昭和13年1月31日、岩波書店に勤める歌人・佐藤佐太郎は井森志満と結婚しました。佐太郎28歳、志満24歳でした。志満は、福岡出身のアララギ会員で女子大を出ていました。
この年には「妻がいて 食器の音をたつるとき 目覚むる吾や 心さびしく」と詠います。都会の中の孤独にさいなまれた心には、新婚さえもものさびしいものとして表現されています。
昭和15年「新風十人」に参加して、初めての歌集「歩道」を、さらに昭和17年には若い頃の歌も収めた「軽風」を出版し、都市生活に根ざした青年特有の鋭い感覚と、優れた観察力による写実主義短歌は、注目を集めます。「歩道」は「軽風」を出す頃には四版を重ねるほど評判の良いものでした。
昭和20年五月短歌同人誌「歩道」を出して創作活動を続けますが、戦災のため岩波書店を辞め郷里の茨城に疎開します。
敗戦後の苦悩と希望の交錯するなかで起こった短歌批判の第二芸術論に佐太郎は動揺することなく、「純粋短歌論」を展開して、新しい境地を求めた「立房」を昭和22年に発表しました。
昭和27年に発表した「帰潮」は第三回読売文学賞を受賞し、歌人として地位を不動のものとします。佐太郎43歳の時のことです。
その中の歌「つち地ひくく 咲きて明けらき 菊の花 音あるごとく冬の日はさす」は、普通の生活の中で、菊の花を静かに観察する佐太郎という人の存在感が感じられる歌です。 昭和28年2月26日、恩師の斎藤茂吉が急逝した時、佐太郎は「みいのちは今日過ぎたまひうつしみ現身の口いづるこゑを聴くこともなし」と歌いました。佐太郎は誰が亡くなっても、簡単に使うような言葉ではない「み命」という言葉で、自分が最高に敬愛する恩師・斉藤茂吉を悼みました。
斎藤茂吉によってその才能を認められ歌壇の新風として登場し、敗戦後の歌壇でも活躍した佐藤佐太郎は、定型を崩さない姿勢を貫き、抒情詩としての短歌の純粋性を追究した歌人でした。
「夜ふ更けて 寂しけれども 時により 唄うがごとき 長き風音」は生涯に13の歌集と八千余りの歌を残した佐藤佐太郎の晩年の歌です。
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