明治44年・1911年の今日、長野県高森町で島岡吉郎が生まれた。明治大学在学中は、応援団長として活躍した。大学卒業後は、証券会社などに勤務し、戦時は海軍軍属をしていた。
昭和二一年、明治高校野球部を創設し、監督に就任。三度甲子園大会に出場した。昭和二七年、明治大学野球部監督に就任し、私財をなげうって明大グラウンドの設備改善に尽くすとともに、精神野球でチーム強化に努めた。一b五八aの身長で百`近い巨体、その指導はゲンコツと闘志のかたまりで、怒ると大変恐い人だった。明大野球部員で殴られたことの無い者は一人か二人しかいない。しかし、勝った時の監督のうれしそうな笑顔を見ると、またおやじのために頑張ろうと思ってしまう、不思議な魅力を持った人だった。怒ってナインに罰を命じて、自分も同じ罰に服すという人間味あふれる指導からは多くのプロ野球選手を生み出した。大学球界では名物監督として「御大」と慕われました。その監督在任中、六大学野球リーグ優勝一五回、全日本大学選手権優勝五回を飾っており、日米大学選手権の監督を三回した。平成元年に七七歳で亡くなり、二年後の平成三年にアマチュア野球界からはじめて野球殿堂入りをした。