1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2015/7/4
身土不二と食国の政
27・7・4
昨日7月3日は、神功皇后の御霊に関係の有る「松山さん」の誕生日であり、自家菜園の野菜を2日に届く様に贈っていたら、昨日18時41分に御礼の電話があった。
今朝のメッセージの映像は、其の事と関係が有りそうで、松山さんが池の側に一人で立って居る姿が映し出されて来た。
そして、御主人が山荘の池の側に、龍神の食べ物と云われている「山葵・わさび」の苗を植えている姿が映し出されて来て、家来(社員)が3600人居るとの事が示されて来た。
其れらの映像から、私が感じた事は、今朝のメッセージは、日本の伝統である「身土不二・しんどふじ」と「食国の政・おすくにのまつりごと」の世界に関係があり、食べ物の力が如何に強いかと言う事である。
日本の諺には、「同じ釜の飯を食った仲」との言葉が有り、イエスキリストの言葉にも「一緒に食事をしなさい」と有る。
其の言葉の意味を考えると、今朝のメッセージの映像は、私と松山夫妻が、同じ畑で採れた野菜を食べた事で、チャンネルが繋がった事を意味し、其れが「同じ釜の飯を食った仲」との世界であると言う事に成るのであろう。
其れは、土肥無庵が私に訓えてくれた、「食の道」の基本であり、「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が言い出し「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割の神髄なのであろう。
私を、此の世界に導いた土肥無庵は、「夫婦が 別々の食事をして居れば 離婚の原因と成る」と、謂っていた。
其れを裏付ける様に、私は、土肥家の家族と一緒に食事をする様に成って、肉を食べる事を止めたが、妻はハンバーグが好きだったので、段々と波動が合わなく成り、同じ家に居る事が出来なく成って、其れが離婚する原因の一つに成った。
其れ等の理を考えると、良い世の中を創造する為には、正しい食事をする仲間が集まらなければ、意見が一致しないと言うか、波動・チャンネルが合わないので、社会を構成する事が出来ないと言う事に成る。
其の事が、日本の伝統である「食国政事・おすくにのまつりごと」の世界なのであろう。
今朝のメッセージの状況からすると、未来社会創造の為に、どの様な形で仲間を拡げれば良いかを、考えなければ成らないと言う事であり、食べ物が異なる人々が集まっても、最終的には、上手く行かないとの事なのかもしれない。
其れは、多数の外国から輸入された食べ物を食べて居る人間は、本人自身の肉体情報がバラバラであり、日々ルートの違う食べ物を食べていると、意識の定まりが無い事になり、本人自身が自分の意識をコントロール出来ないので、他人とのコミュニケーションも上手く行かない事に成る。
其の様な人々が集まっても、意見がバラバラで、纏まりが付かないと言う事になり、会議を重ねても「骨折り損のくたびれ儲け」で終わってしまうであろう。
其の事は、私の31年間の旅で、充分に体験済みと言うか、理解している。
其の点に措いては、神社で行われる「新嘗祭」や、「神嘗祭」の儀式で行われる「直会・なおらい」の作法は、効果的な慣習であると、言えるのではないだろうか。
そして、今朝のメッセージで会社を経営している、松山さんの御主人が、3600人の家来(社員)が居ると示されて来たのは、「トップ・長」が味方に付けば、家来・社員は皆、付いて来なければ成らないので、統領・頭だけを繋いで行けば良いとの理・ことであり、其れが、山葵が好きな「龍神・青龍」の智慧であるとの事なのかも知れない。
其れに、家来が3600人在るとの事は「36・みろく」に掛けてあり、「弥勒菩薩・マイトレーヤ」が其れに、関係が有るとの事ではないだろうか。
平成27年7月4日
礒邉自適
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