2007/12/17

決心  

【10月31日】
大学病院での3回目の検診。一昨日に入院日と手術日の連絡が入ったため、今日は、前回行った甲状腺右葉の穿刺吸引細胞診の結果を聞くのが主な目的です。

左葉が乳頭癌であることは確定しているため、結果がどうあれ、動揺することなく事実として受け入れる心の準備は出来ていました。

そして、医師の診断結果は「右側も乳頭癌と分かりました。恐らく手術は全摘出になると思います。」

正直ほっとしました。全摘出になると甲状腺ホルモンの投薬は一生続きますが、
右側が良性で手術で残したとしてもいつ悪性になるか分からないし、亜摘出であっても、再発の可能性は否めません。

とにかく悪いところは全部取ってもらい、甲状腺癌に対する外科的手術は一度きりにしたいという意志を伝えて、この日は病院を後にしました。

さあ、いよいよ入院です。
0

2007/12/12

入院日及び手術日決定  

【10月29日】
夜、病院から電話があり、入院日と手術日が決まりました。
11月8日入院、12日の手術です。

甲状腺にしこりがあると言われた検診から4ヶ月、大学病院での初診から1ヶ月余り。ようやく、入院・手術となりました。嬉しい反面、実際に手術日が決まると、胸の鼓動が高鳴り、妙に緊張してきました。

明後日は、先日(16日)行った甲状腺右葉の穿刺吸引細胞診の結果と、入院手続きの詳細を聞くために、病院に出向く予定です。
0

2007/12/4

思いをぶつける  

【10月16日】
今日は大学病院での2度目の検診。
予約は12:00の予定でしたが、結局診察室に呼ばれたのが14:00近く。

実は前回の検診で、入院については現在1〜2ヶ月待ちと言われていましたが、「ベッドが手配でき次第、電話で連絡します」とも言われていました。

しかし、3週間経っても何の連絡もなし。そして、今日の検診でも2時間待ち。大学病院に対する私の不信感は募る一方でした。「甲状腺乳頭癌という進行の遅い癌だから後回しにされているのか」と考えざるを得ません。

そんな憤りにも近い気持ちで、診察室に入りました。

まず、前病院から取り寄せた穿刺吸引細胞診のプレパラートの診断結果から。
「甲状腺の両葉にある腫瘍のうち、左側は間違いなく甲状腺乳頭癌です。しかし、右側の腫瘍は今回の検査では悪性と断言できません。ですので、申し訳ないですが、今日もう一度右側に針を刺させていただいて、細胞診をしたいと思います。」

気持ちが一気に滅入りました。なぜなら、私は穿刺吸引細胞診が苦手だからです。真綿で首を絞められるような、検査中のあの鈍痛。経験した人でないと分かりません。

前病院で行った穿刺吸引細胞診の嫌な記憶が甦ります。しかも、今日は突然の細胞診。心の準備もないままです。

ベッドに横たえ、エコーで腫瘍の位置を確認するや否や、「では針を刺していきます。」と医師。「えー、麻酔はしないの?」という言葉を発する余裕もないまま、穿刺吸引細胞診が始まってしまいました。

しかも、3本も抜かれました。幸い、甲状腺の専門医であったため、麻酔なしでも苦痛はありませんでしたが、やはり首を絞められるような鈍痛は感じました。

細胞診が終わると、私は積もりに積もった不信感を爆発させてしまいました。
「先生、今日細胞診をやるということは、前病院での採取量が十分ではなかったからではないですか?前回の細胞診では医者や看護師達が世間話をしながらやっていましたからね。到底、患者である私の気持ちを汲み取った雰囲気ではなかったんですよ。どうなんです?」

それに対してその医師は、
「細胞の量が不足していたということはありません。ただ、確定できないので再度お願いさせていただいただけです。」

物腰の低くて丁寧な医師であったため、私は信じるしかありません。
「すいません、食って掛かってしまって。実は、穿刺吸引細胞診が私は一番嫌なんですよ。ホント、この検査は気が滅入ります。」と言うのが精一杯でした。

ただ、一つ言えることは、医者と患者の立場は対等ということ。納得できなければ、強い気持ちで、聞いてみる。そうすることで、「患者である私は、本気でこの病気を克服しようとしているんだ」という意気込みが伝わると思います。

(その後、入院・手術等を経験して感じたことですが、このときはっきりと自分の思いをぶつけたことで、信頼関係が出来ていたのです。その辺りのことは、また追々、本ブログで綴っていきます。)

今日の結果を踏まえた次回診察日は、10月31日になりました。
0

2007/12/3

家族との時間  

【9月末〜10月中旬】
次回の大学病院での診療は10月16日。その日には入院日や手術日等が決まるはずです。
それまでの間、家族との時間を大切にしたいと思い、色々なところに出かけました。

手術でしっかりと腫瘍を取ってもらい、また家族で楽しく過ごせる時間が来るように。そう願いながら・・・。
0

2007/12/1

大学病院での診察  

【9月25日】
初めての大学病院での診察日。そして、たまたまこの日は、妻の稽留流産の掻爬手術日でもありました。朝出かけるときに、妻と4歳の子供と3人で手を取り合って「今日はみんなでこの日を乗り越えよう。」と皆で気持ちを一つにしました。息子の目にはうっすら涙がたまっていました。

駐車場の混雑で有名な大学病院であるため、朝の7:00に出かけました。予定通り2時間弱で到着し、駐車場にもすんなり止められました。

初診受付をしてから1時間余り待たされたでしょうか。いよいよ診察室に入りました。

まず、問診と触診。そして、エコー検査をしました。やはり間違いなく甲状腺乳頭癌である旨の説明があり、いつでも入院・手術が出来るように、今日は心電図・肺活量・尿検査・血液検査を行いました。大学病院であるため入院日は確約できず、1ヶ月半〜2ヶ月待ちの状態だそうです。

甲状腺乳頭癌は進行が極めて遅いため、プラスで考えれば「急ぐ必要はない」と考えることも出来ますが、その一方で「悪いところは一刻も早く取ってもらいたい」という気持ちもありましたが、何と言っても甲状腺の専門医。従うしかありません。

次回の診察日は10月16日。「先日中央病院で行われた穿刺吸引細胞診のプレパラートを取り寄せて、詳しく診させて頂いて、今日の検査結果もふまえて、お話ししたいと思います。」とのこと。

午後の3時ぐらいに帰宅しましたが、1時から始まった妻の手術はまだ終わっていない様子で、連絡を待ちました。

妻が産婦人科医院から倒れそうな顔をして出てきたのは夕方6時。麻酔と術後の痛さで朦朧としていました。結局この日は、私の実家に皆で泊まりました。

私にとっても妻にとっても節目となる日が終わりました。いなくなってしまったお腹の子のためにも、残された私たちがしっかり生きていこうと決意を新たにしました。
0

2007/12/1

CT検査  

【9月21日】
CT検査の日。万全を期して、仕事はお休み。朝から絶食をして、正午頃の検査に備えました。

病院の放射線科へ行くと、撮影室へ通されました。テレビではよく目にするものの、実際にCTで撮影されるのは初めて。

まず、左腕に造影剤を注入するための管を打たれました。

「造影剤が体内に注入されると、毛細血管が広がり、一時的に体がカッと熱くなります。比較的副作用は少ないですが、アレルギーのような副作用も出る場合があります。」という説明があり、ドキドキしていました。

「では造影剤を入れま〜す。」の看護士の声。するとどうでしょう。

変な話しですが、まず股間が熱くなり、そして一瞬にして、体中の至る所がサウナにはいたときのような熱さに見舞われました。しかし、1分もしないうちにその熱さは収まり、撮影は順調に行われました。

「血液って体内をこんなに速く巡っているんですね。」と私も看護士に話しかける余裕が出てきました。

結果は約2時間後に出るとのこと。いったん帰宅し、言われたとおり水分をたくさんとり、再度、妻と共に病院に出向きました。

診察室に呼ばれて入ると、そこには既に輪切り状態で撮影された私のCT写真が掲げられていました。

「結論から申し上げますと、リンパや骨そして肺に、転移は認められません。」
妻と見つめ合って、お互い頷くと、妻の目に涙。

そして、手術をどこで行うか等の話しになりました。この病院では甲状腺、つまり内分泌科専門の医師が常駐せず、大学病院から定期的に来られているため、何かと不安が残ります。

そのため、直接その大学病院に入院し手術したい意向を伝えました。大学病院は自宅から約80キロ。しかし、命にかかわる手術のため、何のためらいもありません。

すぐに、紹介状と撮影したCT写真をもらい、4日後の25日に大学病院での診察と検査を受けることになりました。

診察室を出て、妻とガッツポーズ。「癌であることに変わりないけど、転移はしていない。何かとても嬉しいね。」

帰宅後、母親と叔母にも報告。みんな涙を流して喜んでくれました。そう、僕にはこうやって我が事のように心配してくれて、応援してくれる家族がいるのです。

「この病気には絶対に打ち克てる」
自分の体の中に、みなぎる勇気と自信が湧いてくるのが分かりました。

夕方は、風邪を引いた子供の診察のため、内科病院に出向きました。最初にエコー検査して頂いた病院です。私の姿を見かけた先生が、忙しいにもかかわらず私を診察室に読んでくれました。そして、今日までの検査結果と今後の予定を報告。
「早く見つかって良かった。転移がないなら大丈夫。手術もうまくいくといいですね。」

不思議なものです。内科病院を出ると、なぜか晴れ晴れとした気分。色々な人に支えられている自分。すべての人に感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして、そのような気持ちにさせてくれたこの病気にも・・・。
“生きていく上で辛いことはたくさんある。でも、その辛いことの中にも喜びはある。”
こんな大切なことに気付いた私です。
0

2007/11/22

悲しい出来事  

【9月11日】
甲状腺乳頭癌と診断されても、「この病気に立ち向かおう」と決意させてくれたのは、家族の存在。そして、‘生’へ執着させてくれいたのが、妻のお腹に宿っている第二子の存在でした。

この日は、妻の定期健診の日。しかし、「パパがこんな体だから、せめてお腹の子だけは・・・」という私の思いは、打ち崩されることになりました。

「稽留流産の疑いがあります。胎児がおらず、胎嚢だけの疑いが強いです」

泣きっ面に蜂とは、このことを言うのか。いったい私たちが何か悪いことをしたのか。私が癌に罹患しただけでなく、妻が流産。

なぜ、こんな辛いことが次々と襲ってくるのか?止まらない涙。

その晩、私たち夫婦は話し合い、ある結論に達しました。

「全てを現実として受け入れる。そして、このようになってしまったことには何か意味がある。今、僕達は家族の絆を試されている。今のこの苦しい試練を乗り越えてこそ、僕達一家の存在価値がある。試されているのだ、乗り越えるだけだ。」
0

2007/11/21

がん保険  

【9月6日】
甲状腺乳頭癌の診断が下された翌日、気持ちも落ち着いてきました。

約11年前、就職と同時に「万が一のために」と入っていたAFLACの生命保険証券を引っ張り出してみました。
クリックすると元のサイズで表示します
加入している‘スーパーがん保険’によると、診断給付金・入院給付金・手術給付金等、自分が想像していた以上に手厚い保障がありました。AFLAC保険金部に電話してみたところ、非常に丁寧な応対で、それだけでも気持ちが前向きになります。

癌治療はそれ相応のお金がかかると聞きます。やはり先立つものはお金。保険のお陰で、来るべき闘病生活に向けて、気持ちを強く持てます。
0

2007/11/21

家族と共に  

【9月5日】
病名を告知されてから、実家に向かった。
母にはありのままを報告。叔母も同席していたが、皆が言葉を失った。

しかし、しばらくして、母から「みんなでこの病気を克服して見せよう」の一言が・・・。

気丈に振舞ってくれる姿が、わざとらしくも嬉しく感じられた。そう、まだ‘死’を意識するなんて早すぎる。‘癌=死’という等式は、現代では成り立たない。そう信じて、治療に専念しようと決意した。

帰宅後、インターネットで甲状腺乳頭癌について調べてみる。どうやら、外科手術で取り除いてしまえば、放射線や抗がん剤投与といった化学療法も必要ない様子だ。

とにかく、前向きに行こう。僕には応援してくれる家族がいる。
0

2007/11/21

これが現実  

【9月5日】
穿刺吸引細胞診の結果が出る日。

妻と共に病院に向かった。自分の中である程度の覚悟は出来ているとはいうものの、やはりどこかで「まさか僕が」という気持ちがあった。

予定よりも30分以上も早く着いてしまったため、待合ロビーで待たされる。この時間が非常に長く感じられ、執行を待つ死刑囚の気分とでも言いましょうか・・・。

そして、一時間近くたってようやく診察室に呼ばれました。妻と見つめ合って「よし」とお互い頷き、診察室に入りました。

診察室に入るや否や、担当医が
「結論から申し上げますと癌です」
の一言。

泣き出す妻。その横で当の本人である私は意外と冷静に受け止めた。

医師から詳しい病名の説明が始まった。病状説明書の病名の欄には‘甲状腺乳頭癌’の文字が記された。
クリックすると元のサイズで表示します
おとなしい癌であるため急は要しないものの、やはり外科手術が必要。そして、手術の前に、転移や浸透がないかCT検査の必要性が説明された。

診察室を出て、待合ロビーの椅子にへたり込んでしまった。まっすぐ前を見つめて「これが現実なんだ・・・」と言う以外に言葉が見つからなかった。あの時の待合ロビーの景色と雰囲気は一生忘れないだろう。

CTは2週間後の21日に決まった。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ