1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2018/5/28
不自然な世の中
30・5・28
今朝は一眠りすると、目覚めてしまったので照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時2分」であった。
其れから再び眠ると、私が、昔の便所の肥え汲みをしている場面が映し出されて来て、私が木製の肥え桶に杓で肥えを汲んで居ると、30歳代の飛脚の様な男性が走って来て、其の肥え桶に躓いた為に桶が倒れ、中に入っていた肥えが、台所の床下の方に流れ込んでしまった。
其れで、台所だけではなく、家中に悪臭が広がったので、食事だけではなく、寝泊りも出来ない状態になり、私はどうしたら良いかと考えあぐねて居た。
次の映像は、会館の様な建て物施設の中に、新しいパチンコ台の様な機械が並べられている場面が映し出されて来て、私が其の機械でゲームを始めると、夜中まで続けても、一個も玉が入らないので、私はお金を使い果たし、財布が空に成ってしまったので、其の機械は故障しているらしいから、帰りの旅費ぐらいは返してくれないだろうかと考えて居た。
其れ等の映像の意味に付いて考えて居ると、現在の世の中は、人間の生活が原因で、至る所が排泄物で汚れており、現代社会の仕組みは、殆どが詐欺師の様な人達の手中に落ちてしまっている事を思った。
其れを考えて居ると、道元禅師の「眼横鼻直・がんのうびちょく」の言葉が頭に浮かんで来たので、起きて時計を見ると時刻は5時30分であった。
其れで、起きて早速「眼横鼻直」で検索すると、次の文章が出て来た。
【質問】「眼横鼻直」という言葉について知りたい。誰の言葉でどのような意味か。また、出典となる文献も見たい。
【答え】「眼横鼻直」について、『例文仏教語大辞典』には「一切の事象は、眼が横に、鼻がまっすぐであるように、そのままが同一の真実(真如)を表している、ということ。」と説明されている。また、『大法輪 第79巻第6号』には、「眼横鼻直」について、「道元禅師が中国で修行し、師の如浄禅師の仏法を会得して返ってきた時の心境を示した言葉である」「どのような仏法を体得して帰ってきたかと言えば「眼横鼻直」すなわち眼は横に並び、鼻は縦についている≠ニいうような当たり前のことであり、仏法のさとり≠ニは特別な神秘体験をすることではなく、当たり前のことを当たり前に肯うことであることを示している。」と説明されている。・・・
国立国会図書館ホーム より
【眼横鼻直・がんのうびちょく】(永平広録)
『枯木再び花を生ず −禅語に学ぶ生き方−』
(細川景一著・2000.11禅文化研究所刊)より
一休禅師(1394〜1481)の話
(『大法輪』昭和六十三年二月号、藤原東演「臨済禅僧の名話」参照)
「臨黄ネット」http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/090901.html
この「臨黄ネット」の文章に「一休宗純禅師」の事が書いて有るのを見て、今朝のメッセージの映像は、其の一休さんの悪戯であるのだと思われて来た。
何故かと謂うと、其の一休宗純禅師は34年前、私に「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」との言葉を告げて来て、私と共に意識の旅を続けている御魂であるからである。
2003/3/17・・今日で、無庵師匠に捜し出されて丸19年が経過し、明日から20年目に入る事に成る。
其の区切りの日だからか、今朝のメッセージの映像には、鮮明な場面が様々に有って、最後に一休さんの顔が左向きで右側に現れて見えた。
「一休さん」に付いては、広辞苑に次の様に載っている。
一休宗純【室町中期の臨済宗の僧。諱(いみな)は宗純、号は狂雲。一休は字(あざな)。後小松天皇の落胤といわれる。京都大徳寺の住持。詩、狂詩に巧みで書画をよくする。禅院の腐敗に抗し、奇行が多かった。詩集「狂雲集」。一休諸国咄などに伝説化され、小説、戯曲に描かれる。(1394〜1481)】
此処のところ、釋迦仏陀やイエス-キリスト等の気配を感じていたが、19年目の最後の日に「一休禅師」の顔が現れた事は、意味が深い。
私が、屋久島での修業中に「風餐水宿」との文字が現れて、「餐・食」を「ショク」ではなく「サン」と、何故、読むのかも分からなかったが、後に一休さんが自分の住いを「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」と名付けていた事が判明した。
一休さんの霊魂が、私の修業の始まりから、憑いている事には気付いていたのだが、顔や姿を現したのは、今日が初めてである。・・・
「夢の材料」http://star.ap.teacup.com/170606/223.html
2014/8/20今日は、どんなメッセージが来るかと思っていたら、予想だにしなかった「一休宗純禅師」の御魂が動き出して来た。
昨日は、額の中に、10項目程の横書きの文章が記されているのが映し出されて来た。其れは、モーゼが岩山で、神から授かった十戒が、新しく書き直される物かと考えていた。
だが、今朝のメッセージの世界は、一休宗純禅師の世界であり、一休禅師が大事にしていた言葉は「諸悪莫作」「衆善奉行」であり、其れは人間の生きる規範に付いて触れている物で、非常に短い。
其れに付いては、次の様に以前書いて在る。・・
今朝のメッセージの映像は、私の意識が市場の様な所に在って、美味しい蛸の足がないか探して居た。そして、蛸の足を買って、お寺の様な建物に帰った。
今朝の映像には、一休禅師の姿は直接登場しなかったが、美味しい蛸の足を捜して居た意識は、私の物ではなく、蛸が大好きであった一休宗純禅師のものだったのであろう。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像は、私自身の意識ではなく、一休宗純禅師の御魂が、動いている所為だと考えた方が良いだろう。
今朝の映像情報が、一休禅師の物であれば、今朝の映像に登場した六人の人物は、「七仏通誡偈」の仏教で釈迦以前に存在したとされる6人の仏と、釈迦を含む7人の仏(過去七仏)と関係があり、私を入れると7人と成る。・・
これ等の文章を読むと、私に1984年夏に初めて杖を持たせたのも一休宗純禅師であり、13年後の1997年5月10日に、大徳寺で杖を手にした写真を撮らせたのも、其の一休禅師である。
其れ等の事柄を考えると、確かに私は30年前の次元に、本日、返されている事に成りそうである。
此処まで一休宗純禅師の関わりが深く成って来ると、改めて一休禅師の存在を考え直して見なければ成らない。
頓智で有名な、一休さんの事である。
未だ、何か、裏が有るのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像に、頭骸骨の繋ぎ目が映し出されて来たのも、一休宗純禅師が、正月に、杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。との事と、関係が有るのかも知れない。
此の世界は、神の事だけを考えて居ても生きて行けず、神仏や霊魂の事を疎かにすると、人間社会は精神が乱れて行き、平穏な暮らしが出来なく成る。
其れは、モーゼの十戒や、釈迦の八正道、其れに聖徳太子の十七条憲法などが、簡単には守られない事で明らかであり、人間の御魂は下り易いが、なかなか高まる事が難しい事にも原因がある。
だが、神・宇宙にも節度・道・法が在り、何時までも、人間の我儘が許される事は無いのである。其れは、私が30年前に示された事で明らかである。
其処の所に、私は再び帰らされている。
其れは、一休宗純禅師が530年前に感じていた気持ちを、再び、共有する事に成るのかも知れない。・・・
「一休宗純禅師」http://green.ap.teacup.com/20060818/3169.html
2014/5/8・・私は、今朝其れに付いて、昨日の状況から「禊ぎ祓い」をする事を、「いざなぎする」との言葉にしようと想った。
其れは、仏教の始祖である「釈迦」は池で水浴びしてブッダ・成仏しており、キリスト教の始祖である「イエス」はヨルダン川で水浴びをして聖霊に満たされているからである。
其れは、私も同じ体験をしており、日本の神道の始まりである「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」も小戸のあわぎ原で水浴びをして、神々の働きを生み出しているからである。
だから、一番古いのは「伊邪那岐命」であるので、其れ等の始まりに起きる事・為すべき事は「いざなぎする」との言葉で、表現できると意うからである。
其の「いざなぎする」との言葉を念頭に置いて、是からの作業を続けたいと意う。
何故かと言うと、其の言葉が有する概念を頭に置いていれば、人々の意識を汚す事は出来ないし、今朝の題とした「諸悪莫作・衆善奉行」の訓えにも、背く事には成らないと憶うからである。
いま、左手の中指にビリビリとカモ・(神の電気信号)が来た。
時刻を見ると14時58分で、今日の日付の5月8日と合っている。
やはり時の神は、付いて居る様である。
「諸悪莫作・衆善奉行」http://green.ap.teacup.com/20060818/3049.html
2018/2/12昨夜は、夜中に暫くまどろんで居ると、前面に数字だけが曼荼羅の様に広がっている映像が、瞼に映し出されて来た。
私は、其の場面は魔方陣や曼荼羅華に関係が有ると思った。
今朝のメッセージは、昨日告げられて来た「ここらで止めようか」との言葉を、私が受け入れた事と関係が有るのか、政治や人間社会の事には全く関係が無い、私自身の持ち時間と謂うか、ルート・道に付いて示されて来た。
次に、私の人生のルートが、白く柔らかい布地の様な素材で被膜された太い電線として、薄桃色の斑模様の宇宙空間に真っ直ぐ伸びている映像が映し出されて来て、其の電線の方向は今朝の映像で初めに映し出されて来た道と、同じ方向である。
其の関連は、私の人生のルート・道は、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を引き受けた事で、其れ等の人格霊の人生のルート(道学・体験・修練)が、同ケーブルに収納された為に4311体分に膨らんだ事を示唆しているモノである理・ことが理解されて来た。
其れから「マーカー」「敗北が決定する」「大間違い」「アメリカンドリームの終焉」との言葉が告げられて来た。
其れ等の言葉に付いて考え始めると、様々な事が頭に浮かんで来た。・・
其れ等の事を考えると、私は此れから、人々が先に進む為の、足元を照らすライト・光と成るモノを、探り出さなければ成らないのであろう。
其れは、一休宗純禅師が、街の中を歩きながら振り回していた木刀の代わりと成る物であり、釈迦仏陀が予言している「無明の世に点す一灯」である。
「自分自身にライトを当てる」http://moon.ap.teacup.com/26660606/101.html
其れから、今朝起こされた「2時2分」と「5時30分」の数字から、昨年の5月30日」と、今年の「2月2日」の文章を見ると次の様な事が書いて有る。
2018/2/2今朝のメッセージの映像には、人間の脳細胞が強く活動している事を示す、シナプスの働き(連結)が電気的に光っている場面が映し出されて来た。
其れは、宇宙に浮かぶ人工衛星から、地球の夜間の大都会の輝きを見ている様な雰囲気の物である。
そして「精神の糧(こころのかての意味)」との言葉が告げられて来て、次に「自己顕正」との言葉が示されて来た。
次に、禅宗の僧侶の様な雰囲気の50歳位の男性が一人登場して、私が其の男性と人間の存在に付いて、話を始める様子が映し出されて来た。・・
其の様に考えると、今朝のメッセージの映像に「激しく動いている脳」の様子が映し出されて来た事が関係有り、私は是から「世間・外側」の現象に対して、頭脳を使用するのではなく、自分自身の頭脳に意識・エネルギーを集中させる必要が有り、其の事に成功しなければ、此れまでの修行が無駄に成ってしまうとの事なのかも知れない。
其れは、私が1984年6月4日に、此の世界に飛び込んだ時に告げられて来た事に、意識を集中しなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
其の時、告げられて来たメッセージは次の様なモノである。
「残り16年半しかない。チャンスは一度」
「二つのアンテナが必要。四次元プログラム・水素原子管理」
「私の役割が『事象の特異点』『新しい神の座標軸』である」
今朝のメッセージから、私に考えられる事は、「Ra・ラー」や「「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらし ます すめおおみかみ のみたま」の神(はたらき)は、全て、人間の頭脳の働きに直結して動いているモノなので、自分自身の脳の働きを実感すると言うか、管理する事に有り、外側の神(はたらき)に意識を向けては成らないと言う理・ことなのであろう。
其れを考えると、統尊(すめらのみこと)の存在は、其の神(はたらき)に覚醒した「仏陀・ブッダ」でなければ成らないと謂う事であり、第三の目(松果体・珪素・シリコン)のチャンネルが開いた人間でなければ、務まらないと言う事に成る。・・
此の糧の意味からすると、「精神の糧」との言葉は「食料」の事ではなく、「学問・修養などの資となるもの」との事であり、其の「資」とは、人間の脳の情報の事であると言う事に成る。
「資・シ」【解字】形声。「貝+次」音符の次は、とりつくろわない、リラックスした人の象形。特に無理に他から調達することなく、手持ちのもとからある財貨、もとでの意味や、もちまえの意味を表す。
【字義】@たから。財貨。Aもと。㋐もとで「資金」「資本」㋑よりどころとなるもの。「学資」「資格」「物資」Bたすける。金品を与えて助ける。C与える。支給する。Dとる(取)。Eよる(依)。たよる。たのむ。Fたち。もちまえ。生まれつき。「資質」「天質」 漢語林より
此の資の漢字の意味からすると、私は、リラックスしたまま、手持ちのもとから有る・・Fたち。もちまえ。生まれつき。「資質」「天質」・・で対応すれば良いと言う事に成るので、特別無理をする事なく出来そうな気がして来た。
寧ろ、他からの影響を受ける事なく、自分の持ち前の特性を生かして、事に当たれば良いと事なのであろう。
其れは、今朝の映像に登場した禅宗の僧侶と関係が有り、禅定の体制を維持しなければ成らないと言う事なのかも知れない。
明日2月3日は「節分」であるが、私は鬼を追い出したり、迎え入れたりする必要も無く、普通に日々を過ごせば良い様である。
「Ra1(ラァワン)」http://green.ap.teacup.com/20060818/4515.html
2017/5/30今朝のメッセージの映像は、27日の「嚴」の「きびしくつじつまを合わせる」との意味と関係が有り、其の合わせるべき物が、人間の「行動現場・行為」と「言葉」の関係ではないかと言う事である。何故、其の様に考えるかと謂うと、「詩人」は一般的に、厳しい現場で肉体労働をする人々ではなく、静かな生活を楽しみ、頭で言葉遊びをする人達であるからである。
私が何故其の様に考えるかと謂うと、其の詩人の映画上映が有ると言う場面の最後に、色とりどりの幼児用の積木が入った、ボックスが映し出されて来たからである。
其れは、善く考えれば、詩人は子供の様に意識・こころが純粋であり、物の形や色合いの感じ方が、初心(うぶ)である理・ことが、示唆されて来ている様に思えるからである。
だが、其の様な詩人の在り方では、統尊の「エネルトーン」や「全系」との世界は、現実的に取り組まなければ成らない物事の世界なので、詩人の空想的な世界では、実行出きる事ではないからである。
「厳・嚴・ゲン・ゴン・おごそか・きびしい」【解字】形声。「口口+敢」。口口は、きびしくつじつまを合わせる意味。のち、音符の敢を付し、音を明らかにした。【字義】@きびしい。はげしい。ひどい。また、きびしくする。「厳寒」Aおごそか。いかめしい。いかつい。「荘厳」Bたっとい。たっとぶ。Cいましめる。いましめ。「戒厳」D父。⇔慈(母)「冷厳」「家厳」 漢語林より
其れに、次の場面の、自然農法家の講演が開かれると言う会場が、トイレが使えない状態であったのは、幾ら、昔ながらの自然な生活・くらしが良いからと言っても、トイレが昔の様な状態では、近代社会の文明を否定する事に成るので、其れは其れで、有る程度の妥協(すり合わせ)を図って行かなければ、進歩には繋がらないと言う事なのであろう。・・
其れに、5月18日には、私の意識の中に「全ての事には 原因が」との言葉が告げられて来てもいる。其の「全ての事には 原因が」との言葉が、「全系」との言葉と関係があれば、「全ての事の原因」が「あま」から降る「系・エネルトーン」に有り、其の存在と、人間の行動・行為から生まれる意識・言葉が、ピタリと「嚴・そり合えば」未来社会が磐石と成ると言う事であり、其の為にこそ、トランス体である統尊(すめらのみこと)の「嚴・みいつ」が重要であると言う理・ことではないだろうか。
其の様に考えると、詩人の言葉と、統尊の詔勅(みことのり)は、言葉の世界は同じでも、全く次元が異なると言う理・ことなのであろう。
其れに、統尊の生活は、飲食は完全な自然の物でなければ成らないが、生活空間は完璧に整えられていなければ、無意識の状態で神に仕える事が出来ないので、近代文明を最大限生かす必要があると言う事なのかも知れない。
何故なら、PCが一台有れば、山頂の洞窟内で暮らしても、統尊の役割である「嚴・みいつ」は可能であり、現在多額の税金を使っている宮内庁の役割は、縮小できるからである。・・・
「嚴は難しい」http://green.ap.teacup.com/20060818/4255.html
其れに、一年前の5月28日と29日の文章は次の様な物である。
2017/5/28今朝のメッセージの映像は、目に見えない神の手が、大地に蔓性の植物の種子を撒く映像が映し出されて来て、其の種子が広い範囲に芽生えて、緑の蔓や葉が大地を覆い始める場面が映し出されて来た。
そして、其の繁茂して行く緑の蔓の中から、「八・公・会・分・尣・合・今・全・令・命・などの、頭に末広がりの形である八の形が冠で出来ている文字が、次々に生まれて来る場面が映し出されて来た。
次の映像は、私の意識が、其の蔓が覆い始めた場所に向かう場面が映し出されて来て、歩いて行くと、蔓が覆い始めている場所の道路沿いに、数人の男性工員が働いて居る自動車修理工場の建物が有り、私が其の修理工場の社長に、其の蔓が生え始めた中心の場所を訊ねると、其の男性社長は「今は忙しい」と謂って、相手にしないのである。
私は、仕方が無いので、一人で其の道を進んで行くと、優しい顔をした人々が、個々に花が咲いている枝を手にして、中心地から此方に向かって歩いて来る姿が見えた。
今朝のメッセージの映像は、一昨日の「全系」の言葉に関係が有りそうなので、「全」の漢字の意味が、英語で何と表現しているのかを調べると、辞典には次の様に載っている。
「全」音ゼン。訓まったく。Completely(カンプリートリ)@まったく。A説頭「すべて」の意。言海社発行 和英辞典
完全に、すっかり、まったく、あらゆる点で・十分に(⇔partially)
今朝のメッセージの映像から、私が感じとった事は、漢字文字の始まりである「文」は、人間の行為・自我意識から創り出した物であるが、今朝の映像に映し出されて来た蔓植物が繁茂する中から発生して来た「八」が冠の文字は、自然法則・宇宙の働きから生じる、生命原理・概念に付いて、外側の対象物・相対的認識方として、指し示して来ているのではないかと謂う事である。
其れは、仏陀釈迦が、自分の説法を聴きに集まって来て居る人々には説明できない理なので、手に一本の花茎を持って、無言で摩訶迦葉(まかかしょう)が山から下りて来るのを待って居た「拈華微笑」の世界と関係があり、2600年振りに天神(てんのはたらき)が新しい形で、指し示されて来た事に成るのではないだろうか。
漢字文字の始まりである「文」は、人が胸に刺青をした象形であり、「言」の漢字は「辛+口」の組み合わせで、辛は刺青の針の象形であり、口は言葉を記した札を立て入れる容器の象形であるとの事である。
其の事を考えると、昨日の「嚴」の「口口」は、「答・トウ」の漢字が「竹竹+合」の組み合わせで、竹札に書いた文字(伝言・伝票)を合わせるの意味なので、嚴の意味の「つじつまをきびしく合わせる」との事と、関連する文字系体であると言う事に成る。
其れは、今朝のメッセージで示されて来た「合・分・令・命」等の字義と関係が有り、今朝のメッセージの映像は「人間」と「神(はたらき)・自然法則」の関係性の「嚴・すりあわせ」に付いて、具体的な指示が下されて来た事に成りそうである。
今朝の映像に映し出されて来た、天神が地上に撒いた蔓性の植物に付いては、私は是まで、何度か触れて来て居るし、同じ様な意味で「すさのお、苆(すさ)の尾・穂」の世界にも触れて来ている。
其れに、今朝のメッセージの映像では、車の修理工場が道路沿いに有って、工場の社長が「いまは忙しい」と謂って、私に取り合わなかったのは、「文字言葉」が人間の意識の「乗り物」である理・ことを示唆しており、其れは「生命や文字言葉」の世界を探求する行為は、自分自身でするモノ・世界であり、他人に訊いては成らないと言う理が、示されているのであろう。
其れは、日本の伝統である「惟神道・かんながらみち」の世界と関係が有り、人間は夫々違う時間・次元・世界を生きて居るので、自分が接続・接触している過程・段階を、他人に訊ねても、無駄であると言う理・ことが示されているのであろう。
「すさのをの全系」http://green.ap.teacup.com/20060818/4253.html
2017/5/29・・此の説明に有る、「薬王菩薩本事品を以って汝に嘱累す。『"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見)という偉大な人である菩薩の過去との結びつき』」との説明から考えると、今朝のメッセージは、昨日の「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」の神名と関係が有り、食べ物が薬の働きを持っている理を示して来ており、其れが日本の伝統・概念である「食国の政(おすくにのまつりごと)」に通じるとの事なのかも知れない。
其れに、「偉大な人である菩薩の過去との結びつき」との言葉からすると、今朝のメッセージの映像で、私の意識が、高さの有る神輿の様な乗り物に乗って、町中を巡回していたのは、其の転生を繰り返している「薬王菩薩」の「働き(神・如来)」であったのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の映像で、創価学会の若者が私と共に革命行動を起すと言う事は、日蓮上人がご本尊とした仏陀釈迦の法華経の教訓が「テーマ・課題」と成って、新しい御世創りの活動が本格化すると言うことであり、其の事に、此の私が関係有ると言う事に成るのではないだろうか。
其の様に考えると、私が此の世界に入る切っ掛けが、其の日蓮上人の霊魂が告げて来た「神だから守れ」との言葉に有る事が、理解されて来る。・・・
「広宣流布」http://green.ap.teacup.com/20060818/4254.html
『何れの者が』10時32分 今、一言告げられて来た、此の男性の言葉は誰の物であろうか。
其れが、「眼横鼻直」の言葉を創った道元禅師のモノであれば、道元禅師が悟る要因と成った、老典座の僧侶の存在と関係が有るのかも知れない。
キー「道元禅師 老典座茸干し」
2017/1/27・・其れに、茸を干しているお坊さんの存在は、道元禅師が中国で悟りを得る場面と関係が有り、道元禅師が、日中の暑い最中に庭で椎茸を干している老典座に「そんな事は 若い僧にさせたらどうですか」と謂うと、其の老典座が「他はこれ吾にあらず(私が遣らなければ誰が遣る)。」「いずれの時をか待たん(今遣らなければ何時やる)。」と謂った事で、悟ったとの逸話が思い出される。
今朝の私へメッセージは、仏陀・ブッダの世界がどう言うモノであるかが示されて来ており、「ブッダ・ほとけ」の世界の「血脈・けちみゃく」を安定継続が、必要不可欠である理・ことが示されて来ているのではないだろうか。・・
すると、其処に、家の主人が、湯飲み茶碗に注いだ緑茶をお盆に乗せて持って来て、二人の間に置いて行ったので、私は其の茶碗を手に持つと、其の僧侶が私の左後ろに視線を向けてから、「りんねそくさい」との言葉を口にするので、私が左後ろを振り返ると、其処には、大筆で昔の漢字が大書されている和紙が、天井から床にまで、下げられていた。
今朝は起きてPCを立ち上げると「今一度復習を」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方が 是まで 取り組んで来た色々様々な事柄は
是まで 誰も行った事が無い 多岐に亘る世界でしたですが
貴方の意識の中でもまだ 論点整理が行われてはいません。
其れを考えると 貴方自身が 其れ等の事を再検討して
認識し直す必要があるでしょう。
何故なら貴方の意識が 其れ等の事を明確に意識しなければ
情報システムの中に 正しく記憶する事ができないからです。
其れこそが 総合無意識の世界を充実させる事であり
未来創造に繋がるからです。
神霊界の御魂は 貴方の活躍で成仏する事が出来ました。
ですが 其の事と 是からの意識の進歩は直接的には関係が有りません。
是から先の事は 過去世の人々の御魂に頼るのではなく
其の時代を生きる者が 創造して行くしか他に道が無いのです。
其の事の為に 貴方には もう一踏ん張りして欲しいのです。
良いですか アカシックレコードとの概念を 人間サイドが
積極的に活用する時代が到来したと言えるのですよ。
そして其の事に 是からの貴方の意識が向かう必要があるのです。
其の為にも 貴方は 自分の役割が終わったと思うのではなく
全ての事柄を再認識する必要があると言う事なのです。
其の作業過程こそが 未来世界創造の要因・引き金・基盤と成るのです。」
「輪廻息烖」http://green.ap.teacup.com/20060818/4128.html
2002/11/18・・このくらいの文章で、「静寂と動機」のテーマに合っているのだろうか。「静寂と動機」のテーマは、もっと深い意味が有るだろう。
道元禅師が、悟る原因となった場面には、シイタケを干している老人の「典座・てんぞ」の言葉が有る。
「今 やらなければ いつやれる」「私が やらなければ 誰がやる」
其の二つの言葉が、道元禅師の一生の支えと、成っていた事は間違いない。
「禅」とは、「静寂の環境の中に 身を置いて 瞑想をする事である」と、一般的には考えられているが、「禅」とは「自分の人生の 動機を探る事が 一番の大事」とされているのだ。
「一大事因縁」と「時節一縁」が、禅のテーマである。
私は、時の節目を捉えて、自分の一大事因縁に生きているのだろうか。
その答えは、本日のテーマである「静寂と動機」が、ヒントなのであろう。
「静寂と動機」http://wave.ap.teacup.com/20060106/435.html
2017/12/30今朝のメッセージは、昨日女神が告げて来た「・・是からは 未来社会創造の為に 動き出す人々のアドバイザーとしての役割が 貴方に生じて来ますので 其の心の準備をして措きなさいね・・」との言葉と関係が有りそうで、早速新しい御世造りに関して、是までとは雰囲気が異なる、幾つもの場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージの映像は、PCがアップデートされる様に、人間社会の有りようが 新バージョンに切り換わると言うか、アップデートされ場面が映し出されて来た。
先ず、鵬(ほうおう)の様な赤い瞼をした目を持つ、黒い服を着た50歳代の女性の存在が映し出されて来て、其の女性が造り上げて来た、組織図・仕組みが解体されて消えて行く場面が映し出されて来た。
そして、其の理由として、是からの人間社会は、全ての人々が自由に情報が得られるので、統率者と言うか支配者が必要ではなく、正しい情報を皆が入手できるので、夫々が其の正しい情報に拠って、自由な生き方が出来ると言う事である。・・・
「新バージョン」http://green.ap.teacup.com/20060818/4481.html
昨日は「弘法大師空海」と「虚空蔵菩薩求聞持法」の世界であったが、今朝は「道元禅師」と、悪戯好きな「一休宗純禅師」の世界の様である。
『何れの者が』と一言告げられて来た言葉が、道元禅師のモノであれば、「何時か 誰かが 何かを興さなければ」現在の世の中の無明が、まだまだ続いて行くとの理・ことが、示されて来ているのかも知れない。
「嚴は難しい」との言葉が告げられて来てから明後日で丸一年と成る。
昨日と今日のメッセージは、其の「嚴(口口+敢)口口は、きびしくつじつまを合わせる意味」と関係が有り、「御嚴・みいつ」の働きが本番と成っているとの事なのかも知れない。
平成30年5月28日
礒邉自適
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