約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
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2010/8/16
「一品宝珠・いっぽんほうじゅ」
未来創造
一品宝珠・いっぽんほうじゅ
22・8・16
私は、此処阿波徳島に来て、26年前屋久島で、何故自分が白い石英の線が入った石を、集め始めたのかが理解出来て来た。
其れは、古代社会で神事を司る「忌部・斉部・いんべ」の神霊が、私の身体を使ったからである。
今朝のメッセージは、私の意識が、更に深い処に触れている感じが有った。
其れは、屋久島の山岳に祭られている「一品宝珠大権現」の名を、明らかにするモノなのかも知れない。
今朝のメッセージは、空海の意識が螺旋を巻きながら回転すると、中心に日蓮の意識が立ち上がるのである。そして、其の同じ場面が、三度繰り返し映し出されて来た。
同じ場面が、三度繰り返し映し出されて来るのは、ある事柄が、決定した事を示唆しているのであろう。
其れは、協や轟・聶・畾・晶・森の漢字の、組み合わせにも使われる様に、物事を強める・強調する時に、三の重なりが使用される事が、関係あるのかも知れない。
其れに、「三顧の礼」の言葉や、「仏の顔も三度まで」などの諺も有る。
其れと、13日には「愉伽さん」のビジョンに、岩戸の割れ目から、ピンクの小石が生まれて来る映像が、三度繰り返し映し出されて来てもいる。
今朝、繰り返された空海と日蓮の関係を考えると、空海の意識が、外側で螺旋回転をし、内側に日蓮の意識が立ち上がる意味は、中心が「南無妙法連華経」であり、外側が密教の空海の「真言・マントラ」であると言う理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
日蓮が唱えた「南無妙法連華経」とは、「帰依します 釈迦の法華経に」との意味である。
其れに対する、空海の行法は密教である。
其の「法華経」と「密教」は、元は、仏教である釈迦の教えであるから、両方が合体出来るのは、当然の事であろう。
しかし、何故、法華経に帰依する日蓮の意識が中心で、密教を信じる空海の意識が、外側を回転するのであろうか。
其れは、密教の訓えよりも、法華経の訓えが中心である理・ことを、示唆しているのであろう。
其の原因を考えると、密教は、マントラを唱える事が重要な行法に成っているが、法華経では、言葉を使う事を止めろと説いているからではないだろうか。
何故なら、言葉を使うと言う事は、思考を動かす必要があるからである。
其れに付いては、法華経の訓えの十二縁起に書かれている。
「法華経の十二縁起」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/332.html
其れと、今朝のメッセージのもう一つのテーマは、其の動きが螺旋であり、中央が立ち上がって尖っていた事である。
其れは、橋の欄干柱の頭や、雅楽に使用される太鼓の形でもあり、イエスキリストの十字架の頭にも付いている、「宝珠」の形でもある。
そして、其の形のマークは、神山町の神社の社に納められている木槌に描かれている印でもあるし、奥聖氏の写真に多く撮られている形でもある。
其れに、13日に参詣した「高越神社」の拝殿の垂れ幕は、其の形が三個、神棚に置く三方に乗せられている絵柄であった。
いまPCで「如意宝珠」を検索すると、空海と日蓮の名前が出て来た。
其れは、両者が「虚空蔵菩薩」を信仰していたからである。
・「虚空蔵菩薩」空海が室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったという。また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三詣りという行事が行われている。 胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の主尊であり、密教でも重視される。
・「如意宝珠」如意宝珠(にょいほうじゅ チンターマニ 梵)とは、仏教において様々な霊験を表すとされる宝の珠のこと。
チンターとは「思考」、マニは「珠」を指す言葉で、「意のままに様々な願いをかなえる宝」という意味である。
日本では一般的に、下部が球形で上部が円錐形に尖った形で表されるが、チベット仏教の宗教画などでは円柱形で上部が円錐形に尖った細長い形で描かれる。また、3つの宝珠が積み重なり(一般には下に2個横に並び、その上に1個乗った形)一つの火炎に包まれた物もあり、これは三弁宝珠と呼ばれる。
その無限の価値から仏や仏の教えの象徴とされ、地蔵菩薩や虚空蔵菩薩の持物、三昧耶形とされる。また増益の現世利益を祈る対象となる。
一説に、仏塔や仏堂の頂上や橋の欄干などの建造物の装飾として取り付けられる擬宝珠はこれを模したものである。
・「三昧耶形」三昧耶形 (さんまやぎょう/さまやぎょう)とは、密教に於いて、仏を表す象徴物の事。三形 (さんぎょう)とも略称する。
ちなみに三昧耶とはサンスクリットで「約束」、「契約」などを意味するサマヤ(samaya)から転じた言葉で、どの仏をどの象徴物で表すかが経典によって予め「取り決められている」事に由来する。
伝統的には如来や菩薩などの仏の本誓、即ち衆生を救済するために起こした誓願を示したものと定義されている。
多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶形となる。 例えば不動明王なら利剣(倶利伽羅剣)、聖観音なら蓮華、虚空蔵菩薩なら如意宝珠など。 また、通常持物を持たない如来の場合は特別の象徴物が三昧耶形とされる場合もあるが(大日如来が宝塔など)、印相を以て三昧耶形とする場合もある。
曼荼羅などの仏画では、仏の絵姿の代わりに三昧耶形で描く事も多い。よく知られている例としては、金剛界曼荼羅の三昧耶会と降三世三昧耶会がある。
〜引用終了〜 ウィキペディア辞典
これ等の説明に拠ると、今朝のメッセージは虚空蔵菩薩が左手に持っている如意宝珠に、関係が有る様である。
其れは、私に「サマヤ(samaya)約束・契約」の時節が巡って来た事を意味しているのであろうか。
私に、平成18年8月18日に、アステカの神である「ケツァルコアトル」が現れて「約束を守る」と告げられた事が、いよいよ現実と成るとの事かも知れない。
其の様に考えると、明後日が、其の日から丸4年目の日と成る。
其れに、高越山に有る高越寺では18日に、年間で最大の祭りが行なわれる。若しかしたら、14日のメッセージの映像にて、山頂で聖なる火が焚かれ、役目の霊留・ひとが集まる場面が映し出されて来たのは、其の祭りに関係が有るのだろうか。
そうであるなら、明後日の夜は高越寺の祭りに、私も顔を出す必要があるのかも知れない。
四国の山岳には、何所に行っても、必ずと言えるほど「役行者」と「空海」の像が置かれている。
其れは、四国が山岳信仰のメッカである所為であろう。
私は、13日に、高越山への道路を登り始めると、「ようやく帰って来た」との想いが、何度も感情を押し上げて来た。
其れは、高越山にいる何者かの意識が、私に長年付いて居た事を意味し、ようやくゴールに辿り着いた事を意味しているのかも知れない。
其れが、役行者か、行基か、空海か、天日鷲命の意識かは分からないが、何者かの念いが、達成される事には間違い無いのであろう。
其の感情の盛り上がりで、近くに「天日鷲命」の高越神社が有るのかと想ったが、高越神社は山頂に有り、途中に有るのは黒川紀章氏の設計に拠って建てられた「徳島県立山川少年自然の家」の施設であった。
其の事を考えると、其の建物を再利用する事が、新しい「政・まつりごと」の始まりと成るのかも知れない。
そして、其の事で、新しい「如意宝珠・チンターマニ・思考の珠」が完成するのかも知れないのである。
何故、屋久島で、私に山の神が依り憑いて来たのかと考えていたが、今朝の様子から考えると、屋久島の山々に祭祀している「一品宝珠大権現」とは、其の如意宝珠の事であり、其の働きが虚空蔵菩薩の名で呼ばれているのではないだろうか。
そして、虚空蔵菩薩は金星の事であるともされている。
私が生まれ育った、実家の裏山の名は金星を意味する「明星岳」であり、私は子供の頃からよく、其の海抜651mの山に登っていた。
其れ等の事も、私の人生の因縁と成っているのかも知れない。
上記の説明には、・・「京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三詣りという行事が行われている。・・」と有る。
私は、1984年11月半ばに屋久島を出て全国の旅を始めた。
そして、京都の嵐山の「法輪寺」の階段を登って居る時に、空海が現れ「我が弟子 未だ我を超えず」と告げて来た。
其の時の出来事を考えると、虚空蔵菩薩との縁が、其の時から既に有ったのかも知れない。
其れに、未だに、私の意識から「13年・歳」との言葉が消化されないで残っている。
其の「13年・歳」が、法輪寺の「十三詣りという行事」に関係が有るのなら、「少年自然の家」には虚空蔵菩薩を祭り、子供達の意識を、金星に向ける必要があるのかも知れない。
其の様にすれば、全てが、金・金の世の中と成っている社会構造が、少しは良い方向に変化するのではないだろうか。
そして、そうなれば、子供達にも、良い眠りが訪れ、虚空蔵菩薩との関係が復活するのではないだろうか。
私が今朝、深く感じた理・ことは「如意宝珠」こそ「生命・いのち」其のままのモノであり、人間の意識と言う「玉しい・魂」は螺旋の回転運動に拠って、中心に立ち上って来る「いのち・ダルマ・タオ」其のモノであると言う理・ことである。
そして、其の、人間の意識の中に生じる「如意宝珠」が、「三室山・みむろやま」と言う丸いピラミッド型の山に反映し、増幅すると言う事である。
そして、其の能力を持った者が、「大物主神」とか「大巳貴神」と呼ばれるのであろう。
其れに、其の螺旋回転(空間)と、三室山の働きが「大山祇神」の名で呼ばれているモノなのであろう。
其の様に考えると、私は又一歩、其の働きに、近付いていると言う事に成るのかも知れない。
そして、アステカ文化の「ケツァルコアトル」や、マヤ文化の「ククルカン」の働きにも・・・。
平成22年8月16日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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