レイチェル・カーソンは政府広報物に自然保護地域のレポートを書く仕事をしながら、1950年に「われらをめぐる海」という作品を書き上げた。海は人間にとって身近な存在だが、同時に大きな謎とロマンを秘めている。レイチェルは実際に海に潜ってその謎を解いていく。この本が空前のベストセラーに。これで一日の全てを研究と作家活動に専念することができるようになった。
1952年の今日、45歳のレイチェル・カーソンは公務員の仕事を辞め、海の近くの家に住み、「海辺」の原稿にとりかかった。三年の歳月をかけ、海辺に住む海洋生物の生態について丹念に書いた。
レイチェルは、1958年の初めに、友人から一通の手紙を受け取った。その手紙には、DDTなどの殺虫剤が空中散布され、小鳥が死んでいると言う実態が記されていた。彼女は農薬の危険性について調べた。殺虫剤、除草剤、殺菌剤、殺鼠剤など沢山の化学物質が開発され、農家の労力と時間を節約するという宣伝で大量に使われていた。化学物質は食物連鎖の中で濃縮され人間の身体や遺伝子に影響を及ぼしていく。丹念に調べるほど、早く使用規制をしなければ取り返しのつかないことになる。レイチェル・カーソンは四年間にわたり調査し、書いた原稿を何回かに分けて雑誌に掲載した後、「沈黙の春」とタイトルをつけ1962年に出版した。テレビにも取り上げられたちまちアメリカ社会をゆりうごかすことに。
彼女はこの二年後に56歳で亡くなるが、友人たちはレイチェル・カーソン協会を作り、農薬についてわかりやすく情報提供をした。
政府は1970年環境保護局を設立し、農薬規制に踏み切ることになった。

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