約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
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2020/11/29
「清州」
未来創造
清州
2・11・29
今朝のビジョンには、私の意識(存在)が、平坦な緑色のマット(大地?)に定着して居る状態で、長い間固定(ピクリとも動けない)している儘であり、其れは、一度起きてトイレに行ってから、再び眠っても同じ其の状態と成った。
次に、誰か分からない男性が登場して、私を何処かに案内するとの事で、私は旅行バックなどの自分の荷物を纏めて居た。
そして、何処に向かうのかと意って居ると、「きよす」との地名が告げられて来た。
次に、其の目的地に到着したのか、農園の存在が映し出されて来て、私が其の農園に植えられている作物を視ると、其処の畝には、大型のマメ科植物の苗が数十本伸び始めており、私は其の植物に、支柱を立てなければ成らないと考えていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時25分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私が何処かの岩場に座っている場面・様子が示されて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は8時31分であった。
其れからPCを立上げ「きよす」で検索すると、韓国の「清州」が出て来て、右サイドには、愛知県の「清須市」の名が有り、織田信長が建てた「清須城」の事が書いて有る。
【清州市】清州市(チョンジュし/せいしゅうし、韓国語表記:청주시)は大韓民国忠清北道西部の市。道庁所在地。忠清北道で唯一の特定市である。
歴史
百済の上党県で、軍事要地であった。
統一新羅時代に西原京が置かれ、高麗時代に清州と改称した。
1905年の京釜線開通とともに交通の要衝となり、1908年忠清北道観察使が忠州から移ってきた(道庁所在地になったことを意味する)。
日本統治時代の朝鮮の1931年に面から邑に昇格し、1946年の清州府への昇格と清原郡の分離を経て1949年清州市に改称、1995年区制が導入された。・・
観光
上党山城(상당산성 Sangdangsanseong)
清州市街に隣接する山の頂上に築かれた周囲長約4kmの城壁に囲まれた広さ約180万m2の山城。正確な築城時期は不明であるが、「三国史記」に記述あり。500年以上の歴史があると考えられる。城壁の内部は集落があり、食堂、土産物屋等もある。車、路線バスで行くこともできるが、環状道路沿いに有る国立清洲博物館近くの登山道入り口より約90分で城壁まで登頂することもできる。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/11/29現在
其れから、今朝起こされた5時25分の数字から、5月25日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/5/25今朝のビジョンには、先ず、私が1984年6月4日・母親の64歳の誕生日に、朝から始まった出来事の背景に、男性神(はたらき)の存在が在った事が示されて来て、其の事が再び始まる事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時18分」であり、其の数字は、私が「土肥無庵」に捜し出された日が1983年3月18日であるので、やはり時間・ときの神(はたらき)が、全ての事象をコントロールしている理・ことが理解されて来た。
其れから再び眠ると、今度は、とても大きな黒い鉄製で横長の機械が、動いている様子が映し出されて来た。所が其の機械は、鉄製であるのにも関わらず、くねくねと柔らかく、うねりながら動いているので、まるで龍神の躰の様な雰囲気があった。
そして其の機械は、工作機械の様に物体を造り出す物ではなく、印刷機の様に情報を生み出す役割の物である事が、理解されて来た。
其れから、様々な数字や言葉・文章などが、左側から生まれて、右側の方へ「ベルトコンベア」の上に乗っているかの様に、次々に移動して行くのが映し出されて来た。そして、其の中に「337」の数字が存在する事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れからもう一度横に成ると、今度は、羽根を広げた真っ白い大鳥が、羽ばたく事なく、其の儘の姿で、真っ直ぐに、緑の森の巨木の隙間から天空に上って行く映像が映し出されて来た。
次に、視線を左側に向けると、左側の森林の木立の中からも、数知れずの真っ白い鳥が、同じ様に羽根を広げた儘、上空から照らされている光源の中に吸い込まれる様に、上がって行く様子が見えた。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は7時26分であった。
其れから台所に行き、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊くと、扉の前に案内係の人が立っており、先に4名が中に入って行き、暫くすると、次に入る様に促されたので、中を覗いて見ると、真っ黒な世界に上端が判らないエレベーターが存在し、其のエレベーターの中に乗り込むと、身動きできない場が決められており、其処からはみ出すと命は無いとのことで、左側にもう一人乗っているのは幼馴染の「珠緒」さんであり、扉が閉まると同時に上空へスーッと引き上げられて行き、到着した時には、其の「珠緒」さんの姿も消えており、何も無い空間に、自分一人だけであったとの事である。
私は、其の由香のビジョンから、今朝のメッセージは、地上に降臨していた多くの神々が役割を終えて、神上がりしたとの事が示されて来ている事を感じ取った。
其れから、PCを立ち上げると、女神の聲で「貴方が正しい行いを」との言葉が告げられて来たので、ワードを立ち上げて其れを打つと、続きの言葉が告げられて来た。
『貴方が正しい行いを』
「貴方が 正しい行いで 生きて行けば
其れだけで 道・法は 整って行くのです。
其れが 其れ以上でもなく其れ以下でもない事なのです。
ですから 何が有っても貴方自身は自分の気持ちの儘に
その日その日を 過ごして行きさえすれば良いのですよ。
其の様に 貴方が在れば
此方も順調に 進んで行けるのですからね。
此方が気掛かりなのは 貴方自身が勝手に
自分の考えで 物事を開始する事です。
其れが有れば 此方は其の対応に
当たらなければ成らないので
身動きが 出来なく成るのです。
貴方は 気持ちを正しくして
日々の役割を 熟して行く事がとても大事なのです。
ですから 自分の潜在意識に ライトを当てて
言葉を綴り続けてくださいね。
其の事だけで 貴方は 誰にも不可能な事・世界を
生きて居る事に成るのですから。 」
此の女神の言葉からすると、昨日告げられて来た男性の聲での「お前は絶対に関わるな」との言葉は、「土肥無庵」からのメッセージであり、私が土肥無庵に3月18日に捜し出されてから始まった事・世界が、次元を上げて、再び始まるとの事であり、私が体験した「禊払い」の世界が、人間社会全体に始まるとの事であり、私は其れに対して、自分では直接関わっては成らないとの事なのであろう。
其れに、今朝起こされた「6時13分」と「7時26分」の数字から、昨年の6月13日と7月26日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/6/13今朝のメッセージは、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の能力(ちから)が、改めて驚異的なモノである理・ことが理解されるモノであった。其れは、「土肥無庵」の行動が時間厳守であり、目的地に向かって歩く事が、三歩早くても遅くても、駄目だったからである。
其れは、ゆっくりでもなく、早く歩く事でもなく、心臓の鼓動に合わせて歩く行為・行動なので、時間(とき・事象)を歩く・進む事を意味している。
今朝は、其の「土肥無庵」の「行動・振る舞い・仕種(しぐさに)に付いて、長らく思い返して居ると、「きりひらくちから」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時30分であった。・・・
「切り開く能力・ちから」
此の文章の内容から考えると、矢張り昨日の「お前は絶対に関わるな」との言葉は、土肥無庵の意識体である事に成るのであろう。
其れに、この日には女神の言葉が次の様に有る。
『何が起きても 貴方自身は 動揺してはなりません。
何故なら 貴方が揺らぐ事は
全ての中心軸が 失われる事に成るからです。
だから 貴方が此の世界に入った時に
「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との
言葉を伝えたのです。
良いですか 何が起きても 貴方自身には
何も関係が無いのですから 馬耳東風の気持ちで
トキを過ごしなさい。
其れが「統尊・すめらのみこと」の
「高御座・たかみくら」の意味なのです。』10時00分』
今此処で、時刻が気に成ったので、確認すると「10時23分」であり、其の「10・23」の数字は私の父親の命日(1964(S39)年10月23日)なので、どうやら其の父親の御魂も「土肥無庵」の御魂と合体・ドッキングしている様である。其れを考えると、「土肥無庵」を私の所に連れて来たのも、私の父親の仕業であるのかも知れない。だとすれば、3月18日の日付がキーワードに成りそうである。・・
此の「高知」の文章には、「・・無庵師匠や、46年前に49歳で亡く成った父親等と朋に、同じ学びの門を潜って居る事に成る。・・」と書いて有るので、先程私が考えた事が当たっている事にも成る。其れを考えると、今朝の由香のビジョンで一緒にエレベーターに乗って居た人物の名が「珠緒」であった事は、「一品宝珠大権現」と関係が有るのかも知れない。・・
此の説明からすると、今朝由香が乗って居たエレベーターは「生命。いのち。」を天空に持ち上げる乗り物であり、立って居る位置が絶対に決まっていたとの事は、「いのち・使命」は他人が代わりを務める事は絶対に出来ないと言う理が示されて来ており、本人自身の頑張りでしか、天神の期待・希望には応えられないとの理・ことなのであろう。
其の様に考えると、今朝の鉄製の龍体の様な機械から生み出されて来た数字に「337」が有ったのは、運動会の応援で行われる「三・三・七 拍子」の囃子と関係が有り、天神・宇宙意思は「使命・天命・運命」の為に命を賭して頑張る人間を、目一杯応援していると言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れが、龍体の様に動く鉄製の機械であったのは、地球の岩が鉱物で出来ている事と関係が有り、「岩石・岩戸・磐座・いわくら」が龍神の様に生きており、情報を管理しているとの理・ことが示されて来ているのであろう。
此の様に打って来ると、今朝のメッセージは、昨日の「ローカルの言葉が消えて行く」の文章の続きであり、此の私は「瞳孔・ISO・感度・ピント」が効く間は、「田舎・自然」の言霊を綴り続ける必要が有り、其れが天津日嗣(あまつひつぎ)の原点・源流・原泉であるとの事なのであろう。
「三三七拍子」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5374.html
此の文章に貼り付けられている6月13日「切り開く力」の全文を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/6/13今朝のメッセージは、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の能力(ちから)が、改めて驚異的なモノである理・ことが理解されるモノであった。
其れは、「土肥無庵」の行動が時間厳守であり、目的地に向かって歩く事が、三歩早くても遅くても、駄目だったからである。其れは、ゆっくりでもなく、早く歩く事でもなく、心臓の鼓動に合わせて歩く行為・行動なので、時間(とき・事象)を歩く・進む事を意味している。
今朝は、其の「土肥無庵」の「行動・振る舞い・仕種(しぐさに)に付いて、長らく思い返して居ると、「きりひらくちから」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時30分であった。
其れからPCを立ち上げ、先ず起された時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、何と、題名が「時間厳守」である。・・
此処で「何がおきても」との言葉が告げられて来た。
『何が起きても 貴方自身は 動揺してはなりません。
何故なら 貴方が揺らぐ事は
全ての中心軸が 失われる事に成るからです。
だから 貴方が此の世界に入った時に
事象の特異点と新しい神の座標軸との言葉を伝えたのです。
良いですか 何が起きても 貴方自身には何も関係が
無いのですから 馬耳東風の気持ちでトキを過ごしなさい。
其れが「統尊・すめらのみこと」の
「高御座・たかみくら」の意味なのです』10時00分
馬耳東風の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
ばじ-とうふう【馬耳東風】
他人の意見や批評に注意を払わず、聞き流すことのたとえ。
もとは春風が馬の耳に吹く意。人が心地よいと感じる春風が吹いても、馬は何も感じないように見えることからいう。
▽「東風」は東から吹く風。春風のこと。「東風、馬耳を射る」の略。
「土肥無庵」は、他人の家を訪問する時は、何かが有って遅れては成らないので、近くまで行って措き、約束の時間ジャストに玄関の呼び鈴を押す事を徹底していたし、私と二人で福岡空港でタクシー乗り場に向かうと、「自適さんが三歩遅れた。あのタクシーに乗らなければ成らなかったのに」と謂うので、次の機会に、私が早足で歩くと「自適さん 前のタクシーに乗ってしまうよ」と謂っていたので、自分の歩く足と心臓の鼓動に、身を任せていた様である。
キー「土肥無庵」の思い出
今朝はPCを立ち上げると、男性の声で『今日は私の誕生日である』と告げられて来たのだが、心当たりがないので、暦を見ると本日6月13日は旧暦5月11日である。
其れで、由香に其の事を云うと、本日6月13日は朝鮮の王様「李王朝」三代目国王「太宗(テジョン)」の誕生日であるとの事である。
其れに、今朝の由香のビジョンには、タレントの関根麻里(夫は韓国人)が登場し、英語で「Part of Eperor」と一言云い、続けて由香にも同じく云う様に促されたので、一呼吸おいて、同じ言葉を云ったとの事である。
すると其の後、一人の男性が直ぐ目の前に現れて、ものすごい剣幕で、「なぜ直ぐに云わなかったのか」と、一瞬、間が開いた事に怒り狂い、握りこぶしを作って腕を振り上げたので、由香は殴られると覚悟したが、男性がしたのと同じように、目の前に有ったテーブルを思い切り「ドーン」と叩いて、「一呼吸したけど、ちゃんと云ったでしょう」と、謂ったとの事である。
其の「Part of Emperor」は、「皇帝の一部」と謂う意味になるとの事である。
其れに、由香には昨日の夕方頃、頭頂部から全体にエネルギーが降り注いで来ていて、ふと気に成って「太宗」の事を調べて居たので、今日が誕生日だと知っていたとの事であるが、旧暦は全く気にしていなかったので、昨日が旧暦5月10日で「太宗」の命日である事には気付いていなかったとの事である。
其れは、昨日が「太宗・李芳遠」の598回忌である事に成り、昨日から私の家に李芳遠の御霊が来ていた事になる。
【太宗(テジョン、たいそう】、1367年6月13日 - 1422年5月30日永楽20年5月10日は、李氏朝鮮の第3代国王(在位:1400年 - 1418年)。初代国王李成桂の五男。本名を李芳遠(イ・バンウォン、り・ほうえん)という。即位前は靖安君、靖安公[1]。
1422年、病で薨去した。享年55歳。太宗は薨去する際、当時大旱魃が発生しており民たちの苦痛がひどくなることを心配して「余が死んで鬼になれば神々に私の民たちを助けてくれと頼もう」という遺言を残した。そして太宗が薨去すると直ちに空から雨が降った。その後、太宗の命日である5月10日がくるたびに雨が降り出すので、人々はこの雨を「太宗雨」と呼んだ。
ウィキペディアフリー百科辞典 2019/6/13現在
是等の事柄からすると、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の中には「神武天皇・天智天皇・後醍醐天皇」の他に、此の「太宗・李芳遠」の霊魂も混ざっていた様である。
其れを考えると、私に「1000億円規模で朝鮮を含めて新しい国造りを行え」と告げて来て居た霊魂は、其の「太宗・李芳遠」であった事に成りそうである。
是で、又一つ、情報(霊魂からのメッセージ)が解読できて来たので、消去(鎮魂)する事が出来そうである。
其れを考えると、「仲哀天皇・ちゅうあいてんのう」に「大陸に渡れ」と神が告げて来て、仲哀天皇が山の上から西海を眺めたが、其の様な陸が見えないので、云われた事を実行しないので、神霊が仲哀天皇を殺した為に、神功皇后(じんぐうこうごう)が「武内宿禰」と供に、朝鮮に渡った事が関係が有りそうである。
其れは、死んで霊界に行った者は、自分の故郷に帰りたくても自分が肉体を持たないので、誰かの肉体を借りなければ成らない理・ことを示唆しており、伊勢神宮を創建した皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと(仲哀天皇の大叔母)」が「奈良に帰りたい」と謂うので、高知の「井上佳子」に頼んで、車で伊勢から奈良に逆コースで旅をした事も、関係が有ると謂う事に成る。
今朝7時30分に告げられて来た、「切り開く能力・ちから」との言葉は、様々な意味合いが有り、簡単には片付けられない言葉・世界である。
何故かと謂うと、其れは、私が単独で森林を伐り開くとか、道路を通すとの事ではなく、人類の未来を切り開く・開拓するとの意味合いであるので、自分が刃物や重機を使って出来る事ではなく、意識での「意念力・創造力・持続力」を発揮する事であるので、自分の心身を極限まで集中する必要が迫られる世界であるからである。
其れは、昨日告げられて来た「何から形に」との言葉と関係が有り、一昨日のメッセージ「動かない者の手に紀」との言葉と関係が有るので、私は無一物の状態で意識を組み込む必要が有る事に成る。
其れこそが、釈迦牟尼世尊の言葉に有る「過去・現在・未来に我は在り 衆生一切わが子」との世界であり、老子の謂う「我に三宝有り」との言葉の世界を実行するとのなのであろう。
改めて「太宗・李芳遠」の存在・生き方を考えると、李芳遠は兄弟・親戚だけではなく、政治的に敵対する者達を悉く殺している。
其れは、最高権力者として最後まで行き切った人間であるので、磔に成って殺された「イエスキリスト」や火炙刑の「ジャンヌダルク」、其れに恨みを持って祟った「平将門・菅原道真・山家清兵衛・聖徳太子」とは異なり、この世に恨みを抱いている者ではないので、自分の意思を強く維持できる者であるからこそ、最後まで私に依り憑いて居た事に成る。
私が35年前、此の世界に飛び込んだ時は、天神(てんのはたらき)が私に其の存在を示す為にイエスの世界の様に、色々・様々な奇跡現象を現して来た。
そして、私が完全に天神(てんのはたらき)の存在を信じてからは、人間の繋ぎ(縁結び)や カモ(神の電気信号)は続いているが、其の様な奇跡現象は見せては来ない。
其れ等の事を考えると、私は是から、自分の視線(感覚器官)を外界に向けるのではなく、自分自身を中心とした物にして行かなければ成らないのであろう。其れこそが、私が此の世界に飛び込んだ時に、告げられて来た「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉の意味なのであろう。
私は是まで、数え切れない程「6月13日」の日付が潜在意識に浮かび上がって来て、幾ら考えても関係性が見当たらなかった。
其の事が、本日で解決したのかも知れない。
私は是まで、自分が打っている内容が度々・ころころ、変わる事は自覚して居たが、私は「4311体の霊魂に身体を貸しているのだから」と考え、其の件に付いては、余り気にしない様にして来た。
本日で、韓国・朝鮮の関係が終わるのであれば、意識がすっきりとして、禅譲に入れるのかも知れない。
「切り開く能力・ちから」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5020.html
此の内容からすると、今朝のビジョンで、私を「きよす・清州(清い国)」への旅に連れ出した男性は朝鮮半島を統一した「李芳遠(イ・バンウォン)」の御魂であったのかも知れない。
其れに、私を找しだして此の神(はたらき)の世界に送り込んだ「土肥無庵」も登場しているので、新しい御世建設の切っ掛けとして、再び朝鮮半島を統一しなければ成らないとの事であり、其の事に対して「切り開く能力」との言葉が示されて来ているのではないだろうか。
其れに、今朝起こされた8時31分の数字から、「8月31日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/8/31本日で8月が終わり、明日9月1日は旧暦7月14日で、「秋禊ぎ日」である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、私の思考・脳の働きは、人間社会に積み上げられて来ている「知識・情報」ではなく、五感の気(エナジー)に拠って働いている理・ことが示されて来た。
今朝のビジョンと言うか、私の意識状態は、厳しい暑さの所為で起きる「夏疲れ」の症状の様で、自分の肉体が岩場の重なりの中に挟まれて居て、植物の蔓に絡め取られて、吸収されて行く様な場面・状況が、現実感を持って襲って来たので、急いで照明を点けて現実世界を確かめて、其のビジョン・場面を打ち消した。
其処で時刻を確認すると、2時27分であった。
其れから再び眠ると、今度は私の意識は南方の海岸に在って、誰だか知らない・判らない男性・客人を案内して居る場面が映し出されて来た。
そして岩場を歩いて行くと、大きな魚が所々に捨てて有り、客人が「何故大きな魚が捨てられているのですか」と質問するので、其の捨てて有る魚を確かめて見ると、其の魚は地元民が食べない魚であるので、私は「釣れたけど 食べないから 持って帰らなかったのでしょう」と、応答して居た。
次のビジョンは、私が数軒の建物が並んでいる自然の森の中に居て、車で自然探索に出掛けた二組の客人の帰りを、待って居る場面が映し出されて来た。
そして、其の二組の客人が二台の車で帰って来たので、私は夫々別の建物に案内して、風呂やトイレの扱いを説明していた。
どうやら、私は民宿の様な施設の管理を行って居る様で、其の建物は自然の森の中に在るが、ライフラインが整っている近代的な建物施設である事が理解されて来た。
其れに、客人が運転している車は四駆の新型の車であり、客人達はスーツ等の洋服を着用しており、教養のある都会人である事が理解されて来た。
其れで、私は自分の身なりを確認すると、私は上着は着て居らず、南方の原住民の様な姿・恰好である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時27分」であり、初めに起こされた時から丁度1時間が経過している事が判った。
其れから再び眠ると、「ナイス・ボディ」との言葉が一言告げられて来て、其れは私の肉体の事に付いてであり、私が「土肥無庵」に連れられ北九州市の洋服の仕立て屋に行くと、店の主人が「是が本当の肩甲骨」だと驚く様に謂うので、其れは私が中学を卒業してから毎日砂糖キビの束を大型トラックに投げ上げて居た所為だと理解した事や、全国の旅に出てから足の相を見る専門家が「こんな足を見た事が無い。」と謂い、其れは私の土踏まずが発達している事を意味し、私が中学校まで裸足で通学していた事や、子供の頃から山岳・山中を駆け回っていた事と関係が有る事が理解されて来た。
其れに、私は子供の頃から猿の様に木に登って、様々な木の実を食べて居た事や、川に鰻の罠を仕掛けたり、海で魚釣りや貝取りをしていた事と関係があり、砂糖キビを齧る事で顎が発達している事にも関係があり、私は学校の授業時間以外は殆ど机に座る事なく、野外で朝から晩まで躰を動かして、身体を鍛えて来た事が、並みの人達とは違う五感を養う事に成った理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして、其の私の体験の多さ・積み重ねが、神のメッセージを受け取るアンテナ・受信に役立っているとの事であり、私の意識の基盤が、人類が650万年前に類人猿から分離した次元迄、里帰りをしている事に成るのであろう。・・
今朝起こされた2時27分の数字から、今年の2月27日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、「・・其の石垣の岩の隙間に、マメ科の植物が彼方此方に発芽して、伸び始めている様子が映し出されて来た。」と書いて有るので、今朝のビジョンで植物が私の肉体に侵入して来た場面は、植物が根から酸を出して岩を溶かして吸収している事と関係が有り、私が「いそべ・礒邉・磯部・石部・石屋・石工」の血筋と関係が有る事が、示唆されているのではないだろうか。
其れに「・・私の身体は白毛の類人猿の姿であり、白い子猿を懐に抱いて、椅子の上に、猿其の物の様子で座っており・・」と書いて有るので、今朝の私の姿が森の中に暮らす原住民の様であった事とも符合している。
其れと「98%の繋ぎ目の掃除」との言葉は、明日9月1日が旧暦7月14日で「秋禊ぎ日」である事と関係が有り、意識の継ぎ目を徹底的に禊ぎ祓う必要が有るとの事であり、今夜が「天津日嗣・あまつひつぎ」の最終日であるとの事なのではないだろうか。
其れに、次に起こされた3時27分の数字から、3月27日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「宝の島は永遠」の文章には、「神様も佛様も自適さんのファンに」と告げられて来たと書いて有るので、私が屋久島で産まれ育った事と関係が有り、私の意識は自分の物ではなく、屋久島自体が、私の躰を使用して、本来の「磐座・いわくら」の情報・記憶を再生したとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、私はライアル-ワトソンの著作である「アフリカの白い魔術師」に書いて有る「岩に棲む蜥蜴」の役割を果たした事に、成るのではないだろうか。・・
今朝は此処まで打ってから畑に下りて、水掛けを行い帰って来てPCに向かうと、男性の聲で「3月17日」「5月18日」「6月18日」「10月13日」の日付が告げられて来たので、其の日付の文章を確認すると次の様に書いて有る。・・
此の文章には、二度「土肥無庵」が出て来るので、今朝日付を告げて来た男性は其の土肥無庵の御魂である様である。
其の理由を考えると、私の文章の内容や日付を記憶できるのは、「図書館の本は全部読んだ。書いて有る文章は捲るだけで全て記憶できる。」と謂い、私の風変りな質問にも直ぐ応答していた土肥無庵にしか不可能な事であり、其の土肥無庵の意識は17歳の時に頭蓋骨骨折事故を起こしてから、小倉の妙見宮の祭神である「御祖神・みおやかみ」が守護霊と成っているからである。
私は其の「土肥無庵」に捜し出されて、三ヵ月間の「マクロビオティック ・Macrobiotic」生活の後1984年6月4日・旧暦5月5日に安房川の岸辺で、土肥無庵が見守る下で禊ぎ祓いを行い4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きた。其れから、本日で12237日と成る。
今年は4月が閏月であったので、明日9月1日が旧暦7月14日「秋禊ぎ日」である。
今朝で文章の題が、三日連続「英語・カタカナ」である。
其れを考えると、明日から始まる禊ぎ祓いは日本だけではなく、世界全体の出来事と成るとの事なのではないだろうか。
「ナイス・ボディ」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5472.html
此の文章には、次の様に書いて有る。
「・・其の石垣の岩の隙間に、マメ科の植物が彼方此方に発芽して、伸び始めている様子が映し出されて来た。」と書いて有るので、今朝のビジョンで植物が私の肉体に侵入して来た場面は、植物が根から酸を出して岩を溶かして吸収している事と関係が有り、私が「いそべ・礒邉・磯部・石部・石屋・石工」の血筋と関係が有る事が、示唆されているのではないだろうか。・・」
此の「マメ科の植物が彼方此方に発芽して、伸び始めている様子が映し出されて来た。」との事は、其の儘今朝のビジョンに共通しているので、11月20日の「次世代の活動が始まる」との文章に書いた「豆に支を立てる人」の意味を表す「俶・シュク・テキ」の事と繋がって・結ばれて来る。
・・今朝のビジョンに、現場作業を行う三人の若者の世界に、畑の作物の支柱に使うのか、長さ2m程の細竹が30本程束ねられている物が映し出されて来た場面は、漢字の「俶・シュク・テキ」と関係が有り、農作物栽培の為の支柱と関係が有り、豆の蔓が這い上がる・伸びる手伝いをしなければ成らないとの理・ことが示されて来ており、其れは、若者の「魂しい・生命・遺伝子・DNA」が順調に生育する手伝いをしなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
*「俶・シュク・テキ・チャク」【解字】形声。人+叔(豆+支)音符の叔は、いたむの意味。他人の不幸をいたむことができるひとのさまから、よい・厚いの意味を表す。【字義】(一)@よい(善)。=淑。Aあつい(厚)。Bはじめ(始)。はじめる。はじめて。Cおこす(作)。なす。(二)すぐれる。高くひいでる。=倜。
【俶装】身じたくを始める。また、みじたくする。
【俶儻・テキトウ】@さいきが高くすぐれていること。A物事にとらわれないさま。「倜儻・テキトウ」
*「叔・シュク」【解字】形声。「又+尗」音符の尗・ショクは、枝(木+支)についている豆の象形。豆をひろうの意味を表す。また、尗は、弔(チュウ)に通じ、いたみあわれむの意味。あわれむべきいとけない者・善良な者の意味をも表す。転じて、おとうとの意味や、父のおとうとに当たるおじの意味なども表す。(豆をひろう は 豆を収穫するの語訳か?)
【字義】@ひろう(拾)。Aわかい(若)。おさない。年少者。Bおとうと。弟の中で年下の弟。Cおじ。父の弟(日本では母の弟をもいう)Dこじゅうと。夫の弟。Eすえ。また、末世。G父親よりも年少の人を呼ぶときにもちいる語。おじさん。Hよい(善) 大漢語林より・・・
此の意味を考えると、奈良市の「鳥見(金鵄瑞祥)」に存在する「大倭神宮」の境内で、終戦日の昭和天皇の玉音放送の後に告げられて来た事に対して、「土肥無庵」や「李芳遠(イ・バンウォン)」の霊魂が、12月23日の元旦祭・矢追日聖法主誕生祭から本格的に動き出すとの事なのかも知れない。
『そうではなく 貴方自身の意識・きもちが
其れを意図して行かなければ 成らないと言う事であり
貴方の脳に 其のプログラムが組まれなければ
現実的に事象は動かないのですよ。
其れが 貴方が急がしく成る との意味なのです。』12時40分
此のいま告げられて来た女神の言葉からすると、「結び・因縁」との言葉が関係が有り、私は30本の支柱に大型の豆蔓(魂・球しい)を巻き付ける(育てる)事を、考えなければ成らないとの事なのかも知れない。
偶然なのか、必然なのかは判断できないが、私は昨日午後から畑に下りて、五カ所に植えてある「グリーンピース・スナック豌豆」に、300本程の竹枝を立てる作業を行った。
どうやら、夢と現実が重なって来ている様である。
今朝の由香のビジョンは、次の様な物である。
今朝の由香のビジョンには、部屋の端と端に、三匹の猿と向き合う形に居て、向かって右側の猿が、「そ(こ)ちらに」と言うと、此方に向かって遣って来るので、由香が抱き留めて「よしよし、お利口さん」と撫でると、元の位置に戻って行き、次に真ん中の猿が「い(き)て」と謂って、此方に来て撫でると元の位置に戻り、左側の猿が「い(き)ます」と謂って、此方に来て、同じ様にすると元に戻るという場面が何度か繰り返されたとの事である。
其れは、猿は「い」の言葉を発するのが最も難しく、「き」と何回も発音を繰り返すことで、「い」の発音が言える様に成ったと、側に居た誰かが説明をしていたとの事である。
次は、直径20センチほどのテレビモニターが、三台置いてあり、向かって右から、台形、四角形、三角形であったとの事である。
私は、其の内容を聞いて、650万年前に類人猿から人間が枝分かれして、進化して来た過程に関係が有り、言葉が生まれた事で、人間が「自分」と「他分」を認識できる様に成った事や、「対比・鏡の理」を区別する事ができる様に成った次元が、示されて来ているのではないかと考えた。
其れに、猿が三頭であり、テレビモニターが三台出て来たのは、「見ざる聞かざる言わざる」の例え話に関係が有り、「惟神の道」を会得する為には、類人猿の次元まで遡って、類人猿との2%の違いを、取り去ってしまう必要があるとの理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、今朝の由香のビジョンは、釈迦牟尼世尊の教訓に有る法華経の「十二因縁起」の世界・理が、相対的・具体的に示されて来たとの事なのかも知れない。
法華経の「十二支縁起」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/
其の様に考えると、由香のビジョンは、昨日の「私は過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」との言葉(世界)が、全人類の無意識に認知・記憶され、釈迦牟尼世尊の謂う「佛の世界、生命・いのち」が此の三次元世界・現実界で、咲き開くとの事なのかも知れない。
令和2年11月29日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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