深沢高校の先生がひたすら、国道6号線についてすごい文章を紀要に書いてくれた。びっくりした。それに触発されて書いてみた。私は原稿頼まれてないからここに載せる。
高校演劇の大会と生徒創作劇 〜ひたすら、国道6号線。〜 都立新宿高校 後飯塚由香里
この際きれいごとは汚いのでやめよう。いろいろ都合があってコンクール形式なんだから、演劇は勝ち負けでないとか言わずに話を進めてみようじゃないか。コンクール形式である限り生徒は成功したい。勝ちたい。「共感を得る」=わかりやすく、不快でないようにしようとする。「高校生らしさ」をつくろうとする。結果、浅くて嘘くさい。
大人が求める「高校生らしさ」とは、「等身大」=幼くあってほしいのか?と危惧する。生徒創作にオリジナリティを求めるのは当然だが、結果、成長過程に重要な摸倣の機会を奪ってはいないだろうか。だいたい、等身大のオリジナリティって小さくない?高校演劇は「知らないことは書けない」=「スケールが小さいことに励め。」を奨励しているのではないかと感じる。私は等身大に「背伸び」をしてほしい。
過去のように「テーマありき」であれとは思わない。面白ければスケール小さくても、意味がなくてもかまわない。映像も簡単に手に入り、いろんな演技形式は摸倣できる。伝えたいことがなくてもみんなである形の完成に励めば、やる方も見る方もカタルシス(楽しい)だったりする。結果、伝わるものもある。
なんでもありに文句はないが、高校生には「社会問題」に興味を持ってほしい。わからないものに想像力を働かせてほしい。当たり前の日常が大切には違いないが、答えが出ないテーマを避けて、当たり前のことばかりきれいに並べるのはやめてほしい。きれいなものだけ見ていたいのは老人の所作であって、若者は「汚いもの」「どうしようもないもの」を見たいと思い、見て考えてほしい。
良い生徒作品は生徒の多数決では絶対に選ばれません。「つまらない=わかりやすい」ものが選ばれます。そこで老獪な顧問(私)は自分が見たくない「わかりやすいもの」は「頭が悪い」といって頭ごなしにつぶしてきました。
しかし、今年は二年三人が書いた台本というより台本の断片が、そこそこ良く、49才の私はやる気がなく、どれでもいいやと思いました。どうしても選べと詰め寄られたので、誰かが「不快」=私が「快」になりそうなやつを選びました。彼の賢さ強さは他の二人の書いたものをうまく取り入れて、それでも破綻しなかったことです。
彼らがこの大道具小道具でどう遊ぼうと考えて、彼女が「ポンペイの街は突然破滅した。」と言い出した瞬間、勝ったと思いました。ストーリーでなく感性で作って結局ストーリーであるというのが50分に似合う作劇法だと思います。「ポンペイ」「スカイツリー」の感性に脱帽。題名のセンスに脱帽、情緒ではない感性の勝利を感じた。
「若者がなぜ自殺するのか」大人はわかりたい。「この想像の世界から出たくないから」「この物語に完を打ってやる」は私の中に落ちました。だから、自分が書いたその台詞を彼が狂言馬鹿女のような台詞「死んでやる」と間違える度、がっかりしました。
2011年の演目はこの災害を避けては通れない。しかし、電気水道もあり、暖房のある校舎で一夜を明かしただけの我々には「うそ」しか作れない。しかし、あきらめず、答えのあるはずのないこの問題に取り組む生徒と出会ったことを幸せに思います。彼らは「想定外」を「想像力がない」と言い切ってくれた。世界はきれいではないと知ったが、「生きていくこと」を誓った。彼ら(生徒)は2011年になすべきことをした。そして、私(顧問)は見たいものを見た。 2012.1.26

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