1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/6/24
今回のプログラムは終了
2・6・24
昨夜は0時過ぎに、床に就いて目を閉じて居ると「気の毒ですが 今回の事は 貴方達二人が辿り着いただけで 終わります。」との言葉が一言告げられて来た。
そして眠ってからのビジョンには、深い森の木々の上に、白い新しい網が掛けられている場面が映し出されて来た。
次に、次の次元が始まる事が示されて来て、左側にクラーク博士が椅子に座って、煙草の煙を漂わせており、其の背後に、博士のパートナーであるという細身で長身の女性が立って居るのが映し出されて来た。
其れから、中央に何物かの存在(主体側・帝釈天・創造主・ゴッド)がある事が示されて来て、私は右側の方に立って居り、私のパートナーだと言う設定の、鳥の様な顔をした2メートル近い長身の「鴇色・ときいろ・#ECA5B2」系の服装・衣の姿の女性が登場し、私の前に歩いて来て、大きく口を開けて口の中を私に見せた。
すると、其の女性の口中には、魚の時代の鰓(えら)の細胞・組織が未だ残っているのである。
私は其の事で、鳥神や蛇神(蜥蜴)等の、恐竜時代の「生命・いのち」の記憶までは還り着いたが、是から、魚の時代(いのち)にまで、人間は辿り着く・覚醒しなければ成らないプログラムが、開始されるのだと意った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時12分」であった。
今朝は「6時32分・7時28分」に起こされた・起きると天気は快晴であり、強い日差しが縁側に差し込んでいた。
2019/7/28今朝のメッセージの映像には、白い花の蕾が7〜8個着いている桜の小枝が一本、私の前に置かれている花瓶に投げ入れられる同じ場面が、繰り返し10回程再生される場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時47分・4時13分前」であった。
其れから電気を消して、暫く考えて居ると「オフ 10%」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時17分」であった。
其れから再び眠ると、人間の目で読める限界の、小さな文字の日本語の横書き文章が、薄茶色系の色を背景として、画面一杯に書かれている場面が映し出されて来た。
だが、其の文章には、題名が無く、段落も無く、句読点も無く、始まりも終わりも見えない文章であり、果てしない世界である理・ことが理解されて来た。
私の意識は、其の文章の映像・雰囲気から「エホバ・ヤハウェ」の神(はたらき)を思って居た。
此処で、左手の手首の所にカモ(神の電気信号)の反応が起きたので、時刻を確認すると8時23分である。
其の8時23分の数字は、「須佐之男尊・すさのおのみこと」「王道」「釈迦仏陀」に関係の有る数字である。
今朝起こされた「4時13分前」と「4時17分」の数字から、今年の4月13日と17日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章には「・・満開と成っている染井吉野桜の枝の中に、私が顔を突っ込んで、花の匂いを肺の中に目一杯吸い込む場面が映し出されて来た。」と書いて有るので、今朝の映像に何回も念を押す様に映し出されて来た、桜の蕾が着いた枝の存在は、日本国の象徴とされている桜(文化)が花開く時節が目の前に迫っているとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
そして、4月13日の日付・数字を考えると、4月13日が京都の嵐山の麓に有る法輪寺の「虚空蔵菩薩の大祭日」であるので、虚空蔵菩薩との神(はたらき)は、「エホバ・ヤハウェ」の神(はたらき)と関係が有り、「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぼさつぐもんじほう」とは、其の「エホバ・ヤハウェの神」の意思を聴き取る事を意味しているのかも知れない。・・
此の文章に書いて有る「・・河原柳のような樹木の枝の挿し木から、芽が出ている場面が映し出されて来た。・・」との事からすると、今朝の映像に映し出されて来た桜花の蕾が着いた枝の存在は、苗から育った木(期)に花が開く時が来たとの理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、「渡来家の文書」とは「渡来系・天津神」である「磯部・物部・石部・石上(いそのかみ)」の文化の事に付いてであるので、磯部・物部・石部・石上の元は「ユダヤ・イスラエル系」であり、其の文書は「旧約聖書」の物語が主体であるので、其の主体が「エホバ・ヤハウェの神」である事と関係が有る事に繋がって来る。
今朝は由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊くと、見たとの事であり、其れは次の様な内容である。
海の浅瀬で目が覚め、其処があおうみ(青産み・青海)神社であると告げられたが、社らしき建物も何も無く、真っ青な海が目の前に広がっているだけであったとの事である。大潮の日で、遠浅であり、エメラルドグリーンに輝く苔の付いた小粒の石が目に付いたので、他にも探して見たが、一つしか無かったとの事である。
その後、海から見上げた高台の建物の中の小部屋に私が居て、其処の施設は8月28日生まれの60歳ぐらいの男性が管理をしていて、40人弱のスタッフがおり、人選を厳しく行なった結果、人数は少ないが、良い人材ばかりが揃っているとの話をしたとの事である。
其処での私は、会議に参加するなど、直接関わる事はしない立場であったとの事である。
そして、「一千億規模ではじめる」との言葉が告げられて来たとの事である。
此の「・・真っ青な海が目の前に広がっているだけであったとの事であり、大潮の日で、遠浅であり、エメラルドグリーンに輝く苔の付いた小粒の石が目に付いた。・・」との内容から考えると、「須佐之男尊・すさのおのみこと」が生命が誕生した「海原・うみ・産み」を司る・管理する神(はたらき)と関係が有りそうである。
きー「須佐之男尊」
此の「亀甲紋」の文章の内容から考えると、今朝のメッセージは、昨日の「遺伝子・DNA」の課題の続きでもある事に成って来る。
今朝の文章の題は、須佐之男尊の世界は地球の「海・山・森・川・陸」等の場での神(はたらき)に限られてしまい、「天照大神(昼間・恒星)」「月読界(夜・宇宙全体)」の世界・事は含まれていないので、「エホバ・ヤハウェ」の意味である「有る時から在るモノ」にした。
其れは、エホバ・ヤハウェの世界が「神の名を呼んでは成らない」との事であり、旧約聖書には此の世界を創造した主の存在しか謳われていないので、今朝の映像に映し出されて来た果てしない文章には、題や段落が何も無かった事との関係性が想われるからである。
其れを考えると、今朝の由香のメッセージに示されて来た「一千億規模」との言葉は、我々が住む銀河団の星の数を示唆しており、七夕で禱りを捧げなくても、人間の意識と謂うか存在は、全宇宙に繋がっているとの理・ことであり、我々人間の存在の背景には、全宇宙の神(はたらき)が有ると謂う事にも成ってくる。
其れは、百歳までしか生きない人間の肉体でさえ、凡そ60兆個の細胞で出来上がっている事が顕かなので、数字的には其れ程の規模・規格ではない世界であるとも謂える。・・
若しかすると、今朝告げられて来た「オフ 10%」とは、脳の神経細胞が一千億個ほどあるとされている事とも関係が有り、脳を10%休ませる事で、宇宙にチャンネル出来ると謂う事なのかも知れない。
「有る時から在るモノ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5066.html
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た、口中に未だ魚の鰓(えら)の細胞組織を残していた鳥神の存在は、「生命情報・遺伝子・DNA」の継続(スサ・苆の緒)の世界を示して来た事に成る。
其の事と、次のプログラムに「クラーク博士」が参加するとの事が、どう言う関係が有るのだろうか。
先ず「クラーク」の意味を調べると、次の様に載っている。
クラーク【clerk】 の解説 国語辞典より
事務員。職員。吏員。また、販売員。「医療クラーク」
此の「事務員。職員。吏員。」の意味からすると、今朝登場した「クラーク博士」の設定が、椅子に座って煙草を吸って居た事の理由が分かるし、私が主催者・主の右側(右脳)に立って居た事と、クラーク博士が左側(左脳)に座って居た事の意味が理解できる。
其れは、私の「行動・旅」に対して、事務系・記録・文章が必要不可欠であるとの理・ことが理解できるし、クラーク博士が教育家であり「少年よ大志を抱け」との有名な言葉を残している事が関係有りそうである。
其れにクラーク博士が、生物・生命に関わりの有る農業の教師である事が、最も重要事であるのではないだろうか。
其れは、人間にとって一番の大事が「自分・自からの分けを知る」との事であるので、其れが「生命情報・遺伝子・DNA」の学問・覚醒に有るとの理・ことなのではないだろうか。
クラーク【William Smith Clark】 の解説
[1826〜1886]米国の教育家。マサチューセッツ農科大学長。1876年(明治9)来日。札幌農学校の初代教頭となり、キリスト教精神に基づく新教育を実施。在日1年足らずだったが、内村鑑三・新渡戸稲造 (にとべいなぞう) らの学生に深い感化を及ぼした。離日に際して残した「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」の言葉は有名。
其れに、眠る前に「気の毒ですが 今回の事は 貴方達二人が辿り着いただけで 終わります。」と告げられて来た事は、21日(夏至)の日のビジョンで、私が母神にネパールのカイラス山に呼ばれるビジョンが映し出されて来た事と関係が有り、由香にも26年前から同じ様な現象が起きていた事が関係有りそうである。
「・・今朝のビジョンは、私の意識が母神に呼ばれてネパールのカイラス山(カン・リンポチェ)に向かう場面が映し出されて来て、山が近く成ると、岩肌に顔の輪郭が見え始め、やがて口や目の位置も見えて来た。
次に、人間の母親の姿が登場して、一人の男子を育て上げる様子が映し出されて来た。其れから、私の意識は其の育てられた男子の存在と成り、ヒンドゥー教のあらゆる儀式・神(はたらき)を伝授され始め、最終的な場面と成ると、其の世界・情報の下に、是まで私が書かされた文章(意識の段階)が、上昇して来てしっかりと・確実に、繋がる・合一する場面が映し出されて来た。・・・」
其れに、13日のビジョンに「紅白の球」が二個、左右の空間に浮いていた事が、私達二人の「魂・球しい」と関係が有りそうである。
「・・今朝のビジョンは、先ず、地表の上に、澤山の柔らかい白い球が浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の中央部分に、二個の紅白の球が少し間隔を開けて、浮いている様子が示されて来た。
其の球は、先日のビジョンに映し出されて来た「白黒・陰陽」の球と同じ様に、 野球ボールの縫い目の様に、紅白が捻じれながら合わさっている物であった。
次に、電気炊飯器の中窯の様な丸い器が、大窯の中に小窯が入れられている物で、其の二つの器には透明な水が満たされており、其の両窯の水は、分けられている物ではあるが、両方ともが、同じ水を共有していると言うか、全体が同じ水の中に浸されている物である事が理解されて来た。・・・」
其れは出口王仁三郎の謂う「変性男子・変性女子」との言葉と関係が有り、「男性の御魂には女性の性質が半分在り、女性の御魂には男性の性質が半分隠れている・含まれている。」との、「道・タオ」の考え・理(ことわり)と関係が有り、私達二人は、其の世界をマスター(修)したとの事なのではないだろうか。
其れは「荒唐無稽・こうとうむけい」の様に受け取られそうだが、私と由香の身の回りに起きた出来事と謂うか、是までの経過から考えると、此の宇宙には人間に計り知れない巨大な意識体(阿弥陀)が存在し、全ての生命・いのちを育んでいる理・ことが理解できるからである。
其れから、深い森の木々の上に、白い新しい網が掛けられている場面が映し出されて来た場面は、「帝釈天の網」の世界を示唆しており、新しい「色・rūpa・ルーパ・縁起・結び」が是から始まるとの事が、告知されて来ているのであろう。
「重々帝網」帝釈天の宝宮殿を飾る宝網。
「因陀羅網 いんだらもう」
ブリタニカ国際大百科事典
インドラ神の網のこと。インドで一般に魔術の所産の意に用いられた。華厳仏教では,インドラ神の宮殿にある網で,結び目に宝玉がつけられ,宝玉同士が互いに映じ合って,それが無限に映じるとして,重重無尽の理論を説明するのに用いられる。帝網 (たいもう) ともいう。
大辞林 第三版の解説
〘仏〙 インドラ、すなわち帝釈天の宮殿を飾っている網。その網の結び目には宝玉がついており、それぞれが互いに反映している。華厳宗の説く、すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとする事事無礙法界(じじむげほつかい)の比喩としてよく用いられる。
キー「帝釈天の網」
2008/4/14今朝のメッセージは、自然の森を背景に、金色を帯びた銀色の、金属性の新しい網が、画面一杯に張られている映像が映されて来た。
其の網目は、正方形で3mm程の小さな物であった。そして、「皇帝」と「1千億円」との言葉が伝えられて来た。
其の網目で、私が思い当たるのは、老子の言葉の「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」と、仏教の「帝釈天の網」である。
「老子」の73章に有る、「天網恢恢 疎にして漏らさず」は、天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、何モノも、漏らす事は無いと言う意味である。
仏教の「帝釈天の網」は、インドラ(帝釈天)の宮殿に架かる網で、網の結び目の其々に宝珠が付いていて、其の一つ一つが、他の一切の宝珠を、映し出すと言う深遠な世界を示す言葉である。
其れは、「神・天」の情報網は、どの部分の一部を捲って、網の升目を見ても、全体が、其の升目に映し出されているとの意味である。
其の事は、近代科学の医療世界で、人間の皮膚の細胞から、遺伝子を取り出し、其の細胞を培養して患部に貼り合わせれば、どの場所の細胞でも、修復される事と似ている。
其れは、人体の60兆個の細胞は、全部が、始めの(一)の情報を有しており、全体が、同じ情報を共有している理を、明らかにしている。
其の、生命の理を感じた昔の人が、帝釈天・インドラの網の概念を、創り出したのであろう。
今朝は、其れが、人体だけではなく、自然を背景にして張られていたので、今朝の映像の網は、人間世界だけではなく、地球全体の生命や、自然環境全体に、其の網が掛けられている理を、示して来たのであろう。
今朝、PCで「帝釈天の網」を検索すると、自分の2007年2月22日の文章が出て来て、其れには、今朝のメッセージと重なる内容が書かれている。
「・・今朝は、其の理を認識したら、私の意識は、其の景色を映し込んでいる、真実の世界(人間の肉体の目には見えない世界)に入り込んで行った。
其の世界は、光の粒子や、磁気信号でプログラムが組まれている情報網の世界である。
其れは、仏教で謂う処の「帝釈天の網」とか、老子の謂う「天網恢恢粗にして漏らさず。」の網に当たるモノの様である。
其の、光を基とする粒子運動と、磁気信号のプログラムが、此の、目に見える現象世界を写し出しているのである。
其の、ホログラフィーを写し出しているプログラムの世界に、私の意識は介入しているのである。其れは、此の世で、紙面に線を引いたり、点々を打って、図形を描いて行く事に似ている作業である。・・・」「多目的視覚を持つ」
今朝の場面は、此の、昨年2月22日のメッセージの場面と重なるモノであり、昨年のメッセージよりは、天界(神界・四次元世界・絶対界)が、明確と言うか、濃い方向に進んで来ている様に、推察出来るものである。
其れだけ、神の世界が安定して来たと言うか、確かなモノに成って来たとの事ではないだろうか。
阿蘇の「日の宮幣立神宮」の神域にお住まいの、西村見暁氏の言葉には「聖徳太子の本願は 阿弥陀仏の本願である。」と有る。
其の言葉が意味する、「阿弥陀(大日如来)」の本願が、達せられつつある事を、今朝のメッセージは示して来たのかもしれない。そして、其の阿弥陀の本願が、網の目の様にしっかりと、此の現象世界に、張り回らされたとの事であろう。
そして、其れは、新しき世界が準備された事を意味し、其の新しき神の計画を、三次元世界に現象化させる為に、皇帝(すめらみこと)の役割が必要であり、其のプログラムの為に、1千億円の資金が必要であるか、用意されているとの事ではないだろうか。
今朝は、其の映像の後に、細切れに成った、自然の写真が沢山現われて来た。其れは、海の写真や、山の写真等である。
其の細切れの写真は、今朝の映像に現われた四角の網目から、向こう側に見えていた世界ではないだろうか。
そして、其の写真に映されている現場写真の映像が、子供達の成長段階にとって、切っても、切れない繋がりが有る理・ことが、示されて来たのである。
其れは、現代社会の教育の在り方の欠点を、示唆して来たモノであり、私の是までの生き方が、其れと違う事を、示して来たモノではないだろうか。
現代社会の仕組みの中で、要職を務めている人達は、都会に生まれ育ち、文字や映像に拠る学問しかしていない。
其れは、私の生き方とは、正反対の処にある。だから、私に起きている事は、其の人達には、理解出来ないのではないだろうか。
しかし、ほんの100年程前までは、東京の新宿辺りは農村で、鶏や牛の鳴き声が聞こえて来る、穏やかの環境であったとの事である。
其れが、僅か100年程で、コンクリートの街に変化してしまったのである。
そして、一番の問題は、其の環境の中で育った人達の概念が、どんな田舎にでも押し寄せて来て、其の情報に皆が汚染され、私の様な生き方をする者が、居なく成ってしまっている事である。
だからこそ、神の計画が、私の様な、田舎者に押し付けられて来たのであろう。
昨日は、造化三神の隠れ身の存在から、一番先に、表側に働きを現す「宇麻志阿斯訶備比古遅神・うましあしかびひこじ」の事を書いたが、其の働きが、いよいよ動き出すとの事なのかもしれない。
私に、理解出来て来ている理・ことは、日本語の「かみ」とは、人間の目には直接見えない「働き」の事であり、其の、目には見えない働きが、此の目に見える世界を、管理運営していると言う事である。
そして「仏・ブッダ」とは、其の理を悟り、其の働きに、直接手を触れる事が出来る様に成った人に、名付けられた名前である。
其の「ブッダ(成仏した人)」が、現実社会で「政(まつりごと)」に関わる事が、「御陵威・みいつ」なのである。だから、今朝のメッセージは、其の御稜威の為に、1千億の資金が必要であるとの事である。
私には、1千億の金が一体幾らぐらいの量なのかは、イメージ出来ないが、アメリカのビル-ゲイツ氏個人で、6兆円もの資産が有るとの事だから、有志が集まれば大した金額ではないし、其の、神の意志を汲んで協力をしなければ、此の現象世界は破壊され、無一文に成るのだから、協力した方が得策である。
私は、其れ等の事柄が、人類に理解される様に、こうして、神のメッセージを人間社会に知らせる事が役目なのである。其れが、「治ろしめす」との言葉の意味なのである。
ノストラダムスの大予言にも、「バビロンの繁殖とともに 是ではいけないと 行動を起す者が 経線に沿って上って来る。其の 別の者が現われたら 私の恐怖の大予言は 現実には成らない。」と有る。
だから、其の預言の「別の者」が現われたので、1999年目のサイクルは、上手く乗り越えられたのであろう。そして、其の結果として、新しい帝釈天の網が、張り巡らされたのではないだろうか。
そして、「宇麻志阿斯訶備比古遅神」の働きが、日本から起きるのであろう。
そう考えると、帝釈天の網とは「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」と「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の、縦横の結びの働きが、完成された事を意味しているのではないだろうか。
其れは、また、其の背景に在る、「天御中主神(あめのみなかぬしかみ)」の世界が、安定したと言う事でもあるのだ。
だから、奥の院の第三室が、閉じられたとの事であろう。
「帝釈天の網」https://green.ap.teacup.com/20060818/711.html
2008/4/20・・「白川静氏」が謂う様に、漢字は確かに、人間と神のコミュニケーションの為に、開発された物であるのだ。
其れも、人間側が、先に漢字を創造したのではなく、神様の方が、人間の意識に介入して来て、創られた物なのである。
何故、私が其の様に云えるかと謂うと、漢字は物の象形だから、全てカメラで撮影出来る物の組み合わせである。
其のカメラで捕えられる世界は、全て神の方が情報を組んで、その情報・プログラムに因り、振動の周波数を組み合わせて、物質世界を現象化させているからである。
だから、主体は人間側にあるのではなく、此の世界を生じさせている側に、実権が握られていると言うことである。そして、其の実権を持っている主体側(創造主・ゴッド)と、人間の間の世界に介入して来ているのが、神霊や聖霊等の霊体・御魂なのである。
可笑しな事に、今朝は、其の霊魂達は、私が、新しい世界をイメージしなければ、古い世界から、タイムトラベルする世界が無いので、困っている様子が映し出されて来た。
今朝の映像では、私が山から降りて、川の上流から下流へ船で下って行くと、途中から「瀬織津姫(今はお婆さん)」が船に便乗して来た。
そして、二人で町の有る所まで下って来ると、住吉三神が船で網を引いていた。
一人「底筒男命(そこつつのおのみこと)は川底に潜って、二人「中筒男命(なかつつのおのみこと)」と「表筒男命(うわつつのおのみこと)」が、別々の船に乗って、川上に向かって網を引いていた。
しかし、何も網に掛かる物が無い様子が覗えた。
其の様子から、私に考えられる事は、川の上流が禊がれてしまったので、何も、物ごとが流れて来ないらしい。
其れは、「帝釈天の網」を借りて来ても、神の代理である人間の「言葉・願い事・お札・概念」が、川上から流れて来なければ、「住吉三神」は働きたくても、働き様が無い理・ことを意味している。・・
何の事は無い、神々(霊界の働き人)も、此の世の人間と同じで、自分の役割の出番が無いと、退屈で困るのである。
だからこそ、色んな神々・霊魂が地上の人間に憑依して来て、此の人間界を複雑なモノにしているのである。
其の事の為に、私も24年間、自分の人生を振り回されたのである。
其れに付いては、私は、神々の存在を恨むつもりは無い。
何故なら、24年間、無料で映画を見て居たと考えれば、得をした気分に成るからである。
今朝の映像では、一番重要な神・働きである造化三神は、「お札」として奥の室に隠れ身と成って、固定されたとの事であるから、其の三神は、嵐が起きても川に流されて来る事は無いのだろう。
そうであれば、残りの14神が、少々暴れても大丈夫なのであろう。
其の中でも、特に暴れる事が好きなのは「素戔鳴尊・すさのおのみこと」である。
いよいよ、素戔鳴尊が動き出して、川を堰き止めてある、ダムの堤防を壊たり、牛馬を飼う為の牧場を開く為に、山の木を切り倒す人間を、懲らしめる時節が到来したとの事であろうか。
「隠れ身の造化三神」https://green.ap.teacup.com/20060818/719.html
2012/4/19・・平成24年4月19日其の老子の謂う「宇宙の玄の響き」こそ、釈迦の謂う「宇宙生命全体の縁」であり、日本・大和の価値観である「むすび」であるのだろう。其れは、宇宙全体にある周波数・目に見えない情報網が在り、其の情報網(帝釈天の網)があらゆるモノを管理統率していると言うことである。
其れこそが、光の周波数の速度を超えた「珪素・シリコン・ぬか」の周波数であり、其のアンテナが動物の感覚器官であり、人類の松果体の存在とも成っているのである。
動物の五感(目・耳・鼻・舌・皮膚)で捉えた情報は、全て電気信号・磁気情報と成って、脳に送られ処理されている。だから、色や音や匂いや味や触覚の情報は、全て同じ周波数で処理されている事に成る。
其の、情報システムは動物だけではなく、全ての生命に関係が有る。其れは、地球生命が全て源を同じくしているからである。そして、其の情報システムは珪素・シリコンの振動・周波数を基盤としているので、生物だけではなく鉱物や惑星にまで通じているのである。
其の世界に、敏感に反応するのが「石工・メイソン・石部」の血筋であると言うか、役割なのであろう。そして、其の働きに精通した者が、「メシヤ、キリスト、ブッダ、すめらのみこと、ラー、皇帝」と呼ばれる人達であり、人類だけではなく、衆生一切の生活を見守る役割に、目覚めた者なのである。・・・
「止まらない」http://green.ap.teacup.com/20060818/2282.html
2014/1/12「地球の構造」https://green.ap.teacup.com/20060818/2930.html
2015/5/21「玄の響き」https://green.ap.teacup.com/20060818/3471.html
今回の「新型ウイルス感染問題」は、老子の謂う「道・タオ」から外れた人間だけの問題である。
其れは、日本国では「ホストクラブ」でクラスターが発生し、ドイツ国では食肉加工センターで800人の従業員のクラスターが発生している事実が物語っている。
2005/8/24・・朝のメッセージは、釈迦も、弥勒も、確かに光りのリンク・ボックスに納まって、もうカルマ・業が終った事が示されて来た。もう、弥勒の下生や、イエスや釈迦の復活は、幾ら待っていても無い。
何故かと言えば、もう彼等は無事に役目と言う業を終えて、宇宙のエナジーの中に還ってしまったからである。
もう、神と人の間には、老子の思考しか残っていない。釈迦やイエスは、他人を救おうとのカルマが本人を苦しめて居たのだ。
其れ等が、私のトランス作用に因り、本来の処に納まったのだ。・・
其れ等の場面から、想像される世界は、老子の「桃源郷」の世界である。桃源郷とは、現在のピンクの色気とは全く関係が無く、反対の世界であり、「恍惚」も歌の「恍惚のブルース」とは、全く反対の世界の言葉である。
老子の謂う桃源郷とは、【国は小さく、人口は少ない。たとい人並みすぐれた人材が居ようとも、腕をふるう余地すらない。住民はすべて生命を大切にして、遠くへ足を伸ばさない。舟にも車にも乗る必要がないし、武器も使い道がない。文字を書いたり読んだりするこざかしらを忘れて、ひたすら現在のままの衣食住に満足し、生活を楽しんでいる。手の届きそうなすぐ隣の国とも、絶えて往来しない。これが、わたしの理想郷である。】第80章「わが桃源郷」
(徳間書店・中国の思想・老子・列子・奥平 卓 訳)
今朝の、私の意識が行動して居た世界は、全く、其の様な村の風景と暮らし向きであった。・・・
「老子の桃源郷」http://star.ap.teacup.com/170606/558.html
今朝のビジョンに映し出されて来た、私のパートナーだという鳥神(雌)の存在は、新たな価値観の下に、地球の彼方此方に残っている鳥の羽根で身を飾って踊る民族の文化を、見直す必要があるのではないだろうか。
何故なら、2歳位の幼児は教えもしないのに、音楽に合わせて踊る事が上手だからである。
令和2年6月24日
礒邉自適
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