2017/1/14

ガリアーノ  

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約8か月の流刑。訳者解説には「ファシズムの時代、多くの政治犯が投獄される代わりに流刑になった」とある。ロシアという広大さにある極寒の地への流刑はなんとなく理解できるのだが、ここではイタリア国内でのこと。それほどこの地が僻地だったということなのだろうか。


同じレーヴィでもプリーモ・レーヴィは、レジスタンスのすえ43年12月にファシスト側に捕まり翌年ナチスドイツによってアウシュヴィッツの施設のひとつモノヴイッツに送られている。650人のユダヤ系イタリア人のたった20人の生き残りのひとりだったという。
対してカルロ・レーヴィが反ファシズムで流刑になったのは35年。その後フランスに逃れ40年にフィレンツェに戻り43年4月に反ファシズム活動の咎で逮捕されたがムッソリーニの失脚によって7月に釈放。その後9月ナチスのイタリア占領にともなって潜伏して過ごすこととなった。この占領前の釈放という偶然がなければカルロも強制収容所に連行されていたかもしれない。

ここにある違いは、ファシズム(少なくともムッソリーニ)は、その動機に反ユダヤ主義の根を持っていなかったことによるのではないだろうか。


物語は時系列に沿って、淡々と貧しい僻村の生活と人間関係が語られていく。1935年8月に自動車に乗せられその寒村に着き、次の年村人に見送られながら北へと戻っていくまでの間。

トリノという工業化された都市から放り出された一人の芸術家がみたのはぼろ屋に住み痩せた農地しかなくまとまな医者もいない、古くからの支配関係が因習的にある世界。確かに貧しく卑しいほどの暮らしが描かれているのだが、それはウィリアム・フォークナーが描いたアメリカの人種差別と噂話に満ちた醜悪さとは違い、そう表現していいのか分からないが、不思議と豊饒なものを垣間見ることができる。

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2017/1/12

とおくはなれて  

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読んでいるうちに日本近代建築史をページを捲りながら再考している、再考というとおこがましい、教示されている感じとでもいうか、よく知ってもいないのに知っていると思い込んでいた、そうした感覚に包まれていった。

読みやすい。読みやすいのだけど軽いのではない。さりげなくそれぞれの歴史的な建築家たちが近代、それも特に戦後日本の中でどのように西洋由来のモダニズム建築、それと日本の伝統と対峙し格闘していったかが明確な視点から描かれている。それは著者の近代建築に対する姿勢に揺らぎがないことの証のようである。


印象に残ったのは、シャルロット・ぺりアンの1998年のインタビュー『…日本の建築はとても民主的で、日本全土にわたって同じ建築物が建てられていました。…』とその後の文章。うまく説明できないが浮かぶのは少し古い時代の日本の集落とか街並みの白黒写真。
読み終わってまた少し読み返してみると、吉田鉄郎の「平凡な建築」という言葉がぺりアンの言葉に重なっていく。

ずーっとある時期からオーディナリーな建築を考えていた。(オーディナリーという表現にしたのはただ平凡というだけではないものを含んで考えていたからであるが。)どこにもないからどこにでもあるけど抑制的な。でもそれをうまく伝えられないもどかしさも。
でも、そうした考えはもっと前から先駆者たちによって考えられていた、それへの気付きをこの読書はもたらしてくれた、そしてその伝えることの難しさも。


文中の吉田の逓信省後輩の若者が北欧建築に惹かれること、それは『そこに謙虚な本当の生活がある様な気がしてならない』という言葉に、戦時下日本での言葉ゆえにさらに、時代を越えた共感を覚えた。

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2017/1/10

メリルストリープ  



以下にロサンゼルスタイムに掲載されたスピーチの筆記録を。

Watch (and read) all of Meryl Streep's provocative Golden Globes acceptance speech

" I love you all. You have to forgive me, I have lost my voice in screaming and lamentation this weekend and I have lost my mind sometime earlier this year so I have to read.
Thank you, Hollywood Foreign Press. Just to pick up on what Hugh Laurie said, you and all of us in this room really belong to the most vilified segments of American society right now. Think about it: Hollywood, foreigners and the press.
But who are we and, you know, what is Hollywood, anyway? It’s just a bunch of people from other places. I was born and raised and educated in the public schools of New Jersey, Viola was born in a sharecropper's cabin in South Carolina, came up in Central Falls, R.I. Sarah Paulson was born in Florida, raised by a single mom in Brooklyn. Sarah Jessica Parker was one of seven or eight kids from Ohio, Amy Adams was born in Vicenza, Veneto, Italy and Natalie Portman was born in Jerusalem. Where are their birth certificates?
And the beautiful Ruth Negga was born in Addis Ababa, Ethiopia, raised in Lon -- no, in Ireland, I do believe, and she’s here nominated for playing a small-town girl from Virginia. Ryan Gosling, like all the nicest people, is Canadian. And Dev Patel was born in Kenya, raised in London and is here playing an Indian raised in Tasmania. So Hollywood is crawling with outsiders and foreigners and if we kick them all out, you’ll have nothing to watch but football and mixed martial arts, which are not the arts.
They gave me three seconds to say this, so. An actor’s only job is to enter the lives of people who are different from us and let you feel what that feels like. And there were many, many, many powerful performances this year that did exactly that, breathtaking, compassionate work.
But there was one performance this year that stunned me. It sank its hooks in my heart, not because it was good, it was -- there’s nothing good about it. But it was effective and it did its job. It made its intended audience laugh and show their teeth.
It was that moment when the person asking to sit in the most respected seat in our country imitated a disabled reporter, someone he outranked in privilege and power and the capacity to fight back. It, it kind of broke my heart when I saw it and I still can’t get it out my head because it wasn’t in a movie. It was real life. And this instinct to humiliate when it’s modeled by someone in the public platform, by someone powerful, it filters down into everybody’s life because it kind of gives permission for other people to do the same thing.
Disrespect invites disrespect. Violence incites violence. When the powerful use their position to bully others, we all lose. OK, go on with that thing. OK, this brings me to the press. We need the principled press to hold power to account, to call them on the carpet for every outrage.
That’s why our founders enshrined the press and its freedoms in our constitution. So I only ask the famously well-heeled Hollywood foreign press and all of us in our community to join me in supporting the Committee to Protect Journalists, ’cause we’re going to need them going forward and they’ll need us to safeguard the truth.
One more thing. Once when I was standing around the set one day, whining about something, we were going to work through supper or the long hours or whatever, Tommy Lee Jones said to me: “Isn't it such a privilege, Meryl, just to be an actor?” Yeah, it is. And we have to remind each other of the privilege and the responsibility of the act of empathy. We should be very proud of the work Hollywood honors here tonight,
As my, as my friend, the dear departed Princess Leia, said to me once: “Take your broken heart, make it into art.”
Thank you, Foreign Press. "


筆記録を掲載してくれたことへの感謝とひとりの女優への尊敬と、を。

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2017/1/5

しょうきゃくしょぶん  

地元の高校で今年福島への修学旅行が計画されているという。詳しい旅程は知らないが、提案はPTA側という話しも。本当だとしたら、そこにどんな意図があったのだろう、反対意見はなかったのだろうか、リスクについて真剣に検討されたのか。疑問に思った理由は、今までずーっと広島あるいは長崎が訪問先だったのがなぜ突然福島になったのかにある。


『東京電力福島第1原発事故の影響を調べる福島県の「県民健康調査」検討委員会は27日、2014年4月から実施中の2巡目の甲状腺検査で、今年9月末までに新たに10人ががんと診断されたことを明らかにした。2巡目のがん確定は44人で、1巡目の結果を含めると計145人となる。
 甲状腺検査は原発事故時、県内に住んでいた18歳以下の人を対象に11年から1巡目を実施。2巡目からは事故後1年間に生まれた子どもを加えた約38万人を対象にしている。今年5月からは3巡目も実施されている。
 甲状腺検査を巡っては手術が不要ながんを見つけ、心身に負担をかける「過剰診断」との指摘があり、県に対し規模縮小を求める要望も寄せられている。福島市で同日開かれた検討委の会合で、星北斗座長(同県医師会副会長)は「科学的議論は独立して行われるべきだ」と述べ、甲状腺がんについて科学的な知見を集める第三者的な組織の設置を県に求めた。』(毎日新聞2016年12月27日)

『九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働に反対する佐賀県伊万里市の塚部芳和市長が朝日新聞のインタビューに応じ、その理由を語った。東日本大震災後も変わらない電力会社の体質、原発抜きでも経済や生活に大きな影響がない現実などを挙げ、「再稼働反対は民意。市民の声を代弁している」と話す。原発周辺自治体の首長が「反対」を明言するのは異例だ。
 伊万里市はほぼ全域が玄海原発の30キロ圏に入る。東日本大震災を受け、塚部市長は再稼働に慎重な言動を繰り返してきたが、「反対」には言及しなかった。反対を明確にしたのは、昨年7月の記者会見で「再稼働は認められない」と言い切ってから。きっかけの一つは九電への不信感だったという。
 「九電は震災前から意識を変えようとしていない。福島第一原発で広範囲に被害が及んだから、トップの意識も変わっていくかと思ったが、全然変わらない。『これは何だ』と思った」
 事故が起きれば立地自治体と同じように被害が及ぶとして、伊万里市は事前了解の取り決めがある立地自治体並みの安全協定を求め、2013年8月から九電と30回以上個別交渉を重ねてきた。だが九電は「先例がない」の一点張り。昨年2月に事前了解なしの協定を結び、事前了解権を持つ県と「伊万里市の意向に十分配慮する」との覚書を交わすことで折り合った。
 この決着について「不満も残っている。九電は安全性に自信があるなら堂々と立地自治体並みの協定を結べばいい」と振り返った。』(朝日新聞デジタル1月3日)

『経済産業省と文部科学省、電気事業連合会の幹部らが、二〇〇六〜一四年に高速増殖炉の実用化に向けて話し合った「五者協議会」の議事録が作成されていないことが、本紙が経産省に行った情報公開請求で分かった。協議会は開発体制や費用の分担のあり方などを原子力委員会に報告し、実証炉開発で重要な役割を担ってきた。会合は非公開で議事録もないため、核燃料サイクル政策の意思決定過程の一部が検証不可能な「ブラックボックス」になっていた。
 協議会は、日本原子力研究開発機構が高速増殖原型炉「もんじゅ」と並行し、後継となる実証炉の研究を実用化につなげるため〇六年七月に設置された。経産、文科両省と電事連、日本電機工業会、原子力機構の幹部が出席し、事務局は資源エネルギー庁原子力政策課が務めた。
 エネ庁によると、一四年までに八回の会合が開かれ、高速増殖炉のほか、サイクルに必要な新しい再処理工場のあり方なども話し合われた。エネ庁の担当者は「(法定の)審議会とは違い、半分私的な研究会のような位置付け。なぜ議事録が作られなかったのかは分からない」と話す。
 当初から原子力機構の副理事長として出席した岡崎俊雄氏は「新型転換炉ふげんは原型炉で成功したのに、電力会社の反対で実証炉へ進めなかった。協議会はその教訓から、着実に実用化につなげるためにできた」と説明。非公開の理由は「率直に議論する場。実効性ある議論を第一に考えた」と話す。
 協議会は〇六年十二月には、実証炉の設計開発を中核企業一社に集中させることを決め、報告を受けた原子力委がこれを了承している。翌年には一カ月間の公募の結果、原子力機構幹部や学識者による選定委員会で、原発事業を手掛ける三菱重工業が中核企業に選ばれた。だが、原子力機構は入札した企業名や数などを明らかにせず、選考過程には不透明さも残る。
 政府は昨年十二月、ほとんど動かせなかった原型炉もんじゅの再稼働を諦めて廃炉としつつ、一段階先の実証炉の開発を再開させることを決めた。政府方針の検討会議には三菱重工社長も出席し「中核メーカーとして取り組んでいきたい」と発言。五者協議会など従来の枠組みがある程度踏襲されるとみられる。
 NPO法人原子力資料情報室の伴英幸共同代表は「たとえ公的な位置付けでなくとも議事録を残していくことで、後々の判断材料になる。今後の実証炉開発で五者協議会がどんな役割を果たすのかは不明だが、公開のもとに進めるべきだ」と指摘する。』(東京新聞1月4日)

『東京電力福島第1原発事故の除染で出た汚染土の再利用を巡る非公開会合の議事録を環境省が「全部開示」としながら、実際には自らの発言の一部を削除していたことが分かった。削除したのは環境省が議論を誘導したと受け取れる発言。その発言から放射性セシウム1キロ当たり8000ベクレルを上限値とした汚染土再利用の方針決定につながっていた。情報公開の専門家は「意思形成過程の隠蔽(いんぺい)で極めて悪質」と批判している。
 この会合は「放射線影響安全性評価検討ワーキンググループ」。放射線の専門家や環境省、事務局の日本原子力研究開発機構(JAEA)の職員ら約20人が出席し、昨年1〜5月に計6回開かれた。当初は会合の存在自体が非公表だったが、情報公開請求が相次ぐなどしたため、環境省は8月に議事録などをホームページで公表。事務取り扱い上は「全部開示」とされた。
 公表分には議事録になる前の「議事録案」も含まれているが、毎日新聞はそれ以前の「素案」を入手した。議事録などと比べると、発言の削除や変更などが複数あった。素案では2月24日の第4回会合で環境省職員が「8000ベクレルの評価で災害時など年間1ミリシーベルトを少し超えるケースが出ているが、これが1ミリシーベルトに収まるとよいのだが」と発言。しかし、公表された議事録からは削除されていた。
 8000ベクレルを超えると特別な処理が必要な「指定廃棄物」となるが、一連の会合では同ベクレルを上限とする汚染土の再利用を協議。この日の会合で、8000ベクレルの汚染土を使った防潮堤が災害で崩れた際の復旧作業では、一般人の年間被ばく線量上限の1ミリシーベルトを超えるとの試算値がJAEAから示された。このままでは再利用の上限値を同ベクレルから下げる可能性もあったが、環境省職員の発言を呼び水に、専門家らが「崩れれば他の土と混ざり合って希釈される(薄まる)」などと試算のやり直しを求めた。
 その後、希釈で年間1ミリシーベルト未満に収まるとの試算結果が公に示され、環境省は6月、8000ベクレルを上限に汚染土を再利用する方針を正式決定した。
 ◇削除覚えがない
 環境省除染・中間貯蔵企画調整チーム担当者の話 強引に我々が議論を誘導したみたいに思われる発言になっているが、削ったかもしれないし、覚えがないというか、よく分からない。希釈を全くしないのは現実的ではないとの発言をした記憶はある。
 ◇結論ありきだ
 NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長の話 環境省として誘導したことが不都合なのだろうが、最初から結論ありきで、専門家を使って責任回避しているのは問題だ。意思形成過程の記録は非常に重要なのに、このやり方では検証できず、いくらでも不都合を隠すことが可能。情報公開と公文書管理の制度を根本からゆがめる悪質な行為だ。
 ◇解説 会合、正当性に疑問
 環境省が8000ベクレルにこだわるのは、最大で東京ドーム18個分とされる汚染土の最終処分量を大幅に減らしたいからだとみられる。
 原発事故後に成立した放射性物質汚染対処特別措置法は、8000ベクレル超を特別な処理が必要な「指定廃棄物」とし、同ベクレル以下を「問題なく廃棄できる基準」と規定。一方、従来の原子炉等規制法は、原発解体に伴う金属などの再利用基準を100ベクレル以下と定め、両者に準じれば100ベクレル超〜8000ベクレル以下は「特別な処理の必要がない廃棄物」という解釈となる。
 このため環境省の非公開会合では、汚染土を道路の盛り土や防潮堤に使いコンクリートで覆うことなどで8000ベクレルを上限に再利用できないかが検討された。再利用は一般人の年間被ばく線量を下回ることが前提だったが、会合で示されたのは前提を崩す試算。環境省が「結論ありき」で議論を誘導し、その過程を議事録から削除したとなれば、結論の妥当性はもちろん、会合自体の正当性が問われる。』(毎日新聞1月5日)

『新潟県の米山隆一知事は5日午前、県庁内で東京電力ホールディングスの数土文夫会長、広瀬直己社長と初めて会談した。
 米山知事は東電柏崎刈羽原発(同県柏崎市、刈羽村)の再稼働について「現状では認められない」と述べ、慎重な姿勢を直接伝えた。
 米山知事はまた、「(東電)福島第1原発事故の徹底的な検証がなされない限り、(柏崎刈羽原発の)再稼働の議論はできない」と強調。新潟県は同事故をめぐり、泉田裕彦前知事時代に東電との合同検証委員会を設置しており、米山知事は検証に数年かかるとの見通しを示した。
 さらに知事は福島第1原発事故に関し、「(東電の)体制が原因になったのであれば、生まれ変わるような在り方を模索してもらいたい」と話した。
 これに対し、東電の数土会長は県との合同検証について「誠心誠意対応したい」と表明し、「一番重視すべきステークホルダー(利害関係者)は地元の方々だ」と述べた。広瀬社長は福島第1原発事故で原子炉内の核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」の公表が遅れた問題で、「近々報告したい」と語った。
 米山知事は昨年10月に就任。知事と東電首脳が直接会談する機会は当初、同年11月に予定されていたが、福島県沖での地震や新潟県内で発生した鳥インフルエンザの影響で2度延期された。 』(時事通信1月5日)


前にも記したが『日本のいちばん長い日』で印象的なのは軍人たちが書類を焼いているシーンである。証拠隠滅。自分たちの犯罪行為を記録から葬り去るために。官僚たちは1945年以降こうして書類を「焼却」してきたのだろう。

官僚に悪行をさせないために絶対な方法はただ一つ、公文書の記録の義務化とその保存と開示にある。

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2017/1/1

ジョニィミッチェル  



穏やかさと寛容、オーディナリーな日々を。

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