1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2017/6/4
大混乱
29・6・4
本日6月4日は、私が1984年6月4日(母親の64歳誕生日)に、安房川の岸辺で「土肥無庵」が見守る下「禊ぎ祓い」を行い、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きて、神の世界に飛び込んでから丸33(16年半+16年半)年と成る日である。
昨夜は、眠る前に目を閉じて居ると、私の意識は、誰かが運転する自転車の様な乗り物に乗って、物音が一切聞こえない田舎の道を走って居る映像が、長らく映し出されて来た。
私の意識は、道路の左側を、ずーと眺めて居り、其の流れ行く景色は、田舎の風景であり、半分程は作物が植えられている農地・畑であった。
今朝のメッセージの映像は、先ず、多くの人々が出演して居る映画が映し出されて来た。
そして次に、現実世界で物事が始まる場面が映し出されて来ると、映画の内容と同じ設定の物語が始まるのである。
だが、何と、映画で観た内容とは、出演した俳優の役割が、服装を始め全て入れ替わっており、自分が演じる役と、他の人々が演じる役が全て替わっているので、全員が状況を杷握できずに、物事が動き出し始めると、現場は大混乱を起こし、社会全体がコントロールが効かない状態と成って、崩壊してしまった。
其れは、王様・皇帝の椅子に、若い庶民の男性が座って居り、物語が始まると、自分の座と服装に驚き、何が何なのか全く理解出来ず、ポカンとしている場面などである。
そして、其れから、人間社会の大掃除が始まる映像が映し出されて来た。
其れは、人間の精神・こころの掃除ではなく、全ての物(物品・施設)の片付けであり、物の世界を完全に大掃除しなければ、物の存在に因って出来上がっている人間の意識構造が、変わらない理・ことを示していた。
私は、其の映像場面から、1987年7月13日の井上佳子のお告げが、本当に成った事を思って居た。
そして、次の映像では、崩壊した人間社会に、子供達が登場して、新しい世の中を構築して行く様子が映し出されて来た。
今朝のメッセージの要点は、人間の意識は「自分のモノである」と考えて生きて居る人々が、慌てふためく現象が起きると言う理・ことが、示されて来ている様である。
其れは、現在の豊かな経済・暮らしに恵まれている人々が、いざパンドラの箱が開けられれば、現在の状況は全て錯覚の世界であって、自分の意識(おもい)や生活環境(しくみ)が、「全系の嚴」が壊れる事に因って、自分の考え通りの物ではない理・ことに、気付くとの事であろう。
そして其の事に拠り、人々が、全ての面に措いて自分のコントロールが効かなくなり、パニックに陥ってしまい、社会全体が大混乱を起こしてしまうと言う事である。
其れは、イエスキリストの「其の時には 一番前の者が 一番後になる」との言葉と関係が有り、「そのトキ」が来て、愈々人間社会が大混乱を起こすと言う事ではないだろうか。
今朝は、起きてPCを立ち上げると、直ぐに「貴方は いましばらく」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方は いましばらく 静かにしていなさい
其の内に 判ります
其れは 是から 大きな出来事が 起きて来ますが
貴方には 直接 関係が無い事なので
なにもする事は 有りません
ですが 其れは 貴方無しでは
起きない事なので しっかりと認識するのですよ
其処に 新しい御世が 創造されて 来るのですから
平成15年1月6日 」
「貴方はいま暫く」http://moon.ap.teacup.com/20060103/836.html
此の、いま告げられて来た平成15年1月6日の日付の文章を見ると、次の様に書いて有るので、昨夜眠る前に瞼に映し出されて来た景色と関係が有り、14年前に示されて来た事が、現実の事と成る理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
2003/1/6・・今朝の霊夢は、私が自転車の後ろに乗って居て、家並のある道路を走りながら、ビデオ撮影をしている行動自体が映って来た。
其の私が、撮影の対象としているのは、古い木造の家屋の文化と、稲作文化の調和している景色で、其の風景を選んで、カメラを向けているのである。
道路に、並んでいる家の全部が、そうなっているのではなく、近代風の家並の続く中に、その様な家や風景が見えるのである。
普通の家々は、霞んでいてハッキリしないのだが、懐かしい木造の建物と、稲田の景色は、ハッキリと輝いて見え、駅に着くまで楽しい行程を楽しんだ。
駅に着くと、駅の建物も木造建築で、建物の中に、自然な展示物が揃えられていた。私が、駅に着いた処で、其の夢は終わった。
自転車を運転している人の姿は、全然見えなかったので、運転者が誰であるかに付いては関係無いのだろう。寧ろ、神の意志が、私を自転車の後ろに乗せて、運んでいたと、考えた方が当たっているのかも知れない。
今朝の霊夢は、私に、何を伝え様として来ているのかが、大事なようである。
何故、車の窓からでなく、自転車の荷台からでなければならないのだろうか。自転車は、スピードが遅いので、遅いスピードの方が、良いとの理・ことであろうか。
自転車は、手頃な乗り物である。
車庫が要らないし、燃料も必要ないので、公害も無い。
道路の近辺に住む人達も、車ではなく自転車のレベルであれば、生活しやすいであろう。駅が近くに在れば、交通に困る事も無いだろう。
今朝の夢は、新しき村が、どの様で在れば良いかの、ヒントを与えてくれているのかも知れない。そして、一番大事な事は、人間の生活のスピードを落とせとの事ではないだろうか。
昔は、日本国から、太平洋を渡ってアメリカ国に行くのには、一ヶ月近くも掛かっていた。それが、現在ではジエット機なら10数時間で行ける様になって来ている。
其れはそれで、便利なのだが、国内では新幹線に乗ると、窓から見る景色は、目が回るほどの速さで変わって行き、景色を楽しむ余裕も無い。
是らの速さで生活していると、それが普通に成り、歩いたり自転車に乗ったりするとスピードが遅くて、ノロマに見えてしまって、イライラする事にもなり、何でも、速い方が良いと考えてしまいがちである。
そう言う私も、屋久島に帰ったら、絶えず車で移動するので、四国に居た時よりも、スピードが速く成っている。20年前に、島で生活して居た時のスピードとは、感覚が違っている様である。
時間を、気にして動いている、都会から遣って来る人達相手に、商売をしていれば、どうしても、行動や考え方の、スピードアップをしなければならない。現状のまま進めば、屋久島の住民が、都会の人達のスピードに、取り込まれてしまうのではないだろうか。
島の良さは、都会の人達の、スピードを落とす事にあるのではないだろうか。屋久島の人達がノンビリ生活し、其れに都会の人達が合わせ、本来の人間の生活のスピードを取り戻す事が、島の役目ではないだろうか。
今朝の夢は、私が、何を対象として撮影するか、その点を、指摘して来たのだろう。
私の、目線が指摘されて来たので、是からの私の「想い(木を見る心)」は、相対的世界の判断も、現実的なモノとしなければならないのだろう。
今年は、夢見だけではなく、現実的な世界の組み立てを、認識する事に成るのだろうか。それも、自転車の速度に、落としてである。
少しゆっくり、物事を考える様に、しなければならない様である。
平成15年1月6日
礒邉自適
「自転車の速度」http://star.ap.teacup.com/170606/277.html
「1987年7月13日の井上佳子のお告げ」とは、次の様な内容である。
1986年3月27日に、当時衆議院議員であった「二階堂進氏」の鹿屋市の自宅を訪ね、次の総理大臣に付いて話をした事が有る。
しかし、其の時二階堂進氏に話が通じないので、高知に住んで居た「井上佳子」を伴って、出雲の日御碕神社に1987年7月12日に参拝し、近くに有る国民宿舎に宿泊したら、佳子に神のお告げが有り、「もう 現在の自民党では駄目だから 駄目な人間を 役職に嵌め込んで 潰す事にする。其れが 消毒の方法だ。」と知らされたのである。
2009/9/16 ・・今日は、日本国の「政・まつりごと」が、55年間続いて来た自民党政権から、民主党の鳩山内閣に替る日である。
其れに、明治維新でドイツの「ビスマルク」に学び、官僚指導型政治を続けて来た政治の仕組みも、123年振りに事務次官会議が廃止される事に成った。其の123年の数字は、岡本天命に告げられた「日月神示」の別の呼び名である「123・ひふみ神示」とも共通している。・・
此の「八島・八洲(やしま)」の言葉と、今日から始まる、新しい「日本国・大八洲国」の「政・まつりごと」を考えると、今朝のメッセージの映像も意味が繋がって来る。
今朝のメッセージの映像には、背のスラリとした長身の美しい女性と、中肉中背の女性が二人並んで映し出されて来た。そして、右側に立っていた背の高い女性の方が、私に向かって「不動産の世界は 終わった」と一言告げて来た。
其の二人は、神様の使いの様な雰囲気だったので、大山祇神の娘である「木花咲耶姫・このはなさくやひめ」と「磐長姫命・いわながひめ」の姉妹だったのかも知れない。
大山祇神の「祇」の漢字は、一字で「くにつかみ」と読む。
「くにつかみ」とは「国津神」とも書き、大陸から渡って来た渡来系の「天津神」との対比の言葉でもある。
だから「祇・くにつかみ」とは、渡来系(天津神)の人々が、中国や韓国から渡って来る前に、此の日本列島に住んで居た、先住民の事であると言うことに成る。
其れは、天照神の弟とされている「素戔嗚尊・すさのおのみこと」が、出雲に渡って来て、大山祇神系の娘である「櫛稲田姫・くしいなだひめ」と結婚して、出雲の須賀に新居を構え住んだ事や、天照神の孫である「瓊々杵尊・ににぎのみこと」が大陸から鹿児島の笠沙の浜に上陸して来て、大山祇神系の娘である「木花咲耶姫・このはなさくやひめ」と結婚して、九州に住み着いた事でも明らかである。
其れを考えると、3000年程前の日本列島は、鹿児島県から島根県までは、大山祇神系の民族が主体を占めていた事に成る。
其れを考えると、昨日の文章に書いた、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天磐船(あまのいはふね)に乗って見下ろした日本の国は、大山祇神系の人々が暮らしていた国である事に成る。
昨日の「虚空見(そらみつ)日本の國」の文章を書いた後に、大山祇神の娘である「木花咲耶姫」が、「不動産の世界は終わった」と告げて来た言葉の意味は、地球の顔である土地の「所有権」を、人間が主張する事には、終わりのトキが来たとの事であろう。
確かに、「素戔嗚尊」や「瓊々杵尊」が日本に渡って来た時に、土地の所有権が有れば、簡単に外国人が住む事は出来ない。
日本には「洲・くに・県」境は有っても、個人の「所有権」は明治政府に拠って創られたモノだから、其れも事務次官会議と同じく123年ぐらいのモノである。
其れまでは、藩主が農民から租税を取る為に、個人的な土地利用を区画していただけである。
何故、今朝のメッセージで大山祇神の娘であり、「瓊々杵尊」と結婚して、日本の天皇家の位置番の基である「山幸彦・天津日高日子穂穂手見命(あまつひだかひこほほでみ)」を産んだ「木花咲耶姫」が、「土地の所有権が無くなった」と告げて来たのかを考えると、其れが、人間の執着の最大の原因と成っているからであろう。
人間は、土地の権利に対して一番執着を示し、其れが、戦争を引き起こす最大の要因である。特に、日本人は土地に対する執着が強く、助け合わなければ成らない隣の家の人と、僅かな境界の食い違いで口も利かない間柄に成ってしまう。
だから、「靖国・安国」を建国するには、個人的な土地の所有権を止めて、国家からの借地権に切り替え、土地を実際に利用する人が、固定資産税の代わりに、借地料を納める様にすれば良いのである。
其の様にすれば、現在問題に成っている耕作放棄農地の有効利用も進むだろう。
今朝のメッセージの映像は、土地に対する執着心に付いてだけではなく、人間の意識の禊ぎ祓いに付いて示されて来た。
先ず、私の知り合いが居る大きなお寺を訪ねると、掃除が行き届かないのか、部屋の隅々の角に、畳の「藁屑・わらくず」の様な小さな塵が残っているのである。私は、其の部屋の塵の掃除をしたり、敷居や、廊下の板や欄干等の埃を、雑巾で拭き取ったりの作務を遣り始めた。
そして、敷居や廊下を磨き上げて行くと、雑巾が綿布ではなく、タオル生地で拭くと、糸くずが黒光りする板目に残る事が判った。
其の、お寺の作務で理解できた理・ことは、建物を美しく磨き上げる事が、己・おのれの精神・意識を磨き上げる事に繋がり、浄化・クリアの最大の手法であると言うことである。
其の理・ことを考えると、私が25年前(1984年6月4日)此の世界に入った時に、毎日建物の掃除を続けて居た事の意味も、良く理解できる。
次のメッセージの映像は、真っ白な世界が瞼一杯と謂うか、脳全体に広がって、一切の物・他の色が、全て世界から消え去っていた。
其れは、是まで、私が一度も体験した事の無い世界である。
何故、今朝未明に、其の様な純白の世界が私の意識を占めたのであろうか。
其れは、私の意識が、全て禊ぎ祓われて無垢・純白に成ったと謂う事なのか、其れとも4311体の霊魂の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が終了したとの事であろうか。
其れとも、此の「日本国・大八洲国」の地が、浄化・清まったとの事なのであろうか。
私は、此の世界に自分から好んで入った訳ではなく、無庵師匠に捜し出されて「自適さんは 救世主の役目が有るから 全ての事を止めて 私に三ヶ月間付き合え」と云われ、1984年3月5日から無庵師匠の下で過ごし、丁度三ヶ月後の6月4日に自宅前の安房川の岸辺で、禊ぎ祓いを受けて、此の神の世界・無意識の領域に飛び込んだのである。
其の時には、自分の意識は真っ白に成ったのであろうが、あっと謂う間に4311人の精霊に満たされ・憑依され、自分の意識で自分の身体をコントロールできなくなって、荒野をさ迷い歩き、釈迦牟尼佛やイエスキリストの様に、此の宇宙の成り立ちが脳裏に映り始めたので、私の視覚は真っ白状態ではなく成り、24時間365日様々な現象・色彩が映り込んで来る事に成ったのである。
だから、頭脳全体が真っ白に成っている状態を体験したのは、今朝が初めての体験なのである。
若しかしたら、日本の伝統である「禊ぎ祓い」の儀式の意味は、今朝、私が体験した世界を体験する為のモノなのかも知れない。
其の様に考えると、仏教で謂う処の「六根清浄・ろっこんしょうじょう」の言葉の意味も能く理解できるし、花嫁衣裳の「白無垢」や「角隠し」の意味も能く理解されて来る。
私は、1984年6月4日から11月半ば迄、屋久島の荒野で修行を続けてから屋久島を車で出て、11月19日には伊勢の外宮の駐車場で一夜を過ごした。そして、20日の早朝に神社に参詣してから志摩半島を巡って、21日の未明に伊勢の神と遭遇して、人類のアセンション・次元上昇が過去に八回失敗しており、今回は九回目で最後のチャンスであると知らされたのである。
そして私の旅は続き、日本列島・大八洲国の旅が一通り終わったのは、翌1984年の7月2日、丹後半島の網野町であった。
そして、其の夜中のビジョンに、日本列島が黄金に輝いて浮き上がって映し出されて来たのである。
其のビジョンで、日本列島は神に祝福された事を確認できたのである。
其の出来事を考えると、一昨日からの「宇宙から」と「そらみつ」のメッセージは、此の「日本列島・大八洲国」が、神の祝福を受ける事に成ったと言うことではないのだろうか。
今朝のメッセージの内容を、良く考えて居たら、私は是まで、誰も救ってはいない事に気付いた。
私は、此の25年の旅の過程で、多くの人達の特徴を見出して、其の才能や実力を表に出して、世の中の役に立つ様に計らって来た。
其れは、人々を有の世界に送り込む事である。
しかし、今朝の自分の体験から、私は、人々を「無」の世界に誘う事を、してはいない事に気付いたのである。
其れは、老子の訓えに有る「縮めたければ 先ず 伸ばしてやれ」との言葉を、自分の胸に刻んでいたからでもある。
しかし、伸ばして遣った人間で、無に引き返した人間は、未だ誰も居ない様である。
無庵師匠が、私に対して其れが出来たのは、精神的な力だけではなく、医学的な知識や、人間社会に対する智慧や、豊かな財力が有ったからである。
私には、精神的な力や、宗教的な知識は身に付いても財力が無い。
だから、訪ねて来る人々に対して、全面的に安心感を与たり、無条件で受け入れて遣る事が出来ないのである。
だから、私は他人に対して、無庵師匠が私に体験させてくれた「無」を、体験させて遣る事が出来ないで居る。
本来なら、其れ等の事は、神社の神主や、寺院の管長の仕事である。
しかし、現在の寺院や、神社は、其れ等の受け入れはしてはいない。
何故なら、其の様な事を始めると、修行道場ではなく、精神病院の代わりにされて、医者の手に負えない病人を押し付けられたりするからである。
日本の伝統である神社の儀式には、「鎮魂・ちんこん」と「振魂・ふるたま」の両方が有る。
「鎮魂」とは、自分の意識や、背景に有る霊魂などの情報を、全て禊ぎ祓って無くする儀式の意味である。
「振魂」とは、逆に、其の者の意識や付いている御霊を奮い起こして、元気にする儀式の意味である。
其の意味からすると、昨夜から今朝に掛けての真っ白な世界の映像は、私の意識だけではなく、其の私の意識の土台である、此の「日本国・大八洲国」の鎮魂・禊ぎ祓いが終わった事を、意味しているのではないだろうか。
そうであれば、明日から何かが告げられて来れば、其れは振魂の現象であるのかも知れない。
私は、23年前の1986年3月27日に、当時衆議院議員であった「二階堂進氏」の鹿屋市の自宅を訪ね、次の総理大臣に付いて話をした事が有る。
しかし、其の時二階堂進氏に話が通じないので、高知に住んで居た「井上佳子」を伴って、出雲の日御碕神社に参詣し、近くに有る国民宿舎に宿泊したら、佳子に神のお告げが有り、「もう 現在の自民党では駄目だから 駄目な人間を 役職に嵌め込んで 潰す事にする。其れが 消毒の方法だ」と知らされたのである。其の事が、ようやく23年掛かって、本日現実のモノと成ったと言う事であろう。
何れにしても、今朝、私の意識が真っ白に成ったと言う事は、此の「日本国・大八洲国」は禊ぎ祓いが済んで、世界の雛形としての準備が整ったとの事ではないだろうか。其れが、日月神示に有る「富士は晴れたり 日本晴れ」との意味なのではないだろうか。
「大八島の禊祓い」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1273.html
2017/4/17・・そして、再び眠ると、今度は、私が総理大臣の執務室を訪ねる場面が映し出されて来て、総理大臣に、奥さんからの伝言を傳えた後で、「早く 人間社会の悔い改めをしなければ 世の中が終わってしまう」と言う事を、謂っていた。
何故か、其の総理大臣は、現在の安倍晋三総理大臣の姿ではなく、故「二階堂進」の姿であった。
其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は2時34分であった。
私は其の儘、眠れなく成ったので、起きて台所に行き、お茶を飲みながら考えると、マージャンの場面は29歳頃の場面であり、今朝の映像で、総理大臣の役に付いて居た衆議院議員「二階堂進」の鹿屋市の自宅を訪ねて、直接面会したのは39歳の時であるので、自分の人生の在り様が示されて来ている事を感じた。
其れから、PCを立ち上げると、核ミサイルに関する北朝鮮とアメリカとの関係のニュースが載っており、其の関連で、世界の核弾頭数などが報道されているページが出て来た。
私は其れ等の記事を見て、私は自分の意識と謂うか、世界の様子が、1984年6月4日に此の世界に入った時と、同じ状況に成っている事を感じた。
其れ等の事を考えながら、再び床に就くと、年輪が黒くハッキリとしている、大木の切り株の切り口が一面映し出されて来た。
そして、其の大きな切り株の年輪は、人間社会の年輪(カルマ・業)を意味している事が理解されて来た。・・・
「人間社会の年輪」http://green.ap.teacup.com/20060818/4210.html
2008/3/27「政(まつりごと)の助言」http://green.ap.teacup.com/20060818/686.html
2017/2/14「我が川辺の道」 http://wave.ap.teacup.com/20060106/721.html
此の「大八島の禊祓い」の文章の中に有る「不動産の世界は終わった」との言葉からすると、現在のアメリカ国の大統領である「トランプ氏」が、不動産王である事と関係があり、日御碕で井上佳子に告げられて来たメッセージは、日本の政治だけではなく、世界中の政治に付いてであり、大統領の職に合わない反対の人材を、政治の中心に立てて、人間社会の構造を一度潰してしまうとの事が、開始されている事が考えられる。
其れを考えると、今朝のメッセージには、「サラスヴァティー」ではなく、破壊を司る「シバ神」が関係している事に成りそうである。
今朝のメッセージの映像で、子供達が新しい世の中を構築し始める様子が映し出されて来たのは、現在・いま日本では、将棋や卓球の世界で、中学生が大人を超えてトップに躍り出て来ている事と関係が有り、全ての世界・分野にて、天神(てんのはたらき)が降ると言うか、神の意思で育てられた子供達が、頭角を現して来る事が考えられる。
今朝のメッセージの内容からすると、33年前の今日、私に起きた事が、人間社会全体で始まると言う事の様である。
今朝のメッセージの映像では、人間社会の大掃除が始まる事が示されて来たが、其れは、私が此の世界に入った時に、仕事を一切止めて、妻の名越美代子に「必要な物は全部持って行け。残った物は全て焼いてしまう。」と謂って、家の中を一度空にして、徹底的に掃除し、下着から洗濯機まで新しく換えた事と関係があり、其の私の行動も、一昨日触れた「幸盛小父」の波動を受けた結果であったのではないだろうか。
2017/6/2・・・・其れに、或る日の昼間に、一人で幸盛小父の自宅を訪ねると、幸盛小父は家中の畳を剥いで、一部屋に全て積み上げて、其の上に座ってビールを飲んで居り、横には、何ダースものビール瓶が入ったケースが置かれていた。
周囲の様子を見渡すと、家中の障子や襖が外され、押入れの布団や棚の衣類など全ての物が床の上に出されており、天井板も全て外して下に降ろしているので、其の家の様子は、建てたばかりの柱と壁だけの家の様に、成っているのである。
私は、其の様子を見て「幸盛小父 どうしたのか」と訊ねると、「女房に腹が立ったので 追い出してから 此の様にした。」と謂うのである。
私は、其の幸盛小父に「後片付けが 大変ではないか」と謂って、其の日は退散した。
其れから、後日再び訪ねて見ると、奥さんが庭にて一人で、天井板に水を掛けながら、一枚一枚束子で漉すって洗って居り、家の中を覗くと、家の中は綺麗に掃除されて元通りに成っていた。・・・
「藤山幸盛小父の思い出」http://moon.ap.teacup.com/20061108/649.html
其れに、昨日は「石車はあの石車で」と告げられて来て、次に「尻の痣」との言葉告げられて来た。其れは「蒙古班」の事である事が感じられた。
今朝、其の「蒙古班」を調べると、次の様に載っている。
蒙古斑(もうこはん、英: Mongolian Spot、Mongolian Blue Spot)は、先天的に発生する幼児の、主に仙椎の部分の皮膚にでる薄青い灰色の母斑のこと。発疹の様に見える。通常3〜5歳で消失する。通常、所々に現れるか、一つの大きなものが、腰椎、仙椎、臀部、脇腹、肩に現れる。
人種的分布
蒙古斑は主にモンゴル人や日本人などに現れ、他のアジア系民族では漢民族(上海市の調査では新生児の出現率は94.6%。内モンゴルの調査では率はモンゴル族78.79%、漢族73.54%、モンゴルと漢の混血児の場合は83.70%)、朝鮮民族、トルコ人、トルコ系諸民族、インドネシア人、フィリピン人、ブータン人、インディアン、エスキモー、イヌイットといった人々にも現れる。また、ネグロイドの乳幼児の臀部の真皮にも、高率に同様の蒙古斑細胞の発色がみられる。しかし、既に表皮に移動済みのメラノサイトが産生するメラニンがモンゴロイドに比べて多い為、蒙古斑が不明瞭になっている。
発生率はモンゴル人の幼児で95%、他の東アジア人の幼児で80%、ヒスパニック系の幼児で40-50%、インド・ヨーロッパ語族の幼児で1-10%と言われている[1]。西欧において、蒙古斑の知識がない人々やソーシャルワーカーや医療スタッフが、児童虐待による傷であると誤解することもある。
ウィキペディアフリー百科辞典 2017/5/4現在
此の説明から、「石車はあの石車で」との言葉の繋がりを考えると、新しい御世を創造する為に、岩戸開きを行なうには、蒙古班が出る血筋・系統が関係があり、其れは白人や黒人の系統ではなく、東洋系の「国津神・地祇・くにつかみ」である「大山祇神・おおやまづみかみ」を祭祈する、稲作文化に拠ると言う事なのかも知れない。
だが、今朝 女神が告げられて来た、
「貴方は いましばらく静かにしていなさい。
其の内に 判ります。其れは 是から大きな出来事が起きて来ますが、貴方には直接関係が無い事なので、なにもする事は有りません。ですが 其れは 貴方無しでは起きない事なので、しっかりと認識するのですよ。其処に 新しい御世が創造されて来るのですから。」
との言葉からすると、私は特別な事をする必要はなく、静かな暮らしを続けて居れば良いとの事なのであろう。
平成29年6月4日
礒邉自適
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