2009/6/11

芦浜原発 計画断念まで37年の闘争  その他のニュース

明日への伝言:昭和のあの日から 芦浜原発 計画断念まで37年の闘争(毎日新聞 2009年5月13日 中部朝刊)

http://mainichi.jp/chubu/dengon/news/20090513ddq012040005000c.html
(田ノ浦を思わせる、美しい芦浜の航空写真が見られます:投稿者)

南島町7漁協の1500人が500隻の漁船を連ねた海上デモ=1985年7月12日、橋本明撮影
 ◆1963(昭和38)年

 ◇中電、国策にほんろうされ 町も身内も対立
 緩やかなカーブを描いた砂礫(れき)の浜は間もなくハマボウの季節を迎える。波音さえ静かなここは三重県南伊勢町と大紀町の境をなす芦浜(あしはま)。中部電力の原発建設計画を巡り、37年間という長い原発闘争史の舞台となって揺れに揺れた熊野灘の歴史的一角だ。

 ゴールデンウイークのある日、南伊勢町の古和浦漁協前の堤防を犬を連れて散歩していた元漁師は長い説得の末、取材に口を開いた。「親せきや親兄弟までが争い、町が割れた。白紙になって9年余。感情も雪解けムードになりつつある。だから一層思う。あれは一体、何じゃったんかと」

 地元住民の対立は中電が1963(昭和38)年、芦浜(南伊勢町と大紀町=当時は南島町と紀勢町)を予定地の一つに挙げた当初から始まった。当時の南島町議会と町内7漁協は反対決議を、紀勢町議会は誘致決議をそれぞれ採択。対立する二つの町の誕生は不幸な事件を招いた。66年9月、衆議院の現地視察団を南島町の漁民が実力で阻止(長島事件)し、25人が起訴された。刑事被告も、反対派住民にしてみれば「町を救った勇士。事件は反対の一枚岩をより強固にした」とされる。

 当時の南島町はハマチ養殖の最盛期。陰りが見えた真珠母貝の養殖に取って代わったハマチが救世主となり、町のあちこちに「ハマチ御殿」が建った。ハマチをトラックに積み、ゴム長で名古屋に出掛けた漁民が、高級車に乗り換え、スーツ姿で帰ってきた−−との逸話も生まれた。「原発の補償額はハマチ養殖のいけす一つ程度のもの。宝の海が汚染されてはたまらない」。原発誘致を聞く耳はなかった。

 一方、推進の紀勢町でもリコールで町長が辞職するなどして混乱。事態を重視した当時の田中覚知事は67年9月、「芦浜に終止符」を宣言した。

 消えたはずの芦浜がよみがえったのは76年2月。田川亮三知事が電源立地三原則を打ち出し、間もなく国の「要対策重要電源」に指定された。85年6月には県議会も原発立地推進を決議。危機感を強めた漁民は漁船500隻を熊野灘に連ね、壮大な海上デモを展開して抗議し、対立の溝は一気に深まった。

 しかし、計画地沖に漁業権を持ち、反対の本丸だった古和浦漁協も変ぼうを遂げる。魚価が下落し、主力のハマチ養殖が低迷する中、原発容認に傾く漁業者が次第に増えた。94年には執行部の理事も推進派が多数を占め、反対決議を白紙撤回。年末には紀勢町の錦漁協とともに中電の海洋調査申し入れに同意した。


芦浜原発計画の白紙撤回を発表する北川正恭・三重県知事=2000年2月の県議会で
 一方、反対を貫く町民らは「南島町芦浜原発阻止闘争本部」を結成、81万人の反対署名を集め、対立は激化。こうした事態に北川正恭知事は2000年2月、「対立はゴールなきマラソン」と「白紙」を表明、中電は計画を断念した。

 長島事件では反対派として被告の一人となり、その後、推進を主張した古和浦漁協の上村有三組合長(81)は「その時々を真剣に考え、懸命に生きてきた。今も中部電力の担当者と顔を合わせることもあるが、会話は世間話だけ。町内の対立も消えつつある」という。


芦浜原子力発電所建設が予定されていた芦浜地区=1999年12月、本社機から撮影
 過去の出来事との認識はかつての反対派も同じだ。「昔のいい町に戻りつつあるなあ。でも芦浜が中電の所有地としてある限り、気は抜けんのさ」。37年の重みを知る元闘士の主婦は笑みを浮かべながらも、幾度もうなずいてみせた。【橋本明】

毎日新聞 2009年5月13日 中部朝刊
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2012/3/20  0:34

投稿者:猫に片思い社

<著作権放棄します>

↓の曲は1985年頃 海を守る運動をしていた頃の作品で、
ほとんど公開しないままお蔵入りしている曲です。

黒潮が洗う紀伊半島が大好きで海亀が産卵に来る海岸線を
何時までも綺麗なままにと言う思いを込めた曲です。



<海亀たちの浜>  作詞.作曲 猫に片思い社


青い静かな夜の海を 大きな月が照らす夜

はるか南の海の彼方から 海亀たちが帰ってくるのさ


海亀たちはその体に 宿した小さな命を

次の時代に伝えるために 此処に帰ってくるのさ

遠い記憶をたどり母なるこの浜に今年も帰ってくるのさ



陽に焼けた人たちが 海に生きる熊野灘

悠久の時を刻む 光と影のメロディ


遠い記憶をたどり母なるこの浜に

今年も帰ってくるのさ 海亀たちが帰ってくるのさ



<今人間にとって一番大切な事は>

環境を回復させる事なので、まだライブで歌う程度で
ネットで公開していませんがこの歌の著作権は放棄します。

気に入ってくれて歌ってくれれば嬉しいです。

http://ameblo.jp/nekonoteokari123/

2012/3/20  0:23

投稿者:猫に片思い社

清志郎の命日5月2日に脱原発自主コンサートを
行いませんか。

特に連絡や連携が無くても全国の有志が全国の
あらゆる所で行えば何らかのアピールになると
思います。

伊勢では「る〜だす倶楽部」さんで開催します。
http://www.amigo.ne.jp/~ru-dasu/index.htm
振るってご参加、PRお願いします。
みんなで盛り上げましょう。
090−1863−4008 猫に片思い社


http://ameblo.jp/nekonoteokari123/

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