2008/12/4

今度は肝臓に・・・  治療
もう1ヶ月になるのだが、
実は肝臓に乳癌の転移が分かった。

前回の骨の転移と違うのは、
進行が少し早いようだ。
分かった時には肝臓が1.5倍ほどに腫れて腹水も溜まっていた。

そんな理由で、主治医の選んだ薬もいつもと違った。
取り急ぎ強い抗がん剤を点滴で投薬することになり、3週に1回通院して点滴をする。
先日二回目の点滴が終わった。

副作用はかなり強いと脅かされていたが、だいぶなれてきた。
疲れやすい、お腹が圧迫されるなどの肝臓の症状も以前に比べれば慣れてきている。
食事も随分摂れるようになったし、精神的にも安定しているような気がする。

こうしてブログに向かうことも、出来るようにもなりました。

引き続き、頑張って闘います。
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2008/10/17

さよならS馬さん  
ついこの前まで隣の席で一緒に働いていたS馬さんが
亡くなってしまった。



この3月会社を辞められて少ししたら肺がんがみつかり
前向きに治療していた矢先。

肺がんのリスクのひとつである血栓が足に出来、
それが脳に飛んでしまったらしい。

直接の原因は脳梗塞。



抗がん剤と闘って、
まだまだ生きるはずだった。


まだまだ、馬鹿な話しをしたり
許せないことを批判したり

好きなお酒を飲み、
好きな船に乗って風に吹かれるはずだったのに。




在籍中、私は彼の存在に支えられていた。
理論的で、冷静で、物知りだった。

冗談が好きで、後輩を愛した。
自分より大きな相手と闘った。

センスの良い人だった。



S馬さんが天国に召され、
全ての苦しみから解放されますように。
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2008/6/20

行ってきましたニューヨーク  旅、それは人生なり
バタバタと、
色々ありましたが
おかげさまで無事に行ってきました〜〜
帰ってまいりました〜〜

憧れのニューヨーク。
行くだけで満足だったニューヨーク!

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JFK空港のすぐ外です。
感慨深い、景色でした。

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地下鉄を降りて地上に出た時の景色です。
感動しました。

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わくわくしましたっ。

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ロックフェラーセンターですよぉ。

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ロックフェラーセンタービルですっ!

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上から見下ろしちゃいました。

続きはまた。。。
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2008/6/20

育ちました  さとちんの木
そうなんですよ、
お水をあげたら
急に、
すくすくと。

ちゃんと生きてます。
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2008/6/2

海外に薬を持ち出す時  病気と私
友人の住むニューヨークに、
急遽行くことになった。
ずっと以前から行きたかったのであるが、
なかなか時間やお金の工面が腰の重さで出来なかった。
が、今度は違う。彼女がWDCに引っ越してしまうので
最後のチャンスなのである。

ニューヨークへ行くこと。
実は私にとっては大変に感慨深いのだ。
「嗚呼、憧れのニューヨーク」・・・なのだ。
もう行きさえすればよい。
満足だ。

が、急に決まった話しなので準備も大変である。
出発まで、あと2週間。
まずは病気のことが心配なので、主治医に報告。
いま調子が良いので心配は要らないとの見解。
嬉しいことだ。
次々と準備を進める。
ある朝、主治医の居る病院から
自宅に電話がかかる。

「服用薬の輸出入に申請が必要です。役所に問い合わせてください」
あ。確かに、私が飲んでいる痛み止めは、医療用の“麻薬”だ。
勝手に持ち出したり持ち帰ったら、大変なことになってしまう。
早速最寄の役所に電話する。

区役所。

    ・・・わからないという。

厚生省か外務省だと思う?といわれる。
両方に問い合わせよう。

外務省。

    ・・・分からないという。

厚生省。

    ピンポーン!
    担当部署の直通電話を教えてくれた。
    関東地方、信越地方の全ての処理を
    ここで行っているらしい。

早速説明書類をファックスしてくれた。
行きと帰り、申請書二通。
それから医師の診断書。
必要な書類はこの3通である。

早速医師の診断書をもらいに行く。
2通の申請書を書いて、
診断書とともにファックス。

しかし、出発までに間に合うのか!?
不安だな〜〜
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2008/5/20

回想・・・・・・入院同期、後輩  原発の頃
入院中、もう退院も間近になった頃
ふらふらと病棟内を散歩していたとき
個室の外から、どうも知っているような雰囲気の人を見かけた。
まさか。
ドアの横に貼ってある名札を見ると
「あーーー!●●さん!!!」
彼は私をこの病院に紹介してくれた
お店の常連であり、私をこの病院に入院することを
強く勧めてくれた医師の親友でもあった。
いわゆる実業家で、毎日毎日忙しく
お正月に具合が悪くなって、緊急手術となったそうである。
さすがに症状が出てからの治療は辛そうである。
思いがけない再会に感動するのは元気な私だけ。
彼は痛みと苛立ちの中にあって
それどころではなさそうだ。
立ち話も早々に引き上げて、また出直すことにした。
その後彼も回復するにつれ元気を取り戻したので
訪れては本を貸し借りしたり、病気話しに花を咲かせたりした。
そして、私が退院した後には頼まれた物を買って
通院のついでに届けたりもした。

彼と私は入院仲間の「同期」となった。


それから三年ほどで

今度は紹介してくれた夫婦のお母さんの方が乳がんになった。
いきさつはまた話すが、いろいろあって入院、手術。
今度は私の後輩となった。


人生、何が起きるか分からないのである。
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2008/5/16

回想・・・・・・案外今は幸せだけど。  原発の頃
入院している間は
「何故癌になったのか」という話題が
多く取り上げられた。

大部分の人が
「ストレスね」と断言した。
「そうそう。ストレスに決まってる」
そう。ストレスの無い人は居ないのである。

癌が発生し、
自分の免疫力で制することができなかった、
そして何らかの症状で癌の存在が分かった人々。

私の部屋は早期から手遅れまで、
全員が初発の癌だった。


私はそのときからずっと、今でも、
癌になってしまった理由を考えているような気がする。

考えても分かるものではない。
思い返せるものでもない。

でも、何かの折に「あ、こういうの身体に悪い気がする」
「こんなことしてたら病気になっちゃう」
「こんな楽しいなら病気も治る」


という具合に、じっくり反省をしながらの毎日を過ごす。

幸い、手術後10年目にして
手術前とおなじ職場におり、仕事に向かう姿勢は変わったものの
仕事の内容は同じである。
だから、毎日
こんな風に過ごせている。
病気になったのも案外幸せ、なのかもなぁ・・・。
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2008/4/22

回想……傷口のこと  原発の頃
主治医からは、細胞検査の結果によっては
再手術で全摘に切り替える
と説明を受けたが、
少しでも残せるのなら・・・という気持ちで温存手術を望んだ。
乳頭に近い場所に出来た癌であったが、外側に広がっているものだったので
乳頭の切除は免れたそうだ。それでも乳房の4分の1を切除された。
また腋の下のリンパ節にもメスが入った。

術後の傷の痛さは暫く続いた。
一年だったか、二年だったか、記録をしておけばよかったと
今更思う。いつまでもしこりはあったし、痛みもあった。

入院中は、ガーゼを止めるテープに皮膚が反応して、
周辺が赤くなったりかぶれたりしたので
次々に低刺激のテープに変わって行った。
最終的には一番刺激の少ない絶縁用のビニールテープになったので
毎日好きな色を選ばせてもらえた。(T先生懐かしいなぁ)
そうやって楽しく過ごしている間は、現実を見なくてもよかった。

「胸帯」という特殊な大きな包帯があり、病院の売店で入手する。
傷口をガーゼで覆った上から、その胸帯をする。さらしの胸版というくらい
何重にも巻き、しっかりと守られてとても安心感がある。
しかも看護士さんや医師達の優しさに守られている。
入院中は、幸せだった。

退院後、45回の放射線照射を受けた。
一日一回の照射でたったの五分間なのだが、
数日経つと放射線の当たる場所が火傷のようになってくる。
そこにもらった塗り薬を塗る。
病院でも塗ってもらうのだが、自宅でも塗らなくてはならない。
薬を塗りながらも、その場所を自分の胸として客観的に見つめられなかった。

放射線照射が終わって、傷口に痛みが無くなっても
半年くらい傷口を直視できなかった。
ずっと鏡を見なかった。
ちいさくなって歪んで変形した乳房を、
ようやく自分の乳房として受け入れらるまで、
2年か、ひょっとしたら3年くらいかかったと思う。
もちろん今ではこれが私の胸であるから
いとおしく見つめているけれど。

独身者は、どこまでいっても一人で受け止めるのである。
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2008/4/11

回想……病院スタッフ続き  原発の頃
優しい人だった。いや、みんな優しいので、この表現は適切ではない。面白い人だった。可愛らしい人だった。そのくらいしか覚えていないし、大抵好きな理由などうまくいえないものであろう。

だが確実に好きになっていったし、彼と話したり、会ったりすることが楽しくてたまらなかった。

彼がこの病院の外科の医師であること以外、私は何も知らずに
勝手に気に入って、勝手に好きになって、ドキドキしたり、妄想したり
---告白はいつするべきか、退院を待つべきか、結婚したら私は仕事を辞めるべきか等---
愚かなことに、人知れず暴走していた。

ある日、隣のベッドの乳癌で先輩のBさんに思わず打ち明けた。
「わたし、T先生が好きなんです。」
反応はとても良かった。彼女にとっても、その先生が一番評価が高かった。違う意味で共感してくれたのだ。
「違うの、Bさん。私、彼にアタックしたくって。」我ながら珍しく積極的であった。
Bさんは驚いたように
「あら!?T先生、確か結婚してらっしゃるわよ?」

私の恋は、あっけなく終わりを迎えたのであった。
36歳も残り1ヶ月だった。
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2008/4/9

回想……病院スタッフ  原発の頃
「ありがたい」のである。
入院している間は、24時間体制で医師や看護師に見守られている。
枕元にはナースコールボタンがあり、押せばすぐに応えてくれるし駆けつけてくれる。
毎日毎日、痛み、むくみ、傷の状態、体温、血圧、食事の量、トイレの回数、もっと専門的なこともあるだろう。実に丁寧に管理され、愛情や癒しをたくさん頂く。
くるくるとよく働いてくれる看護師さん達の、明るさや優しさには心身共に癒されるし、
交代で訪れる数人の若い医師達にも大変大変良くしていただいた。
心から嬉しかった。入院して良かったと思った。
私は、スタッフの皆さんのことが大好きで毎日楽しく過ぎていったのだが、その中で一番好きな医師が居た…。
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