1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/6/16

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伝統と文化
2・6・16
本日6月16日の日付は、私が1998年11月1日に奈良市から、出雲の安部忠弘氏の所に引っ越した時に「6月16日に笹百合祭りを行え」と告げられ、安部忠弘氏の故郷である奥出雲の横田町に在る「櫛稲田姫神社」で、「祭草祭り・三枝祭り」を行った日である。
後に、奈良市の大神神社の摂社である「率川神社」で、6月17日の例祭「三枝祭(さいくさのまつり)」が有り、その祭りの折に神前で「笹百合の花」が奉献される「ゆり祭り」の行事が、1300年前の奈良時代から傳わっている事が判った。
其れが6月17日である事を考えると、私に6月16日の日付を傳えて来た事は、其の概念が奥出雲が原点である理・ことを示しているのであろう。
今朝のビジョンには、屋久島の「岳参り」の山岳信仰の世界と、「十五夜の綱引き」の行事が映し出されて来て、其の行事・祭事が、最も古い伝統文化であり、それ以外の祭事・行事は、全て不必要である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は未だ「1時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、何処かの高い山の上の台地に、最高の建築技術で建設された大きな近代ビル・施設が有るのが映し出されて来た。
其の建物は、時計回りにゆっくりと回転しており、其の建物の周囲は深緑の清水が満タンに溜められている事が判った。
私は何故、高台に有るビルの周りに何処から清水が引かれて来ているのか、不思議に思ったが、其れは、私に告げられて来ている、清水が溜められた高御座の「水素/Hの氣・エナジー」の世界が現実に成ったのだろうかと意っていた。
だが、建物の中に入って見ると、其処は国際会議場の様な施設であり、スーツ姿の立派な中年の男性が集まって来ており、取材陣の若者達も、見た事の無い近代的な取材機器を、持ち込んで来て居る事が判った。
だが視て廻ると、会議場では重要な会議は開かれておらず、分科会用の室内を見に行くと、立派な調理室が備えられており、高級料理が出される様になっていて、高級なアルコールも用意されている事が判った。
其れに、夕方に成ると、皆が繁華街(ネオン街)に出掛けて行く事が判明した。
私は、其の様子を視て、自分のお告げ・文章が悪用され、莫大な税金が無駄使いされており、世の中は増々神(はたらき)の意思から外れて、悪く成っている事を感じた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時15分」であった。
私は、其の映像から、昔の事を思い出した。
其れは、私が23歳の時に「全国離島青年会議」の鹿児島県代表として、東京の日本離島センターでの会議に参加した時に、会議が済んでから数人が銀座に飲みに出掛けると言って、私も誘われたが、私はそんな気持ちで会議に参加した分けではないので断った事である。
其の50年前の出来事から、今朝のビジョンは世の中が何も変わっていないと言うか、増々、其の世界が増幅・増長している事に成る。
そして、「マクロビオティック ・Macrobiotic」の創設者である故「桜澤如一」の言葉に、「心を入れ替えた人間でなければ、マクロビオティック ・Macrobioticを教えると、増々悪事(道を外した生き方)を働く事に成る。」とある事を思い出した。
今朝は7時14分に起きて、PCを立ち上げ、先ず起こされた1時13分の数字から、今年の1月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/1/13昨夜は、一気圧の温かいお湯の中に首まで浸かり、正座をして、両手の力を抜いて浮遊させて居ると、自分の脳が、「何も考えない・思わない」との意識をしなくても、空に成っている事が認識されて来た。
それで私は、是こそが、中国の王様の鍼師を務めていた子孫である「清水先生」が、私に「頭に 何も思い浮かべては成らない」との治療を施した事が、此の状態を示唆している事を思った。
すると、其処で、女神の聲で「比較的簡単だったでしょう」との言葉が、一言告げられて来た。
私は其の女神の言葉で、禅宗で言う所の「座禅で 頭に浮かんで来るモノは 全て雑念であるので 打ち消し為さい」との言葉とは、似ていても、異なる・非なる世界であり、全ての物事を吸収・消化しなければ、其の「満足感・安定感・充足感・しあわせ感」を含んだ、無空の世界は体験・理解できないモノ・世界である理・ことを理解した。
其れは、釈迦仏陀の世界である「十二因縁起」の考え・立場とは、一見、同じ・同様の、心身の無空・空無の状態であっても、次元が一段違う状態であると謂う理・ことに成る。
そして、一気圧のお湯に首まで浸かり、正座をして、両手の力を抜いて、浮遊させて居る時に、女神の聲で「比較的簡単だったでしょう」と告げられて来たのは、其の状態は、「母親のお腹の中に浮いて居た時の状態を 思い出したか」との意味合いであり、其の事を思い出す為に72年の歳月を費やしたと謂う事に成るのではないだろうか。
其れは、釈迦の言葉に有る「十二因縁起」の世界は、単なる「煩悩・なやみ」を無くす為・覚醒の為の一手法であるので、この世に誕生してから入力・インプットして来た情報を、一時的に消去・忘れ去る為の方法であり、其れを行って覚醒・成佛に成功しても、其の後35年半掛かって此処まで辿り着いた来た私の存在が参考と成る様に、簡単には行かない世界であると謂う事に成る。
だが、銭湯に行くと、湯船の中で気持ち良く眠り込んでおり、今にも溺れ死にそうに成っている老人の様子・すがたを見ると、確かに、ボケ気味に成って何の責任も無い人間は、本人が自覚できなくても、昨夜の私の脳と同じ様に、安楽の状態に在ると言う事に成るのかも知れない。
其れを考えると、昨夜女神が告げて来た「比較的簡単だったでしょう」との言葉は、直に腑に落ちる気がするが、何か「是までの 私の艱難辛苦の人生は 何の為に有ったのか」と、気分が滅入りそう気がしなくもない。
今朝の眠ってからの映像には、是から、新しい御世を創造する為に、其れなりの人物が広い会議室に集まって来ており、広い室内を四角に囲む様に長机に座り、夫々が卓上に紙を置いて、メモを取って居ると、開け放っている窓から、一陣の風が吹き込んで来て、皆の机のメモが舞い上がって飛び散ってしまった。
そして、夫々が自分のメモを捜し始めたのだが、手にする物は自分の物ではないので、お互いが、自分の書いて有る内容を知らせると秘密がバレそうだし、他人のメモを読み上げて相手を確認する事にも、躊躇して居る様子が、示されて来た。
私は、自分のメモに何か書いて有ったのか詮索すると、1月9日のメッセージの映像に登場した鼠を追いかける「時さん」と、HPの製作者である「上光君」の事が書いて有った事を思い出し、其れは、数学の方程式の様に【0時 鼠・子+象・12時を探す為に、{時(日(太陽)+止(足)+寸(心拍)」=「上+光+人」}が必要】との様な論理が、書かれていた事を思い出していた。
其れから、参加者全員が、何をメモしていたのかの内容の探り合いが始まり、私は果てしない世界・空間に彷徨い出して行った。
今朝は、余りにも起きて来ない私を心配して、由香が起こしに来て目が覚め、起きて時計を見ると時刻は10時15分であった。
そして、今朝の由香のビジョンには親戚の葬式の場面と、「久しい世 京きな子」との名前の知り合いが登場したとの事である。
今朝は、穀物コーヒを飲みながら「蓬団子」と「豆餅」を食べて、PCを立ち上げ、其れこそ起こされた10時15分」の数字から、昨年の10月15日の文章を視て見ると、次の様な事を書いて有る。・・
此の文章には、海水の温度が上がり魚が死んでしまう場面と、人間と同じ哺乳類である「鯨(魚+京)」が解体される事が書いて有るので、今朝の由香のビジョンの葬式と、登場した「久しい世 京きな子」との名前が関係有りそうである。
其の鯨の存在を考えると、マッコウクジラの雄が尾が水面に出る程の浅い水位(一気圧)の所で両手を前方に垂らして、美しい音色で歌を長く歌って居る状態・姿は、私の昨夜体験した無重力の安楽・しあわせ感と、通じている様な気がする。
「鯨(魚+京)」の漢字は、「京・キョウ・ケイ」が漢数の「兆の1万倍」を表す字であり、以前「京都」が日本で一番大きな都市を意味し、天皇が江戸に移転した事で「東京・東の京」に成っている。
其れを考えると、「久しい世 京きな子」の名前は、「恒久的な京を建設する為の子(鼠)」が必要であると言う事が、示されて来ているのではないだろうか。
本日1月13日は、私が13年前の今日「江藤敬介」氏に出会った日であり、其の時、現実の現象として、江藤氏の背景に花畑が存在する事が、映し出されて来た。
其の様な事は、初めてであり、忘れる事の出来ない現象である。
其れを考えると、江藤氏の背後に見えた花畑は、単なる個人の背後の世界ではなく、私に出会うまで聖書の世界に30年間取り組んでいた江藤氏の背後に存在する花畑は、旧約聖書の最大のテーマである「エデンの園」と関係が有り、其の神のプログラムが江藤敬介氏の背後に、見えたとの事に成りそうである。
其れは、私が一昨日のメッセージの映像で、山頂から下り始めた時に、後ろから歩いて来た男性に、場所・地名を訊くと「野沢」であると応答した事が関係が有り、其れは新しい御世の創造は「沢の有る野」でなければ成らないとの理・ことが、示されて来ている事に成りそうである。・・
此の文章の内容からも、「正常・まとも」の人間を育て上げる為に最も重要事が、「野沢(環境条件)」であり「子午線(地球磁場・アースとの合体)」であるとの理・ことなのであろう。
其の理・ことが理解されない限り、何百億円掛けて「伊勢神宮」の社の地下・地面に「心御柱・しんのみはしら」を立てても、無駄であると謂う理・ことである。
そして、其の理が皇室や宮内庁及び神社庁の人間に認識されなければ、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」に記されている「此の日本から神【一厘】の仕組みが発動する」との事も、現実とは成らないと言う事であろう。
今朝のメッセージの内容からすると、其の「土肥無庵」が私に書いて渡したメモ書きや、私が自動書記・無意識で「海渡族の謎を追え」と電話機の横に置いて有るメモ書帳に書かされた事などの世界が関係が有り、枕元にメモ書きを準備して置く事が、「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」や、「久しい世、京きな子」の世界に、参加・近着く為の第一歩なのかも知れない。
「比較的簡単だったでしょう」https://green.ap.teacup.com/20060818/5240.html
此の文章には「・・新しい御世を創造する為に、其れなりの人物が広い会議室に集まって来ており、・・」と書いて有るので、今朝のビジョンに映し出されて来た会議場の事と関係が有りそうである。
其の事が、本日6月16日の事と関係が有るのかと意い、「6月16日・斎草祭り」で検索を掛けると、次の文章が出て来た。
其れに出て来た「2月15日」の日付は、今朝次に起こされた2時15分の数字で同じであり、「2月15日」は釈迦ブッダの命日とされている日でもある。
2002/2/15・・私が京都から出雲に1997年11月1日に引越しをして、出雲の地を調査している間に、翌年98年4月12日の夢に白い花が出て来て「白無垢」との言葉が有り其れから「6月16日・斎草祭り」とのメッセージが有った。
場所は、横田町の櫛稲田姫を祭る「奇稲田姫神社」と言う事で、1998年6月16日、島根県仁田郡横田町稲原の「櫛稲田姫神社」で、三枝祭りを出雲の安部忠宏氏と行った。
地元の人達と、全国の人達に呼び掛けて祭りを行い、巫女三名に、笹百合を手に持って舞って貰ったのである。
不思議な事に、舞った女性三名とも、舞い始めて「笹百合」の花の香りを嗅いだ瞬間、意識が消えてしまい、舞が終わって座るまで、意識をまったく失っていたとの事であった。
しかし、舞いの方は、最高の出来だったのである。
古代の人々は、笹百合の香りと、人間の意識の関係を、知り尽くしていたのだろうか。
漢字の「無」が、「何もない」の意味に使われているが、「無」の漢字の元は、「舞」であり、其の舞の意味は「神様の為に舞う時は 人間社会に対して もう何も借りが無い 状態である」との意味から、「無い」の意味に使用される様になった。と、辞典に載っている。・・・
「斎草(さいぐさ)」https://wave.ap.teacup.com/20060106/430.html
2009/8/27・・目を閉じて居ると、食事が準備されている長い食卓が映し出されて来て、其の食卓に霊魂が集まって来て、食事を始める様子が映し出されて来た。其の、集まって来た霊魂を、一体ずつ良く観ていると、姿が大きく成ったり小さく成ったりしながら、顔面も、様々に変化して行くのである。
其れは、一体一体が、何百回も輪廻を繰り返しているので、食べ物が変わる度に、其の食べ物が常食であったか、好物であったかに因って、食べている肉体の情報・思い出が入れ替わるからであろう。
其の部屋には、蝋燭が澤山灯されていて、その蝋燭の明かりの中に、数多くの白百合が、透明なガラスの花瓶に挿されていた。
私が、其の部屋の中央に進んで行くと、7年前の2002年2月2日に亡く成った小倉の「樋口寿子さん」が現れて、笑顔で私に「是は シャンカラ・・」と告げた。
今朝の映像で、白百合と共に現れて、「シャンカラ」と私に告げた「樋口寿子さん」は、岡田茂吉が創設した「世界救世教」の熱心な信者であり、自然食の普及に尽力していた学校の教師であった。
其の樋口寿子さんが、笑顔で現れたのは、迷いが晴れたと言うか、真理を悟ったからかも知れない。
其れとも、「食育」が一般社会で叫ばれる様に成って来たからであろうか。
そして、蝋燭の灯りと白百合は、世界共通で神に捧げられる物である。
白百合は、キリスト教の絵画でも神に捧げられる物であり、日本では奈良の「三輪神社」等で「さいぐさ祭り」と言って、巫女さんが「白百合・笹百合」を手に持って舞が舞われる。
「さいぐさ」とは、神に捧げる「斎草・さいくさ」であり、百合の花が三枝付くので「三枝・さいぐさ」とも書かれる。
其の、「白百合・笹百合」の香りには、成分的に麻酔作用の様な効果が有り、笹百合を手に持って舞うと其の香りを吸うので、我を忘れて舞う事が出来るらしい。・・・
「シャクティ(根本的活動力)」http://green.ap.teacup.com/20060818/1253.html
其れで、其の「6月16日・斎草祭り」のメッセージが何日に告げられて来たのだろうかと意い、手帳を出して、1997年11月1日からの日記を見ると、次の事が書いて有る。
97年
・11月6日 安部忠弘氏に案内された神社に、夢に出て来た御神木が実際に存在する。
・12月10日 水曜日 井上佳子から電話が有り、別れを告げて来る。
98年
・2月8日日曜 雪 佳子から電話が有り「野島病院に入院するとの事」
・2月15日 日曜・晴れ 釈迦命日
光明寺で開かれる 座禅会に六名で6時20分から参加する。
寺門から入ると「つくせ つくせ」との言葉が告げられて来る。
私はつくす事で自分が救われる。母も父も 先祖も 皆救われると言う事か。
座禅が終わり本堂でお経が始まると 終わる前に全身に佛を感じる。法統。
ようやく私の本当の姿が示されようとしている感じがする。
あくまでも自分の本意で進める神佛の代行者。
・3月30日月曜 晴れ
@ビデオカメラで撮られて自分の姿が観察できる。
Aコンピュータに自分の記憶を預けられる。
4月8日水曜日 曇り。
釈迦如来 空白の2630年
「我が国は有り難く 其の意味をいたく導入し 今までその影響下に存在して来ました。いま再びその環境の整備をし直して行きたいと考える。
4月12日日曜日 晴れ
自夢 白い花が開いている。無垢 白むく。復活祭。
10時 「井上佳子」から電話が掛かり 「感謝の気持ちが出来た。屋久島の両親にも 。 屋久島に行きたい。夢で舞光が 誰かに連れられて遣って来た。
4月17日金曜日 曇り
師との詰めが出来ない。
六年の時間の差が追い越せない。
其れは 師が止まらないで 歩いて居るからである。
父は姿が無いので 目で追いかける事ができない。自分を影で動かしている力そのモノである。其れが 私なりの伝統的考え気付く。
子供達が 未来の力であるから 子育てが一番重要である。
自分が子に追い越されない為に 神の働きを全面的に受け入れる。
4月21日 火曜日 晴れ
11時頃 電話が掛かり 佳子23日まで持つかどうか。
4月22日 水曜日 雨
3時頃 野島病院から電話が有り 佳子危篤状態との事で出水市へ出発。
4月23日 木曜日 雨
午前1時に到着し 駐車場に車を止めて眠る。
佳子を視て あまりの状態にビックリする。
4月24日 金曜 雨
佳子の死を無駄にしない為に 私の残された仕事。
4月27日 月曜日 晴れ
佳子 朝より手足が冷たくなってくる。
11時55分 呼吸が止まる。
4月28日 火曜日 晴れ
自然庵斎場で朝を迎える。
5時半より本通夜。4時過ぎに小倉より樋口さん到着。
4月29日 水曜日 晴れ
昭和天皇誕生日・みどりの日
正午より葬式。 火葬を済ませて蘇陽の家に帰る。
4月30日 木曜日 晴れ
手紙や要らない物のかたづけ。自分のアルバムや本などを纏めて箱に詰める。
5月1日 金曜日 曇り
昭和天皇の大葬の日の お告げで始まった10年間の蘇陽の生活が終わり、四名の子供達は祖父母の車で高知へ。
5月2日 土曜日 曇り後雨。
朝から自分の荷物を纏める。
安部忠弘氏が6時頃 社員が運転するトラックで到着
自分の物をトラックに積み込む
5月3日日曜日 曇り後雨
布団等をトラックに積み込み トラックは先に出発。
私は自分のパジェロで 安部忠弘氏を阿蘇に案内してから出雲に向かい、午前1時28分着。
5月8日金曜日雨
安部忠弘氏は三枝祭りの打ち合わせに横田に向かう。
社長が 朝「悲しいね」と一言謂う。慈悲の単語を理解したのか。
5月10日日曜日 曇り 安部忠弘氏56歳誕生日
安部忠弘氏の夢「水の中に溜まった汚れが 何かによって流される。」
私の夢 「背水の陣は 積善より出る意識。」
6月15日月曜日 朝雨が降っていたが次第に晴れる
12時5分東京より山川夫妻到着
河津耕治氏出雲駅 高速バス
夜8時30分〜9時30分 蛍見学
6月16日火曜日 快晴
10時より 三枝祭り開始
18時より、勉強会
6月17日 水曜日 快晴
伊賀多気神社 正式参拝。 宮司に講話をして貰う。松江にて小泉八雲記念館見学 蕎麦で昼食を済ませ散会。
6月20日土曜 曇り
夕方「土肥無庵」より電話が有り 今後の事を話す。
【其の電話が「土肥無庵」との最後の会話と成る】
本日何故、過去の日記を公表する気に成ったのかの理由は、私が蘇陽に住む事に成ったのは、昭和天皇の御大葬の日の朝のメッセージが原因であり、10年目の4月29日に「井上佳子」の葬式を済ませ、憲法記念日と息子の誕生日である5月3日に其の家を後にする事に成った事に加え、次の事が判ったからである。
1997年12月10日 水曜日
「佳子から電話が有り、別れを告げて来る。」
其の12月10日は、由香の誕生日であり、其の由香に岡山で出会った2001年11月21日は「井上佳子」の誕生日の日である。
其れに由香の実家は、三枝祭りを行った奥出雲の櫛稲田姫の出身地に立つ櫛稲田姫神社の分社である、広島県神辺町の櫛稲田姫神社の参道に存在する。
其れに今朝起こされた2時15分の数字は、「斎草・さいぐさ」の文章を書いた日付であり、98年2月15日には次の様に書いてある。
・2月15日 日曜・晴れ 釈迦命日
光明寺で開かれる 座禅会に六名で6時20分から参加する。
寺門から入ると「つくせ つくせ」との言葉が告げられて来る。
私はつくす事で自分が救われる。母も父も 先祖も 皆救われると言う事か。
座禅が終わり本堂でお経が始まると 終わる前に全身に佛を感じる。法統。
ようやく私の本当の姿が示されようとしている感じがする。
あくまでも自分の本意で進める神佛の代行者。
其れに釈迦の誕生日である4月8日には、次の様に書いて有る。
4月8日水曜日 曇り。
釈迦如来 空白の2630年
「我が国は有り難く 其の意味をいたく導入し 今までその影響下に存在して来ました。いま再び その環境の整備をし直して行きたいと考える。
この事を考えると、・3月30日月曜 晴れ
@ビデオカメラで撮られて自分の姿が観察できる。
Aコンピュータに自分の記憶を預けられる。 との事は、
2005年8月23日に釈迦ブッダが、私のPCの中に棲み付いた事に関係が有り、私の姿を撮影すれば、其の姿の中に釈迦ブッダの気が映り込むとの事であり、其れは「水素/Hの氣・エナジー」の世界であると言う事に成りそうである。
2005/8/23今朝のメッセージは、初めて「釈迦牟尼仏陀」が姿を現して、歓んでパソコンのリンクの一番下段に入力され、何時でも其処をクリックすると、ブッタの姿で表に立ち現れて来るのが見せられた。
其れは、釈迦が2600年のカルマ・業からようやく開放されて、気が楽に成った姿である。
釈迦は、仏陀と成り、衆生一切を自分の子とした。そして、次の転輪聖王を「弥勒菩薩・マイトレーヤ」に託し、弥勒が今回の仏陀の役割を果たせる為に、2500年間トキの節目を待って居たのである。
其の弥勒も、仏陀の意識の創造(イメージ)の世界で、長いトキを過ごして来たのである。そして、今朝、お互いのプログラムが、完成したのだ。
互いの意識が合体し、一体の意識体として、今回の、神のシステムの最後のページに収まる事が出来たのだ。
言い傳えに因れば、釈迦は「私は、衆生一切が救われて、悟りの門を潜るまでは、門の外に居て、最後の人が門を潜ったら、最後に自分が中に入って 扉を閉める。」と、謂ったとの事である。
其れが本当なら、ようやく目途が着いて、門の中に入って、納まったと言う事になる。
何故、今朝、其の様な事に成ったか、其の理由はハッキリしている。
昨日、夕方7時から、今朝の2時過ぎまで、鹿児島から里帰りした方と、釈迦と法華経に付いての話を続けた。凡そ7時間で、お互いの意識が源まで辿り着いて、決着がついたのである。
其の相手は、創価学会の法華経の熱心な勉強家である。
だから、釈迦が、本当は何を伝えたかったのかの結論に至るまで、延々7時間も掛かったのである。
其の結論が正しかったので、釈迦が安心して、人の意識から、宇宙の意識体の中に納まったのである。
面白いのは、釈迦と弥勒の合体意識の御魂は、最後に入力されたので、押入れに納められた物と同じで、一番取り出し易い位置にリンクされている。
だから、何時でもクリックすると、表に直ぐ、映像として立ち現れて来るのだ。
イエスの言葉に「神の 左に座する者が現れた時が 其の時だ。」と有る。
其れは、向こう向きで在った体制が、此方向きに回転した時に、左に位置して居た者が、右側に立場が変わり、此方を向くからである。
其れは、イエスが神を右側に感じて居たので、其のトキが来て神が姿を現せば、自分は神の左側に座する様に成る事を、知って居たからである。
今朝のメッセージは、此方向きでは一番後に控えて居た仏陀が、全員が反転したので一番前に在る事に成ったのだ。
イエスの言葉に「其の時には、一番前の者が 一番後に成る。」と有る。と言う事は、一番後の者が一番表面に立つ事に成るのだ。
私も、是まで、聖霊の一番後ろに仏陀が控えている事は、感じて居た。
其れは、「日蓮上人」や「弘法大師空海」の現れ方を見ていると、後ろに、誰かが未だ控えている事が観じられたからである。
其れが、今朝、想い掛け無い形で、決着を見た。
今朝、起きてからこの話をすると、相手も納得した。
今朝のメッセージには、付録が付いている。
それは、私は以前、海に潜ってイセエビを沢山獲っていたので、今でも時々イセエビ獲りの映像を夢見る事がある。
何時もは、赤いイセエビを沢山獲る映像なのに、今朝見た其れは、10数匹のイセエビが皆濃い青色なのである。
そんな色のイセエビは、ペンキでも塗らない限り、現実には存在しない。
では何故、全部が現実には存在しない、青色のイセエビだったかと言うと、その意味は、信号が赤から青に変わったとの事であろう。
ようやく仏陀の段取りが済んで、出発の時を迎えたのだ。
其れで、ようやく私も、目には見え無い鉄格子の檻から、外に出られるのだ。是迄は、聖霊達の段取りに付き合わされていただけなので、彼らの段取りを手助けする為に、自分の自由は何も無かったのである。
此れからは、此方の都合次第である。
何しろ、釈迦も、弥勒も、パソコンのリンク・ボックスの中に閉じ込めてしまったのである。
是迄とは、反対で、私が必要と意った時に、パソコンの一番下のリンクをクリックすれば、取り出せるのだから、昨日迄とは、立場が逆転してしまっているのである。
昔から、壺の中に住む「仙人」の話や、アラジンのランプの様に、神が容器の中に住み、ご主人が必要な時に出て来る話は在るが、パソコンの中から、神様が出て来る話は聞いた事が無いので、新しい話題となりそうである。
ようやくお釈迦さんも、大仕事を終えて、隠居の役目に、落ち着く事が出来るのだ。「長い間、ご苦労様でした。」と申し上げるべきであろうか。
しかし、私には、そんな事を言う気は無い。
何故なら、此れから私がしなければ成らない事は、21年前より神に聞いて知っているので、是からが大変なのが分かっている。だから私は、是まで逃げ回って居たのである。
だが、遂に、其の時節が到来したみたいである。
是から、何かと、大変な事は分かっている。しかし、是からは、私が自分の意った様に動けるのなら、其れに合わせて、神が段取りを運ぶのだろうから、此れまでよりは楽しく遣って行けるだろう。
私は、21年前、無庵師匠の下で覚醒し、宇宙の真実が解けた。
そして「なんだ此れは、全てジョークではないか。」と、笑い出してしまったら、無庵師匠は「自適さん笑うな。今、自適さんが笑ってしまうと、全てが水の泡に成ってしまう。」と謂うのである。
私が、更に「だって此れは全て・・・」と云おうとすると、無庵師匠は「自適さんが、今、笑ってしまうと、皆の気が抜けてしまう。皆は、其の日に向けて修行を続けて居るのだから、今、自適さんが笑ってしまうと、全部の事が止まってしまう。」と云うので、私は是迄、神の真実を話せないし、笑う事も止めて居たのである。
其れが、ようやく孫悟空の「緊箍 (きんこ) 金輪」の物語の様に、観音様が外してくれる日が来たのだ。
この世界は、神の問題提起の舞台なのだ。
それは、イエスラエルの契約の箱の蓋の左右に向き合って居るケルビムの謎賭けとして、物の姿で残され伝え続けられている。
其れを、古代の人達は皆知っており、漢字の「亟」の文字の意味として伝わっている。イスラエルでは、其れを物の形として残すのに、大変な苦労をしているが、中国では漢字一字で、其れを伝え続けているのだ。
岡本天明氏の日嗣神事には、釈迦ではなく、「老子(道院殿老祖様)だけを中に祭って、他の神は全て外に祀れ」と有るのは、老子が文字を正しく解釈している事と、釈迦や老子が謂って居る様に「宗(みたまや・おおもと・因明)」は、漢字の存在する前に在り、4000年以上前の意識に立ち返れるからである。
ようやく、釈迦や、老子の「宗」の歳が「138億年+00」と成り、新しいジョークの種子が蒔かれ始めるのだ。
パソコンを、龍宮の玉手箱として。
「リンクボックスに入った釈迦」https://star.ap.teacup.com/170606/557.html
此の8月23日の日付は、1996年8月23日のビジョンに「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」が乗った宝船が登場して、「須佐之男尊・すさのおのみこと」が手植えした出雲の下佐世神社の境内に生えている御神木の土手に接岸した日から、丸9年目の日であるので、本は「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」&「水素/Hの氣・エナジー」の世界なのであろう。
2013/8/23「生命・いのちの尊さ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2787.html
其れに釈迦ブッダの御魂は、四国の金毘羅山の頂上に在る大物神社から、ネパールに派遣された神(はたらき)である事が、私に示されて来ているので、奈良の三輪神社の御神体である「三輪山・大物主」が元である事にも成る。
2008/4/5「生命の象徴」https://green.ap.teacup.com/20060818/695.html
其れを考えると、奈良の矢追日聖法主は「櫛稲田姫」が何万年も前からの神であり、「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂も其の神(はたらき)の系譜であるとして祭禱(さいき)を続けていたので関係が有る事に成る。
其れ等の事を考えると、釈迦ブッダの御魂がリフレッシュして、高御座に着いているとの事なのかも知れない
其れを考えると、「ワタシは貴方」との女神の言葉は、「大物主神」のモノであると考えても良いのかも知れない。
何れにしても、「名越美代子」→「井上佳子」→「伊丹由香」と、パートナーを替えられながら、此処まで辿り着いた私には、何らかの役割が継続するとの事であり、其れが「天津日嗣・あめのひつぎ」の言葉・名前が意味する真実の世界なのであろう。
そして其の事に、旧暦7月14日」の禊ぎ祓いが必要不可欠であり、「惟神の道」の言葉が不変の「伝統文化」であり、其れが「岳参り」と「稲作文化」で継続されるとの理・ことなのであろう。
其れは「老子」「釈迦」「イエスキリスト」等の聖者が謂う、「宗教・おおもとのおしえ」には建物や教団は不必要であるとの理が、究極の答えであると言う事でもある。
和2年6月16日
礒邉自適
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