがおり錚々たる顔ぶれであった。
教授資格取得後、2つのリセ(フランスにおける中等教育機関、日本の高校相当)で哲学教師を経験する。資格取得試験のために中断していた政治活動を再開し、教師生活の傍ら赴任地の地方議会への立候補を企てるなどの活動を行うも、哲学教師としての生活にあきたらず、パリ大学での指導教授のひとりであった社会学者セレスタン・ブーグレから、新設のブラジル、サンパウロ大学の社会学教授としての赴任の打診を受けたことをきっかけに、当時興味をもち始めていた民族学のフィールドワークへの期待を抱いて(本人は民族学への転進にはアメリカの文化人類学者ロバート・ローウィの著作『未開社会』を読んだことが大きな契機だったと語っている)、社会学の教授としてブラジルへと渡る(このときのフランスからの派遣教授陣のなかには、後に大著『地中海』で有名になるアナール学派の歴史家、フェルナン・ブローデルもいた)。
<引用終わり>