1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2019/7/25
高木の神
1・7・25
昨日は午後パソコンに向かって居ると、睡魔が襲って来たので、作業を中止して暫くベッドに横に成った。
すると、意識一杯に澄み渡った青空が映し出されて来て、其の中央に、白いスジ雲が螺旋状態で天空に伸び上っている場面が映し出されて来た。
そして、其の螺旋状態のスジ雲は、空中に螺旋構造のタイムトンネルの様なモノが存在し、其の影響で白いスジ雲が外側に巻き込まれている事が理解出来て来た。
其れは、私が35年前に此の世界に飛び込んだ時に、高圧電線からマイナス電気(粒子)を自分の肉体に充電して、天空(宇宙)にタイムトンネルの穴を開け、時代毎の神霊を、現在・いまの時空に集めた事と関係が有りそうである。
其の事と関係が有るのか、今朝のメッセージの映像には、私の是までの行動・関わりで、此の三次元世界(人間界)に、男女の区別無く、新しい人材が用意されている事が示されて来た。
次の映像は、とても背の高い杉林の中に、一段と高く大きく聳えている木の上から、私が逆さに地上に向いて降りて行くと、其の地上には、日本人の人間国宝に選ばれた各分野の年配の男女が、私が降りて来るのを待っている姿が在った。
次に、私は年配の男性執事の様な人物に案内されて、立派なホテルの様な建物施設の中に入って行き、部屋の中で、正式な服装に着替える場面が映し出されて来た。
次に、白胡麻の様なとても小さな粒が一粒載っている、赤みかかった色の丸い敷物(円いお盆の様な形)が映し出されて来て、其の敷物は、広いグレー色のマットの上に置かれている事は判った。
次に、額縁の中に幾つかの「○▽◇」の様な形が、様々な色違いで、数個組み合わされている作品が、次々に数十枚映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時4分であった。
其れから、しばらく横に成って今朝のメッセージを反復して居ると、時計の秒針の音が耳に響いて来て、私の心臓の鼓動と共鳴している様な気配が感じとれて来たので、私は、1分の60秒は12進法で「12×5=60」なので、半還暦の60歳と関係が有り、全還暦の120歳は「12年×10回=120年」である事を想った。
其れに、私が安静にして居る時は、脈拍(心臓の鼓動)は一分間に60回であるが、呼吸(肺の動き)は一分間に12回である。
其れを考えると、一日が「12時×2=24時」で割り切れる事の不思議さを感じ、地球の自転と人間の心臓の鼓動の回数が、何故一致するのかを想った。
そして、其の理・ことが、人間が「彼岸に渡る・済度される」事の近道であると思った。
何故かと謂うと、仏教の「精進・しょうじん」との言葉は、「絶対安静」の言葉と関係が有り、人間が全ての行為・行動を停止して、誰とも会わず、言葉も使わずに脳を休めれば、1分間の脈拍が60回に安定するからである。
そして、其の事からマヤ文化で生きた心臓が捧げられる「チャックモール」の事を思い出し、本日7月25日は、マヤの暦で「時間の無い日」である事を思った。
2003/7/25「つみけがれあらもうば」https://moon.ap.teacup.com/20061108/323.html
2013/7/25「赤い金モールのバッジ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2758.html
2016/10/2「酉の時・トリのトキ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4006.html
2008/12/27「此の世は神の夢の材料」http://green.ap.teacup.com/20060818/992.html
今朝起こされた「7時4分」の数字から、今年の7月4日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/7/4今朝のメッセージの映像は、先ず光の無い世界(空間)に、私の意識・考えを表す縦書きの短い文章が、球暖簾の様に下がっている場面が映し出されて来た。
そして、其の球暖簾の下を潜る者は一人も居ないし、其の文章を理解する者が、近くには誰も存在しない事が示されて来た。
次の映像は、都会から田舎に移住して生活を始めている人々の村の存在が示されて来て、私が其の村を訪ねると、一人の男性が私に近づいて来て、「此の村の代表は創価学会の人である」と、教えてくれた。
それで、私は其の人の所を訪ねると、若葉色のスーツを着た60歳の男性であり、私が其の男性に「南無妙法蓮華経の正しい意味をご存知ですか」と問うと、其の人がたじろいだ様子を示すので、私は「 帰依します お釈迦さんの法華経の教えに との意味ですよ」と謂うと、其の男性は私の存在を認めた様なので、私は釈迦仏陀に付いて話し始めた。
すると其の男性は、泣きだしはしないが、とても感動・興奮した様子で顔を赤らめながら、私の話しに意識を集中させて来たので、私は「牧口常三郎が どんな気持ちで法華経を学ぶ会を始めたのか 仲間に説いてください」と謂った。
すると、其処に「瀬織津比売・せおりつひめ」らしき雰囲気の、小柄で細身の老女が遣って来て、男性の向こう側に腰を掛けた。
すると「5000年掛かった」との言葉が聴こえて来て、「是が男性の役割・世界である」との理・ことが示されて来た。
其処で、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時15分」であった。
其れから再び眠ると、今度は右上の上空から、赤色のガンダムの腕の様な物が水田に下りて来て、稲の苗を植える様な動きを始める場面が、映し出されて来た。
其の腕は、恐竜の長い尾の骨の繋がりの様に、上から下に段々と細く、金属の関節が繋がっている物であり、一番下の指先が二又に成っており、ピンセットの様に物を挟む構造に成っているのである。
其れから「12本」との言葉と、「五本指の片手」との言葉が示されて来た。
そして、「12本」の言葉は「体」の漢字に関係が有り「12人+本」との意味である事が示されて来た。
其れに、「五本指の片手」との言葉は「親指・人指し指・中指・薬指・小指」の夫々の役割・はたらきを、示唆している事が理解されて来た。
私は、其の「12人+本」との文字言葉から、其れは「イエスキリストの言葉」と「12人の弟子」の関係性を想った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時15分」であり、「5000年掛かった」と告げられて目覚めた時刻から、丁度一時間が経過している事を理解した。
其れから再び眠ると、今度は、初めに映し出されて来たガンダムの腕の様な物が、地面から天空に大きなトーテンポールの様に聳え立っている場面が映し出されて来て、其の柱を背景にして、男性の姿が一体だけ立っており、其の姿が、早送り漫画本のページの絵の様に、次々に、別の男性に変化して行く映像が映し出されて来て、最終の人物の数人前に、黒人の「キング牧師」の姿が有る事が判った。
今朝は起きた・起された時刻は「7時47分」であったので、私は其の数字を「747・なしな・無し名」と記憶した。
今朝起された「5時15分」と「6時15分」の数字から、今年の5月15日と6月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「アークのケルビム」の文章には「・・其れ等の概念・世界を生み出す基礎(もと)と成っており、宇宙の何処にも中心の神柱・トーテンポールは立っていないのである。其れを考えると、釈迦牟尼世尊が謂う様に、『真に頼れる物は 此の自分の肉体である』との理・ことであり、老子の謂う『弦を弾くと 宇宙の響きが聴こえなく成る』との事が、的を射ている事に成る。・・」と書いて有るので、今朝の機械的な神腕がトーテンポールの様に立っており、黒人のキング牧師の姿が、近い時間帯に存在した事は、真実の「宗教・おおもとのおしえ」が簡単に示されて来ている事に成る。
其れを考えると、一番「人+本」の存在が、日本の「御祖神・みおやかみ」との言葉の世界であり、仏教の「久遠実成・くおんじつじょう」の言葉の世界で、イエスキリストの謂う「永遠の命(たましい)」の世界なのであろう。
其れに、5000年掛かったと言うのは、イエス「2019年」釈迦「2600年」を通り越しているので、エジプトの時代からの課題が解決したとの事に成るのであろう。
エジプト初期王朝時代(紀元前3150年-紀元前2686年)
紀元前3000年にメネスがエジプトを統一し、古王国では、王はファラオと呼ばれた。また、ギザにはピラミッドも誕生した。
ウィキペディアフリー百科辞典 2019/7/04現在
此の記述からすると、漸く「ピラミッド・山岳信仰」の原点である「大山祇神・おおやまの巳かみ」の次元まで、物事が浄化できたと言う事になり、「瀬織津比売・瀬居りの姫」の導きが功を為したと言う事に成りそうである。
其れに、私が今朝起された時刻「7時47分」の数字を「747・なしな・無し名」と記憶したのが正しければ、私は釈迦やイエスの様な「名前・カルマ・業」を残しては成らないと謂う事であり、日本の伝統である「禊ぎ祓い」の儀式と「惟神道・かんながらのみち」の概念だけを、維持すれば良いとの事の様である。・・
今朝の映像に、都会から田舎に移住した村の代表が創価学会の会員であったのは、私が27歳の時に結婚した「名越美代子」の父親が、屋久島の創価学会のトップであった事と関係が有り、自宅に「南無妙法蓮華経」の曼陀羅を掛けた事で、日蓮上人の霊魂が私に関わりを持って来た事が、此の出来事の始まりである。
其れを考えると、漸く「立正安国論・りつしょうあんこくろん」を執筆して、鎌倉幕府に提出した日蓮上人の霊魂も、成佛する時節を迎えたと言う事なのではないだろうか。
【此処で、左手の人差し指の指紋の所に強いカモ(神の電気信号)が起きる。】
10時25分
どうやら、今朝のメッセージには「日蓮上人」の御魂が関わりを持って来ていた様である。
「5000年掛かった」https://green.ap.teacup.com/20060818/5042.html
此の文章に書いて有る「トーテンポール」の存在は、今朝のメッセージの映像で、私がとても高い木の上から、人々が待つ地上に降りて行った事と関係が有り、今朝の私の意識は「高木の神(高皇産霊神・たかみむすび)」の存在を表していた様である。
其れに、白胡麻の様なとても小さな粒が一粒載っている、赤みかかった色の丸い敷物(円いお盆の様な形)が映し出されて来て、其の敷物は、広いグレー色のマットの上に置かれていた場面からは次の様な事が考えられる。
1白胡麻の様なとても小さな粒が一粒。
・地球生命が40億±2億年前に海に誕生した理・ことと関係が有り、其の小さな粒は「生命のモト種子」を示唆している。
・其れは、「素戔嗚尊・すさのをのみこと」が、海原を治める役割である事と関係が有り、三種の神器の勾玉や、エジプトの「アンク」の概念に通じている。
2赤みかかった色の丸い敷物(円いお盆の様な形)。
・地球に生命が誕生したのは、太陽の働きで海水が凍り付かず、植物の炭酸同化作用で酸素が発生し、其の酸素に因って動物が生きられる。
・太陽光線の存在で昼間が有るので、視覚(眼のはたらき)が生れ、物が見える事で脳が発達し、物に名前を付ける事で、人類の文化が発生した。
・其れは「太陽信仰」の原点であり「天照大神・ラー」の名が考えられた。
3広いグレー色のマット。
・其れは「無」の概念と関係が有り、宇宙空間を示唆している。
・其れは、日本の「月読界」やエジプトの「冥界、ホルス神」と関係が有る。
・全ての現象物の存在は、グレーである、意味の無い世界・混沌から生じた理を示唆している。
次の、額縁の中に幾つかの「○▽◇」の様な形が、様々な色違いで、数個組み合わされている作品が、次々に数十枚映し出されて来た場面は、此の三次元世界が生じた理由(わけ)が示されて来ており、其れが、日本の「ムスビ」の世界や、インドの「縁起・色・ルーパ」の世界と関係が有る。
其れを考えると、今朝の映像で私が高い御神木の上から、逆さに地上に降りて行く姿は造化三神の一神である「高皇産霊神(たかみむすび)」の働きを示唆しているのであろう。
キー「丸・三角・四角」
2013/9/20今朝のメッセージの映像は、先ず、私が大きな建物の会場に居て、其処の男性と話をしていた。私が、「此の会場には 何百人入れるのですか」と訊ねると、其の男性は「パーティー式にすれば 数千人入れます」と答えた。
次の映像は、其の会場で集会が開かれる事に成り、数百人が集まって来た処で、私は別の次元に転移してしまった。其処は、火星の様な荒涼とした砂漠地帯で、砂石の他には草木一本生えていない無生物の世界であった。
そして、黄色の金属板で出来た四角・丸・三角の形が、宝塔の様に縦に重なっており、其れは『雌・女性』の体である事が知らされた。
私は、「では『雄・男性』はどんな物だろう」と想うと、白い石の四角柱の頭の部分が、折れて落ちた様に、地べたに一本倒れているのが映し出されてきた。
そして、其の世界には、人間が使う言葉が存在しない事が示されて来た。
其して次の場面では、私は元の会場に帰っていた。すると、集会が終わった様で、皆が帰る処であった。其の中には、私の知り合いも数名居て挨拶を交わした。
私は、係りの人から、皆が手にしている資料と同じ物を渡されたので、其の資料を見ると、其の紙面には水色の、漢字と句読点である句点・読点だけが、バラバラに記されているだけで、意味の有る単語や文章は一切何も無いので、意味を為さない物であった。
次に、荷物を取りに民家に向かうと、部屋の中には荷物が混雑していて、其の中から自分の荷物を探していると、何故か自分のカメラは、ただの純白な四角い箱に成っていた。
そして、奥さんが「14000」の数字を示したので、私は其れが二泊分の宿賃なのか、集会の参加費や食事代が含まれているのかを、ご主人に確かめ様としたが、言葉が使用できないので、確かめる事が出来なかった。
次の映像は、鹿児島に帰ると言う男性の車に乗せて貰う事に成り、荷台に自分の荷物を積み込んで出発した。すると、其の男性が途中で知り合いの家に、一寸挨拶に立ち寄る事に成り、道路に車を停車して路地に入って行った。其の知り合いを私も知っており、其の家も、車の持ち主も創価学会員である事が判った。
私が一人で車の所に居ると、突然横のアパートの部屋から火柱が上がり、たちまちアパート全体が猛火に包まれてしまった。私は、消防署に連絡しようかと想ったが、言葉が無い為、連絡が出来ないので、車を安全な所に移動して火事の様子を眺めていた。
最後の映像には、太陽の光が明るく射している森の中の谷間に、葉の広い草木が生えている場面が映し出されて来た。其の草木は、背が低いので簡単に手で枝葉が取れそうであった。
今朝のメッセージの映像は、人間の言葉が無い世界がテーマと成っている様である。
「言葉」との単語は、紙の無い時代に草木の広い葉を乾かして、其の葉に言葉・文字を書いていたからだとの事である。しかし、文字が無ければ、取りやすい葉を採る必要も無い。
創価学会員の存在が示されて来たのは、創価学会は「日蓮上人」が興した日蓮宗の信者の集まりで、唱える題目は「南妙法蓮華経・なむみょうほうれんげきょう」で、「帰依します釈迦の法華経の教えに」との意味である。
其の法華経の中には、十二縁起の訓えが有り、其れは次の様な物である。・・
此の釈迦の訓えには、人間の認識は名色(名称と形態)から生まれ、六入(眼・耳・鼻・舌・身・意)のカルマと成るので、行く事を止めろと有る。
今朝の映像に有った、荒涼とした砂漠には砂岩の他に何も無かったので、名色(名称と形態)は生じようが無いので、人間が若し其の世界に在ればカルマ・業は一切生まれる事が無いと言う理・ことに成るであろう。
其れに、「丸・三角・四角」は物の世界を現す基本なので、其れが雌・女性であると言うのは、此の物の世界は女性性で生まれている事に成り、日本の神話に登場する「伊邪那美命・いざなみのみこと」の働きと通じている。
其れに、宇宙のあらゆる物質は「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の身であるとの真言密教の訓えからすると、大日如来も女性の性分であると言う事に成る。
そして「雄・男性」の姿を探すと、地面に倒れている、花崗岩らしき白い四角な石柱の頭の部分が映し出されて来た。其れはリンガーを意味し、其れが地面に落ちていたのは、男性の役割である言葉を創造・発信する能力・頭脳が、地に落ちてしまっている理・ことを示しているのであろう。
其れは、言葉が使用できない世界であれば、男性には存在を維持するべき立場が無い理・ことを示唆しているのであろう。
其れに、集会の会場で渡された資料には、水色のバラバラの漢字と句読点だけしか印刷されていなかったのは、水色は「弁財天・サラスヴァティー」の存在を意味し、人間世界に単語や言葉がなくなれば、弁財天も力を発揮できなく成る理・ことを、示しているのではないだろうか。
今朝のメッセージの内容を考えると、物の世界は「女性性・雌・陰」で無限に続いて行くが、言葉の世界は人類の「雄・男性性・陽」が存在しなければ、消滅してしまう理・ことを示しているのではないだろうか。
其の様に考えると、真言密教の三蜜「身・口・意」の「口」は、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の働きから外さなければ成らないと言う事に成る。
今朝のメッセージは、一昨日のメッセージに有った「音源化」のテーマと関係が有り、人間の言葉の源に付いて示して来ているのであろう。そして、昨日のメッセージの人間の肉体の中に取り込む「物質・食べ物」の事に続いて、生命全体の体に付いて示して来ているのではないだろうか。
其れは、人類の代表の音源として「詔・みことのり」をする、「大君・天皇・すめらのみこと」の在り様を示して来ているのであろう。
「すめらのみこと」の役割を果たす人間は「すめみま」であり、「すめ」とは、「素目」であり「澄み切った目・眼」の意味で、「みま」とは「美体」であり「清らかな肉体」の事を意味している。
其の「すめみま」の意味を考えると、此処数日のメッセージは「大君・天皇」が、どの様な人間であるべきかを示して来ている事に成る。
他の映像の、「14000」の数字と、カメラが白い箱に成っていた場面の意味は私にも良く判らない。カメラが純白な只の箱に成っていたのは、地球生物や人工物などが全て無くなってしまえば、世界は真っ白に成ってしまい、カメラの必要性が無くなるとの事であろうか。
今月16日のメッセージには、燈明が一本映し出されて来て「後5日待て」と告げられて来た。其の日を明日に控えて、今朝のメッセージを考えると、弘法大師空海の訓えの真言宗の「身・口・意」の三蜜にも誤りが有り、釈迦の訓えである十二縁起の「名色(名称と形態)の認識行為を止めろ」との事は、個人的な覚醒・さとりの為には必要であるが、「遍照金剛・へんじょうこんごう」の働きをする為には、正しい言葉を紡ぐ必要があると言う事に成ってくる。
其れは、地球の未来を築く為には、正しい言葉の音源を確立しなければ成らないと言う事であろう。そして、其の立場に立つ男性が「詔・みことのり」を発する「スメラの命」であると言う事に成るのであろう。
「14000」の数字が、「伊予・000」であれば、私の事務所が在る「伊予中山」が「0・0・0」の地点・基点と成るとの事も考えられないことでもない。其れは、弘法大師空海が「阿字の子は あじの地に帰る」と謂った事にも通じて来る。
「伊・イ」漢字は「人+尹」の組み合わせで、神聖な物を手にする形にかたどり、氏族の長の意味から、おさの意味を表す。尹を音符に含む形声文字に、君がある。またむらがるの意味を共有するものに、宭・峮・郡・群・裙などがある。
【字義】@おさめる。(冶)つかさどる。Aただす。(正)また、ただしい。Bつかさ。(官)また、おさ。長官。
何れにしても、何かが始まる事には間違いない様である。其の為には、正しい音源と成る「言霊・ことだま」が必要であるとの理・ことであろう。
「言葉の無い世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/2815.html
今朝の最初の映像には、私の是までの35年間の行動の影響で、男女の差別無く様々な人材・働きが生れている事が示されて来た。
其れは、私が1984年6月4日に安房川の岸辺で土肥無庵が見守る下、禊ぎ祓いを行って此の神の世界に飛び込み、4311体の霊魂に自分の身体を貸して、35年間取り組んで来た事が、漸く、日の目を見る時が来た事を意味しているのであろう。
そして、私が高い木の上から、逆さ向きで地上に降りて行くと、日本人の人間国宝に選ばれた各分野の年配の男女が、私が降りて来るのを待っている姿が在った場面は、此の日本国で長年積み上げられて来た、様々な日本文化が、新しい時代に必要であるとの理・ことが示されて来ており、私は其れ等の人々の理解・支えに拠って、認められる事に成る理・ことが示唆されているのであろう。
そして私が立派な建物施設の中で、執事の世話を受けながら正装に着替えて居た場面は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ土肥無庵が、私に謂っていた事が、ようやく現実と成る日が訪れたと言う事なのかも知れない。
令和1年7月25日
礒邉自適
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