2017/5/19

うそのめいきゅう  



2014年のドイツ映画。日本では『顔のないヒトラーたち』、ドイツ語ではIm Labyrinth des Schweigens、『嘘の迷宮』。

この映画を観るまでは西ドイツでは戦後から非ナチ化が行われていたと思っていたが、そうではなかったことを知る。映画の中で主人公のひとりである記者が近くを歩いていた若い女性にアウシュヴィッツを知ってるかと聞いた時、主役の検事が図書館でアウシュヴィッツ関連の本を尋ねた時、それに対する反応は今の私たちが当然のように知っていることを当時の西ドイツで知ることの困難さに気付かされる。

若い検事が必死にアウシュヴィッツでの犯罪を立証しようともがいている時、上司の検事正が「ニュルンベルグ裁判で罪は問われた」、もうヒトラーはいない、終わった話しだと語ったのに対し「ドイツの法で裁かねば終結しません」と反論するのだが、そこにこそなぜ戦後、ドイツがヨーロッパの中で信頼される地位を築けたのかの答えがあるように思う。

冷戦構造へと歴史が移っていた。検事正は若い検事の立件に向けて努力していることに苛立ち、「誰も望まんぞ、我々もそうだ」「ヒトラーは死んだんだ」「我々の敵は今やソ連だ」と罵る。誰もが自分たちの国の歴史的な汚点など知りたくはない。だが傷付けた者たちは忘れても、傷付けられた者は決して忘れない。

アウシュヴィッツに祈りを捧げに行った時、記者が若い検事に伝える言葉、
「アウシュヴィッツはこの地に眠る記憶。裁判をしなければ忘れさられる。罪でなく被害者とその記憶に目を向けろ」


フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判

顔のないヒトラーたち

最後のナチス裁判──アウシュビッツ、元看守と生存者の証言


占領期ドイツ西側地区及び連邦共和国初期における非ナチ化問題

ドイツにおける現代史教育

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2017/5/13

フランスから  

『フランスといえば「自由、平等、博愛」の国。かつては文学から思想まで、人々の憧れの地だった。そんな国で「極右」「ポピュリスト」と呼ばれる女性政治家マリーヌ・ルペン氏(48)が、23日の大統領選の第1回投票で首位に立ちそうな勢いだ。弁の立つ右翼の台頭は何を意味するのか。国民が彼女を押し上げる現代版「フランス精神」とは?

 右翼政党・国民戦線党首のルペン氏は、トランプ氏と同じく自国第一主義や移民排斥を説き、条件付きながらEU離脱をも公言する。大統領になる可能性について、日本の有識者はどう見ているのか。思想史をはじめフランス全般に明るい浅田彰・京都造形芸術大教授は「決選投票で彼女が勝っても驚くにあたらない」とみる。
 ルペン氏は、国民戦線を築いた父、ジャンマリ・ルペン氏(88)の三女。父は左派が主流だった1972年に戦線を創設し、移民排斥などを主張してきた人物。浅田さんは「娘のマリーヌはあまりにも過激な父のイメージを(父を党から追放することで)取り払い、移民を脅威と感じる庶民の生活保守主義に訴え、戦線を『普通の政党』に近づけてきた。資本主義のグローバル化によって格差が広がり、国民経済が不安定化する中、欧州各国では極右勢力が伸びている。今度こそ彼女が勝利してもおかしくはない」と言う。
 フランス政治を専門とする吉田徹・北海道大教授も、ルペン大統領誕生の可能性は「あり得る」とみている。実際、彼女を支持するのはどんな人か。これまでの投票傾向から吉田さんは「ルペン支持者で特に増えているのが30歳以下の若者と労働者全般、失業者など、不況でひどい目に遭ってきた層で、左派支持者も約1割が彼女に投票してきた」と分析する。世論調査で8割もの人が「国民の要望に政治家は応えていない」と答えるように、既成政治に失望した人や「グローバル化の敗者」の一部がルペン支持に回っているという。英エコノミスト誌は、パリから遠く、また自宅が最寄り駅から遠くにある低所得者層ほど、ルペン支持者は多いと伝えている。
 吉田さんは米国の政治社会学者の研究結果を引きながら「社会的に弱い立場に置かれた者は権威主義的志向を持ちやすく、労働者層の右傾化はフランスのみならず多くの国で確認されている」と言う。
 「彼女は異端視されてきた父のせいで幼い頃からいじめに遭ったり、自宅が爆破される事件に巻き込まれたりしてきました。トラウマをかいくぐった宿命的な政治家です」と評するのは、フランス文学専攻の野崎歓・東京大教授。ルペン氏の父は長い間、フランス社会で風刺やからかいの対象に過ぎなかったが、「父のような極右ではない」という宣伝に加え、ギリシャの財政危機に端を発したユーロ危機や難民流入、パリの風刺週刊紙シャルリーエブド襲撃(2015年)など相次ぐ国内テロが、彼女を押し上げてきた。
 フランスは革命の国。博愛精神のよりどころというイメージがあるが、世界にモデルを示す役目はもう担えないのか。
 80〜90年代に比べると「最近のフランス人はインテリ層も含めずいぶん変わった」と野崎さんは言う。「昔は誰もが哲学や精神面での個別の方針を持っていて、政治についてとうとうと語っていましたが、最近は困り顔になり、話が弾まないんです」。世界中で最も読まれているフランスの現役作家、ミシェル・ウエルベック氏に触れながら、野崎さんは「果てしない虚無と冷え冷えとした荒涼が社会に広まっているのではないか」とみている。
 ウエルベック氏は、長く世界のモデルとなってきた西欧的な「個人主義」の行き詰まりを描いてきた。近未来小説「服従」には、実在するルペン氏が登場し、2022年の大統領選が描かれる。第1回投票での彼女の得票率は小説の中で34%に達している。決選投票でルペン氏に対抗するため、左派が徒党を組んでイスラム教徒を大統領に押し上げる話だ。政党名は「イスラム博愛党」。野崎さんは「フランス人が失いつつある博愛の精神、つまり自由や平等を皆が共有するという精神が、イスラム教徒の穏健派の手で、ものすごい魅力で迫ってきたらどうなるのか、という発想です」。
 そして、現実のルペン氏をこう見る。「『共和国精神を守る』とは言いますが、難民の救出を認めない彼女の核心は排他性であり、『純フランス製』にしがみついているところです」
 「純フランス製」とは、もはや戻れないのに、かつてあったかもしれない美しい伝統を追慕するノスタルジーを指す。取り戻せない過去を取り戻すと言うまやかし。
 ルペン氏は「フォーリン・アフェアーズ」誌との16年のインタビューで「グローバル化は全体主義的で、少数の人々が利益を得るために、他のすべての人を犠牲にする戦争のようなもの」と語り、「我々の文明を守るか、捨て去るか」という単純な問いを突きつける。二者択一のこんな言い方からも、ルペン氏はやはりノスタルジー的に映る。そこに、過去の一面のみを美化する今の日本の政権が重なって見える。
 浅田さんも類似を感じている。「長く周縁に置かれていた極右が政治の土俵に上がってくるのはフランスだけの現象ではありません。例えば森友学園問題です」。幼い子どもに教育勅語を暗唱させていた籠池泰典前理事長が、戦後レジームからの脱却を目指すという[A]首相らに近づいていたことを指している。
… 』(毎日新聞夕刊4月13日)

『2020年の東京五輪開催に反対する人たちがいる。市民グループは東京でデモを続け、大学教授らは「反東京オリンピック宣言」という学術書を出版した。大きく取り上げられることが少ない、人たちの声を聴いた。
 1月下旬の日曜日、東京・原宿は人であふれていた。その一角、正午過ぎの表参道で、市民団体「反五輪の会」のデモに参加した約80人が「返上しようよオリンピック」「被災地置き去りオリンピック」と声を上げた。
 周りを制服、私服の警察官数十人が取り巻き、発言や行動をメモやビデオで記録する。表参道交差点では一部の参加者と警察官がもみ合いになり、大勢の通行人が遠巻きに眺めていた。
 都内に住む会社員の30代女性は、ツイッターでデモを知って参加したが「警察官の数にびっくりした」。福島県南相馬市の出身で「震災の避難者もまだたくさんいるのに、五輪に膨大なお金が使われるのはおかしいなと思った」。
 反五輪の会は、都立公園で暮らす野宿者の小川てつオさん(46)らが13年に結成。きっかけは、五輪招致や施設建設のために野宿者の立ち退きが進んだことだった。約20人のメンバーがブログなどで呼びかけ、デモやイベントを続ける。
 13年の五輪招致団の帰国報告会で抗議行動をした時には、観衆から「非国民」と声が飛んだ。小川さんは「それだけ五輪には反対できないという意識が、みんなに入り込んでいるんじゃないでしょうか」と話す。
■あふれる開催同調の言葉
 リオ五輪に沸いた昨年8月、「反東京オリンピック宣言」という学術書が出版された。新聞やインターネットの書評で紹介され、すでに約5千部が売れた。
 小笠原博毅(ひろき)・神戸大教 授(48)=社会学=が「東京開催に同調する言葉が社会にあふれ、反対の声を上げる自由が失われつつある」と企画。研究者や海外のアスリートら16人が、 震災復興への財政的な弊害▽テロ対策としての市民の監視強化▽再開発による貧困層の追い出し――などの論点で寄稿した。
 初めに企画が進んだ出版社では経営会議で没になり、社員1人の航思社(こうししゃ)(東京)に話を持ちかけた。大村智社長(47)は「全く売れない懸念もあったが、大手メディアでは反対意見が見られない。異なる議論を示すのが出版の役割だ」と請け負った。
 著者らは出版後、議論を広げる催しを重ねる。大阪市浪速区のジュンク堂書店難波店では昨年9月に講演。書店の在り方に関する著述を続ける福嶋聡(あきら)店長(58)は「五輪に水を差す意見は少数。だからこそ議論のきっかけに、この本を知ってほしい」と話す。
 著者の1人の鵜飼哲(さとし)・一橋大教授(62)は1月、市民らと「オリンピック災害おことわり連絡会」をつくり、結成集会に約140人が参加。「五輪に疑問を持つ人が、広く関われる社会運動にしたい」と話す。
■過去には五輪返上も
 東京の次、24年の夏季五輪はパリ(仏)とロサンゼルス(米)が招致活動を続ける。ブダペスト(ハンガリー)は2月に撤退を表明し、ローマ(伊)は昨年、招致反対を公約に掲げた市長が当選して取り下げた。ハンブルク(独)も15年の住民投票で反対が上回り、立候補を取り下げた。
 過去には開催決定後に返上した都市もある。デンバー(米)では76年冬季五輪の決定後、財政負担や環境破壊に市民が反発。州民投票の結果、52万対35万の大差で返上が決まり、64年に開催経験のあるインスブルック(オーストリア)に急きょ変更された。
 98年の冬季長野五輪をめぐっては、長野市の染織家江沢正雄さん(67)ら約20人が、開催決定前の89年に反対グループを結成。施設整備の財源や環境破壊への懸念がきっかけだった。
 同年の市長選で江沢さんの妻が反対を訴え立候補。政党推薦なしに投票者の12%、約1万5千票を集め、大会当日までデモや勉強会を重ねた。
 一方、自宅や事務所には「出ていけ」などと匿名の電話があった。選挙ポスターの印刷や集会での施設利用を断られたこともある。江沢さんは「選挙で の訴えやデモは民主主義で当たり前のことなのに、五輪反対は過激な意見のように扱われ、異議を言いづらい雰囲気があった」と振り返る。
 長野五輪では約1千億円かけて6施設を整備。長野市は今も年間約10億円の維持管理費を支出している。
 …』(朝日新聞5月4日)

2017年フランス大統領選挙の後で
坂倉準三に関する興味深い記述が終わりの方にある。

『[A]首相は東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年を「新しい憲法が施行される年にしたい」として憲法改正の目標期限と位置づけた。ただ、国際オリンピック委員会(IOC)は「スポーツと平和の祭典」の政治利用を禁じている。五輪をてこにした憲法改正は、五輪の精神にかなうのか。
 「20年に向けてさまざまな目標を立てている。日本が新たなスタートを切る年にしたい」。首相は9日の参院予算委員会で五輪と憲法改正について語った。これまでも五輪に関連する形で政策課題に言及してきた。
 13年9月、ブエノスアイレスのIOC総会で「(福島第1原発の)状況はコントロールされている」と発言。汚染水対策をアピールし、招致の実現につながった。その後はたびたび「復興五輪」に言及。「野球・ソフトボール」の一部の福島開催は首相官邸の意向が働いたとされる。
 だが汚染水はIOC総会の前月、約300トンが海に流れ出ていた。現時点で溶け落ちた核燃料の正確な状況すら分かっていない。福島県浪江町から避難し、福島市の災害公営住宅に暮らす元原発作業員の今野寿美雄さん(53)は「廃炉の見通しは立っていない。2週間の五輪に何兆円も使うのに、自主避難者の支援は打ち切られた」と復興施策に疑問を投げかける。
 「共謀罪」の成立要件を改める組織犯罪処罰法改正案を巡っては、首相は今年1月の衆院の代表質問で、成立しなければ「五輪をできないと言っても過言ではない」と語った。この問題に詳しい山下幸夫弁護士は「首相はもともと治安の良さをアピールしていた。五輪と結びつけるのは飛躍だ」と語る。
    ◇
 これまでも五輪は政治に翻弄(ほんろう)されてきた。1936年のベルリン五輪はナチス・ドイツの国威発揚に利用され、80年のモスクワ五輪ではソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して日米など各国政府がボイコットを決めた。
 「スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する」。五輪憲章はこう規定しており、東京都とIOCの開催都市契約にも「本大会をオリンピック・ムーブメントの利益以外の目的で使用しない」と盛り込まれた。
 首相は16年8月、リオデジャネイロ五輪の閉会式に「マリオ」に扮(ふん)して登場し、東京開催をアピールした。五輪憲章は国家元首ですら開会式や閉会式で宣言する言葉を定め、政治色を排除している。大会組織委員会の[M]会長は近著「遺書」で自ら首相を起用したことを明かしたが、スポーツ評論家の玉木正之さんは「計画した組織委も、それを許可したIOCも憲章違反と言わざるを得ない」と語る。
 果たして五輪と政治の関係はどうあるべきか。玉木さんは「アスリートを応援するのは当然で、五輪には反対しにくい。五輪に絡めて憲法改正を持ち出すのは巧妙だ」と指摘。「五輪はスポーツの祭典として独立しているべきだという感覚が全くない。政治はスポーツをサポートする役割に徹するべきだ」と語った。』(毎日新聞5月11日)

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2017/5/12

ぺリアン  

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いつものこと、どうしようかなと思って手にしない本に限ってあとで読む必要が生じる。さて、シャルロット・ぺリアンに関して知りたくなって本を探しているうちになんで知りたくなったかを忘れてしまっていた。この記憶力のなさはどうしたものか。
ほそぼそとした記憶を辿っていくと、松隈洋(さん)の『ル・コルビュジェから遠く離れて』がその動機だったのではないかと。さてはて。

この本を読んでいると彼女の記憶力、その衰えを知らぬ頭脳の明晰さに驚かされる。原書が1998年。90代半ばである。ジェイコブスもリホツキーも、女性はすごい。
そして坂倉準三についても、もっと知りたくなる。ぺリアンがSakaと愛称で呼んだ日本人。それとセルト。ただ日本ではセルトについての資料があまりないように感じる。セルトだけでなくスペイン語圏、南米もだが、英語文献に偏っているのではないだろうか。

さてと、棚に眠っているセルトの08年の本を引っ張り出してみよう。

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2017/5/5

アデーレ  



ベルデべーレの壁面にその肖像はあった、訪れた時には。そして今はないということ。その間になにが起こったのかを映画は教えてくれる。

旅行ガイドに、大英博物館が略奪によって成り立っているのに比し美術史博物館はハプスブルク家の遺産であることにオーストリア人は誇りを持っているとかの記述があったように記憶しているが、それを語れるのはナチスによるオーストリア併合以前まででしかない。なぜなら、彼らは自らの国から自分たちの隣人を排除することによって自分たちを略奪者へと貶めてしまったのだから。そして戦後自らがナチスによって占領された被害者であると強調することで自分たちの罪を意識の中から隠蔽しようとしたのだから。




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2017/5/2

サンドラ  



主人公の憂鬱な表情から物語は始まる。そして追い打ちをかけるように失業の危機が襲ってくる。

この場所はどこなのだろう。勝手にフランスだと思って観ていたが。地方都市、あるいは衛星都市なのか。画面から地中海の乾いた空気感が伝わるようだ。主人公はしばしば抑うつ剤を口にし、そのたびに水を飲む。あるいは外で購入したペットボトル。なにか観ているこちらも喉の渇きを共有する。

マリオン・コティヤールが疲れた主婦、母親を演じている。たぶん30代前後。どこにもいそうな痩身の女性。痩せていて長身だから余計にかぼそ気な雰囲気が強く纏わりつく。

たぶん職場のトラブルでうつ病を発症し、工場はこれ幸いと人員削減を図る。職場の問題はブラック企業にとっては潤滑油だ。ジュリエットだけが味方だ、それと家族。家族は彼女を見放していない。そこが救いだ。
次の月曜日に従業員の投票でサンドラの雇用継続かボーナスかを決めると社長に認めさせたとジュリエット。この投票もひどいものだ。従業員の間にボーナスという餌を投げて選ばせる。だがこの投票で自分に投票してくれる人を確保しないとサンドラは会社に生き残れない。彼女は夫に背中を押され、従業員たちの連絡先を住所を探し訪ね、自分を残す方に投票してくれるよう頼んで廻る。そんなことをプライドが邪魔してなかなか言い出せないサンドラ。絞り出すように頼む姿。寛容さに喜び、裏切りに沈む。必ずしも日頃の仲の良さが結果には結びつかいない。

一番感動的なのは臨時雇いでしかないアフリカからの移民青年が会社の脅しに怯えつつもサンドラのために投票しようとしてくれる姿勢だ。自分も家族がいて、母親と小さな妹が登場する、生活が苦しいだろうに。
そしてその青年の言葉が最後のサンドラの決断へと繋がっていく。


私たちは孤独ではない、私は孤独であっても。

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