1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/11/20
次世代の活動が始まる
2・11・20
今朝のビジョンには、先ず、三人の若者が新時代の生活・暮らしの現場を立ち上げる場面様子が映し出されて来た。
そして、畑の作物の支柱に使うのか、長さ2m程の細竹が30本程束ねられている物が映し出されて来た。
次に、同じく三人の若者が、電子機器を使って、新しい情報の枠組みの構築を始めて居る様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時21分」であったので、私は弘法大師空海の事を思って再び眠った。
すると今度は、私が何処かの建物に宿泊して居ると、「色」の漢字の象形が示されて来た後に、部屋の入口のドアが開いて、斎宮・皇女「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった故「井上佳子」が、出会った時の姿(30歳・同じ服装)で、中に入って来る場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時19分」であった。
其れから再び眠ると、今度は30代の男性が大きな箱を背負って、山岳から下って来る・帰って来る場面が映し出されて来て、私に其の箱の蓋を開けて中を見せると、食べられる茸類が、20種類以上程入っていた。
そして、其の箱の中に、私が食料として渡した「伸し餅」が入っており、其の餅は手付かずの儘、私に返還される様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時12分であった。
其れからPCを立上げ、今朝起こされた「3時21分」の数字から、3月21日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/3/21本日3月21日は、弘法大師空海の1187回目の命日である。
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお)。
今朝のビジョンには、私が玄関口に置いてある数鉢の皐月(さつき)の盆栽が、増水した水に流されて無くなっている場面が映し出されて来た。
其れで、皐月を置いている場所を見に行ってみると、誰かが全部倉庫の中に移しているので、私は其の儘では、降雨が無く、日光の当たらない場所では枯れてしまうので、早く外に持ち出さなければ成らないと考えて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時22分」であった。
其れから再び眠ると、窓が一つも無い、人工的な壁の部屋が映し出されて来て、私は其の部屋に住んで居ては、死んでしまうと意い、庭や縁側の有る南向きの日本建築の家に住まなければ成らないと考えて居た。
次に、昔の天才であった60歳代の男性の存在が映し出されて来て、其の男性が、仕切り・壁の無い、陽炎(かげろう)の様な空間を通り抜けて、此方側の世界に生まれ変わって来て、成長すると、過去の記憶・潜在意識が作用しているのか、乗馬の練習を始める様子が映し出されて来た。
其れから「いいかたち」との言葉が一言告げられて来たので、私は其の言葉を「良い」「善い」と「形・型・容・象・方向」等のどの漢字を当てて良いのか、考えあぐねていた。
すると、私の末娘である「最明・もあ(11月2日生)」の名前が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時21分であった。
今朝初めに起こされた4時22分の数字は、新暦での弘法大師空海の命日で、本日3月21日は旧暦の命日であるので、空海の存在が関係有りそうである。
昨年の4月22日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで、私が南向きで、縁側や庭の有る家に住まなければ成らないと考えて居た事や、大雨で倉庫の中に移動した皐月を、早く野外に出さなければ成らないと考えていた事と関係が有り、太陽活動に接した生活を始める事が、最も重要事であるとの理・ことが示されて来ている様である。
次に、起きた7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の二つの文章は、両方とも仏教に関係が有り、弘法大師空海は真言宗の開祖であるが、釈迦ブッダは仏教自体の開祖である。
其の仏教には、「王様・皇帝・天皇・大統領」などの権力者に成る事は、一言も無く、自分自身が人間の本質に目覚めて、正しい生き方をする理が、中心課題である。
其れを考えると、今朝告げられて来た「いいかたち」との言葉は、物品の「かたち・形状」よりも、政(まつりごと)の「形態」に関係が有るのかも知れない。其れを考えると、今現在、私の意識に浮かぶモノは、以前に書いた二つの文章である。・・
何と此の「我々の使命」の文章は26年前の「7月21日」の物である。
其れを考えると、今朝末娘の名前「最明・もあ(11月2日生)」が告げられて来た時刻が7時21分であった事と関係が有り、私が自分の子供達の為にも、真剣に取り組む必要があるとの事なのではないだろうか。
其れを考えると、昨日告げられて来た「コロナはアイドリング中」との言葉は、私自身にも直接関係が有り、私が真剣に此の事に取り組まなければ、アイドリング状態から、ギアが入れられ、アクセルが踏まれるとの事なのではないだろうか。
其れに、マヤ暦の2012年12月23日のプログラムは「8年先伸ばしする」と告げられて来て、其れは、今年の12月23日である。
其れを考えると、現在重要なポストに付いて居る者達は、7月14日迄に「禊ぎ祓い」をする事を、真剣に考える必要が有ると言う事に成り、其の認識が起きなければ、最悪の状態が始まるとの事なのではないだろうか。
私が、此の世界に入った切っ掛けは、一人息子である「海生」が、原爆に拠る第三次世界大戦の放射能汚染で死亡し、私は泣きながら其の亡骸を抱いて葬式をする場面・映像を見せられ、私が神の計画・プログラムを引き受ければ、平和な未来社会が来る事の約束が為されたからである。
其れから、36年が経過したが、事態(人間の業)は増々悪い方向に進んでいるので、神(はたらき)の辛抱・我慢も限界に達したとの事なのであろう。
2006/6/3「神との約束」https://star.ap.teacup.com/170606/923.html
今朝、7時21分に告げられて来た「いいかたち」との言葉は、「天神・宇宙意思」が人間に妥協と言うか、協力を要請している言葉で有り、其の事に11月2日に南アルプスの山中で「最明」との言葉が告げられて来た言葉が関係有るのなら、其の宇宙意思を受け入れれば、「最も明るい」世界が到来するとの事であり、新しい文化の日である11月3日を、迎えられるとの事なのではないだろうか。
キー「文化を頼む」
2014/11/2・・本日11月2日は、私の五女「最明・もあ」の19歳の誕生日でもあるが、明日11月3日は「文化の日」でもある。
今朝のメッセージは、其の文化の日に合わせてのモノ・現象ではないだろうか。
其の様に考えると、神の世界は、全ての事を管理運営している事に成り、私は其の「神・はたらき」の手伝いをしている事に成る。
其れに付いては、私が信頼していた故「日吉眞夫氏」の存在がある。
日吉眞夫氏は、静岡県出身で東京大学が卒業して、東京で広告会社を経営していたが、其れを閉鎖して屋久島に移住して来て、屋久島の有志と「屋久島産業文化研究所」を創設して、季刊誌である「生命の島」を発行していた方である。
其の日吉眞夫氏は、2008年11月20日に死亡して、初七日に私の霊夢に現れて「文化を頼む」と告げて来た。
今朝登場した男性は、其の日吉眞夫氏の姿ではなかったが、神界では何等かの繋がりが有るのだろう。・・・
「全てに優しい男性」http://green.ap.teacup.com/20060818/3249.html
其れに、其れ等の事が現実と成れば、昔し活躍した天才達が此の世に転生して来るとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
「いいかたち」https://green.ap.teacup.com/20060818/5309.html
何と、此の文章に貼り付けられている「全てに優しい男性」の文章には、本日11月20日が、私に「文化を頼む」と告げて来た故「日吉眞夫氏」の死亡日である事が書いて有るので、本日は其の日吉眞夫の13回忌の日である事に成るので、今朝のビジョンは「屋久島産業文化研究所」を創設した日吉眞夫の御魂が関わりを持って来ているのではないだろうか。
其れに、貼り付けて有る2006/6/3「神との約束」の6月3日の日付は、私が1986年6月3日に「井上佳子」と始めて高知で出会った日であり、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の事を書いた「定着した画像」の文章も同じく6月3日の日付であるので、伊勢神宮を創建した「倭姫命・やまとひめのみこと」も直接に関わって来ているのではないだろうか。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
キー「井上佳子 室戸岬 やまとひめ」
2013/12/18・・次の映像は、街中に出ると、1997年4月27日に亡く成った妻「井上佳子」が、元気な姿で立って居て、事は順調に進んでいるとの事で、先に進むと、何かの催しが有るらしく、多くの人達が黒い服を着て、列を成して何処かに向かっている場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージの映像は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の世界に入ってからの動き・働きが、総決算されて、物事が動き出す事が示されている様な気がする。
私は、1984年6月4日に此の世界に入って、来年の6月4日に丸30年・一世を迎える事に成る。
「在位・ざいい」とは、私が其の日に、安房川の岸辺で無庵師匠が見守る中、禊ぎ祓いの儀式を終えて、4311体の聖霊に満たされ、二階の部屋で握り飯を要求し、「大嘗祭・だいじょうさい」の儀式に代る物を行い、数日後に竹山に出掛けて、杖を手にした事と関係が有り、私が「大君・すめらみこと」の役割を任じられた事と関係が有るのだろう。
私は、其の時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別な言い方をすれば「新しい御世創造の為の神の座標軸」である事を示され、地球の管理を任されるビジョンを見せられている。
其れから旅に出て、丁度二年後の1986年6月3日に高知で「井上佳子」と出会った。其の佳子は、伊勢神宮を創建した皇女「倭姫命」の生まれ変わりである事を、室戸に行く途中に有る「観音堂」で告げられた。
そして、倭姫の霊魂が「奈良に帰りたい」と、私に告げて来たので、翌87年5月5日に、井上佳子の肉体を御杖に使って、伊勢から奈良に倭姫の御霊を連れ帰った事が有る。・・
「在位・ざいい」https://green.ap.teacup.com/20060818/2905.html
2013/4/28・・井上佳子は、伊勢神宮創建の基と成っている皇女「倭姫・やまとひめ」の生まれ変わりであると告げられていたので、神霊界でも大きな力を有しているのであろう。
其れに、阿蘇に引っ越す事に成ったのは、昭和天皇の大喪の日のメッセージに因るもので、佳子の葬式は昭和天皇の誕生日である「4月29日」だったのである。其の事でも、井上佳子が天皇家と縁が深い理・ことが解る。
・・それから2年後の、1986年6月3日に高知県の女性と出会い、観音様を祭る社の前で、其の女性が「倭姫命の霊の 生まれ変わりだから護れ」と云われ、1988年11月21日に式を挙げ、2回目の結婚をして井上佳子と暮らす様に成った。其の二度目の妻佳子は、1998年4月27日に癌で亡く成り、29日に葬式を執り行って、その後四名の子供とも一度も会っていないのである。
昭和天皇の大葬の日(1989年2月24日)に、昭和天皇霊に阿蘇の「日の宮弊立神宮」の事を知らされて、蘇陽町に引っ越す事に成り、それから丁度10年後の、昭和天皇の誕生日の日に葬式をして、子供達は高知に皆引き取られて別れ、私も蘇陽を去る事となった。まるで昭和天皇の霊に操られているかの様である。・・・
・・私が、伊丹由香に出会ったのは、2001年の11月21日に岡山で開かれたスーリアサロンの会場である。其の日は、私の亡く成った妻「井上佳子(1998年4月27日死亡)」の誕生日であった。
其の井上佳子は、出会った時に「倭姫(伊勢神宮創建をした斎宮)」の生まれ変わりと言うか、倭姫の御霊を宿している理・ことを知らされた相手である。・・
・「斎宮(さいぐう/さいくう[1]/いつきのみや/いわいのみや)」は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所であるが、平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のことも指すようになった。後者は伊勢斎王や伊勢斎宮とも称する。・・・
「やる気満々」https://green.ap.teacup.com/20060818/2669.html
これ等の事を考えると、今朝のメッセージは、伊勢神宮を創建した「倭姫命・やまとひめのみこと」と「屋久島産業文化研究所」を創設し「生命の島」を創刊した「日吉眞夫」の御魂から、「よいかたち」の新しい文化社会を構築しろとの事が、示されて来ている事に成りそうである。
次に起こされた「6時19分」の数字から、6月19日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/19今朝のビジョンには、先ず、私が指導している農村の生活・活動グループが、「コンクール(競争)」で一位に成る場面が映し出されて来た。
其れから再び眠ると、今度は私が1985年7月2日に日本一周の旅が終わり、宿の主人の紹介で翌日3日に出会った「田中真海禅師」が登場して、私を一人の禅僧の所に案内する場面が映し出されて来た。
何故か其の禅僧は、趣味で天然塩を作っているとの設定であった。
私を、其の禅僧の前に連れて行った真海禅師は、其の儘、何も謂わず帰って行った。其の禅僧は座った儘何も謂う事なく、私の顔を一瞥してから、自分の顔の表情を変化し始めた。
私は其の態度や、顔の表情から、其の禅僧はナカナカの人物である事が判った。
私の方も挨拶もせず、其の禅僧の前に座り、唯、其の禅僧の顔を視て居ると、「熱血漢」との文字が頭に映し出されて来た後に「明日 冷たいスプーンが届く」との言葉が一言告げられて来た。
私は、其の言葉の意味が分からないので、其の事を考えて居ると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時57分・4時3分前」であった。
其れから再び眠ると、フライパンで出汁巻卵の料理が作られている場面が映し出されて来た。
今朝は、起きた時刻は7時23分である。
今朝のメッセージは、私が「農村の暮らし・田舎暮らし・自然生活」に付いては、プロのレベルに達しているとの事であり、次は「禅」の世界を本格的に学習・修練する必要がある事が、示されて来ている様な気がする。
其れは、昨日、私が「風 麥東 陶・ふうれんとう」との言葉を告げて来た、深い山岳の大木・巨木・古木の伸びた枝の下に有る、岩上に白い服装で座って居た男性の事を書いた・イメージした事と関係が有り、男性が孤独で単座する事の意味・真意を、しっかりと認識する必要があるとの事なのかも知れない。
『だが 其れも 一時的な事であり
長い事では ありませんよ』9時32分
今朝起こされた4時3分前の数字から、今年の4月3日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「自食」文章の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「天然塩を趣味で作っている禅僧」の存在と、「熱血漢」「冷たいスプーンが届く」「フライパンで作る出汁巻卵」との事は、「塩・ナトリウム・陽性」の「作用・効能・使用方」に付いて、「考察・配慮・深識」を始めろとの事なのかも知れない。
其の事が、明日届く「冷たいスプーン・匙」に有るとの事なのであろう。
さじ‐かげん【×匙加減】 の解説 国語辞典より
1 さじに物を盛る加減。特に、薬を調合するときの分量の加減。
2 料理の味つけの程度・ぐあい。「ちょうどよい匙加減」
3 手加減。手ごころ。「上役の匙加減ひとつでどうにでもなる」「匙加減を誤る」
和食の基本は、最初に出される「吸い物お椀・箸洗い」の塩加減に有る。
だが、今朝のビジョンには、其の「吸い物椀」ではなく、フライパンでの「出汁巻卵」であったので、日本食に拘るのではなく、人類全体の食事・食べ物の世界に付いて洞察しろとの事なのであろう。
其れに「自食」の文章には、江藤敬介氏が「子牛が抽選で当たる」夢を見たと書いて有り、今朝も其の江藤敬介氏に出会った1月13日を示唆する「1時13分前」に起こされている。
其れを考えると、やはり「マルチンルター・イエスキリスト」「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」と、「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食・精進」、「女性や子供達が楽しく暮らせる社会。養楽」の関係を、能く考えなければ成らないと言う事に成る。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージには「土肥無庵」の御魂が絡んで居る様な気がする。
キー「無庵師匠 塩梅」・・
此の「特別傳授」の文章には、「猛々しい」の「猛」も当てる事ができる。其の「猛・たけ」には、「勇猛・ゆうもう」との単語があり、勇猛な「性格・振る舞い」には、塩気が必要であり、塩気が抜けた人間は戦う・働く事が出来なく成るので、「敵に塩を贈る」の諺の世界と関係が有る。・・・と書いて有るので、今朝私が禅僧と向かって居る時に「熱血漢・ねっけつかん」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、塩気が効いた人間の性質が示唆されている様である。
其れが禅僧であったのは、達磨禅師が1987年の8月1日に「お前にしか分からない 動と静」と告げて来た事と、関係が有るのかも知れない。・・
今朝の「冷たいスプーンが明日届く」との言葉は、本日が「自からの仕掛けで滅びる」との言葉が告げられて来てから丸四年の日であるので、明日、塩気の効いた熱血漢の度肝を冷やす、凍らせる、何かの知らせが届くとの事なのかも知れない。
其れに「ヒトの仕種を身に付ける」の文章には、・・今朝は、例のミズのオモテの時間軸の竜巻が現れ、其の中心に、女神のエネルギー体である光りのエナジーが現れた。そして、其のエナジーは破裂して飛び散ってしまった。
そして、其の後方には、新しい女神(万象の母)が立ち現れて来る姿が見えた。
其れは、宇宙の森羅万象が、新しい世紀を迎える準備をしていると言うか、始めていると言える現象を、見せられたという事に成る。・・・」と書いて有る。
此の文章からすると、此処のところ告げられて来ているメッセージは、14年前に告げられて来ていた理・こと・件が、復唱されている事に成る様である。
「冷たいスプーンが明日届く」https://green.ap.teacup.com/20060818/5399.html
此の文章も暮らし・食生活の基本に付いて書いて有る・触れているので、今朝のメッセージには、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」や、私の前世であると告げて来た「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御魂も関りを持って来ているのではないだろうか。
次に、今朝起きた・起こされた7時12分の数字から「7月12日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/7/12今朝のビジョンは、屋久島で「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祭禱(さいき)を続けていた故「大山邦博氏」が若い時の姿で登場して、私を山岳に案内する場面が映し出されて来た。
そして山頂の近くまで登ると、其処には何故か、自然林を広く伐採して、屋久島の杉ではなく、東北のカラ松の様な樹木を澤山植えて有るのである。
其の樹木は、気候に合わないのか、年数は経っていても、成長が鈍く、薪にしか成らない程、細い儘であった。
次に、登った時とは違う道を下って行くと、重機が登れる場所まで、農地開発されて果樹が植えられていたが、採算が取れないのか、果樹園全体が放置されて、荒れた状態と成っている事が判った。
今朝は、左耳に蒸気機関車の発車の合図の様な音が聴こえて、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時50分・6時10分前」であった。
其れから再び眠ろうとしたのだが、今朝のビジョンの意味が何を意味・示唆しているのか、全く判らないので、起きて時計を見ると、時刻は6時23分であった。
其れからPCを立ち上げ、汽笛の様な音で起こされた「5時50分・6時10分前」の数字から、6月10日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、次の様に書いて有る。
・・天空に真っ直ぐ伸び上がる大きな青竹・若竹の存在が目の前に映し出されて来て「天津日嗣発動・あまつひつぎはつどう」との言葉が強くハッキリと告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから、其の「天津日嗣発動・あめのひつきはつどう」との言葉を頭脳の奥にしっかりと収納すると、左耳の鼓膜にキーンと圧力が掛かって来たので、時計を見ると時刻は7時12分であり、・・・」
と、書いて有り、7時12分の数字は、本日7月12日と同じ数字であるので、今朝私の左耳に聴こえて来た汽笛の様な音は、正に其の「天津日嗣」が発動・発車したとの事に、成るのではないだろうか。
其れに、今朝起きた・起こされた「6時23分」の数字から、6月23日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「・・転輪聖王の意識は、「阿弥陀」の言葉を超えた世界であると言うか、其のモノ自体であるとの理・ことを感じたので、「転輪聖王&阿弥陀」とした。」との事は、釈迦ブッダの謂う「ダルマ・法」や、老子の謂う「タオ・道」の言葉・理の世界・意識に関係が有りそうである。
何故かと謂うと、私が今朝の山岳のビジョンから感じ取った事が、現代人の行動・活動は、自然の理から外れている事が想われたので、文章の題を「道法(タオ&ダルマ」としたからである。
其れに、其の山岳に案内した人物が、故「大山邦博氏」の若い時の姿であったのは、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」が脱皮・古い皮(概念)を脱ぎ捨てて進化したと言う事なのかも知れない。・・
此の意味からすると、「此の日本国から 新しく生まれ変わった大山祇神の存在が 世界中にひろまる」との事が、告げられて来ているのかも知れない。
何れにしても、本日7月12日午前6時10分前に、私の左耳に汽車の発車の汽笛の様な音が聴こえて起こされた事には、大きな意味が有るのだろう。・・
此の「三つの重要事」の文章は、2016年6月11の文章であり、其れから8日後に天空を両翼とする鳳が、私に三個のタルト(渦巻)を手渡して来た事と関係が有り、此処のところ触れて来た西瓜の中の「三又・三叉路」と、四方に広がる8個の渦巻に、其の課題のヒントが有るとの事なのかも知れない。
其れを考えると、今朝6時10前に左耳に発車の汽笛の音が聴こえて起こされた事と関係が有り、私は是から、西瓜の中の水の流れと、中心の三又・三叉路に付いて、深い洞察を明日から行って行かなければ成らないと、言う事なのかも知れない。
其れは、此の無明の世の中で、自から滅びて行く人達に、新しい道・法を示して、彌勒菩薩・マイトレーヤの神(はたらき)を真実のモノ・世界としなければ成らないのであろう。
そして、其の作業が新しい「天津日嗣・あまつひつぎ・あめの霊継ぎ」の世界を、開くと言う事に繋がるのではないだろうか。
「道法」https://green.ap.teacup.com/20060818/5422.html
此の「道法」の文章の内容から考えると、私は老子の謂う「道・タオ」の世界や、釈迦の謂う「ダルマ・法」の世界を若者が理解し易い様な形態に、表現する必要が有り、其の事に成功しなければ、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂」が私に告げて来た、最後のチャンスである九回目の「トンネル潜り・次元上昇・アセンション」も又不発に終わると言う事であり、私の36年間の苦労も水の泡と成るとの事なのかも知れない。
其れを考えると、私が36年前に宇宙の螺旋構造である時空を逆回しにしてから、地上に降りて来た御魂(天使・使命者・みこともち・スターチャイルド)達は、其の本分を果たせないとの事なのかも知れない。
2018/4/27本日4月27日は、1998年に41歳で死亡した倭姫命の御魂であった「井上佳子」の命日である。・・
其の様に考えると、現在・いま悪行が噴出して来ている「政治家・官僚・芸能界」の世界は、神(はたらき)の選別が始まっていると謂う事であり、本日が倭姫命の御魂であった井上佳子の命日である事と関係が有り、1987年7月12日に出雲の日御碕で井上佳子に告げられて来た事が、現実と成って来ている事にも成る。・・
1986年3月27日に、当時衆議院議員であった「二階堂進氏」の鹿屋市の自宅を訪ね、次の総理大臣に付いて話をした事が有る。
しかし、其の時二階堂進氏に話が通じないので、高知に住んで居た「井上佳子」を伴って、出雲の日御碕神社に1987年7月12日に参拝し、近くに有る国民宿舎に宿泊したら、佳子に神のお告げが有り、「もう 現在の自民党では駄目だから 駄目な人間を 役職に嵌め込んで 潰す事にする。其れが消毒の方法だ。」と知らされたのである。・・
私は1884年6月4日に此の世界に入った時に、4歳以下の子供達に導かれたので、其の事から自分の事務所・店舗の入り口のガラス戸に、「スターチャイルド集まれ」と書いた紙を貼り付けたので、私は頭が変しく成ったと思われ始めたので、私は其の紙を剥がしたのだが、其の事が現実の事と成るのかも知れない。・・・
「直道・なおみち」https://wave.ap.teacup.com/20060106/820.html
2018/10/14「スターチャイルド」https://green.ap.teacup.com/20060818/4775.html
今朝のビジョンに、現場作業を行う三人の若者の世界に、畑の作物の支柱に使うのか、長さ2m程の細竹が30本程束ねられている物が映し出されて来た場面は、漢字の「俶・シュク・テキ」と関係が有り、農作物栽培の為の支柱と関係が有り、豆の蔓が這い上がる・伸びる手伝いをしなければ成らないとの理・ことが示されて来ており、其れは、若者の「魂しい・生命・遺伝子・DNA」が順調に生育する手伝いをしなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
「俶・シュク・テキ・チャク」【解字】形声。人+叔(豆+支)音符の叔は、いたむの意味。他人の不幸をいたむことができるひとのさまから、よい・厚いの意味を表す。
【字義】(一)@よい(善)。=淑。Aあつい(厚)。Bはじめ(始)。はじめる。はじめて。Cおこす(作)。なす。(二)すぐれる。高くひいでる。=倜。
【俶装】身じたくを始める。また、みじたくする。
【俶儻・テキトウ】@さいきが高くすぐれていること。A物事にとらわれないさま。「倜儻・テキトウ」
「叔・シュク」【解字】形声。「又+尗」音符の尗・ショクは、枝(木+支)についている豆の象形。豆をひろうの意味を表す。また、尗は、弔(チュウ)に通じ、いたみあわれむの意味。あわれむべきいとけない者・善良な者の意味をも表す。転じて、おとうとの意味や、父のおとうとに当たるおじの意味なども表す。(豆をひろう は 豆を収穫するの語訳か?)
【字義】@ひろう(拾)。Aわかい(若)。おさない。年少者。Bおとうと。弟の中で年下の弟。Cおじ。父の弟(日本では母の弟をもいう)Dこじゅうと。夫の弟。Eすえ。また、末世。G父親よりも年少の人を呼ぶときにもちいる語。おじさん。Hよい(善) 大漢語林より
其れに、山から澤山の茸類を採って来た若者が、私に「伸し餅」を返還した場面は、日本の「正月・年越し」の餅搗きの始まりが、ユダヤの「過ぎ越し」の祭り・行事(種なしパン)と関係が有り、旧約聖書から始まっている文化(神話・傳統)の改革・手直しが、此の私に委譲されたと言う事なのかも知れない。
今朝は由香に何かビジョンを見なかったかと訊くと見たとの事であり、其れは次の様な場面である。
先ず、知り合いの「埋橋 灯〇さん」が映し出されて来た。
次に、直線道路に植えられている様な長い並木が映し出されて来て、其の整然と立っている細い並木の中程に、二本だけくっ付いて立っており、女性が其の片方の幹を梯子の様に使う為に、電柱の取っ手の様な物を取り付けながら姿が見えなく成るまで高く登って行き、やがて降りて来ると、持って帰った箱・器の中には搗きたての餅の様な物が満タンに入っており、其の餅の上端に、茹でた「飯蛸」が一匹置かれていたとの事である。
其の由香のビジョンは、私と同じく、餅が出て来ており、私の竹の支柱が、由香のビジョンでは「ジャックの豆の木」の様に、天に通じる物と成っている。
其の由香のビジョンは、仏教の「彼岸に渡る、地獄」の様な概念は、人々への脅しの様なモノと成っているので、其の概念は土に埋めるか、排除しなければ、人間のアセンション・次元上昇の妨げに成り、明るい世界が立ち上がらないとの理・ことが示されて来ており、天界の方に上って行けば、幸福の餅搗き行事に参加する事が出来、思考が八方(八足・八手)に広がると言う理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
明日11月21日は、今朝のビジョンに登場した、皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の生誕64年の日であるので、本日は佳子のイブである事に成る。
其れに、由香に出遭ってから、19年と成る記念日でもある。
新嘗祭まで、残り二日。
令和2年11月20日
礒邉自適
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