1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2017/10/14
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美世に
29・10・14
ただ今の時間は、5時25分である。
今朝は一切のメーセージが無く、私の意識は空白なので、本日の文章は「神(はたらき)」のメッセージではなく、私の自我意識での物である。
今朝は、一切の夢を見る事が無いと謂うか、脳が何も情報をキャッチしない為に、私の脳機能が33年間の癖で動き始めたのか、意識が目覚めてしまったので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時42分」であったので、私は其の数字を「342・みよに・美世に」と記憶して再び電気を消して寝た。
だが、増す増す意識がはっきりして来て、眠れなく成ったので、起きてベッドの枠に掛け布団を置いて、背中を当てて座って瞑想を始めたたが、やはり頭脳は空白の儘であり、頭には何も浮かんで来ないのである。
其れは、私個人が何も考える事・悩みが無い状態であり、神仏の関わりも無い状態である。
其れは「瞑想」の言葉は「暗い冥府を想う」との意味であるが、冥府・世次元世界の事に意識を向けても何の反応も無い状態であり、「座禅」は、唯座って頭脳を動かさず意識を止めてしまう行為であるから、私は座禅の行為をしていなくて、唯ベッドの枠に寄り掛って居るだけで、其の座禅の目的を果たしている事に成る。
何故、今朝は、私の意識が此の様に在るかと謂うと、昨日私の意識が、旅の終わりの場所・次元に辿り着いた事が示されて来た事と、「覚賀鳥・みさご・魚鷹」が、私に依り憑いていた「空海・眞魚」を鷲掴みにして連れ去るイメージをした所為か、天空を両翼にする「鵬・ほうおう」と地上の「社の床下に埋められている心の御柱」が連結した事で、全ての問題が解決して、私の頭脳や心身を使う物が居なく成った所為なのかも知れない。
それ故、今朝は書くべき文章が何も無いし、私の考えも何も無いから、題・テーマが存在しないので、私自身の意識が目覚めた時刻、3時42分の数字「342・みよに・美世に」を題とした。
今の時刻は6時15分であるが、昨日のメッセージの中から、私に一つ気に成って来るのは「機能がなければ 動けない」との言葉である。
今朝の私の頭が空・無である事の原因は、其の「機能がなければ動けない」との言葉が、私の意識の旅の最後と言うか、是までの天界の問題解決の「置き言葉」であり、昨日で天界の摂化が終わったと言う事に成り、新たな目的・機能を立ち上げなければ、森羅万象が流転できないと言う事なのではないだろうか。
其の様に考えると、昨日の説明に有った『・・如意宝珠とは全ての願いを叶えるものであり、法輪は元来古代インドの武器であったチャクラムが転じて、煩悩を破壊する仏法の象徴となったものである。六観音の役割では天上界を摂化するという。』との事が参考に成り、私は鵬・ほうおうから「三個のタルト・如意宝珠」を受け取るのではなく、新たな三個の種子芋を「想像」して、其の三個の種子芋から、六個の太芋(六観音)の働きを興さなければ成らないのかも知れない。
其れは、人間界から「七体・七人・七光」の思考の魂を発動させる事であり、私が引き受けられる役割の他に、六体の男性の御魂を探し出す必要が有るのではないだろうか。
其れは、中国の「竹林の七賢人」や「ヒマラヤに住む七聖者」の例が有るので、別に新しいイメージ・想像ではないが、美世・御世創造の為には、何等かの機能を用意する必要が有るのだろう。
其れは、過去の古い概念に縛られる事の無い、新しい創造の華を咲かす事であり、其れが釈迦牟尼佛の座る蓮華座や、観音菩薩像が立つ蓮華台の意味なのではないだろうか。
ただ今の時間は、6時46分である。
『さあ 是からがお前の本番である。何を考えるかも 自己責任である。』
『だが お前が考えれば自己責任であるが 自然に頭に浮かんで来る事は お前の責任でもないし 手柄でもない。』
此の言葉使いから、私に思い当たるのは、自分の父親の霊魂の存在である。
是が出て来る言葉の世界・機能を考えると、昨日の映像・ビジョンの「天空から降りて来た観音像」と「光の御柱・ベースチャクラ」の連結は、9月23日(祖父の命日)の出来事であった私の生殖機能の痛みと、10月7日の「DNAの培養基」のメッセージに関係が有り、私の現在の肉体の魂魄の状態から生み出される「DNA・遺伝子」からの情報が、未来を創造する培地(ベースチャクラ)と成ると言う事なのではないだろうか。
2017/9/23・・昨夜は、10時半頃床に付いて眠ると、私の陰嚢にカモ・(神の電気信号)が走り、精巣に強い痛みを覚えたので、目が醒めて時計を見ると時刻は「12時4分前」であった。
私は、其の痛みが病的現象であるのかと、少し心配したのだが、暫くすると其の痛みが消えたので、再び眠りに入った。
すると、其の痛みの原因に付いて示されて来た。
其れは、私の肉体情報と謂うか、生命情報が源まで帰り着いた事を意味し、其れは「魂魄・こんぱく」との言葉の「魄・ぱく」が、縁・結び(DNA)の始まりの所に還った事を知らせて来ているモノ・現象である事を理解した。
そして最後に、「最高年齢智慧者」との言葉が告げられて来て、明るく楽しく生きている若い人々の様子が写されたカラー写真が載っている新聞が映し出されて来て、其の広い紙面が、捲られて行く場面が映し出されて来た。・・・
「最高年齢智慧者編集の電子新聞」http://green.ap.teacup.com/20060818/4377.html
2017/10/7・・其れから再び眠ると、「ストリップで開けた岩戸の物語」を取り消さなければ成らない事が示されて来てから、「カレッジ」「校庭」「芝生」との言葉が告げられて来た。
そして、白いクリームと赤いジャムを混ぜて斑状に成った様な物が、画面全体に広げられている場面が映し出されて来て、其れは「DNA」の培養基(培養液・培地)である事が示されて来た。
そして、其れは、是から私が行なわなければ成らない、新しい潜在意識の情報構築を示唆している事が理解されて来た。・・・
「DNAの培養基」http://green.ap.teacup.com/20060818/4393.html
これ等の事柄から考えると、やはり私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の言葉が、現在・いま全て必要であると謂うか、現実の事として受け取らなければ成らないと言う事に成って来る。 7時9分
此処で眠く成ったので、電気を消して横に成ると、何故私が、自分の意識で3時42分に起きたのかが、気に成って来た。
其れは、私の心臓や躰の機能が「時間・トキ・事象」と同調しているからであり、其れが宇宙神である鵬の意識と、私の「いのち・DNA」の情報が一体化している証しなのであろう。
其の事を考えながら、眠りに落ちて行った。
すると、何時もの様に映像が映し出されて来た。
先ず、昔の文字文章を整理しなければ成らない事が映し出されて来た。
其れは、万葉集や源氏物語などの存在が、単なる恋愛の小説であり、老子の「道徳経」や、釈迦の「生面論」などの大説とは、比べ物に成らないからではないだろうか。
次に、私の「風 麦東 陶・ふうれんとう」と「紫陽花ネットワーク」に使用しているアジサイの花の絵を描いてくれた、奥野君が若返ったかの様に、床屋で散髪して、私が居る事務所に入って来た。そして、机に座り、新しい仕事を始める様子が映し出されて来た。
其れは、紫陽花の花のシステムとして考えて来た、神(髪)のシステム・仕組みのイメージを、新しい物としなければ成らないと言う事なのであろう。
次に、私が動物を殺す屠殺場の施設を訪れると、入り口で、屠殺人である50歳代の男性二人が出て来るのと擦れ違った。
そして、休憩室の中を覗くと、カカオを使用しているチョコ菓子の様な物が、数種類詰め合わせに成っている大きなケースが、5〜6段重ねられた箱の様な物が置いて有り、上の段のケースの菓子を、食い散らかしている様子が映し出されて来た。
其れは、肉食の人達が、甘い物を欲しがる理・ことを示している様であった。
次の映像には、「土肥無庵」からの贈り物であると言う反物の様な、紙で包装されている物が届いたので、私は其の包装されている物の形や雰囲気から、土肥無庵が書いた掛け軸にする様な書物であると判断し、楽しみながら開けて見ると、何と其の中身は、古い「布団カバー」「枕カバー」「女性用の補正下着」が入っているだけであり、私は其の古い塵の様な物ばかりの中身に驚いてしまった。
其れは、布団カバーと枕カバーは、「天の御臥す間(あめのおふすま)真床襲衾(まとこおふすま)」の世界と関係が有り、私の是までの霊夢の原因(しとねのみなもと)を廃棄する事と、女性の生理に付いての理・ことは考えるなと言う事が、示されて来ているのだと解釈した。
其れに、天空の鵬(ほうおう)や観音菩薩の存在は、「女神・女性性・母性」と考えがちだが、人間の生理的な機能は一切無い理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れに、「布団カバー」「枕カバー」「女性用の補正下着」の三品は、本体其の物ではなく、中身を覆い隠すカバーなので、其れ等の本体を隠してあるカバー・覆いを取り外して、本体・物事の眞実を、表に出せと言う事なのではないだろうか。
其処で意識が目覚めると、時刻は8時00分に成るところであった。
其れから再び眠ると、今度は、静かで美しい自然の森林の景色が映し出されて来て、私が其れ等の雰囲気を寝転んで楽しんで居ると、私の頭の上に、小鳥の「目白・めじろ」が二羽の雛を左右に連れて小枝に止まり、三羽揃って、私の存在を見下ろして居る場面が映し出されて来た。
其れから、今朝のメッセージに付いて長らく考えて居て、起きて時計を見ると時刻は「10時45分」であったので、私は其の数字を「1045・としご・年子」と記憶した。
「年・ネン・ねん」【解字】形声。甲骨文は、「禾+人」音符の人は、成熟した人の意味。成熟した穀物、みのるの意味から、転じて、としの意味に用いる。篆文は会意で、禾+千。千は、多いの意味。多くの穀物がみのるの意味を表す。
【字義】@とし。㋐元旦から大みそかまで。一年。㋑年齢。寿命。とき(時)。よ(代)。時代。年代。Bみのる。みのり(稔)。C穀物。
漢語林より
此の年の意味からすると、私は自分の存在を、自然の営みが「千(多くの)禾(穀物)」を育てている理と、同じシステムの中で、地球の全生命と同じく「DNA・遺伝子を継続していると謂う理・ことに成り、其れが「天津日嗣・あまつひつぎ」の根本であって、余計な事を考える必要が無いと謂う事なのかもしれない。
正に私は、「年の子」であり、此の美しい水の惑星である地球に生を受け、地球が23・43度傾いている事で、四季の移ろいの色彩を楽しみながら生きているのである。
平成29年10月14日
礒邉自適
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