長い冬に耐えて雪解けと共に芽ばえたふきのとうの生命をいただいて、おひたしや天ぷらをつくる。ただ“おいしく食べさせて上げたい”という心を込めて料理した時、そのふきのとうの生命が、“おいしさ”になって食べる人の生命を活かし、心を癒してくれるのです。
お漬物が呼ぶんです。もうこの石は重いって、だから夜中でも起きて小さい石にとりかえるんです。
放っておいたら腐ってゆく自然の生命に手を加えることに依って、別の生命となって生きていただく。お料理とは生命の移し替えなのかも知れません。
私の祈りは、“動”の祈りです。
毎日毎日の生活の中にこそ祈りがあります。
自分が喜びに満たされると、人は必ずその喜びを分かち合いたいと思うようになります。霊的な喜びこそ、人間の最大の喜びです。
人は一人では生きられません。誰かと一緒なら生きられます。
その誰かというのは、実は一人ひとりの中に宿る神様なんです。
だれもが「一人ひとりに神様が宿っている」という言葉をしっかりとかみしめれば、「自分など生きる価値がない」とは思わなくなるのではないでしょうか。
神様は、私たちの目には見えませんし、声も聞こえてこないのですが、生身の人間、肉体を通して、私たちに働きかけてくださいます。
私は、死を恐れるとか、恐れないとか、そのような気持ちはありません。今を生きることしか考えていません。今を生きることは死につながっているのですから、特別なことを考えずに、今を大切に生きています。
辛いこと、腹立たしいことがあるとき、私はまず自分のそういった思いを強く感じるようにしています。感じることを中途半端にはしません。苦しんで苦しんで、もうこれ以上苦しむことができないというところまでいくと、後は自分ではどうにもできなくなって、神様にすべてをお任せしようという心境になります。すると、必ずそこから這い上がる道が見えてきます。
神様は、身近で一緒にいる感じですね。特別ではなくて。
祈ったからと言って助けてくれる存在ではありません。試練も神様が与えてくれる。それをどうとらえるかは本人次第。
結局は、自分がどうしたいのかが一番です。
これからの時代は、何かを求めて走るのではないと思います。流れを感じ取って、その流れに沿って生きていくことが大切なのではないでしょうか。
ありがとうございます。
