約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
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2015/4/6
「 国常立神(くにとこたちのはたらき)」
未来創造
川口由一氏の自宅で 武富勝彦氏・大村氏と一緒に訪問
国常立神(くにとこたちのはたらき)
27・4・6
今朝のメッセージの映像は、先ず、私の意識が何処かの建物の中に居て、黒いフード付きの厚手のダブダブの服を着ており、胸の所から、テニスボール程の透明の丸い球を三個取り出して、祭壇の様な物の上に置く場面が、映し出されて来た。
だが、全身が厚手の生地の黒い布で覆われていたので、其の人物(私の意識)が何者であるのかは、全く判らないのである。
其の建物には、他にも数人が居て、漢方の医者である「大村雄一氏」も来ており、私は大村雄一氏に、過去の精神界で活躍した10名程の聖者の六つ切り(203 × 254 ミリ)カラー写真を見せ、「気に入った人物を選んで良い」と伝えて居た。
そして「国常立神」の名前が、告げられて来た。
次の映像は、何処かの建物に人々が集まって居り、其の中に自然農法家の「川口由一氏」が居て、何かの乾燥した薬草に火を付けて、其れを青い緑の葉で包んで、両手で持ち、顔に近付けて其の煙を吸い込んで居た。
次の映像は、私が誰かは判らない、中年の女性に案内されて、海が見下せる岡の上に在る癒しの施設に到着した。
其処は、宮崎県であり、大きな蜜柑園を経営している女性が、ボランティア的に経営している物である事が解かった。
そして、セミナー会場に成っている広間に、数人の女性達が集まって居て、やがて時間に成ると、細身の背の高い50歳位の女性が、舞台の様な所のドアを開けて、外の光を背に受けながら登場した。
次の映像は、何処かの寺院に男性達が集まっており、私は案内された女性に、其処の年配の住職と、40歳位のしっかりした後継者を紹介された。
其の寺院では、定期的に勉強会が開かれているらしく、10数名の人達が集まっており、其の中の60歳位の男性が、私の事を知っているらしく、親しく声を掛けて来た。
其の男性は、勉強会が終わってから、もう一泊するらしく、天井にぶら下げられている、中が空洞の大きな古木の中に潜って休む様子で、私に別れの挨拶をして、中に姿を消した。
今朝のメッセージの映像に、映し出されて来た場面は、人々が集まる四つの会場である。
其の映像で共通している事は、私の存在が何者であるのかが、判らない事と、私自身は、何もしてはいないと言う事である。
其れに、私の意識が、古代のキリスト教の僧侶の様な黒い服を着て居り、胸の所から透明な丸い球を三個取り出して、台の上に置いた事と、「国常立神」との神名の関係が良く解からない。
国之常立神を検索すると、次の様に載っている。
【国之常立神(くにのとこたちのかみ)】は、日本神話に登場する神である。日本神話の根源神として一部神道・新宗教で重要視されている。『日本書紀』においては、初めての神とされる。
概要[編集]
『古事記』では国之常立神、『日本書紀』では国常立尊と表記されている。別名、国底立尊(くにのそこたちのみこと)。神名の「クニノトコタチ」は、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説[1]や、日本国が永久に立ち続けるの意とする説など、諸説ある。
天地開闢の際に出現した神である。『日本書紀』本文では、国常立尊を最初に現れた神としており、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記している。他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっている[2]。『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記される。『記紀』ともに、それ以降の具体的な説話はない。
『日本書紀』では最初、『古事記』でも神代七代の最初に現れた神とされることから、始源神、根源神として神道理論家の間で重視されてきた。伊勢神道では天之御中主神、豊受大神とともに根源神とし、その影響を受けている吉田神道では、国之常立神を天之御中主神と同一神とし、大元尊神(宇宙の根源の神)に位置附けた。その流れを汲む教派神道諸派でも国之常立神を重要な神としている。
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
此の説明には、次の様な事が記されている。
・日本書紀においては、初めての神とされる。
・神名の「クニノトコタチ」は、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表す。
・日本国が永久に立ち続けるの意とする説など、諸説ある。
・純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)の神
・国之常立神を天之御中主神と同一神とし、大元尊神(宇宙の根源の神)に位置附けた。
これ等の説明からすると、今朝の映像で、三個の球を胸の内から取り出した人物は、「国之常立神・くにとこたちのはたらき」であると言う事に成るのであろうか。
国之常立神は、「天之御中主神」と同一神との事にもされているとの事なので、4月3日に書いた文章が、真の世界であった事にも成る。
2015/4/3・・だから、近代社会から、神の名前が消えてしまえば、宗教は存在しないし、残るのは子孫の肉体に依り憑いて来る、先祖の霊魂だけなのである。
そして、依り憑いた子孫の能力が高ければ、先祖の霊魂も認識が高まって霊格が上がって行き、立派な「御祖神・みおやかみ」と成れるのである。
そして、人類の根源と言うか、最初の「イブ・母親・源始祖」の所に帰り着いた者が、「天御中主神」の名である宇宙意識の立場で、森羅万象の流転に影響を与える事が出来るのである。
其の存在こそが、イエスキリストが「天の父」と呼んだモノ・存在なのであろう。其の様に考えると、「日高雲平氏」が霊夢を見て、私の存在が大文字の「Father・ファーザー」であると、知らされた事の意味も理解されてくる。
「天御中主は御祖神」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3414.html
其の様に考えると、今朝の映像の四つの場面では、私自身は何もしないで、様子を視て廻って居ただけなので、大文字の「Father・ファーザー」である「天の父」の意思が、私の潜在意識と言うか、「カルマ・業・背景」に在ると言う事に成る。
其の様に考えると、私が今朝「胸・懐」から取り出して、台の上に置いた透明な三個の球体は、造化三神である「天御中主神・あめのみなかぬし」「高御産日神・たかみむすびのかみ」「神産巣日神・かみむすびのかみ」の三体を、意味しており其の造化三神の働きは、私の胸の内に在ると言う事になる。
其の様に考えると、昨日の「ポート・プレリウム」との言葉や、一昨日の「結束された靴下」の映像の意味も理解されて来るし、私は、自分の足で歩かないでも、自分の役割を果たしている事になる。
否、歩かないからこそ、此の様な文章を書けると言うか、メッセージが届くのであろう。
其れを考えると、如何に、エジプトのトト神である「書記官」の存在が貴重なモノであったのかが、能く理解されてくる。
昨日は、文章のアップが住んでから、2009年7月13日の文章をひとつだけ校正した。其の文章の内容も、今朝の文章と関係が有りそうである。
2009/7/13・・昨日の文章の題を「足を捨てた蛇」としたが、今朝のメッセージは、其の意味が更に深く掘り下げられて来た感が有る。
其れは、一口に謂えば、祈りとは「立ち止まる」行為であり、足を動かさないので、動物ではなくなると言う理・ことである。
其れは、釈迦牟尼佛の法華経の真髄である「十二因縁起」の訓えを、理解する事でもあるのだ。
「十二因縁起」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/332.html
世界中の宗教に共通している事は、「祈る行為」が有ると言うことである。
だから、「宗教」とは「祈る事である」と言っても、過言ではないだろう。
其の「祈り」の形は、色々有っても、釈迦牟尼佛の十二因縁起の訓えに有る、「自分が行く事を止める」との意味は共通している。
其れは、大地に額ずく・伏す行為や、手を合わす行為や、瞑想や座禅など、歩く行為を止める事である。
何故、人間は祈る時に、立ち止まらなければ成らないのか。
其れは、人間の性質が、歩きながら物の存在を見て、頭脳を使い情報を集めるからである。
其の情報は、絶えず上書きされて、整理がされないまま、脳に溜まって行くのである・・・
「いのりは立ち止まる行為」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1205.html
此処まで、神の存在と、自分の存在が身近に成って来ると、改めて、神と言うモノの存在を、認識し直さなければ成らない。
私は、是までにも「神の存在を 外側に求めては成らない」と書いて来た。
其れは、神の存在を外側に求める事が、人間の迷いの元である「宗教」の世界を創り出して来ているからである。
だが、此処まで現実として、天神(てんのはたらき)が自分の中に入り込んで来れば、其れは抽象的な価値観で済まされる事ではなく、全宇宙の存在が、自分の責任として、覆いかぶさって来る。
其れは、最早、自分だけの個人的な問題として、片付けられる出来事ではない。
是こそが、私を捜し出して、此の世界に入れた土肥無庵が、私に云って居た理・ことであり、私は土肥無庵が私に云った事を、真から理解するのに、31年も掛かった事に成るのだ。
しかし、何故、其れが31年も掛かったかの要因を考えると、此の世界は人間の脳で考えただけで結果が出るモノ・世界ではなく、森羅万象の流転がトキを要するからであろう。
だが、此処まで事態が進んで来れば、私が31年前此の世界に入った時に、天神(てんのはたらき)から私の役割が、「事象の特異点」であり「新しい神の座標軸」であると告げられて来た事の意味も、能く理解されて来る。
其れが、どれ程のモノであるかが理解されて来ると、今度は、責任感と言う重圧感が身に迫って来る。
だから、其の事に天神が配慮して、あまり私が自覚できない様に、是までセーブ(save)して来たのであろう。
だが、此処まで事態が迫って来れば、昨日伝えられて来た「ポート・プレ・リウム」の言葉を、今一度深く考え直さなければ成らないのだろう。
昨日の文章には、・・其の意味だと、「2000年前」と「ポート・プレリウム」との言葉は、「2000年前から繋がっている接続場所」との意味に成り、今朝のメッセージのテーマが明確に、英語の概念で示されて来ている事に成り、私に「接続(プレ・リウム)」されている世界は、真の宇宙意識の「末端部分(インターフェース)」であり、プラットフォームで「ポーティング(porting)」をしなければ成らないと言う事に成るのであろう。・・と書いてある。
今朝の映像で、懐から三つの球体を取り出した人物が、キリスト教の修行僧の様な服装をして居たのは、2000年前のイエスキリストの時代を意味しており、天神(てんのはたらき)がイエスに求めていた事が、今回始まるとの事であり、其の事に、今朝登場した「大村雄一氏」と「川口由一氏」の存在が、深く関係があるのではないだろうか。
大村雄一氏は、五つもの大学を卒業しており、世界中の医術を学んだ人物である。其れに、川口由一氏は自然農法を研究しながら、漢方を学びボランティアで人々の身体の治療に当たってもいる人物である。
其れに、私を捜し出して此の世界に入れた土肥無庵の家は、先祖代々御殿醫を務めていた、門外不出の「和方」の秘伝書を有している家系である。
「是から本番・大村雄一氏」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2878.html
「五色の短冊の紙吹雪・大村雄一氏」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3343.html
「未来への扉・川口由一氏」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1672.html
「倭姫命のおことば・川口由一氏」
http://star.ap.teacup.com/170606/573.html
「2月18日の日付・川口由一氏」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3270.html
「川口由一宅」
http://star.ap.teacup.com/0503/16.html
「無庵師匠の御魂」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html
其の事を考えると、一昨日のメッセージに「草+口+中」の漢字が、映し出されて来た事の意味も理解でき、国之常立神(くにとこたちのはたらき)は薬草の扱いが、基本と成るとの事ではないだろうか。
2012/2/24・・「薬草と成る様な植物」は、薬草の辞典を見ると、大根から米まで、人間が口にできる物は、全て薬草として扱われているので、釈迦仏陀の謂う「精進・しょうじん」の世界を示して来ているのではないだろうか。
其れに、漢字の「薬・ヤク」は「草+楽」の組み合わせで、「草を食べて楽の声を聞く」「病を治すのは草」「病気をおわらせる草」との意味である。・・・
「刈り取りのトキ」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2226.html
2013/9/19・・今朝のメッセージは、昨日のメッセージの映像に有った、薄紫色の石壁に記録される人物・人材情報に関係が有り、最初に入力されるべき人物・人材は、食べ物の基礎と成るべき仕事の関係者である事を、示して来ているのではないだろうか。
今朝のメッセージは、宇宙(森羅万象)と繋がらなければ成らない人間の脳・意識が、どの様な物でなければ成らないのかを示しており、其れが正しい状態である為には、基本的な食の世界を伝統に従ったモノとしなければ成らないとの事ではないだろうか。
昔と違って、衣食住の世界がケミカルな物と成りつつある。其の為に、自然体であるべき人間の肉体にも、ケミカルな物がどんどん取り込まれて、脳自体もケミカルな物に成りつつあるのではないだろうか。
其れは、大自然の法則から外れて行く事に成る。・・・
「物事の一番の基礎」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2814.html
2012/4/27・・其の様に考えると、神霊界の協力なくしては、国造りができないと言うか、事が進まないとの理・ことなのかも知れない。其の様に考えると、人間は古代から先祖の霊魂や、神霊を敬って来た事の理由も解る様な気がする。
「生きる術・すべ」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2290.html
2009/12/7・・其れは、此の宇宙のシステムは、誰か一人が、真実の「霊留・ひと」として目覚めて行動を起こせば、全てが、其の者の存在を通して、救われて行くとの理・ことなのかも知れない。
其の様に考えると、「天・神に 油を 注がれた者」の意味の「メシヤ・キリスト」や、全ての情報を有している者の意味である、「マイトレーヤ(有情菩薩)・弥勒菩薩」の名前も理解されて来る。
そして場面が変わり、5種類ぐらいの植物の葉が、人物の肖像画の様に長丸の枠の中に映し出されて来た。そして「80cm」との数値が示されて来た。次に、漢字混じりの文章が出て来て、其の文章の中には「沈・チン・しずめる」や、「沁・シン・しみいる」の文字が持つ「深く鎮まる」の意味を表す、難しい漢字が含まれていた。其の文章は、漢方薬の世界と言うか、薬草の使い方を意味している様であった。
其の、メッセージの映像の意味は、薬草の世界が、人類にとって一番大事な「身心・身とこころ」の癒しに繋がると言うか、「安心立命」の為の基礎に成る理・こと示唆して来ている。其れは、冷静沈着と言うか寡黙な状態を保つ理・ことであり、老子の「道・タオの実践者」を意味しているのかも知れない。
「421「死に飯」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1370.html
2008/7/6「システムの構築」
http://green.ap.teacup.com/20060818/807.html
2008/12/19「薬効を確かめる」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1020.html
これ等の文章からも、今朝のメッセージは薬草を頭に置いた、癒しの世界を意味しており、今朝の映像が四場面とも、其の様なテーマが基本と成っている施設であった事に成り、宮崎県に在るとされた施設が、海が見下せる岡の上に在って、女性経営者が背に太陽の光りを浴びて舞台に登場したのは、海神の娘である「豊玉姫」か「玉依姫」を、意味しているのではないだろうか。
豊玉姫は、神武天皇の祖母であり、玉依姫は母親である。
其れを考えると、神武天皇祭である4月3日に「天御中主は御祖神」の題で文章を書いた事は正しかった事に成り、今朝は其の天御中主・御祖神が「国常立神(くにとこたちのはたらき)」として、姿を現したと言う事に成るのであろう。
そして、「2000年前」と「ポート・プレリウム」との言葉が、キリストに関係が有るのなら、愈々「メシヤ・キリスト・ジーザス」の登場と成るのかも知れない。
其れに、今朝の愉伽さんのビジョンは、自分の乳房がはち切れそうに膨らんでおり、母乳を与える赤子を捜して居たとの事である。
そして其処に、子供が居る他の主婦達が、粉ミルクと白砂糖を持って現れ、其れで子供に与えるお菓子を作ると言って居るので、愉伽さんは、其れ等のお菓子は、子供達の體に良く無いと思って居たとの事である。
其の愉伽さんのビジョンは、イエスに母乳を与えるマリア様の存在と、子供の食べ物の事がテーマと成っているので、私の今朝のメッセージと連動している事にも成り、子供達が口に入れる食べ物の大事が、示されて来ているのであろう。
其れも、国常立神(くにとこたちのはたらき)神名が、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表す。や、日本国が永久に立ち続けるの意とする事と、関係が有るのだろう。
平成27年4月6日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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