約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
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2009/10/10
「大日如来を育てる」
未来創造
大日如来を育てる
21・10・10
本日の日付は10月10日で、数霊的には「十十」「とうとう完成した」の「とうとう」や、「重々認識した」の「じゅうじゅう」に当てる事が出来る。
そして、何が完成したのかを考えると、私が、此の世界の「達人・タツジン(たっしたひと)」と言うか、「至人・シジン(いたったひと)」の立場に、「疾う疾う」到着したとの事に成る。
其れは、老子の謂う「嗇(しょく)にしくはなし。(天の働きは 種子を蒔いて 育てて収穫する。それしか無い)」の意味が、完成した事に成るのだろう。
何故、私が、其の様に考えるかと謂うと、8日の「礒邉自適に仕えろ」の言葉と、昨日9日に、神の赤子を預けられたメッセージが、有った事に拠るものである。
「礒邉自適に仕えろ」との意味は、「神の子」を育てる為に、礒邉自適に協力をしろとの事であって、礒邉自適に従来型の権力が、与えられた譯・わけではないのである。
其の「神の赤子」とは、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の事である。
「大日如来」とはインドの「マハーヴァイローチャナ・摩訶毘盧遮那」の訳であり、其れは「宇宙の真理の本体」の意味だから、宇宙に「大日如来」が人間の姿で存在する譯・わけではないのである。
だから、大日如来とは、人間の頭で考え出したイメージで、其の「イメージ・幻影」に名前を与えただけに過ぎないのである。
そして、其の「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の本体は、私が、昨日達して居た「電磁波の電子糸の糸車・紀」の中心軸だったのである。
そして、其の糸車の中心軸が「天御中主」との名前であり、其の働きが、人間に収まった姿が「ブッダ・佛」であり、「すめらのみこと・皇帝・すめらぎ」なのである。
チベット曼荼羅の始まりは、其のブッダの存在を、枝が茂る樹木の中心に据えている。
そして、左右に「月光菩薩」や「日光菩薩」を住持させて三佛とし、更に其れに上下が加えられて4菩薩+1佛=5体曼荼羅と成り、更に、倍の8菩薩+1佛=9体曼荼羅・九葉曼荼羅となっている。
其れから、更に数が増やされ、現在の「金剛界曼荼羅・西」と「胎臓界曼荼羅・東」の、両部曼荼羅が作成されたのである。
だから、其れ等の曼荼羅も、実際に、其の様な仕組みが宇宙に整っている譯・わけではなく、人間が頭で創り出したモノ・世界なのである。
其れは、最初は、大きな木の四方八方に拡がる枝の模様に、釋迦牟尼佛の謂う「縁・エン」を当てた物で、其れは、人間の脳の中にある「DNA・遺伝子」の電気的思考システムを、意識の外側に投射した物に過ぎない。
其の、人間の脳の働きである、電気的思考システムが、昨日、私の意識の中で本番を迎えたと言うか、本来の働きを取り戻したのであろう。
其の様に考えると、昨日のメッセージの映像に現れた何万羽の渡り鳥は、飛び散っていた私の「いのち・情報」が、源に帰って来た理・ことを意味し、私の62年間の人生の旅は「終結・完成」して、赤子の次元に「帰る・祷り・帰命・リリジョン・religion」した事に成るのだろう。
そして、私は、自分を育て上げた、三つの働きを思い出そうとして居たのである。
その三つの世界こそ、大日如来の三密である「身・口・意」の世界なのである。
其の「身・口・意」とは、身が「身体・健康」で、口は「言葉・知識」であり、意は「こころ・精神」の理・ことである。
人間は、死ぬ時に「身体・肉体」は地上に置いて行く。
そして、「知識・記憶」と「精神・魂しい」は分離して、他の次元に移るのである。
そして、新たに生まれて来る時に、約3kgの肉体と、神の「こころ・心・精神」を携えて、此の地上に生まれるのである。
そして、其の時代の知識を集め、新たな「大日如来・マハーヴァイローチャナ」を、自らの内に組上げて行くのである。
其の為の舞台が、此の、美しい環境に恵まれた地球なのである。
此の、礒邉自適と名づけられた一個の個体は、62年前「霊留・ひと」として、此の世界自然遺産に登録された屋久島に生み落とされ、神の働きに拠り、新しい「身・口・意」を組み込まれたのである。
其れが、此処3日間で極みに達し、糸車の「芯・紀」が、現れ出て来たのであろう。
「大日如来・マハーヴァイローチャナ」とは、「宇宙の真理の本体」との意味である。
其の「真理の本体」こそが、釋迦牟尼佛の謂う「縁・エン」であり、日本の神道の「結び・注連縄」の意味であり、海原の生命進化のルーツである「素戔鳴・スサの尾・クサの穂・生命の鎖・いのちの連鎖」の情報の素・もとなのである。
何故、「素戔鳴尊・すさのおのみこと」が鼻から生まれたとされているのか、其れは、鼻が動物の身体の最先端に有り、生命情報の突端だからである。
日本語には、「目から鼻に抜ける」との諺が有る。
其れは、最も聡明で、物事に対する「選択・チョイス」のスピードが速い者の謂いである。
何故、聡明な者が賢いのか。
其れは、「生命情報・魂しい」が、宇宙の全て・森羅万象に繋がっているからである。其れは、最高レベルの大型コンピュータと同じ原理である。
だから、蓄膿症で、鼻のクーラー・冷房が効かない、記憶力低下の人間とは反対で、焼き付きや、固まる事の無い、優秀な電気信号処理システムを有した人間が、「大己貴(おおなむち)・大物主(おおものぬし)」なのである。
「大己貴(おおなむち)」は、「大蛇・おおなむち」で、奈良の「三輪山・三室山・神奈備山・ピラミッド」に棲む蛇である。
何故、其の「大蛇・おおなむち」が「大物主」や「大国主命」との別名であるのか。
其れは、其の人達が釋迦牟尼佛と同じく、「大山祇神・おおやまの巳の神」の意識に目覚めて居たからである。
何故、人間の「命・みこと」と「蛇・巳」が関係有るのか。
其れは、人間の意識の本・もとに、蛇や蜥蜴と同じ記憶を有する「古皮質・古代脳」が存在するからである。
其の、古代脳の働きを取り戻す事が「悟り・覚醒・成仏」なのである。
だから、「天御中主」や「大日如来・マハーヴァイローチャナ」とは、宇宙に存在するのではなく、自分の頭の中に存在するのである。
何故なら、自分の脳の中になければ、其れを感知する事も、思い出す事も出来るはずが無いからである。
だから「ブッダ・仏」に成る・成仏する為には、「覚醒」が必要とされるのである。
さて、今朝のメッセージの映像は、先ず、30代の男性が三人現れて、其の男性に農作物を育てる作業を、私が教え・薫陶して居た。
其の三人の男性は、飲み込みの早い者、普通の者、遅い者の差があった。
次に場面が変わり、今度は、女子高校生が三人現れて、私は其の三人を修学旅行に連れて行き、様々な地域の生活文化を見せて居た。
其れは、家庭科の授業の一環である様に想えた。
そして、其の三人にも、飲み込みの早い者、普通の者、遅い者の差があった。
此の二つの場面は、男子には大学を卒業しても、農林漁業や大工等の現場作業の実地教育が必要であり、女子は高校生の時から、衣食住の家庭科の授業を、みっちりと教える必要がある理・ことを示しているのであろう。
女性にとって一番大事な役割は、子供を生んで育てる事にある。
だから、余計な学問をする事より、衣食住の事に付いて、しっかり知識と技術を習得し、何時子供が生まれても、育てられる様に成っていなければ成らないのである。
何故なら、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の真理は、健全な「身体・肉体」が一番重要だからである。
健全な肉体が維持できなければ、他の「口・知識」や「意・精神」を習得できないのである。
そして男性は、自分が生きて行くだけではなく、妻や子供を守って行かなければ成らない。
其の為には、丈夫な肉体を持ち、知識や技術を身に付け、社会全体を護れる精神を養わなければ成らないのである。
そして、自分の子育てが済んだら、「公・大宅・おおやけ」の立場に立ち、「政・まつりこと」に関わりを持たなければ成らないのである。
処が、現代社会の有様は、大学を卒業した女性が、飯も炊けない状態であり、赤ちゃんのオムツの取替えも出来ない有様である。
私の母方の祖母は、14歳で嫁ぎ、子供を五人育てている。
其れは、小さな子供の頃から、母親の真似をしながら、「ままごと・飯事」をして居たからであろう。
女の子は、子供の頃から、人形の着せ替えや、お守りをし、飯事をして居れば、学校に行かなくても、主婦が務まったのである。
処が、現代社会では、0歳から施設に預け、他人任せである。
其れでは、誰が育てた子供なのか判らなくなるし、先祖代々伝わるの家風などは、消えてしまうのである。
其れは、一般家庭だけではなく、日本国の伝統文化を伝えなければ成らない天皇家でも、同じ様な状況に至ってしまっているので、国民の手本と成るべき対象が失われてしまっているのである。
其れは、昭和天皇が、皇太子の教育係にキリスト教の信者である、婦人を選んだ事にも原因があり、現在の天皇家の人々は、公には神道を継いでいる様でも、個人的な信仰は「キリスト教」に傾いているのではないだろうか。
そうでなければ、私に、代々の天皇霊が頼って来る譯・わけがないし、此の様なメッセージが、毎日送られて来る事もない筈だからである。
其れは、天皇家ばかりではなく、宮内庁や神社庁にも責任が有るだろう。
其れに、全国の神社の神職や、お寺の坊主も、本来の役割を果たしていないからである。
天皇に成る事が決まっている皇太子が、「雅子の人格が・・云々」とかの個人的な事を公の場で云ったり、神社の宮司の跡継ぎに成るべき者が、巫女さんを乗せてモーテルから出て来て、交通事故を起こす様では、世も末である。
其のような有様なので、手立てとして、新しい大日如来の赤子を、私に預けて来たのであろう。
其れは、新しい「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」と成るべき御霊を育てる為に、鳳凰がコウノトリに頼んで、私に赤子を届けさせたのであろう。
しかし、愚痴を謂って居ても仕方のない事である。
私に、神の赤子が預けられて、其の育て方まで示して来ているのだから、何とかしなければ成らない。
其の方法が、昨日示された三通りの世界と、今朝映像で示された、男女の育て方の違いであろう。
現在の学校教育の有り方は、男女同権の考えに拠る男女共学体制であり、男女雇用機会均等法までが創られ、男女の差を無くそうとしている。
皮肉にも、其の成果が上がり、女性は、結婚して子供を生み育てる事を止め、男性は腑抜けに成り、役に立たなく成って来ている。
最早「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の御霊を宿す器に成る様な、人物・大物主・大己貴を育てる環境など、何処にも無い様に想われる。
では、私は、預けられた「神の赤子」を、何処で、どの様にして育てれば良いのであろうか。
其の為には、「身・口・意」の「身体・肉体」「知識・記憶」「精神・魂しい」が育つ環境を整えなければ成らない。
其の為には、先ず、人間の「死」と「誕生」に付いての理論を、明らかにする必要があるだろう。
死は、人生の結末であり、誰でもが、否応なく体験する事なので、ほって置いても問題はない。
今生で悟れなければ、何百回でも生まれ変わって、修行を続ければ良いのである。
処が、誕生と、生育に付いては、現世に居る人間に責任があるのである。
其の責任を、私に執れとの事が、此処数日のメッセージの内容であろう。
其の手立ては、三つの方向性や「3・三」の数字にあるのだろう。
三は、「三宝」や「三身一体」や「三権分立」「三顧の礼」等の事柄に使われ、「住吉三神」や「宗像三女神」などの神の名にも使われている。
そして、中国の老子の言葉には「始めに一が有り 一から二が生まれ 其の二から三が生まれ 三から全てが生まれた」と有る。
其れ等の事からも、先ず、物事の理・ことわりを、三つに分けて、考える必要があるだろう。
其の為にこそ、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の三密の教えは、有効な手立てに成るのではないだろうか。
私は1997年から、二年間出雲に住み、新しい国造りの為に「安部忠弘氏」の協力を得て「出雲学びの家」を開設し、学びの為のカリキュラムを作成した。
其の基本として、「大日如来」の三密の考えを基礎にしたのである。
そして、其の初めての学びの会合日は、奇しくも弘法大師空海の命日である3月21日だったのである。
・屋久島自適塾の案内のサイドメニュー「ひとの行き方」「カリキュラム」に有ります。
http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/yjj/top.html
ようやく「時節・トキ」は準備期間を終え、新しいパラダイム-シフトへと移行するのではないだろうか。
其の魁・さきがけとして、私に、森羅万象の源から、こうして毎日、情報が送り出されて来ているのであろう。
今日の題を、「大日如来を育てる」としたが、其れは、何も大袈裟な言謂いではない。
何故なら、宇宙の真実・ダルマ(法)が存在するからこそ、私達の生命が存在するのである。
其の大日如来は、自分の内側に内在するのだから、自分が、正しい「道・タオ」を生きて居さえすれば、大日如来を育てている理・ことに成るからである。
平成21年10月10日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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