2007/5/30
大門の中の星
19・5・30
今朝は、幾つもの映像が現われた。
最初の映像は、大きな寺院の入り口に在る、立派な門の様な形が現れ、其の入り口の中央に、筆書きの「星」の文字が有った。
漢語林で、「星」の文字を調べると「晶+生(清)」の組み合わせで「澄んだ光の星」の意味である。
其の意味と、門を組み合わせて考えると、「天門」の意味に成り、澄み切った天空への門が、準備された事を告げて来ている事になる。
二番目の映像は、「隹」の文字の上に、「比」等の冠が着いた文字が、幾つか出て来た。
「隹・ふるとり」使った漢字は、「隼・雇・雀」等が有るが、今朝現れた文字は、其れ等とは違っていた。
「隹」は「舊」の略字で、元は「舊・ふるい」で、鳥とは違う意味で、尾の短い飛べない鳥である、「鶉・ウズラ」や奄美大島に住む「ヤンバルクイナー」等の意味である。
「隹」の上に、異なる形が有る意味は、鳥の鶏冠・とさかの意味か、鳥の働きの意味を示して来ており、「冠」は種族別を意味し、其々の種族・部族の特徴か、遺伝情報の意味を示して来ているのではないだろうか。
先日、「奪」の文字が現れて、意味を調べると「死んだ時に 懐から 隹が失われる。」との意味であった。
其れは、人間には、其々の鳥の意志・魂が住み着いていて、死んだ時に、其れが「懐から去る」との意味であるようだ。
其れを参考にすると、人間には、其々の種族には其々違った鳥の意識が住んでいて、種族毎に、違った働きが組み込まれているとの事ではないだろうか。
私が23年前、最初に見せられた映像で、四名の神霊が、此の世に残すべき人間の数に付いて、話し合っている場面が映されて来た。
其の場面は、小さな建物の土間に置かれている切り株の椅子に、インデアンと、金髪と、黒人の「代表・先祖霊・始祖」が座って居り、座敷の上には東洋系(中国)の霊人が座って、座長の役割を果たし、残すべき系統・血統の数を、話し合って決めていたのである。
今朝のメッセージは、其の事が、是から、現実世界に現れて来るとの事かも知れない。
今朝は、其の後に、海岸の岩場に、波が打ち寄せたり引いたりする映像と、岩に生えている海草の様子が映り出されて来た。
次に、光る人間の手の指が映されて来て、其の手の指は、何故か五本ではなく七本なのである。
何故、手の指が五本ではなく、七本なのかを考えて見ると、神の手は光のエネルギーなので、五ではなく七光であるとの事ではないだろうか。
其の七つの光線が、地球生命の始祖である生物を、海の中に誕生させたとの事を、示して来ているのかも知れない。
そして次に、弘法大師空海らしき男性が現われて、是から使用される、エネルギーの流し方を決めると伝えて来た。
そして、其の男性は、団体の行進の列の中に入って行った。其の団体の行った先には、寺院が在り、其の寺院では大祭が行なわれていた。
次の映像は、私が運転している車に、男性数名と「悦子さん」が乗って居て、悦子さんが見付けた男性を、向かえに行く所であった。
処が、私が、其処の地理に詳しくないので、道に迷ってしまう処で、今朝の映像は終わった。
今朝のメッセージは、天・宇宙の働きであるエネルギーの流れが、始まる事を伝えて来ており、其のエネルギーは、満ちたり引いたりしながら、生命を育てており、其の成果として、人間にも七つの性質が存在し、其のバランスを調和させながら、今後の人類社会を、構成して行くとの事ではないだろうか。
其の働きに、弘法大師空海が関係しているとの事ではないだろうか。
何故、弘法大師空海が、指導的立場で現れて来たのかを考えると、空海ほど、此の現実世界に力を発揮した御仁は居ないからではないだろうか。
釈迦仏陀は、王様の家に生まれ育ったので、世間の事柄には疎く、イエスキリストは、権力や社会に対してデモンストレーションを起こしただけで、現実的な事柄に対しては、何も功績を残してはいない。
寧ろ二人は、此の人間社会の現実から、離れる事だけを説いているのである。
其の点に於いて、空海は宗教世界以外にも、建築土木や医療に功績を残し、書に於いても「弘法大師も筆の誤り」と云われる程の書の達人でもあるので、世界一の才能の持ち主であったと云えるだろう。
其の空海が、団体行列の中に入って行き、大事な儀式に影響を与える様に成るとの事は、是からの動きに、空海のエネルギーが作用して来るとの事ではないだろうか。
そして、現実世界には「悦子さん」が力を発揮するとの事ではないだろうか。
私は、今朝の映像では、道に迷い運転に失敗してしまった。
其れは、是までの私の動きには「猿田彦神」が着いて居て道案内を勤めたが、是から始まる現実世界には、猿田彦も力を発揮出来ないとの事ではないだろうか。
其れは、是からの動き・流れには、猿田彦より弘法大師空海の方が、力を発揮出来るとの事なのかも知れない。
猿田彦は、「天照大神」の道案内しか出来ていないが、空海は密教の世界で大悟しており、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の働きを「供奉・ぐぶ」しているので、大日如来を操る術を習得しているのである。
だから、空海の指は、既に七本有るのだろう。
大日如来の坐像は、全ての指の働きを止めているが、其れが立ち上がって動き出せば、千手観音として力を発揮するのである。
愈々、大日如来の働きが、此の地上世界に現れるとの事なのかも知れない。
今日は、是から、屋久町立神山小学校の五年生の野外教室の先生として、現場に行かなければ成らない。
其の子供達の手が、其々の役割を果たせる様に成る為に、幾らかの助言や手伝いが出来れば、私は、私なりの社会貢献をしている事に成るのである。
人間は、ただ、此の地球の生き物として存在して居るのではなく、全宇宙のプログラムの発動体として、此の世に生を受け、働き手として現象化しているのである。
だから、此の、生命豊かな母船である地球に生じている者は、皆何等かの役割を果たしているのだ。
其の理を理解する為には、清なる門を潜り、星に通じる意識・こころを持たなければ成らないのである。
其の、人類の先輩として、金星と意識が通じた「弘法大師空海」の存在があるのである。
平成19年5月30日
礒邉自適
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