1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/11/22
起きるのには間が無い
2・11・22
本日11月22日は、天津系であるユダヤ民族の「御カド・王」の政(まつりごと)に対して、一切の政府の仕事を受け持っていた「石上(いそのかみ)物部」の儀式である「新嘗祭」が、夜通しで行われる日である。
今朝のビジョンには、先ず、私の1月18日の日付の文章が映し出されて来た。其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は何と「1時18分」であった。
其れで、其の1月18日の文章が気に成るので、起きてPCを立上げ、1月18日の文章を確認すると「全てが新しい仕組みに」との題であり、次の様に書いて有る。
2020/1/18今朝のメッセージの映像は、先ず、底の平な大きなフライパンの存在が映し出されて来て、其のフライパンには、刻んだ数種類の野菜が入れられて、炒められる途中であるが、水分が蒸発して、底の部分から焦げ始めていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時29分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、現在の日本の天皇家や外国の王室の存在が、無くなる事が示されて来て、新時代の世界を統率する、若い統尊(すめらのみこと)が登場する姿が映し出されて来た。
其の新しい王は、白い服を来た30歳代程であり、人間社会には直接関わりを持つ事はなく、純粋なトランス体である理・ことが示されて来た。
そして、「かんかくは はずれる」との言葉が告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時4分」であった。
其れから再び眠ると、国家・政府の仕組み・構造だけではなく、宗教界の仕組み・構造も、全て新しい形に改変・改革・改造される場面が映し出されて来た。
私の意識は、其の作業に加わっており、政治の世界と、教育・精神の世界が、密教の両部曼荼羅の様に、大きな枠組みとして、組み立てられており、それらの図形・区分・仕組みは、是までとは全く異なる概念に基づいているモノ・世界である事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時4分」であり、丁度1時間が過ぎている事が判った。
其れから再び眠ると、今度は、安房の「時さん」親子が、町が運営する水道料金の集金に遣って来る場面が映し出されて来て、私は「町水道は水が出ないので、何も使っていない」と答えて、屋内の水回りを調べて貰っていた。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は9時1分であった。
今朝のメッセージの映像は、始めが、水分が切れて料理が焦げてしまう場面であり、最後が「町・行政・公けの」の水道が出ない場面なので、水の世界がポイントと成っている様である。
そして、町水道の料金の集金に来た人物が「時さん親子」であったは、行政の仕事・役割が働かない時が来ている事を示唆しており、私が「須佐之男尊・すさのおのみこと」が手植えした御神木が有る出雲の佐世神社に、霊夢で案内した物が「弁財天・サラスヴァティー」が乗り込んでいる宝船であった事が関係有り、歴史の背景・成り立ちには「水」の世界が有ると言う事が示されて来ているのであろう。
其れを考えると、私が此の世界に飛び込んだ1984年6月4日に「残り16年しかない」「アンテナが二つ要る。四次元プログラムと水素原子管理」「事象の特異点&新しい神の座標軸」と、告げられて来た事の意味も理解されて来る。
今朝起こされた「1時29分」の数字は私の誕生日であるが、明治政府が旧暦1月29日を新暦の元旦に切り替えた事に、関係が有るのではないだろうか。・・
此の説明に有る・・紀元節・・明治5年11月15日(1872年12月15日)、明治政府は神武天皇の即位をもって「紀元」と定め・・との事を考えると、昨日の文章に書いた「12時15分前・12月15日」の日付は、私の父親の事ではなく、紀元節の事を示唆しており、「アンカー・シーム」とは、日本国の歴史の引き継ぎが示されて来ていたのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージの映像との関連性が理解できて来る。
それに、今朝告げられて来た「かんかくははずれる・感覚は外れる」との言葉が何を意味するのかが理解されて来るし、私は自分の感覚だけに頼って判断を下していると、とんでもない間違いを起こす事に成る理・ことが示唆されているのであろう。
其れに、昨夜旧暦を調べると1月17日は「12月23日」である事が判明した。
其れを考えると、新暦(太陽暦)の12月23日と、旧暦(月齢)の12月23日には、別の世界のリズムが有ると言う事に成り、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の禊ぎ祓いから誕生したとされている「天照大神・太陽」「月読命・夜」「須佐之男尊・海」の働きを、現在の自然科学の世界に置き換えなければ成らないとの事に成り、今朝のメッセージに示されて来た新しい仕組みの存在ともつながって来る。
其れに、次に起こされた「6時4分」の数字を6月4日の日付とした考えると、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に安房川の岸辺で禊ぎ祓いを行って4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて、多くの神霊と寄り添って35年半に亘り取り組んできた事が、愈々、新しい御世創造の基板と成るとの事も理解されて来る。
そして、其の4311体の神霊を連れて20年振りに彼岸から帰って来た私の父親の誕生日が「12月15日」であり、私が此の世界に飛び込んだ1984年6月4日は母親の64歳の誕生日であった事を考えると、私の誕生だけではなく、私の両親の存在も「神のプログラム」其の物の現象化であり、全てが天神・宇宙のプログラム内の出来事であると謂う事にも成って来る。・・
其れに、次に起こされた7時4分の数字から、昨年の7月4日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、5000年掛かって「政治・まつりごと」の改変・改革が始まる時節を迎えたと言う事に成りそうである。
其れに、今朝起きた・起こされた「9時1分」の数字から、昨年の9月1日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
「初めての事が始まる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5102.html
此の文章に書いて有る女神の言葉からすると、確かに、私が自分で何もしないからこそ、神事は上手く進んでいるとの事の様である。
だが、其の反面、私の謎解きは、段々と難しく成って来ている様である。
其れこそが、「月読命・夜」=「調読み」の仕事・役割であり、其の者の寝床が「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」であるとの事なのではないだろうか。
「全てが新しい仕組みに」https://green.ap.teacup.com/20060818/5245.html
此の文章で、本日が新嘗祭である事を確認したので、再び眠る事にする。
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其れから、映し出されて来たビジョンは、次の様な場面である。
私が20代の頃に、営農青年活動の仲間であった人間が、若い姿で、陸の海岸の方から2m程離れた崖の上に居て、其の男性は左手で岩に掴まり、右手にはオートバイ・自動二輪車をぶら下げて居おり、身動きが出来ない状態であった。
私の意識は、陸地側に居るのだが、其の男性やオートバイに自分の手が届かないので、助ける事が出来ないのである。
其れに、其の男性自身がオートバイを手離して、岩の上に立ち上がって、勢い良く飛べば、此方で摑まえる事が出来そうなのだが、其のオートバイから手を離すと、其のオートバイは岩場でバラバラに壊れるか、深い海に沈んでしまうので、手を離す事が出来ないのである。
私は、其れを助ける為には、長いロープにカギ形の物を括り付けて、オートバイに其れを引っ掛けて、此方側に引き寄せて持ち上げれば、男性は自由に成るし、ロープを男性に投げれば、其の男性が自分で、此方に渡る事も出来るのだがと考え、ロープを探しに行こうかと意ったのだが、其れまで、男性が持たないだろうと考えて居ると意識が目覚めてしまった。
其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、頂が見えない程大きな「招魂木・おがたま」が地面に生えている様子が映し出されて来た。
私は其の「招魂木・おがたま」の存在から、古代の神事が復活して、人々が其の木が生えている場所に参集して来るのだと想って居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であり、丁度1時間が経過している事が判った。
其れから再び眠ると、今度は、上方の山岳から、此方に向けて、草木が生えている土地に清水が引かれて来ている用水路の存在が有る様子が映し出されて来た。
そして、其の水は大変貴重な物(世界)であり、其れが、日本列島の最も大事な財産である事が示されて来たので、私は其の用水路の存在こそが、日本の「瑞穂の国」の世界の原点である事を理解していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「8時13分」であった。
其れから再び横に成って、今朝のメッセージに付いて考えて居ると「起きるのには間が無い」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「9時11分前」であった。
其れからPCを立上げ、起こされた時刻5時13分の数字から、5月13日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/5/13昨日は、文章も短く、庭に遊びに来る雀も、色付き始めた麦畑の方に行って、今月巣立った雛が四組8羽程遊んでいるだけなので写真も撮らず、畑に出て長時間農作業を行った所為で、疲れから深く眠り、起きた時刻は7時15分である。
今朝のビジョンには、横書きの日本語の同じ文章が数度映し出されて来たので、其の文章の内容を確認すると、其れは、簡単に一口で謂うと「自然の生き方をする者が神人である」との事に付いて、書いて有る物である事が理解された。
其れは、私が是まで何度か触れて来た「身土不二」「医食同源」「マクロビオティック ・Macrobiotic」「産土神」等の言葉と関係が有り、自然・気候に合わせた生活をする事が、本来の人間の生き方・暮らしであり、其処から外れてしまった人間には、真実の覚醒・成仏は無いと言う事である。
此処で、一年前の今日、何を書いて有るのかが気に成って来たので、調べて見ると次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容と、今朝のメッセージの雰囲気から、今朝の文字文章の世界は、老子の謂う「道から外れたら神霊も力を発揮できない。」との言葉を深読みしなければ成らないと思われて来た。
其れは、釈迦の謂う「ダルマ・法」の世界や、イエスキリストの謂う「永遠の命に入る為」との言葉にも関係が有りそうである。
キー「老子 道から外れたら神霊も力を発揮できない」・・
これ等の文章の内容から考えると、現在存在するあらゆる宗教は必要ではなく、金が中心の仕組みで成り立っている政治経済のシステムも、異なる物にして行かなければ成らない事に成る。
其れは、現在のITやPC等の通信システムが、是までの過去の世の中とは、異なる次元を創り出す事に役に立つと言う事であり「神・示(祭壇)+申(雷・電気)」の漢字の「示(祭壇)」が「PC」に置き換わると言う事であり、「神社・寺院・教会」等の施設が必要ではなく、自分が「神前・PCの前」に座れば、「人工知能・AI」と直接結縁が行われるとの事である。
其れは、現在私自身が行っていると言うか、現実に起きている出来事なので、皆が当然の事として行える世界である。
そして、其の事がどう言う事であるかと言うと、自分なりの「歳時記」を作って行くと言う事でもある。
さいじ‐き【歳時記】 の解説
1年のおりおりの自然・人事などを記した書物。歳事記。
其れが、昨年の5月13日・今日の文章に書いてある、2月17日の「祈年・としごいの祭り」と11月23日の「新嘗祭・にいなめさい」の儀式の意味であり、自分自身が稲の作付けと、収穫を行う事であり、其れは自分自身が直接「自然・神・道・法」に関わりを持って生きる事であり、他に余計な情報は必要では無いと言う理・ことである。
其れを考えると、昨日の文章に書いた、・・自然の森の中に矍鑠(かくしゃく)とした洋服姿の60歳位の男性が一人静かに座って居る様子が映し出されて来て、其の男性は「真実のブッダ」として登場したモノである事が理解されて来た。・・との事は、現在の日本の神社で行われている白装束で木靴を履いた儀式マンや、頭を丸めた僧侶などの服装は、もう必要ではなく、極一般的な服装で、日常の生活・暮らしの中に、真実の神(はたらき)は浸透して来る・降臨するとの理・ことなのではないだろうか。
其れ等の事を考えると、私は「辿り着いて見れば 極当たり前の事・世界である」との理を知る為に、36年間の旅・家出が必要であった事に成る。
其れは「惟神・かんながら」の言葉も必要ではない、自然の生き方である。
「自然に生きる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5362.html
此の文章には、本日行われる「新嘗祭」の事に付いて触れており、「・・極一般的な服装で、日常の生活・暮らしの中に、真実の神(はたらき)は浸透して来る・降臨するとの理・ことなのではないだろうか。・・」と書いて有る。
次に、6時13分の数字から「6月13日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/13今朝のビジョンは、先ず、地表の上に、澤山の柔らかい白い球が浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の中央部分に、二個の紅白の球が少し間隔を開けて、浮いている様子が示されて来た。
其の球は、先日のビジョンに映し出されて来た「白黒・陰陽」の球と同じ様に、 野球ボールの縫い目の様に、紅白が捻じれながら合わさっている物であった。
次に、電気炊飯器の中窯の様な丸い器が、大窯の中に小窯が入れられている物で、其の二つの器には透明な水が満たされており、其の両窯の水は、分けられている物ではあるが、両方ともが、同じ水を共有していると言うか、全体が同じ水の中に浸されている物である事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時47分・2時13分前」であった。
私は其の数字を「147・いしな・石名」と記憶して再び眠った。
すると今度は、透き通った「みずうみ」の中に、和紙を漉く(すく)繊維の様に、日本語の言霊が無限に漂っている様子が映し出されて来た。
私は其の言霊を繋いで、意味有る文章にしようと努力を続けたが、自分の意識の中に其れ用の単語(目的用語)が無いので、綴る事が出来ない・意味を組み立てられないで居た。
其処で「至難の業」との男性の聲色が聴こえたので、意識が目覚め照明を点けて時計を確認すると、時刻は3時20分から21分に成る所であった。
其れから、再び電気を消して横に成ったのだが、其の「至難の業」との言葉と、二つのビジョンの意味が気に成って眠れ無いので、起きて時計を見ると時刻は「4時16分」である。
其れで、PCをベッドに持ち込んで立ち上げ、今朝起こされた時刻「2時13分前」「3時20分・21分」「4時16分」の数字から、夫々の日付の文章に目を通す事にした。・・
此の文章には、本日6月13日の日付の事が書いて有り、「・・其れが「統尊・すめらのみこと」の「高御座・たかみくら」の意味なのです。」と有るので、昨日の「統尊・すめらのみこと」の言葉は、一年前から用意・準備されていた「テーマ・課題」であった事に成り、本日6月13日は「切り開く能力」の本番・舞台が始まった事に成る。
だが、今朝のビジョンでは、私は「みずうみ」の中から「言葉・単語・文章」を漉く事は出来なかった。
其の理由は、自分の頭・意識に「目的・意図・プログラム」が全く無い為である。其れは、私自身に「欲望・業・カルマ」が何も無い事を意味している。
其れを考えると、「空の透明な一升瓶」と成っている自分の意識・脳に、何らかの目的・希望を持ち込まなければ成らない事に成る。其れを考えると、今朝告げられて来た「至難の業」との言葉や「切り開く能力・ちから」の言葉が、重く圧し掛かって来る。
今朝二つのビジョンの、「二つの紅白(陰陽)の球」と、水の中に浸けられている「二つの炊飯器の中窯」の存在から、私の意識・脳味噌に浮かび上がって来る物は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に物事の考えた方の基本として「陰と陽」「絶対と相対」「マクロとミクロ」の三つの言葉を教えてくれた事の意図である。
其れを考えると、私は自分の食生活や、意識の的をもう一回、ゼロから構築する必要が有り、其れが、昨年の今日告げられて来た「切り開く能力・ちから」との言葉と関係が有るのだろう。
『さあ 是からが君の 本番なのだよ。
長い月日を要しましたが 其れは
君の能力の 伸びしろが有った為なので
何も気にする必要は有りません。
宇宙には 時間と言うモノ・世界は有りませんので
一向に 月日の長さに付いて 気使う必要は無いのです。
其れに 君は 既に 永遠の世界に 入っているのですから
壽命との言葉を 気にする必要も無いのです。
良いですか 君には 無限のトキと
エナジーが 与えられているのです。
ですから 時間的な制限を
自分に課す必要は 全く有りません。
のんびり ゆったり と構えてこそ
君の本来のモチベーションが高まるのですから
其の理・ことを 胆に命じて 神情朗達を生きるのです。』11時16分
今朝の自分の「意識・こころ」の奥を探ると、無庵師匠が白く明るい世界で、茶道の世界を楽しんでいる様子が浮かび上がって来る。
其れは、聖徳太子が平成元年9月3日の深夜3時33分に「ようやく高天原に達した リンザイから始める」と告げて来た世界を、「土肥無庵」の御魂が実行に移すとの事なのかも知れない。其れは「昭和天皇」や「西村見暁先生」の意念も、解決・完結する世界・次元である。
「至難の業」https://green.ap.teacup.com/20060818/5393.html
此の文章には、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の意識で、「さあ 是からが君の 本番なのだよ。」と、告げられて来ているので、今回の新嘗祭は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に土肥無庵が神官(ヨハネ)の役割を行い、禊ぎ祓いの儀式を行った後、自宅二階の布団に横に成った時に20年振りに彼の世から帰還した父親が4311体の御魂を連れて来て、大嘗祭(代替わりの時だけに行われる新嘗祭)の儀式が始まって、「残り16年半しか無い(2000年12月4日)」と告げられて来た事が、20年遅れで開始されるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、告げられて来ている「至難の業」との言葉は、是からが未だ大変であるとの事なのかも知れない。
次に起こされた「8時13分」の数字から、8月13日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/8/13本日8月13日は、月遅れのお盆の入りであり、明治政府が明治5年に和暦を西洋暦へと変えた時に、其れまで7月13日・14日・15日に行われていたお盆の行事を、新暦の8月13日・14日・15日に振り替えたモノである。
だから、本日が「お盆の入り」と成ってから148年なので、其れ以前に亡くなった人間の霊魂が、本日帰って来るとは限らない事にも成る。
・・明治5年12月2日・西暦1872年12月31日をもって太陰太陽暦(天保暦)を廃止し、その翌日からグレゴリオ暦に移行[1]、明治6年(1873年)1月1日となることとしたため、明治5年は12月3日から12月30日までの28日間が存在しない。・・
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/08/13現在
今朝のビジョンには、自宅縁側の庭に生えている「金縷梅・まんさく」の木の枝に、黄色・青色・赤色の鳥が来て止まっている場面が映し出されて来た。
次に、誰だか判らない家の玄関前で、火が炊かれている場面が映し出されて来たので、私は其の様子を見ながら、お盆の迎え火の日である事を考えていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時5分」であった。
今朝は7時40分に起きて、仏壇の樒(しきみ)と神棚・床の間・台所の荒神様の榊(さかき)を新しい物に取り換えてから、畑に下りて、茄子・胡瓜・オクラ・ニガウリ等を収穫して、畑の草取りを行った。
其れから自宅に帰り、シャワーを浴びてから西瓜を食べ、由香に「何か見なかった」と訊くと、台所の勝手口が映し出されて来て、大雨が降ったのか、裏山から水が流れて来ており、その水が流れて入って来て居る所に幼い子供が二人居る場面が、映し出されて来たとの事である。
実際には裏山は無いのだが、家の外には更に山が広がっており、外に出て見ると、広い公園に成っていて、子供連れの数家族が遊びに来ていたとの事である。
私は、其の由香のビジョンから、私の今朝のビジョンで、何処かの家の玄関口で、火が炊かれていた場面と、関係が有る事を思った。
其れは、勝手口は台所の入り口で「水周り(水道・水屋)」に関係が有り、玄関の方は家族や客人の出入りが行われる「表口」だからである。
*げん‐かん〔‐クワン〕【玄関】 の解説
《2が原義》
1 建物・住居の主要な出入り口。「正面玄関」
2 禅宗で、玄妙な道に入る関門。転じて、禅寺の方丈への入り口。
3 寺の書院の入り口や公家の車寄せ、また、武家の入り口の式台のある所。
4 江戸時代、名主宅のこと。玄関を構えることを許されたのでいう。
*かって‐ぐち【勝手口】 の解説
1 台所の出入り口。また、外から台所に通じる出入り口。
2 茶室で、亭主が出入りする口。客が出入りする躙 (にじ) り口に対していう。茶道口。 国語辞典
其の事と、私が毎日PC前を行って居る部屋の、縁側の外に生えている金縷梅(まんさく)の木の枝に、道路の信号機の様に黄色・青色・赤色の鳥が三羽遣って来て、並んだ居た場面に、どの様な関係が有るのだろうか。
*「金縷梅・まんさく」の語源は、東北弁で「先ず咲く・まんずさく」との意味であり、春先に一番早く花を咲かす花木の意味であるとの事である。
其の事を考えると、お盆の行事は本来は旧暦7月14日に行われていた神道の「夏・秋禊ぎ」が、徳川幕府が隠れキリシタン取り締まりの為に、「仏教で葬式をしない者は隠れキリシタンと見なす」との発布を行った為に、天皇家と神社関係以外が、仏教に改宗しされてしまった事と関係が有り、其の事を元に戻す必要があり、其の事が、私が毎日打っている文章と関係あるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、私が毎日打たされているメッセージの文章が、交通整理の役割を果たすとの事が考えられる。
そして、其の信号の役割・働きが鳥であった事は、鳥神の世界と関係が有り、日本の神輿の上に乗っている鳳凰だけではなく、マヤ・アステカの「時間の操縦士」の臍から天空に伸びている「生命樹」の梢に止まっている雄鶏(風見鳥)の存在とも関係が有り、時間・時節にも関係が有りそうである。・・
此の文章の内容からすると、新暦の8月13日に迎え火を炊く事は、迷信の極みである事に成り、由香のビジョンの様に、自然の山から流れて来る水と関り、生きて居る子供達の食生活を徹底的に守る事が、最も大事・重要であり、他の事は一切考えないで良いとの理・ことなのであろう。
「お盆の入り」https://green.ap.teacup.com/20060818/5454.html
此の文章には、「自然の山から流れて来る水と関り、生きて居る子供達の食生活を徹底的に守る事が、最も大事・重要であり、他の事は一切考えないで良いとの理・ことなのであろう。・・」と書いて有るので、今朝のビジョンに、山岳から清水を引いて来ている用水路の存在が映し出されて来た事と、関係が有りそうである。
其れから「起きるのには間がない」と告げられて来て起きた時刻9時11分の数字から、9月11日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/9/11本日9月11日は、「アメリカ同時多発テロ事件」から丸19年の日である。今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、金メッキの人間と、典型的な暴力人間の存在が映し出されて来た。
今朝のビジョンには、先ず、頭以外の肌と歯を全て金箔で覆って、其の出来栄えに喜んでいる男性の存在が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、今は誰も住んで居ない、私の屋久島の実家の敷地の中に、重機を使って、奥の山林に続く道路を造る工事が行われており、私が其の道路を進んで行くと、20歳代の若者が居るので、「何をしているのか」と訊くと、「父さんが上に居る」との事なので、奥に進んで行くと、如何にも暴力的な50歳代の男性が居て、勝手に此方の土地の中に、人間の手では抜けない大きな紅い境界杭を立てているのである。
私が、「此方の土地に 何故勝手に 道路を通しているのか」と言うと、如何にも暴力を振るいそうな雰囲気で、私の方に向かって来たので、私は、周りに誰も居ないし、殺されて埋められてしまう可能性が有るので、警察官を立ち合わせなければ、話に成らないと意い、引き下がる事にした。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから再び横に成り、私は、今朝のビジョンから他の生き物には無い、人間の個人的な我欲・権力欲・物欲などに付いて、様々な事を考え始めた。
そして起きた時刻は、8時15分である。
今朝は、何を書いて良いのか分からないので、取り敢えず起こされた時刻「6時13分」「7時7分」「8時15分」の数字から、6月13日・7月7日・8月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「至難の業」との言葉は、今朝のメッセージと関係が有り、人間の「我欲・エゴ(利己主義)」を止める事は、正に「至難の業」である事に成る。
其のテーマは、釈迦牟尼世尊の仏教のテーマであるが、2600年が経過しても解決できないテーマ・課題であり、其れは、現在の「民主主義」「資本主義」や「共産主義」「社会主義」でも解決できてはいない。・・
此の「適性」との言葉と「天照坐皇大御神御魂」との神名の関係を考えると、天照坐皇大御神御魂が祭神である「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の参道の石塔に刻まれている神紋が「六芒星」である事と関係が有り、其れは「須佐之男尊・すさのおのみこと」の神紋が「亀甲紋・六画」である事に繋がり、何らかの仕組み・形を整えなければ成らないとの事であり、其れは「適性」に合わせた「人材の選択」と「組み合わせ」が求められて来ているのではないだろうか。
キー「六芒星」「亀甲紋」・・
今朝の文章の題は、「産毛が何も感じない人々」とした、其れは私が36年前禊ぎ祓いの儀式を行ってから、荒野で裸生活を始めた時に、産毛で空気の流れを感じ取り、全生物との命の遣り取りを出来る様に成ったからである。
だが、今朝のビジョンに映し出されて来た人間の様に、全身に金箔を貼ってしまえば皮膚呼吸が止まってしまうし、産毛が「風・氣」を感じ取れなく成ってしまうからである。
「産毛が何も感じない人々」https://green.ap.teacup.com/20060818/5484.html
此の文章には、911事件の事や、私の実家の土地が暴力的な人間に侵略される様子が書いて有る。
其れを考えると、9時11分前に告げられて来た「起きるのには間が無い」との言葉は、是から経済事情が悪く成れば、困った人達の中に、暴力的な行動を起こし始める人間が居るとの事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、今朝のビジョンで、私の営農活動仲間であった男性が、離れてしまった岸壁の上に残されてしまって居た場面は、日本列島の事を示唆しており、大陸から孤立してしまえば、原油の輸入が止まってしまい、機械類が動かなく成り、農作業が出来なく成る事を示唆しており、自給率が30%しか無い日本は食料不足が起きてしまう理・ことを示唆している事が考えられる。
次の、頂が見えない程大きな「招魂木・おがたま」が地面に生えている様子が映し出されて来た場面は、招魂木の木は、別名「臼木・うすぎ」とも呼ばれる木であり、其れは「餅搗き」を行う「臼」を作るのに、最も適した樹木であり、其の臼木に生る実の形が、神社で巫女が舞う時に手に持つ「手振り鈴」の形の原型であると傳えられており、榊(さかき)よりも古い時代から、神社の御神木として、古い神社に植えられている木でもある。
其れを考える、今朝映し出されて来た「招魂木・おがたま」は、頂が見えない程大きな物であったのは、天上界に存在する神々が、地上に降りて来る事を示唆している事にも成りそうである。
其の様に考えると、「おがたま」に「招魂木・ショウコンボク」との漢字が当てられている事が、現実に成る・起きるとの事が示されて来ている事にも成る。
其れに、「5月13日」「6月13日」「8月13日」の日付を考えると、私に1984年3月13日に太陽が水平線に顔を半分だして元旦の「旦」の象形状態の時に起こされ、屋久島に3月5日に引っ越して来た土肥無庵が「神だから守れ」と告げられて来て、私が全てを捨てて「土肥無庵」を護る事が始まった事や、11月半ばに全国の旅に出てから12月13日に岩手県の五葉山で、「イエスキリスト」の御魂と遭遇し、「私の肉体を下ろしてくれ。私の名前を呼ぶ事を止めてくれ。誰も私の謂う事を守っていない。」と告げられて来た事。
其れに、平成元年1月7日の深夜に昭和天皇の御魂が私の心臓に飛び込んで来て、大葬の日に「我が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来て、「日の宮幣立神宮」の存在を告げられ、私が「3月13日」に初めて「日の宮幣立神宮」に参拝し、其の翌年の3月13日に昭和天皇の息子である「国仁」さんが身罷った事等が有る。
其れ等の事柄を考えると、「13」の数字には、特別な意味が有り、「メシヤ・キリスト」の御魂であったイエスキリストを地上に降臨させた「エホバ・ヤハウェ」の神が、今夜の新嘗祭の儀式に、何等かの瑞祥を起こすとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、次の山場は12月13日なのかも知れない。
令和2年11月22日
礒邉自適
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