1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/6/20
冷静な判断力
2・6・20
今朝のビジョンは先ず、私が自分の仲間と、通信用のアンテナ柱の設置を行なう活動を始めて居ると、別の大規模な計画が存在する事は判明し、私達は自分達の計画実行を止める事にした。
次に、世界が東西の二勢力に別れているのではなく、多数の国が、同じ様な大きさ・規模に分けられている場面が映し出されて来た。
其れは、縦横に同じ程の規模に並べられているモノであるが、何故か、其の色は「紅色系」と「青色系」の二色に、全体がバランス良く並べられている事が判った。
次に、長身で白い服装の、理知的で物静かな40歳代位の男性が登場して、其の男性はオーム教の信者の様な、現代社会に疑問を持ち、離脱して復帰出来ない人達の面倒を看ている事が判った。
私は其の男性と、暫く話しをして居ると、其の男性が「自適さんの話を 理解できそうな人物が一人居る」と謂い出し、其の男性は外国人であると言うので、「私は日本語しか出来ない」との事を言うと、其の外国人は日本語が通じるとの事なので、私は紹介して貰う事にして、「話が合う相手なら 酒が美味しいですね。」と一言謂うと、其の男性の顔が瞬間に曇ったので、其の外国人は酒飲みが禁止の国・文化の人である事を感じ取った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時9分」であった。
其れから再び眠ると、幾つかのビジョンが映し出されて来て、私は其れ等の映像場面から、「覚醒の手助けは出来るが、人格を変える事は出来ない」との理・ことを意って居た。
そして、「10月13日」の日付が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「6時49分・7時11分前」であった。
其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた4時9分の数字から、今年の4月9日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/4/9今朝のビジョンには、先ず、60歳代の矍鑠とした立派な人物(男性)が目の前に登場して、私の意識は、其の男性が王様に相応しいと意い、頼りに成る人物(男性)を紹介しようとするのだが、どうしても、其の男性の顔と名前が思い出せないのである。
そうして居る間に、顔の丸い男性の存在が映し出されて来て、其の存在は前に黄金の板版を立てているので、顔だけが、其の板版の上に出て居た。
そして其の黄金の板版には、東西南北に分けた様に「文」が無数に並べられており、其の文を組み合わせて「字」を表現しなければ成らない理・ことが示されて来た。
其れは、「文字曼荼羅」の世界を示唆しているモノ・世界である事が、理解されて来た。
そして、私が思い出そうとしていた人物の名前が、関係有る事が示されて来て、東西南北の向きに、其の名前が組み立てられる場面が映し出されて来た。
其れは「北・頭」が安泰の「安・あ」で、「南・下」が「宏・ひろ」、本人の右手側「西」が「部・べ・辺」で、左手側「東」が「忠・ただ」である事に成り、其れは出雲の安部忠弘氏の名前である事が判って、北南が「安泰が広がる」の意味であり、右手が「物・部」で仕事の世界を意味し、左手が「忠義」で精神を意味している事が示されて来た。
そして、其の文字の世界は、日本で最初に鋳造された「和同開珎」銭貨の様な雰囲気が有った。
(和同開珎は、708年8月29日に、日本で鋳造・発行された銭貨である。日本で最初の流通貨幣と言われる。皇朝十二銭の1番目にあたる)
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時10分」であった。
其の5時10分の数字は「安部忠弘氏」の誕生日が5月10日である事と関係が有り、私は安部忠弘氏に出会う36日前に京都で1997年5月10日に太陽から「写真を撮れ」と告げられて来て、大徳寺で杖を突いた写真を奥野君に撮って貰っている。
其れから再び眠ると、今度は「みんなが・・・」との言葉が一言告げられて来て、其れは現在の人間が皆文明化されて、自分の個性(見方)・アイデンティティを失っている理・ことを示唆している事が理解されて来た。
其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時35分・6時25分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は目の前に池沼が広がっている場面が映し出されて来て、其の池の其処には水藻が生えており、対岸には草が生えていた。
すると、対岸に有る道路の右側(東)から、一台の箱型の車が左側(西)に走り抜けて行く様子が映し出されて来て、其の車の側面の硝子から反射した太陽光が、水面に映って白く光りながら移動して行く様子が映し出されて来た。
そして、其の映像の意味に付いて考えて居ると、「水面を 逆に引っくり返しなさい」との言葉が一言告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時45分・7時15分」であった。
其れから再び横に成って、今朝のメッセージに付いて瞑想をして居ると、熊が何故、冬眠をした儘子供を産んで乳を飲ませられるのかが疑問に思われて来て、其れは夏間に溜めた脂肪が燃えてエネルギー化されるからであり、其れは石油が、古代に太陽エネルギーで生き物・有機物が繁殖した結果の産物と同じ物である事と関係が有り、其れは我々人類も同じ仕組みで生きているとの理・ことである。
今朝のビジョンの雰囲気から、私に想像できる事は、アステカの「シュー・コアトルのベア」の太陽の石鏡の中心に太陽神の顔が有って、長い舌を出している姿・形・形式ではなく、其の舌を、広い黄金の板版に変えて、其の味覚と言うか思考のプログラムを、私に見せて来た事に成ると言う事である。・・
これ等の文章の内容から考えると、今朝の映像に、植物が繁茂する岸辺の道を車が走り、其の車のガラスで太陽光が水面に反射する場面と、其の水面(鏡)を逆にひっくり返せとの言葉が、何を意味しているのかも、理解されて来る。
其れは、人間が自分の視覚から取り込む情報・世界を、通常とは逆(鏡)にしなければ、太陽光と地球の水の存在で現象化している生命・いのちの世界・神秘は、理解・ひもとけないとの事である。
今朝、安部忠弘氏の名前が示されて来て、起こされた時刻が5時10分であった事から、昨年の5月10日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、大型カメラを持った人物と、大きな太陽光の反射板の事が書いて有る。其れは、昨日のカメラの撮影場面と、今朝の池の水面の物語との共通性が有るので、今朝のメッセージは昨日の続きであるとの事に成る。
其れに「みんなが・・・」との言葉が告げられて来た「6時25分前」の数字から、昨年の6月25日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
其れに、現代人は管理者・権力者に都合が良い様に、皆が子供の頃から型に嵌められているので、全員が家畜化された生き物と同じ様に、自由意志を失ってしまっている事と関係があり、其の社会構造を撤廃し、新たなシステムを構築するヒントが示されて来ているのであろう。
其れに今朝起きた・起こされた時刻7時15分の数字から、昨年の7月15日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章は、正に、今朝の由香のビジョンと通じているので、私や由香を動かしている(潜在意識のコントロール)正体は、同じモノ・存在である事に成りそうである。
其の存在が何物であるかを考えると、やはり伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の名前が一番相応しいのかも知れない。
其の天照坐皇大御神御魂が私にビジョンに初めて登場したのは、私が1984年11月22日に伊勢の外宮に初めて参拝した日の夜であるので、矢張り食べ物の世界が最も重要・大事であるとの理・ことなのであろう。
私が初めて、其の「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に参拝出来たのは、1997年12月8日であり、其の12月8日の日付は釈迦牟尼世尊が覚醒・成仏した日付であるので、釈迦牟尼世尊の御魂も天照坐皇大御神御魂と関係が有るとの事なのであろう。
其れに、今朝のビジョンでアステカの太陽神が文字曼荼羅で、出雲の安部忠弘氏の名前を使って来た事には、私も驚きを隠せないが、其れだけ、私に5月10日に「写真を撮れ」と告げて来た事に意味が有る事に成る。
「皆型に嵌まって居る」https://green.ap.teacup.com/20060818/5328.html
此の「皆型に嵌まって居る」との言葉からすると、現代社会は世界中の僻地まで、教育制度が整えられて、近代的な生活が強いられ、自分達の固有の文化が失われつつある事が、人間の生き方が一辺倒に成っている事と、関係が有りそうである。
其れを考えると、今朝のビジョンで、私が通信用のアンテナ柱の設置を計画している事が、何か大きな力に遮られて中断した事は、私の考え方が正しくても、其れは日本国の事情に合ったモノ・世界であり、他の国々に無理強いしては成らないと言う理・ことであり、大きな力とは、大自然の仕組みの理を示して来ているのであろう。
其れを考えると、終戦日(昭和20年8月15日)に、奈良の矢追日聖法主に神が告げて来た「紫陽花の様な仕組み」との事が関係が有りそうである。
2003/4/7「正傳矢追日聖」https://star.ap.teacup.com/170606/210.html
何故かと言うと、世界の国々・地域が、紅系と青系に分けられていた場面は、リトマス試験紙のPH・ペーハー度数の色と関係が有り、紫陽花が酸性土壌とアルカリ土壌で、色彩が変化する理が、示唆されて来ている様な気がするからである。
其れを考えると、今朝のメッセージは、昨日のメッセージの続きであり「熱血漢」や「冷たいスプーン」などの言葉と関係が有り、人間の食べ物の「酸性」か「アルカリ性」かで、「血液・細胞」が影響を受け「意識や文化」が異なる理が示されて来ている事に成りそうである。
其れに、今朝告げられて来た「10月13日」の日付から、昨年の10月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/10/13今朝のメッセージの映像は、私が何処かの旅館の広間の様な室内で、三人の男性と「是から 人間社会をどの様に組み立てたら良いか」を話し合う場面が映し出されて来た。
一人の男性は、60歳位の経済学者で30歳代の弟子を伴って居た。
もう一人は、スラリとした色白の70歳位の男性であり、哲学者の様な雰囲気であり、私が写真を撮らせてくれと頼むと、「あまり寝ていないので 眠い」と答えたが、一応私の前に来てポーズをとってくれた。
そして、其の男性が何者なのかを推測し始めた所で、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時15分」であった。
其れから再び眠ると、「近代化」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時21分」であった。
今朝起きた・起こされた時刻は「7時19分」である。
其れから穀物コーヒーを飲みながら蓬団子を食べ、PCを立ち上げて先ず「近代化」を調べると、次の様な事が載っている。
きんだい‐か〔‐クワ〕【近代化】
[名](スル)封建的なものを排して、物事を科学的、合理的に行うようにすること。産業化・資本主義化・民主化などの視点からとらえられる。「近代化の波」「近代化された設備」 デジタル大辞泉の解説・・
私は農家生まれで、中学校卒業であるので「近代化」などの言葉には、馴染みが無いので、能く理解が行かないが、長文のウィキペディア辞典の最後の部分だけは、何となく興味が湧く。
私に考えられる事は、ヨーロッパで始まった産業革命や政治改革に類する事は、判断できないが、精神文化(宗教世界)に関しての「近代化」は、自然科学が発達して来た現在では、神話の様な迷信掛かった考え方ではなく、「宇宙の成り立ち」と「生命の仕組み」から科学的に近代化を図る事が可能だと想われる。
今朝起こされた「1時15分」「4時21分」「7時19分」の数字から、今年の1月15日・4月21日・7月19日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
これ等の文章の内容からすると、工業や農業、其れに商業システムが近代化された事で、我々人間の意識がどの様に変化し、其れに拠って、精神文化がどの様な事に成っているのかを、考える事は出来そうである。
近代化の言葉を考えると、中国の「老子」、インドの「釈迦牟尼世尊」、オリエントの「イエスキリスト」等の聖者が開拓した精神界のレベルは、其の後、上昇するどころか低下を続けている事は明らかである。
特に現在の人間社会は、本能を刺激する「食欲」「性欲」「物欲」の情報が朝から晩まで垂れ流されており、子供達は其の中で否が応なく知識を積まされているので、最も大事な、大自然の中で本来の人としての意識を成長させる事・世界が出来ないでいる。
其の中で、「老子・釈迦牟尼世尊・イエスキリスト」の聖者の教訓を学習しろと謂っても、無理難題である事は間違い無い。
「老子・釈迦牟尼世尊・イエスキリスト」の教訓に共通する理は、人間社会・世間から自由に成る理・ことであり、宗教の教団を設立したり建物を造ったりする事ではない。
其れを考えると、現在世界中に存在する宗教は、殆どが、彼等聖者の教訓に違反している事に成るのである。
其の事を考えると、今朝告げられて来た「近代化」との言葉は、其れ等の古い体質を全て壊して、本来の「老子・釈迦牟尼世尊・イエスキリスト」の教訓に従う体制を実行する事にあるのではないだろうか。
其れは、電波望遠鏡の開発で解明されて来た「宇宙の成り立ちと構造」、電子顕微鏡の開発で解明されて来た生命の「遺伝子・DNAなどのミクロ世界」を、老子・釈迦牟尼世尊(2600年前)、イエスキリスト(2000年前)の教えに加えた、新しい宗教(おおもとのおしえ)を組み上げなければ成らないと言う事であり、其れが、新世紀の文化体制であると言う事に成るのではないだろうか。
現代人は科学・化学の発達で、此の世界の真実や人間の本質を解明して来た。だが現状では、古代の人々が理解できない世界を迷信的な神話として語り継いで来た事を、今でもあらゆる宗教で受け継いでおり、地球物理学や化石の研究等に拠り解明されて来た生命進化の真実に、目耳を塞いで、子供達に間違いを刷り込み続けているのが現状である。
其処の所をどうにかしなければ、精神世界の近代化を図る事は無理であろう。
何故其の事が、此の私に示されて来るかと謂うと、其れは肉体を有しない神霊は、受信体制を整えた人間にしか、意思の伝達が出来ないからであり、現在の所、其れが私に可能だからである。
其れを考えると、統尊(すめらのみこと)の「御稜威 ・みいつ」や「詔(みことのり)」が何であるのかが、理解されてくると謂うものである。
今朝告げられて来た「近代化」とは、人類全体の認識・考えに、其の理が理解され、私に起きている出来事が、一般化する社会体制の構築であるとの事なのではないだろうか。
何となく、本日の役割を果たせた様な気分と成って来た。
どうやら此れは、昨日「げきれい・激励」との言葉を告げて来た「無庵師匠」の「神霊の思頼(みたまのふゆ)現象」なのかも知れない。
「宗教の近代化」https://green.ap.teacup.com/20060818/5144.html
此の「宗教の近代化」との言葉を考えると、昨日「冷たいスプーンが明日届く」と告げられて来た言葉は、私が科学者的な冷静さを持って、物事を判断しなければ成らないと言う事であり、其の為には言葉(詔)の「匙加減」が大事であるとの事であり、其れこそが白山権現菊理姫が私に頼んで来た事の、神髄なのかも知れない。
2006/9/9「自分の中に住む白蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
其れに「匙加減」との言葉は、天秤を手にする正義の女神「テミス」に関係が有り、私に「手ミス」が有っては成らないとの事にも成りそうである。
2012/8/20・・今朝のメッセージの映像には、野草社の「石垣雅設」氏」が現れて、誰かが作詞作曲をした「矢追日聖氏」の鎮魂歌を唄って居ると、途中から号泣し始めて唄うのを止めてしまった。
そして、「てんびん」との言葉が伝えられて来た。
次の映像には、私と、姿無き男性と二人で、山中で自然生活をしている「菊池」と言う名の夫婦を訪ねた。
其の男性の意見は、私の話を理解する人達が少ないので、私の講演会を田舎で行うのは、難しいとの事であった。
そして、其の男性は「大麻を吸う人達は駄目だ」と云った。
其れは、私が其の様な人々と接していると、同じ様に想われて、私の謂う事が、人々に信用されなく成るからであろう。
「てんびん」が、「天秤」であるのか、他に「天便」などの、別の文字が有るのか判らない。
「天秤・テンビン」であれば、辞典に次の様に載っている。
・てん‐びん【天×秤】
支点が中央にあるてこを用いて、物体の質量を分銅と比較測定するはかり。さおの両端に皿をつるすか載せるかし、一端の皿に測る物を、他端の皿に分銅を入れて、さおが水平になったときの分銅の重さで物の重さを知る。上皿天秤・化学天秤など。
・「文化における天秤」
その選別するという特性から「裁き」のシンボルとされていた。古くは古代エジプトの『死者の書』(ペレト・エム・ヘルゥ)で死者の魂の善悪を判定する場面に描かれた。タロットの「正義」では剣と天秤を持つ女性として表象されている。また、星座のてんびん座はアストライアの持ち物とされることもあり同源かもしれない。 ウィキペディア辞典
「矢追日聖氏」は、奈良市に有る「あじさい邑」を設立した人物で、1996年(平成8年)2月9 日に亡くなっている方であり、石垣雅設氏は、其の施設の中に野草社の事務所を置いて、出版の仕事をしていた時期が有り、矢追日聖氏の本を二冊作ってもいる。
矢追日聖氏に付いては、以前に文章にして有るので、此処では詳しくは述べない。・・
「天秤」に付いては、西洋の裁判所のシンボルに成っているが、私には2006年3月17日のメッセージで、地球環境と人間の経済活動のバランスを図る必要が示されて来たので、地球管理局のブログを作製してある。
「地球管理局」http://star.ap.teacup.com/2007313/
「正義の女神」正義の女神(せいぎのめがみ)は、神話に登場する以下の女神である。
1.ギリシア神話の女神、テミス(Θέμις)。
2.ローマ神話の女神、ユースティティア(Jūstitia)。
剣と天秤を持つ正義の女神の姿は、司法・裁判の公正さを表す象徴・シンボルとして、古来より裁判所や法律事務所など、司法関係機関に飾る彫刻や塑像、絵画の題材として扱われてきた。現在は目隠しをした像が主流である・・
其れに、「天秤」は権力を意味する漢字の「権・ケン」の象形文字と成っており、権力とは天秤を調整する権利を持つとの意味である。・・
其れ等の事柄を考えると、今朝のメッセージは、新しい政・まつりごとに付いて考える必要が有る事を、示して来ており、菊池なる人物を捜し出す必要があるのかも知れない。
其れとも「菊池・きくち」とは、菊の家紋を持つ天皇が存在する日本の地を意味し、日本国に大権が渡される事を、意味しているのであろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、昭和20年8月15日の終戦日の昭和天皇に拠る玉音放送の後に、矢追日聖氏に告げられて来た神のメッセージや、昭和19年6月10日に岡本天明氏に告げられて来た「日月神示」のメッセージが、いよいよ始まる時節が来た事を、想わされるモノがある。
そして、社会福祉に一生を捧げた「矢追日聖氏」の鎮魂歌と、天秤の関係を考えると、「社会福祉予算」と「国税収入」のバランスを取るのが、難しい理・ことを示しているのではないだろうか。
「天秤」https://green.ap.teacup.com/20060818/2411.html
此の「天秤」の文章にも、矢追日聖法主の事が書いて有る。
其れを考えると、やはり今朝のビジョンに映し出されて来た、世界がリトマス試験紙の色の様に、区分けされていた意味を、冷静にISO・感度を高めて、見詰めなければ成らないと言う事に成りそうである。
令和2年6月20日
礒邉自適
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