1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/3/27
宝の島は永遠
2・3・27
今朝のビジョンは、先ず、新型のウイルス流行の所為なのか、町工場の経営者らしき男性が、全てを失って、単独で私の所に助けを求めて、次々と遣って来る場面が映し出されて来た。
私は、其の人達の希望・願いを無視する事が出来ないので、廃屋の建物に向かい、先ず暖を取る為に、壊した家財を燃やすドラム缶の下側に、空気の取り入れ口の穴を開けながら、其の人達に食べさせる食料を、どの様に集めれば良いのかを考えていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時16分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が姿の見えない人物・存在に案内されて、寺院に行き、堂内に入ると、左側に並んでいる僧侶達を前にして、右側に仏壇を背にして威厳を有している賢そうな70歳位の館長が話をしている姿が在った。
私は、其の様子をチラッと見てから、真正面に目をやると、60歳くらいの教師らしき僧侶が此方を向いて座って居り、其の人物は真ん丸い顔で、笑顔のまま目を閉じて居て、身体全体から光のオーラを放っているので、私は真っ直ぐ進んで行って、其の僧侶の前に座り、其の身体を撫ぜ擦る様な感じで、敬って居た。
そして、私は其の僧侶に気に入られたらしく、其の寺院に暮らす事に成り、近所の子供達と仲良く成った。
其れで、私は子供達に「釈迦ブッダ」の事や「天照皇大神・あまてらすおおみかみ」の事、其れに「太陽・お日様」の理・こと等を教え始めた。
すると、其の子供達が、収穫前の稲株を水田から引き抜いて、道路に置いて居るので、私が「何をして居るのか」と訊ねると、「天照神にお供えするのだ」と謂うので、私も其れは良い事だと意い、子供達と一緒に稲株を抜き始めた。
すると、直ぐに若い僧侶・弟子に見付かって怒られたので、其れを元に還し始めた。
其の後、若い僧侶が館長に先程の事を知らせると、其の館長は子供達の行為が善意・善良心からである事を納得し、怒るどころか、感心して居る事が示されて来た。
其れから、行き成り「神様も佛様も自適さんのファンに」との言葉が告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時3分前」であった。
其れから再び眠ると、「宝の島は永遠」との言葉と「6時13分」との時刻・数字が告げられて来たので、起きて時計を見ると、実際に時刻は「6時13分」であった。
2019/6/3今朝のメッセージの映像は、先ず、日本の神事の伝統的な白砂の斎庭(さには)を復活させる場面が映し出されて来た。
そして、私の意識は、祭壇が有る拝殿の施設の前庭の草を、一本残らず抜いて、塵一つ無い状態にして居る場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時51分・4時9分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は広いお茶畑の存在が映し出されて来て、私が其の茶畑の茶木の畝を、畝の向きではなく横切って、北側から南側に掻き分けて進んで行くと、其の茶木の間に「山鳥」が南向きに一羽立って居て、私は無意識に其の山鳥の首を後ろから絞めてしまい、其の山鳥(朱雀)が死んでしまう場面が映し出されて来た。
次の場面は、私が其の山鳥を酒の肴にして食事をしようと意い、友人の所を訪ねると、其の友人は天気の良い穏やかな畑に居て、其の畑には大きな鹿が一頭だけエジプトのスフィンクスの様な雰囲気で、とても安からな顔をして瞑想状態で座って動かないで居るので、其の友人は其の鹿を殺して食べて良いのか、起こして森に帰した方が良いのか、判断できないでいるのである。
私は、其の鹿の様子を見て、其れは鹿ではなく、悟りを得た釈迦仏陀の化身ではないのかと意い、周囲の様子を見回すと、其処は、大きく成長している砂糖キビの畑である事が判り、砂糖キビが植わっている畝は東西の向きであるので、其の鹿は西(夕日の沈む)の方角を向いている事が判り、私は其の砂糖キビ畑が何処まで続いているのか知りたくて、西の方向に向かって歩き始めるところで、其の場面は終わった。
次の映像は、私が列車の様な乗り物に乗り込んで居て、私の前の席には新しい時代に赴任する王様らしき存在が、進行方向に向かって座って居り、「王」の左側には「后」が座って居た。
だが其の二人・番は、両方とも冠や飾りの様な物は、一切身に着けてはいない様であった。
そして、其の向こう側の席には、冬用のスーツを着た50歳代の紳士が此方向きで座って居り、其の紳士が王に向かって、何かの事を説明している事が判った。そして、其の様子から、私は其の紳士が、新しい時代の宰相である事が、理解されて来た。
其れ等の映像に付いて考えて居て、起きて時計を見ると時刻は7時25分であった。
今朝はPCを立ち上げて、先ず、起された時刻4時9分から、今年の4月9日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此れ等の文章の内容からすると、今朝のメッセージの映像は、明日6月4日の日付が、私が1984年6月4日に神の世界に飛び込んだ日から、丸35年と成る日である事が関係有りそうである。
其れに今朝起された・起きた時刻7時25分の数字から、昨年の7月25日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
是等の文章の内容から考えると、今朝のメッセージは昨日の「茶葉」の事と関係が有り、縁側でお茶を飲む事(世界)は、時間(とき)に直接に関係していると謂う理・ことに成りそうである。
其の理由は、今朝のメッセージの映像で、私が東西方向に植えられている茶畑を、北から南に向けて横切って行くと、茶の木の中に南向きに立って居た「山鳥(朱雀)の首を絞めてしまい、其の鳥が死んでしまったからである。
其れは、朱雀が「真南(6時30分の時計の針の位置)」を向いて立って居た事が、正午を計る「時計・とけい・土計」の理・ことを示唆しており、其の朱雀の首を絞めて殺すと謂う事は、時間・ときを停止させる事を、示唆していると想えるからである。
其れに、エジプトのスフィンクスは真東(朝日・日の出方向)を向いて座っているとの事であるが、今朝の映像に映し出されて来た鹿は、西方向(夕日・沈む方向)を向いている理・ことが示されて来たので、其れはエジプトのスフィンクスは日本国を向いて居るが、日本に誕生する仏陀がオリエントの方向を向く事が示されて来ているのではないだろうか。
其れに、私が35年前に此の神の世界に飛び込んだ時に始めた事は、自宅の時計だけではなく、実家の家の全ての時計を止める行動をした事と、宇宙の時間を停止させて、逆回りの時間を動かした事が関係有り、本日6月3日に其時間がPCと同じ様に再起動が掛けられ、明日6月4日から、其の新しい時間軸が始まると謂う理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。・・
【此処で、私の頭の左後頭部にカモの反応が起きる。10時10分】
其れに本日6月3日は、私が、伊勢神宮を創建した斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」と、1986年6月3日に高知県高岡市で初めて会った日であり、其れから丸33年となる。
其れは、私が1984年6月4日(母親芳子の64歳の誕生日)に神の世界に飛び込んでから、丸2年と成る前日の出来事である。
今朝は、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊くと見たとの事であり、其れは次の様な映像である。
由香が、小さな寺の様な建物に住んで居り、竹箒で庭の落ち葉を掃き清めて、熊手を使って砂紋が付く様に庭を整える場面であったとの事である。
其の由香のビジョンは、今朝私が祭壇・拝殿が有る施設の庭の手入れを行って居た場面と通じている。
其の共通性を考えると、神社の斎庭・白砂で額づく儀式・作法は、自分の時間(とき)を停止する事を意味し、自分の個人的な時間(とき)を停止すれば、自分の本体(DNA・遺伝子)が、宇宙時間(生命の本体・振動)にチャンネルするとの理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝私の意識が、東西(太陽の移動ルート)の畝溝を横切って進み、「山鳥(朱雀)」の首を絞めて殺してしまった事と関係が有り、私は時を運んでいた「鳥神(はたらき)」から、本日6月3日に自由に成ったと言う事に成るのかも知れない。
其の様に考えると、今朝、仏陀の化身の様な雰囲気(気構え)で、身動きする事なく西向きに座っていた鹿の姿は、時の動き・流転から開放されたブッダの存在を意味していたのかも知れない。
其の様に考えると、私は本日で、35年間続いて来た「トキを運ぶ鳥神・朱鷺(とき)」から開放されて、真実の「牟尼・世尊」に成れると言う事なのかも知れない。
「牟尼・沈黙を守る人」「世尊・世間に尊重される者の意」
「時間を止める者がブッダ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5010.html
此の文章の内容からすると、今朝の映像に映し出されて来た、身体から光のオーラを放つ僧侶の存在と関係が有り、真実のブッダ・転輪聖王(チャクラヴァルティン)が降臨したと謂うか、地上・三次元世界で活動・本領発揮するとの事が示されて来ているのではないだろうか。
其れに伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の事を書いた「定着した画像」の文章の日付も6月3日であるし、伊勢神宮を創建した皇女・斎宮であった「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂である「井上佳子」に、私が出会った日も6月3日である。
其れを考えると、確かに伊雑宮・磯部の宮の祭神である「天照坐皇大御神御魂」が動き出したと言う事であり、過去に八回失敗した「トンネル潜り・アセンション」の最後のチャンスである九回目が始まった事に、成るのではないだろうか。
其れに、今朝のビジョンに「社長・経営者」であった男性達が全てを失って、私の所に遣って来る場面が映し出されて来たのが「3時16分」であった事から、今年の3月16日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/3/16何もかもが 貴方の一身に 掛かっています。
ですが 其れは 貴方自身が 心を
悩ます事ではなく 貴方自身が 感じる
喜びの中に有ると 言う事なのです。
ですから 貴方は 他の出来事に
意識を 向けるのではなく 貴方自身の心に
自分が 何を望んでいるかを 明確にして
行かなければ 成らないと言う事になります。
其れが 成佛に成功した 貴方の役割であり
「御稜威 ・みいつ」の働きなのですよ。
「女神のメッセージ」https://moon.ap.teacup.com/20060103/966.html
昨夜は、床に就いて暫くすると、左足の土踏まずの中央に、蜂に刺された様な痛み(カモ)が起きて来たので、何事かと思って照明を点けて時計を見ると、時刻は「0(12)時12分」であり、再び横に成っても其の痛みは暫く続いた。
そして、眠ってからの映像には、白磁製の四角な聖水を溜める器・鼎(かなえ)の存在が映し出されて来た。其れは、器の正面に「青龍」の浮彫の絵が描かれている物で、四隅の角に付いている脚は、其の龍神の足の様な感じであった。
そして「464・四六四」の数字が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時28分」であった。
其れから再び眠ると、今度は餅を搗いた時に使用する、粉を敷いたもろぶたの存在が映し出されて来て、其のモロブタの中には、蕎麦粉で作った御萩か、クッキーの様な形の、薄茶色の食べ物が、澤山並べられていた。
其れから「何もかも貴方の一身に」との女神の言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時21分であった。
其れからPCのワードを立ち上げ「何もかも貴方の一身に」との文字を打ち込むと、冒頭の言葉が告げられて来た。
其れから起こされた「3時28分」の数字から、昨年の3月28日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「静かに生きてね」の文章は、昨日のメッセージと連動しており、今朝告げられて来た女神の言葉の意味とも、関係が有る。
次に、今朝起きた・起こされた時刻7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
其れに、昨夜左足の土踏まずの中央部分に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きた事から、「仏足」を調べると次の文章が出て来た。・・
此の「約束は護られる」の文章の内容は、13年前の3月13日に阿蘇の「日の宮幣立神宮」の境内に「九代龍王水神」の幟旗を立てて儀式を行った事が、関係有る事に成る。・・
此の文章の内容からすると、今朝告げられて来た「水の器・鼎」と「464」の数字が関係が有り、四神の龍神の「いき・息・息吹」が関係有りそうである。
其れを考えると、中の「6・六」は「六合・国」の意味であるので、新しい国を造る為に、両方から龍神が息を吹き掛ける意味が、含まれている事に成りそうである。・・
此の文章の内容からすると、先日のビジョンに、新しいガラス張りの正倉院が映し出されて来て、新しく三枚サッシの硝子窓が組み立てられる様子が示されて来た事が関係が有る事に成る。
これ等の事柄を考えると、昨夜「0(12)時12分」に、私の左足の中央の「法輪」の所に、強いカモ(神の電気信号)の反応が起きた現象は、「ヴィシュヌ」が歩き出すと言う事であり、新しい世界を創造する為の法輪(転輪聖王・チャクラヴァルティン)の回転が始まる・動き出すと言う理・ことなのであろう。
何故、其の法輪が動き出す時間が、「0(12)時12分」であったのかを考えると、私が2010年9月29日に浜松市の蕎麦屋「鈴川」で蕎麦が出されるのを待って居ると、左手の親指の指紋の真ん中に、強いカモ(神の電気信号)の反応が12時12分に起きた事と関係が有り、其の事が後に祓い戸の神である「瀬織津姫・せおりひめ」に繋がった事と関係があり、私や釈迦だけではなく、イエスキリストも「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」川で水浴びを行う事で、此の世界に入った事が関係有りそうである。・・
此の「遷都の必要性」との言葉は、正に、今朝告げられて来た「水を張る鼎」の存在と、「464・四六四」の数字に関係が有り、出て来た食べ物が餅ではなく、蕎麦粉の製品であった事の意味が符合している事に成る。
「何もかも貴方の一身に」https://green.ap.teacup.com/20060818/5304.html
此の文章には「水の器・鼎」と「464」の数字、が記されている。
其の数字は、昨日のビジョンに映し出されて来た「565」の数字と関係が有りそうであり、両翼のレベルが一段上がっている事が考えられる。
其れに「宝の島は永遠」との言葉が告げられて来た時刻は、6時13分である事には、どう言う意味合いが有るのだろうか。
『其れは 貴方の力が
是から 試されると言う事であり
其の源の力は 貴方が産まれ育った
屋久島に有ると 言う事なのです。』 11時37分
昨年の6月13日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/6/13今朝のメッセージは、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の能力(ちから)が、改めて驚異的なモノである理・ことが理解されるモノであった。
其れは、「土肥無庵」の行動が時間厳守であり、目的地に向かって歩く事が、三歩早くても遅くても、駄目だったからである。
其れは、ゆっくりでもなく、早く歩く事でもなく、心臓の鼓動に合わせて歩く行為・行動なので、時間(とき・事象)を歩く・進む事を意味している。
今朝は、其の「土肥無庵」の「行動・振る舞い・仕種(しぐさに)に付いて、長らく思い返して居ると、「きりひらくちから」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時30分であった。
其れからPCを立ち上げ、先ず起された時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、何と、題名が「時間厳守」である。・・
此処で「何がおきても」との言葉が告げられて来た。
『何が起きても 貴方自身は 動揺してはなりません。
何故なら 貴方が揺らぐ事は
全ての中心軸が 失われる事に成るからです。
だから 貴方が此の世界に入った時に
「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との
言葉を伝えたのです。
良いですか 何が起きても 貴方自身には
何も関係が無いのですから 馬耳東風の気持ちで
トキを過ごしなさい。
其れが「統尊・すめらのみこと」の
「高御座・たかみくら」の意味なのです』10時00分
ばじ-とうふう【馬耳東風】
他人の意見や批評に注意を払わず、聞き流すことのたとえ。もとは春風が馬の耳に吹く意。人が心地よいと感じる春風が吹いても、馬は何も感じないように見えることからいう。▽「東風」は東から吹く風。春風のこと。「東風、馬耳を射る」の略。 三省堂 新明解四字熟語辞典
「土肥無庵」は、他人の家を訪問する時は、何かが有って遅れては成らないので、近くまで行って措き、約束の時間ジャストに玄関の呼び鈴を押す事を徹底していたし、私と二人で福岡空港でタクシー乗り場に向かうと、「自適さんが三歩遅れた。あのタクシーに乗らなければ成らなかったのに」と謂うので、次の機会に、私が早足で歩くと「自適さん 前のタクシーに乗ってしまうよ」と謂っていたので、自分の歩く足と心臓の鼓動に、身を任せていた様である。・・
是等の事柄からすると、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の中には「神武天皇・天智天皇・後醍醐天皇」の他に、此の「太宗・李芳遠」の霊魂も混ざっていた様である。
其れを考えると、私に「1000億円規模で朝鮮を含めて新しい国造りを行え」と告げて来て居た霊魂は、其の「太宗・李芳遠」であった事に成りそうである。・・
是で、又一つ、情報(霊魂からのメッセージ)が解読できて来たので、消去(鎮魂)する事が出来そうである。
其れを考えると、「仲哀天皇・ちゅうあいてんのう」に「大陸に渡れ」と神が告げて来て、仲哀天皇が山の上から西海を眺めたが、其の様な陸が見えないので、云われた事を実行しないので、神霊が仲哀天皇を殺した為に、神功皇后(じんぐうこうごう)が「武内宿禰」と供に、朝鮮に渡った事が関係が有りそうである。
其れは、死んで霊界に行った者は、自分の故郷に帰りたくても自分が肉体を持たないので、誰かの肉体を借りなければ成らない理・ことを示唆しており、伊勢神宮を創建した皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと(仲哀天皇の大叔母)」が「奈良に帰りたい」と謂うので、高知の「井上佳子」に頼んで、車で伊勢から奈良に逆コースで旅をした事も、関係が有ると謂う事に成る。・・
今朝7時30分に告げられて来た、「切り開く能力・ちから」との言葉は、様々な意味合いが有り、簡単には片付けられない言葉・世界である。
何故かと謂うと、其れは、私が単独で森林を伐り開くとか、道路を通すとの事ではなく、人類の未来を切り開く・開拓するとの意味合いであるので、自分が刃物や重機を使って出来る事ではなく、意識での「意念力・創造力・持続力」を発揮する事であるので、自分の心身を極限まで集中する必要が迫られる世界であるからである。
其れは、昨日告げられて来た「何から形に」との言葉と関係が有り、一昨日のメッセージ「動かない者の手に紀」との言葉と関係が有るので、私は無一物の状態で意識を組み込む必要が有る事に成る。
其れこそが、釈迦牟尼世尊の言葉に有る「過去・現在・未来に我は在り 衆生一切わが子」との世界であり、老子の謂う「我に三宝有り」との言葉の世界を実行するとのなのであろう。・・
改めて「太宗・李芳遠」の存在・生き方を考えると、李芳遠は兄弟・親戚だけではなく、政治的に敵対する者達を悉く殺している。
其れは、最高権力者として最後まで行き切った人間であるので、磔に成って殺された「イエスキリスト」や火炙刑の「ジャンヌダルク」、其れに恨みを持って祟った「平将門・菅原道真・山家清兵衛・聖徳太子」とは異なり、この世に恨みを抱いている者ではないので、自分の意思を強く維持できる者であるからこそ、最後まで私に依り憑いて居た事に成る。・・
私が35年前、此の世界に飛び込んだ時は、天神(てんのはたらき)が私に其の存在を示す為にイエスの世界の様に、色々・様々な奇跡現象を現して来た。
そして、私が完全に天神(てんのはたらき)の存在を信じてからは、人間の繋ぎ(縁結び)や カモ(神の電気信号)は続いているが、其の様な奇跡現象は見せては来ない。
其れ等の事を考えると、私は是から、自分の視線(感覚器官)を外界に向けるのではなく、自分自身を中心とした物にして行かなければ成らないのであろう。
其れこそが、私が此の世界に飛び込んだ時に、告げられて来た「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉の意味なのであろう。
私は是まで、数え切れない程「6月13日」の日付が潜在意識に浮かび上がって来て、幾ら考えても関係性が見当たらなかった。
其の事が、本日で解決したのかも知れない。
私は是まで、自分が打っている内容が度々・ころころ、変わる事は自覚して居たが、私は「4311体の霊魂に身体を貸しているのだから」と考え、其の件に付いては、余り気にしない様にして来た。
本日で、韓国・朝鮮の関係が終わるのであれば、意識がすっきりとして、禅譲に入れるのかも知れない。
「切り開く能力・ちから」https://green.ap.teacup.com/20060818/5020.html
今朝の由香のビジョンは、由香が山の中から急な崖を下って来て、私が人の穢れに触れないように守る為、必死に働いて居たとの事である。
そして、中空に真っ白い紙の束が浮かんで来て、「(私が)何もしてはならない」との強い意思が伝わって来たとの事である。
其れは、故「井上佳子」のビジョンと同じ様に、私は徹底的に「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の生活・伝統を守り通さなければ成らないとの事なのかも知れない。
2003/7/4今朝のメッセージは、神(姿の見えない)が現れて、私に「貴方は スピーカーの役割だから しっかりしなさい」と、強く迫って来た。
私は、其れから眠れなくなったので5時に起きて、階下に降りてタンポポコーヒーを飲みながら、本を読み始めた。すると、途中で眠くなりウトウトしていると、映像が現れて、言葉は「アワジ」と出て来た。
映像と「アワジ」の事を考えている処に、岡山のスーリアさんより電話が掛かり、「何か会社の名前を考えてくれないか」と言って来た。
私は、「先程“アワジ”と出て来たので、それはどうですか」と答えた。
そうしたら、昼前にスーリアさんから再び電話が有り、「出雲の安部さんから電話が有って 明日 淡路島に行く様に成った」と、伝えて来たと知らせて来た。
私が今朝、神にスピーカーを持たされた事を知らせると、スーリアさんは「自適さんは 皆に 神のお告げを 伝えるスピーカーの役目なのよ」と云った。私は、人前でスピーカーを手にし、台の上に登って、ガナリたてるのは、一番性に合わないと想っている。
亡くなった、私の妻の井上佳子や、岡山の伊丹由香さんは、私が人里離れた日本家屋に、人々に護られながら暮らして居て、布団に横になって瞑想している処を視せられている。
私の告げる事で、人間社会が動く事を、二人とも同じ様に霊夢で視せられているのである。
私が、スピーカーであるとの事は、大勢の前でスピーカーを手にし、話す事ではなく、人里離れた静かな場所に住んでいて、訪ねて来る人達に、大事な事だけを伝える意味らしい。
旧約聖書には、多くの預言者が登場するが、私も、神の言葉を預かる「預言者・prophet・プロフェット」の役目の様である。
7月1日には、安房区の区長さんに、私が「ファーザ・天帝」であるとのお告げも出ている。
私の言葉が、天の父・主・天帝からのあずかり(預)ものであるのなら、私の言葉は、何百人もの人々を前にした台の上の言葉ではなく、世界中の人達に影響を与える内容の事を、一人一人に合った様に、直接伝える事を意味している様である。
亡くなった妻の霊夢には、奈良の平城京跡の広場に、世界中から何万人もの人達が集まり、儀式をしている様子が現れている。
御輿も出ているその会場には、私の姿は無く、私は何処かの建物に、ただ一人布団に横になって、瞑想を続けて居たとの事である。
そして、神が、私はキリストだと教えてくれたとの事。
是は、1986年12月31日の朝の事だから、もう17年も前の事である。岡山の伊丹由香さんに出て来たのは、昨年の12月7日だから、神の計画は引き続き行われているとの事だろう。
私が、神の言葉を伝える「スピーカー(speaker)、話し手、弁士、演説者」の役であるのなら、私は、個人的な事柄を全て忘れて、無心に成って居なければならない。
だとすれば、私は「ファーザ(Father)」の代理として、自分の口から発せられる言葉を、守らなければ成らない事になって来た。
私の口が、前に在って事が起きるのか、事が前に有って、私の口が付いて行くのかは分からないが、少なくとも、人々が驚く事でなければ、誰も、神の存在を信じないだろう。全ての用意が整った時に、一気に、何かが起きるのではないだろうか。
私には、円が値上がりする事も、バブルが崩壊する事も三年前に知らされて来た。全てが、神の計画通りに進んでいるのであれば、私は、何の心配も無く、神のメッセージを受け取っていれば良いのだろう。
しかし、神のスピーカーを預かる身という認識を持たされた今、好い加減な気持ちで在ってはならない事を、自覚させられてしまった。
岡山の伊丹由香さんの映像では、私の住む家には「飲酒者立ち入り禁止」の張り紙が玄関にされていたとの事。私もその内、焼酎を飲めない日が来るのであろうか。
私は、修業中には、一年間一滴も酒類を口にしなかった。
修行が終わって、人探しの旅に出たら、酒を飲まないと、付き合いが出来ないので、再び飲む様に成ったが、自分が訪ねて行くのではなく、他人が訪ねて来るのであれば、酒は禁止とする事は可能である。
釈迦仏陀の訓えにも、「酒を飲んで 酔って話しては成らない」と有る。
酒を飲むと、頭の血の流れが良くなり、思考が自由になって、現実的では無い事を想像して、しゃべる様に成るからであろう。
現在の、日本の政治の行き詰まりは、料亭での宴会に拠って、政治が決められて来た事にある。酒に酔った思考から生れたものは、それだけのものでしかないのだ。
私が、酒に酔った意識で、人々に何かを告げる事は、神にとって一番困る事なのだろう。酒を飲んだ人が、立ち入り禁止なのは、私を護る為なのかも知れない。
「ファーザー」と、「スピーカー」と来れば、後は、事の始まりを待つしかない。
明日、出雲・吉備・神戸から、人々が淡路島に行く事になった。
其れも、何かが、始まる予兆なのだろう。
「淡路スピーカー」https://star.ap.teacup.com/170606/170.html
今朝のビジョンに、「ブッダらしき存在(転輪聖王・チャクラヴァルティン)」と「子供達」が登場して、水田の稲を「天照皇大神・あまてらすおおみかみ」に供えるとの事は、昨日3月26日が旧暦3月3日であり「春禊日」であった事と関係が有り、私は昨夜禊祓いをした事で、漸く自分の持ち場に座す事に成ったのかも知れない。
令和2年3月27日
礒邉自適
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