レビ=ストロースの発見したのは
「人類学のもっとも大きい共通規範は、無償贈与と贈与されたほうの負い目による、無償贈与の返礼である、そしてそれは時間軸の下方に対してなされる。ということだ」と内田氏はいう。
生命が最初に無償で与えられているがゆえに、また資源や食べ物が無償で贈与された状態であるからして、贈与をうけることこそ、(太陽は贈与である)生命の本質、という風なこととぴったり合う形で、啓示宗教は成立している。資本主義はそこからはみ出しているわけだ。
副島重掲[860]イスラム思想とユダヤ思想(ユダヤ教)の大きな対立点が発生した時期と場所への論究
<引用開始>
この、アリストテレスのエクィリブリアム equilibrium (イークウォリブリアム)の思想(きっと、これがそのまま、ラチオ、リーズンであろう)が、「金銭の貸付からの利子を受け取っていいのか、どうか問題」という、西欧世界で、超重要な長く人々を苦しめた問題であろう。この苦しみをユダヤ教徒だけが、難なく乗り越えて今に至る。
<引用終わり>
ここが「資本主義OS」の核心である。利子を認めると、現代文明のようにすべて、生命誕生、食料、戦争、犯罪、国家体系、みなこれで「計算可能性の空間」へと移住させられる。
「計算可能性」の証明で神様を見失った?
チューリングも「無矛盾の不可能性」で神様を直視してしまった
ゲーデルもおかしくなっちゃった。(みなさん、神様をみちゃだめよ)
で、現代哲学の分岐点にいる、
ヴィトゲンシュタインは「かたりえぬものについてはかたらぬがよろし」と仏陀みたいなことを言って、死んじゃいました。ただし正気のままで。
「計算可能性」は下世話な人間性とのマッチングがまことによろしいらしく、聞いた風なことを言っている、教祖様も、生きてるうちからたいてい、絡み取られて、豪勢な教会を建てて、世界の帝王みたいなえらそうなこと言って、子供の世代では宗教もあっというまに商売になってしまう風景は毎日、見ていることである。(親鸞の息子と蓮如を見よ!)
原理的な矛盾を技術的な手直しで緩和するのであるが、なかなかうまくいかない。利子(利益率)で構成された世界と実際の人間の必要度がいつもぶつかる。「喜捨のこころ」、は余裕のあるときしか想いだせないのだ。資本主義世界では、あたまどころか時間さえ貴族どもに盗まれているので99.99%のヒトはいつもいつもぴーぴーしている。
(医学の現場はほとんど毎日この問題で迷っている。たぶん、教育も。「原初的な母子関係」以外はすべてこれに侵食されているといっても過言ではない。生殖医療のおかげでそれさえも怪しくなってきた。DNA(精子)を買える、胎児を改変できる時代であるからして、そこへ「レシオ」が侵入されると、人間は人間でなくなるかもね)
ほんとに「ユダヤ教徒」が乗り換えたのかどうかは不明であるが、金融貴族を構成するアシュケナジーユダヤたちはそれで悩んでいる風がないのは事実である。私の目にはユダヤ教徒でも、無神論者でもないように見える。(なにがしかの脳神経に突然変異を持っているのかもしれない。それほどの無感覚ぶりである。)
(れぷてりあんとレッテル貼りたくなるのも道理である。べつに深い意味なんかあるはずなく、有り体に言えば「おめ〜らにんげんじゃありえね〜! はちゅうるいにちがいね〜」ということ。)
かれらはいまの金融危機にもなんら倫理的なものを感じていない。ばれたらやばい、とは思っているだろうが。「そういう風に設定したからそうなった、では少し投資と評価のルールを手直ししてみるか」くらいのスタンスである。「せっかく原爆開発したのにすてるのおしいからうまい使い方かんがえてみるべ〜」もおなじ。
徹底的に 文明=人工物=恣意的変更可能性 = オレのしたい放題 とみなしているのである。
アリストテレスを勉強してみよう。ojisanは「数」の位置づけでなかろうか、とふんでいる。数を神の摂理と等価にすると「分割」「比率」は神の意志になる?
それとゴイムを組み合わせれば、おそろしいキョウサン主義のできあがり。
「ルールはオレが作る、守るのはオマエだ。オレが困ったらオレが変えるので、それまでオマエはがまんしとけ。」はG7や国連の理屈ですね。
現在のハクジン文明は贈与から始まらずに、強奪から始まっている。だから
人類文明の公理に反しているのです。しかし強奪の論理を全否定すると、アメリカインデアンのように、消滅の危機にさらされる。
「精神世界」ではなく、現実世界での民族の自立を願う指導者としては、悪魔の道を歩むしか残されていない、のです。だから軒並み、明治の知識人は透谷のように気が狂い、漱石のように胃潰瘍で死んだり、龍之介のように自殺したり。大正から私小説に迷い込み、小林秀雄みたいに自己韜晦の権化になって、戦後の日本画は暗黒心理の洞窟絵画のようになった。
大本(わたしは大本は消滅した?古来のユダヤ教の復興でないかと疑っている)をアクマの体制である天皇制に正面衝突させ、教団を玉砕させて精神を守った出口おに三郎の抵抗は真に英雄的であった、とojisanはおもう。
しかし想像を絶する器用なにほんじんはいまや世界一おいしいフランス料理を東京で作っているし、世界一のハートフル指揮者はおそらく、小沢セイジである。(ratioの具現物である)筋肉増強剤を厳しく拒否しているように見える両松井やいちろうはいまや野球のトップエリートである。彼らは「にほんじんの最良部分の精神はratioで動いていないこと」をアメリカ人に日々公示している、
(あめりかじんは心の底では自分たちのエリートのドーピングによる下駄履かせを知っている。)
これはたぶん現代の最前線の問題なのでしょう。私はニホンの苦悩は属国ー宗主国の文化問題ではないと思っています。(マスコミや政治屋、知識輸入卸問屋さんの世界は知りませんがね。)