前回登場した、商売に慣れない人ばかりの集まったビル。
私はここで大切なものを手に入れた。
週末の朝、開店してすぐ子猫の声が聞こえた。
ビルの表に出て見渡したが姿は見えない。
とりあえず店に戻った。
その後もとぎれとぎれに聞こえて来ていた。
さすがに午後に入ると声に悲壮感が混じるようになり、
私も本気で子猫探しを始めた。
声はどうも足もとから聞こえるようだった。ふと思いついて
ビル前の側溝をのぞいてみた。
子猫のシルエットが見えた。
厚さ10センチ程もあるコンクリのフタはどうやっても持ち上がらず、
地上で私達が騒いだせいか、子猫はどんどん奥へ入って行く。
その先は、側溝が川に合流しているはずだった。
本来なら商売のかき入れ時である週末の一日、私も寝具屋さんも
必死で側溝ばかり覗き込んでいた。
「どうしたの?」車で通りかかった人が声をかけてくれた。
寝具屋さんの知り合いだった。
事情を話すと、彼は車から大工道具のようなものを出し、なんとか溝の一番はじのアミ状のフタをはずすことに成功した。すぐ横で側溝は道路の下の本流に流れ込んでいる。
私達は相談し、反対側から水を流し逃げて来た子猫をココでキャッチする計画をたてた。子猫の声がずいぶん弱くなっていた。
「行くよー!」寝具屋さんの知り合いが水を流す。視界のハシに白っぽいものが見えた瞬間、私は必死でそれを握った。
片手に十分乗ってしまうほどの小さな子猫。ぐっしょり濡れて、もう声も出ないようだった。
「やった!」
それを見届けて寝具屋さんの知り合いは「仕事に行く途中だったー!」とあわてて車に戻った。私は気が抜けて座り込んでしまった。
それまで何も手伝ってくれなかったマルオ(前回参照)の妻がタオルを持って出て来て子猫をくるみ、自分の店に連れていくのが見えた。
「その子、飼ってもらえるんですか?」と声をかけると、あわてて戻って来た。「タオルは使って下さい」と私の手に押し付ける。
子猫はくったりしてやわらかく、どぶくさかった。
その時はこんなに長いつきあいになるとは思わなかった。
いろんなことがあったビルだったが、今考えるとこの子と出会うために入居したのではという気がする。
私の宝物は、2時間以上もがんばってくれた寝具屋さんの知り合いの名前を頂き「ワタナベ」と名付けられ、もう18になる。