なんとかまだ健在の、このブログだが更新が以前程ではない。しかしながら元々は、歌舞伎のブログが別に在って、それと同時進行していた怪談映画を特集したブログを融合させたものだっただけにまだまだネタはある。なので懲りずに続けるが、好きな映画も歌舞伎もブログを始めた当時からは時代も変わり、特に大名跡が相次いで亡くなってからはなんだかつまらなくなった。それでも資料整理の為に始めたブログなので、ジャンルの関係上、対象の狭い内容だが、此処はのんびりとやって行こう。趣向にも変化はあるが、気がついたものから取り上げる予定だ、これは改めて管理者からのお知らせである。過去の記事を見直すと誤字や見識違いのものの多々ある。規格上の事もあるので気がついた処から修正をしていこう。


2016/4/10

カテゴリー  ブログ


そろそろこのblogのカテゴリーの見直しを考えている。 たまには息抜きも必要で好き勝手な事

を述べたいものだ。 とは言え、このblogの出発点は歌舞伎と映画の関連性を怪談狂言から見

れないものかと始めたものだ。だが単に資料整理の為にそればかりで徹底をしては息が続か

ない。そこで独り言もカテゴリーには必要かな?と思った訳だ。しかしながらこのblogの現状と

しては、色々な面で改善をすべき点もある。 それは技術上の事だが、行間や文字列がどうも

しっくりとこない。 とにかく今更だが、何かと気にし出すと目についてしまう。それこそ長く続け

ているblogならではの悩みだが、その存在事自体がマンネリ化みたいな面もある。取り止めの

ない文章で申し訳ないが、このblogにはそれなり の課題もある。しばらく更新をしないと見える

ものもあるようだ。一度に全部の改善は流石に無理なので、気づいた事から直していこう。



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タグ: マンネリ化

2016/4/8

久々の更新だが....  ブログ


約1年振りの更新だ。持病も軽くなった。だからそれが元で寝込むような事もない。

つまり、その辺のハンディがなくなったので、ウォーミングアップの意味合いとして

再開である。 実はこのblogは、まだまだ「資料blog」としてみれば中途半端なのだ。

そこで「どの辺から手をつけて行こうか?」と思っている処だ。 怪談狂言と映画も

まだ取り上げるべきものが残っているのだ。なのでその辺りから更新をして行こう。


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いつの間にか京屋さんが五代目を継いでいた。もちろん演技の格も「まだまだ」だが

四代目で相当「格」を上げたので、やはりその後は大変だとは思う。それは演技の幅

が違うからだが、五代目は当代ならでのものもあるだろう。陰ながら応援はしたい。


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続いて襲名と言えば、やはり成駒屋だろうか? 然も親子四人共々の同時襲名だ。

立ち役では、四代目以来の襲名となるのが「芝翫」の八代目だが、またタイプの違っ

た芝翫が観られるのは喜ばしい。双方大名跡なので喜ばしい。これからが面白い。


それと音羽屋の話題だ。七代目の娘である寺島しのぶさんの御子息が、なんと歌舞伎

役者になりたい(したい)と言う。 それが実現をすれば「花の橘屋」と評価をされた十五

代目の市村羽左衛門以来のハーフの歌舞伎役者が誕生する訳だ。 だがこれは噂だ。

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タグ: 歌舞伎 襲名 大名跡

2015/4/9

大型映画の定義  コラム



久々の更新だが、どうもネタも今一つだ。なので文面も進まないが、思えば映画もシネコン

になってからは行かなくなってしまった。それに現在では、フィルムの掛かる映画館がある

のかしらと思う程、フルデジタルである。だが設備位は見ておきたいので一応興味はある。


とは言えフィルムとデジタルとでは全くの別物だ。しかし過去の「I−MAX」仕様の映画館で

すらフルデジタルだ。それなれば通用してるのだから「素人が口を挟む余地はないな?」

とは思うのだが、それでも思う処がある。だが肝心の観たい映画がない。この業界も何度目

かの衰退をしたと示唆されるのだが、敢えて言うのであれば、衰退よりは「劣化」だと思う。


それで解りやすいのが役者だ。つまり演技の幅が大画面には合わないのだ。だから幾ら大

きなスクリーンで映画を観たとて、画面が大きくも見えない、ナンセンスな事が起きてしまう。

近年は殆どそうではないかとも思うが、確かに日本映画とて本物の役者が出ていないのだ。

それはテレビ業界でもテレビドラマが著しく衰退をした原因でもある。御題目ばかりを唱えて

いても本物の役者は居ない。舞台でやっている操演による歌芝居での革命劇も映画界には

通用しない。何だか難解な言い回しで失礼するが、テレビでは正しく何処にでも目にする。



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「十戒」が三回目の映画化をされたのだが、意外と話題にもならなかった。その予告篇も観て

いるが何故だろう?画面からスケール感が伝わらず、モブシーンもCGなので現実感がない。

つまり実写ならではの重さがないのだ。場の空気感と言うものは画面には意外と出るものだ。

監督はリドリー・スコットなので、この人ならではの「映像美」もあろうかと期待はしたのだが、

各エピソードにある「神の奇跡」さえ自然現象の予知にした為に神仏に対する神秘性も奪わ

れた感じがする。しかし監督自身が敢えて宗教色が濃くなるのを避けたのかも知れない。



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実はこの手の話は、それもありなのだ。それに密度と言おうか、緻密さも足りない印象もある。

「セシル・B・デミル」監督は偉大だった。 何せ予告篇でさえ解説篇が作られた程の熱の入れ

ようだったので尚更だ。思えば「大型映画」なんて言葉も既に死語となった印象すらあるのだ。

私見で申し訳ないが、それは大画面に合った作品の事を示すと思う。つまり映写設備の関係

上、単に映写画面が大きいだけではないのだ。実感にそれらの作品は、現在観ても画面が大

きく感じられる。 「スケール感」とは得てしてそう言うものだと思うのだが如何なものだろう?

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タグ: シネコン 十戒



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