約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
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2007/10/24
「女神が里へ降りる」
未来創造
女神が里へ降りる
19・10・24
昨日、自宅から最後の荷物を積んで、事務所から200mくらい離れている所に、新しく出来た「おたくみ荘」に引っ越しした。
其処は、小川が二本、おたくみ川に合流する川辺の森の中である。
今までの平内の自宅は、風音が強い高台の、360度山海が見渡せる景勝の地だったが、今度の自宅は、林の中で周囲が見えない場所であり、平内の家では無かった川の流れの水音がしている。
今度の土地も、違った意味での瞑想が進むであろう。
今朝の映像は、肉体は見えない女性を、乗り物の後部左座席に乗せて、里へ下す場面だった。
私は、昔の旧道を通らずに、外回りで少し遠回りに成るのだが、広い道路を通って町の方に下りて行くと、其の女性の行き先が判らずに通り過ぎてしまい、橋の掛かっていない川に突き当たり、行き止まりと成ってしまった。
乗せていた女性も、変わってしまった場所の様子が把握出来ずに、自分の行き先である目的地が、ハッキリしないまま、今朝の場面は終わった。
今朝のメッセージの意味は、私にも良く理解出来ないが、私が昨日、海の見える岡の上から、川の有る所に引越しした事に、関係が有るのかも知れない。
私は、昨年の12月から、平内の家に住む事に成ったが、直ぐに、琵琶湖の弁財天に呼び出されて、屋久島を離れて旅に出た。
そして、その後も一ヶ月毎に、屋久島を離れていた。
其れを考えると、私の守護霊は、やはり水に関係が深いのであろう。
私が以前、住んで居た安房の自宅も、安房川の辺りであり、産まれた実家にも山から湧き水が引かれ、一年中水音がしていた。
18年間の旅の間も、住む家の横に、必ず川が流れているか、池かプールが付いていたのである。
だから、私の守護神は、水無しには存在出来ないのではないだろうか。
そうであれば、私の守護神は水の神であり「水神様」か「弁財天・サラスヴァティー」か「水龍(青龍)」である事になる。
其れは、生命の存在や、進化の過程を考えれば、極当たり前の事と言えるだろう。
動物だけではなく、地球の全生命は、水がなければ存在不可能である。
特に動物は、水辺に暮らす「イモリ・井守」の生態システムが、身体の基本に成っているとの理・ことだから、トカゲ、蛇、ワニは其の環境を今でも好んで生活しているのである。
人間の身体の基本構造も、其のイモリやトカゲのDNAを、古皮質として脳の中核に維持しており、其の古代脳が自律神経として働き、心臓や肺を動かし、ホルモン分泌をコントロールしているのである。
だから、深い瞑想が完成すれば、其の古代脳・トカゲの脳が目覚めて、生命の基本構造の処で、思索を始めるのは、当然の理と言えるであろう。
私が、安房川の岸辺で、無庵師匠の力を借りて、禊ぎ祓いの儀式を行い、其のトカゲの脳に目覚めてから、既に23年が経過している。
昨夜は、自分の人生の中で関わりを持って来た人達が、次々に現れて、其の人達は、私と接触する事で、人生が変化している事に気付かされた。
其の、私の過去の働きを顧みると、私の背後に何物かが付いていて、私の行動や言動をコントロールしている事が、ハッキリ自覚できて来た。
其の存在が、「天御中主神」なのか「エホバ」なのか「弁財天・サラスヴァティー」なのかは良くは判らない。
しかし、何等かの大きな意思が、私の背後に存在して、人間社会に関わりを持って来ている事は、間違いないようである。
今朝は、其の関わりを認識させる為か、私の師の名前である「土肥無庵」の名と、エジプトのピラミッド発掘で有名な、早稲田大学の「吉村作冶教授」の名前が出て来て、「お前の為に 全てが動いている」との意味が、伝えられて来た。
いま初めて、吉村先生の名で検索をすると、「吉村作治のえじぷとぴあ」のHPが出て来て、私のアクセスで数字が「366666」で、6が5個並んでいる。
私の自適塾の電話番号は3600だが、其れよりも、意味深い凄い数字である。此れは、単なる偶然なのであろうか。
それとも、私の背後に、宇宙の数字を管理しているシステムが、存在する証しだろうか。
私に、吉村先生の名が告げられなければ、私が吉村先生のHPを検索する事はないのである。
いま12時のチャイムが鳴ったので、改めて数字を見ると、既に数字は「366673」と成っている。私がアクセスしたのは11時頃である。
何故、朝早くアクセスしないで、11時頃に成ってから検索をして、其の時の数字が366666であったのか。
其れは、確かに、私の脳・潜在意識と、PCの磁気情報が繋がっている証であろう。
其れを考えると、やはり私の自我意識は無く、私の意識は、全体意識の中で働いている事に成るのだ。
其れに、吉村先生の名が知らされて来たのは、エジプトの神々が、今の時代に蘇っているとの知らせなのかもしれない。
何故、昨日、急に荷物を運び出したかと言うと、自宅に平内集落の会計さんが電気のメーターの検針に来て、昨日までの電気代を計算してくれたので、丁度区切りが良いと想い、今月一杯の猶予が有ったのだが、急いで荷物を全部出して、掃除を済ませ出る事にしたのである。
其れ等の動きの背景に、私の父親や、無庵師匠の霊魂の働きが、存在するのかも知れない。
今日、私が感じた事は、何故、女性の霊魂が、自分の里の目的地に帰れなかったかである。
其れは、男性の私が、元の道を辿らずに、違うルートを通ったからであろう。其れは、女性の意識が、違う世界を通る事を、苦手としている理・ことを示しているのではないだろうか。
女性・雌の遺伝子は、代謝系で、遺伝子が真っ直ぐに伝わる事を役割としているので、道草が苦手である事を意味し、男性・雄の遺伝子の役割は、出来るだけ寄り道をして情報を入手する様に出来ているので、男性意識が運転する乗り物に女性の意識が乗ってしまえば、女性は拠り所を失ってしまうとの意味ではないだろうか。
其れは、「時間」と「空間」の成長を示唆する巻貝の姿に似て、男性思考は黄金比に伴う螺旋空間を、外側に拡げて行く拡大運動を担っていて、未来創造が得意であるが、女性・雌の思考は内側の芯の処に在って、繁殖を司る働きをしている理・ことを認識出来るものである。
其れを考えれば、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く。」との言葉の意味も理解出来てくるし、釈迦の教えである「久遠元初・くおんがんしょ」の意味も理解出来てくる。
其の世界こそ、日本語の「いのる・帰る」の言葉の意味であり、仏教の言葉「帰命・ナーム」の本当の意味ではないだろうか。
其の様に考えれば、私は今朝、女神の都合を考えないで、自分勝手な道筋を通り、女性が本来の処に「祷る・いのる・帰命」する事を、妨げた事に成るのだ。
今朝辿り着いた町は、何故か「別府」であった。
其れは、私が、女神が帰るべき「府」ではなく、別の府に着いた事を、示唆しているのかも知れない。
そうであれば、女性が本来帰るべき府が、何処に有るのか。
其れを、此れから、探さなければ成らない事に成る。
今朝、私が意った事は、女性は、大地から上に這い上がろうとする蛇(DNA)であり、男性は、空の上から旋回しながら獲物の狙う、鳶・トンビか鷹の様な物ではないかと思えて来た。
其の考えが当っていれば、ラーの神官が手にする「ヘルメスの杖」を考えた御仁と、同じ意識が、私の中に在ると言う事に成る。
昔から、大地から、螺旋で上に這い登ろうとする「蛇・カカシ・ハハキ」と、自由に滑空をしようとする「鳥・チッチ」の意識は、人間の意識の中に存在する事に、気付いていたのだろう。
以前の文章 平成14年9月4日「6,666日」
《追記》「16×16=256」を計算機で出そうとしたら、2002年9月4日までの日数計算との表示が出て来たので、私が神の世界に入った1984年6月4日を入力すると、6,666日と出て来た。
それで、私はビックリしてしまった。今迄、日数計算が出来るなど知らなかったのに、無意識に電子手帳のキイを押してしまったらしい。
神の世界に入って、今日で6,666日経過した事が分かった。
無意識の世界は、とんでもない世界である。
そして、文章を書き終わって、遅い朝食を摂りまどろんでいると「あじのさと」との言葉で目が覚めた。
「あじのさと」は「味の里」ではなく、「阿字のさと」との事で、「大日如来のさと」の意味である。不思議な事は、まだまだ続いている。
平成19年10月24日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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