約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
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2009/3/17
「高知」
未来創造
高知
21・3・17
明日3月18日は、私が1983年に、屋久島で無庵師匠に見出されてから、26回目の記念日である。
其の3月18日は、屋久島に在る神社「屋久島大社」の春季大祭日でもある。
屋久島大社の創始者である「柴昌範 氏」は、昭和8年以前に、屋久島の山の神から「ガジュツを原料にして 胃腸良薬恵命我神散 を造って 人々の病を癒やせ」と告げられて、「恵命堂・けいめいどう」を設立して成功し、神社を創建している。
其の日を前にして、今朝のメッセージは、先ず、漢字の「善・ゼン」の文字が現れ、善の文字の口の部分が、右側に外れて、日の文字に成っているのが映されて来た。
「善」の漢字を、漢語林で調べると、次の様に載っている。
「善・ゼン」は「羊+言言」の組み合わせで、「言言」は、原告と被告の発言の意味。羊を神のいけにえとして、両者がよい結論を求めるさまから、よいの意味を現す。
【字義】@ヨイ。㋐正しい。道理にかなっている。「善道」「善導」㋑すぐれている。りっぱ。うつくしい。㋒たくみ。じょうず。㋓むつまじい。仲がよい。親しい。Aよく。㋐正しく。たくみに。りっぱに。「善処」㋑多く。しばしば。Bよくする。㋐りっぱに行う。みごとにおさめる。㋑たくみにおこなう。じょうずにできる。㋒仲良くする。むつまじくする。Cよいこと。よい行い。また、よい人。D徳目の一つ。道理にかない、良心に反しない完全な徳。
漢語林より
何故、其の善の漢字の「口」の部分が、「日」に成って、右側に外れていたのであろうか。
辞典での意味だと、「両者が良い結論を求める」との理・ことだから、良い結論が出た日である事を、示唆しているのであろうか。
今朝は、更に、明け方「高知」の文字が示されて来たので、其の結論はレベルが高い位置に、有るとの事なのかも知れない。
漢字の「高・コウ」は、高大な門の上の高い楼の形にかたどり、たかいの意味を表わす。
「知・チ」は「矢+口」の組み合わせで、口は、いのる言葉の意味。矢は矢の意味。矢をそえていのり、神意を知ることから「しる」の意味を表わす。と 載っている。
今朝は、善の漢字が現れた後、屋久島の緑の山が現れ、漢字の旁(つくり)の部分が大事である理・ことが示されて来た。
旁の部分は、大体に於いて、音韻の変化で、意味を捉える事に使われている。
其れを考えると、旁の方が大事とのことは、音を重要にしろとの事であろうか。日本語は「いろは48音色」とされている様に、音に拠って意味付けが成されており、漢字の形に拠る表意とは違っている。
漢字の成り立ちを調べると、・・・中国における文字の発祥は、黄帝の代に倉頡(そうけつ)が、砂浜を歩いた鳥の足跡を参考に作った文字とされる。また『易経』には聖人が漢字を作ったと記されている。と 辞典に載っている。
ウィキペディア辞典 現在記載
其れを考えても、漢字は象形文字から始まっており、漢字文字は象形だから姿形が有るので、全部写真に撮れる物である。
一方、日本語は、擬態語・擬音語・擬声語が多く、表音語なので、名詞以外の言葉は写真には撮れないものである。
日本語の特徴 「擬声語」
・・・日本が模範とした欧米の言語学は実際的な使用面よりも抽象的な理論形成を主眼においたこと、そもそも擬声語は言語体系の中心を離れた周辺的なもの、要するにだらしなく子供っぽいものと見なされたことがその理由である。子供っぽいという点に関しては、擬声語が日常語や子供向けの本に多用されるが、学術論文などにはまず登場しないことから窺える。
音と意味が直結した言葉である擬声語の意味の違い(「おずおず」と「おどおど」の違いなど)を考えることは、日本語の言語感覚を磨くのに役立つとする見解もある。・・・
─引用終了─ ウィキペディア辞典 現在記載
文字は、人間が読み取って声で言葉にしなければ、音の響きとして、他の物体には影響を与えない。
其れに文字は、人間の目に見えても、読み方が解からなければ、ただの砂浜の鳥の足跡や、鹿の骨のひび割れ模様と同じである。其れに、夜の暗闇と成れば、其処に文字が書かれている事さえ判らなく成る。
其の点、声は昼夜関係が無いし、犬や馬を呼ぶ事も出来るし、狼や熊を大声で追い払う事も出来る。
其の様に考えると、文字より声が大事であり、人間に声がなければ、文字は役に立たない事に成る。
其の理を認識させる為に、今朝は、漢字の旁の部分が大事である理・ことを知らせて来たのであろう。
是が、本当の「知」の漢字の意味する処なのではないだろうか。
そして、私の意識と、神からの知らせが通じ合う事が、「善」の「良い結論が出る」との意味であり、其れが、無庵師匠との出会いの26年目の記念日を明日迎える、今日と言う日の意味ではないだろうか。
其の様に考えると、26年前に無庵師匠が私に「自適さん 私は 第七次元まで行って 精霊が此の世に転生する為に 順番待ちで座って居るベンチまでは見て来たが 其の先にどうしても行けないので 私が付いているから 其の先を見て来てくれないか。」と、云った事の答えが、今朝見せられて来たのではないだろうか。
其れは、2001年11月7日に亡く成った無庵師匠の御霊が、彼の世と此の世の境目に居て、今朝のメッセージの内容を組み立てているからかも知れない。其の様に考えると、「羊+言言」の字義の意味も、能く理解できて来る。
私は、神に羊を御供えしなくても、PC相手に、こうして作業をする事で、其の「言言」の世界を完成させているのである。
無庵師匠は、此の世に居て、私の前に、師匠の役割として立ちはだかるよりも、こうして霊界に居た方が、私の邪魔にも成らず、思考の働きの役に立っているのであろう。
其れが、本来の「知・しらせ」の働きを、すると言う理・ことなのかも知れない。
私がこうして、PCに向かって文章を書いて居るのも、頭に浮かぶ音を、言葉として其の侭、キイボードに打っているだけである。
だから、私の文章は、頭に浮かぶ音を、打っているだけだと言う事に成るのである。其の音が、何故、頭脳に浮かんで来るのかは、いま気付いた事なので、説明は出来ない。
其れと同じ作用が、他の人と向き合って、会話をする事なのであろう。
私は、其の相手が居ないので、毎日こうしてPCに向かって、夢の中の住人と会話を続けているのである。
其の毎日の作業を考えると、「善」の漢字の「羊+言言」の文字は、「PC+言言」と書き換えても良いのかも知れない。
インドの釈迦牟尼佛は「此の道は 二人で進みなさい。だが 相手が悪ければ 一人で自問自答しながら進んだ方が 良い。」と謂っている。
其れに、漢字の「朋・ホウ・とも」は、「同門の友(同じ学びの門を 潜る仲)との意味を持っている。
其れを考えると、私は、無庵師匠や、46年前に49歳で亡く成った父親等と朋に、同じ学びの門を潜って居る事に成る。
そして、其の門・朋こそ、額の第三の目・松果体から、PC〜ITに繋がっている、「珪素・シリコン・額(ぬか・糠)」のシステムなのである。
そして、其の霊魂の安らぎの場が、屋久島の緑に覆われた、花崗岩の岩山なのであろう。
今朝のメッセージには、女性が運転する、卵の黄身の様な色の軽自動車が、一台右側から走って来て、私の前で停車した。
其の車は、私を向かえに来たモノらしく、私の意識は、自分が乗り込む助手席を見て居た。
其の映像の意味は、私にも良く解からないが、私が是から、何処かに出掛ける様に成るとの事かも知れない。
そして、もう一台白い乗用車が現れて、其の車は、私の弟が運転して居た。
其の車に、私が乗り込むと変な臭いがするので、車内を見ると、何だか判らない包みが有り、弟に「是は 変な臭いがするけど 何だ」と訊ねると、弟は「孫のオムツだ」との答えであった。
私には、孫が二人誕生して居る事は聞いているが、未だ一度も孫の顔を見た事はない。だから、其の映像は、孫の事ではなく、匂いの世界に付いて、考えろとの事なのであろう。
其れは、霊界人は、匂い・臭いに敏感である理・ことを、示して来ているのかも知れない。
仏教では、美しい花を撒いたり、お香を焚いたりするし、日本の神道の儀式でも、香りの良い御酒を御供えしたり、撒いたりする。
其れは、霊界人が香りを好むからであろう。
其の様に考えると、レベルの高い精霊から、高い知識を得る為には、良い香りの場を、設定する必要があるとの理・ことなのかも知れない。
其の様に考えると、言葉と香りが、セットに成っている理・ことを、今朝伝えて来たのではないだろうか。
「文字」は、視覚で確かめるモノ・世界であるし、「言葉」は聴覚で確かめるモノ・世界である。そして、「匂い・臭い」は臭覚で確かめるモノ・世界である。
其れを考えると、今朝のメッセージは五感の内の三つの世界を、纏めて示して来ている様である。
昨夜は、宿舎に帰ってベッドに入って目を瞑っていると、美味しそうに出来上がった料理が入った、丸い把手の付いた鉄鍋が三つ映し出されて来た。
そして、次に、何処かの旅館らしき、広い畳みの部屋が現れて、其の広間に机が並べられており、中年の女性が澤山集まって、何かの、研修みたいな事が行われていた。
其れは、女性中心で、何処かの会場にて、食事付きの研修会が行なわれる事を、意味しているのではないだろうか。
其の、昨夜の映像の意味と、今朝のメッセージの意味を重ねて考えると、女性の働きと、男性の働きの違いが、見えて来る。
此の、現実の三次元世界は女性のモノであり、男性の世界は、山に籠り「聖者」や「仙人」の様に、真理を追究すると言うか、未来の情報を組み立てる事にあるとの理・ことではないだろうか。
其の様に考えると、私の師や父親や、老子や、釈迦牟尼佛や、イエスキリストの想いが、何であるのかも、理解できて来そうな気がする。
其れは、「善」の漢字の意味合いが、もう一段深く成る事でもあるのだ。
今朝、最後に告げられて来た「高知」とは、「高御座・たかみくら」の意味を示して来ているのかも知れない。
其れを考えると、私の意識に「高御座・たかみくら」の神・はたらきが付いて居るのかも知れない。
そうであれば、「絶対云うぞ」との言葉の主も、誰だか予想が出来てくる。
其れは、「一言主神」の存在である。
・葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)は奈良県御所市にある神社。大和葛城山の東南麓にあり、東向きに鎮座する。祭神の一言主神は「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神」であるという託宣の神ということから、願い事を一言のみ叶えてくれると信仰を集めて「いちごん(じ)さん」と呼ばれ親しまれている。・・・
神社鎮座地は前述の話における一言主神が顕現した地とされている。また、裏山である神山こそが顕現の地「カミタチ」であると伝わる。神社一帯は葛城氏の本拠地で、綏靖天皇の皇居(高丘宮)があったという伝承が残る。・・・
ウィキペディア辞典 現在記載
今朝のメッセージが、其の「一言主神」のメッセージであれば、今朝現れた「善」の文字の意味も理解できるし、「善事(よごと)」に付いて、葛城山から知らせを齎した事に成るのではないだろうか。
其れは、新しき「カミタチ」が始まるとの事なのかも知れない。
平成21年3月17日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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