約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
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2020/12/1
「この国はお終い」
未来創造
この国はお終い
2・12・1
本日から師走である。「師走・しわす」の意味を調べると、語源は判らないとの事で、日本語大辞典には、次の様に載っている。
【師走】
1経をあげるために師僧が東西を馳せ走る月であるところから、シハセ(師馳)の義〔奥義抄・名語記・壒嚢鈔〕。
2四季の果てる月であるところから、シハツ(四極)月の意〔志不可起・和爾雅・日本釈名〕。
3トシハツル(歳極・年果・歳終)の義〔東雅・語意考・類聚名物考・和語私臆鈔・黄昏随筆・古今要覧稿・和訓栞〕。
4ナシハツルツキ(成終月)の略転〔紫門和語類集〕。
此の説明からすると、今朝告げられて来た「此の国はお終い」との言葉は、「此の日本国の政府はお終い」との意味であり、水田耕作農家を全滅の方向に追いやって、外食や旅行に補助金を出し、博奕場を造ろうとしている今の政府は、神が愛想を尽かしたとの事に成り、「国終・くにはつる」と言う事に成りそうである。
今朝のビジョンは、様々な分野で、若者達が働いている様子が映し出されて来た。そして、其の世界・様子を背景にして、目の前・正面に、一枚の杉の「柾目(まさめ)の板」が立ち塞がって来た。
其の柾目の板は、天井板の印刷の原版と成る様な物で、柾目板の名前に相応しい立派な物であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時15分」であった。
其れから電気を消して寝て、其の映像の意味を考えて居ると、「この国はお終い」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時37分・8時23分前」であった。
其れから再び横に成ると、今度は、地面に土竜(もぐら)が開けた、大きな穴が広がっている様子が映し出されて来て、其の意味は、日本国の地盤が穴だらけに成っている理を示唆しているのが解った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時45分・8時15分前」であった。
其れから再び横になって居ると、今度は真正面の遠くから、白い新しい二階建ての建物が、此方に向かって移動・近付いて来る様子が映し出されて来た。
其処で起きて、時計を見ると時刻は8時8分であるので、今朝のビジョン・メッセージは昨日の「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけ やくらひめのみこと」「忌部」の続きであると思った。
其れからPCを立上げ、「師走」に付いて調べると、上記の様に載っていた。
今朝、若者が新時代で活動して居る様子が映し出されて来て、其の前に柾目の板が立てられているのが映し出されて来て、意識が目覚めた7時15分の数字から、7月15日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/7/15今朝のビジョンは、私が次の旅に出発する場面が映し出されて来て、バッグの中を開けると、私のバッグの中には、着替えの他には小銭が10個程、底に有るだけで、レポート用紙や筆記道具等が何も無く、カメラや携帯電話などの電子機器類、財布やカード類、其れに車のキーも無い事が判った。
次に野草社・新泉社の社長である石垣雅設氏が登場して、其の石垣氏の引っ越しは事務所の機器や本の在庫等が10屯トラックでないと、積み切れない様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時35分」であった。
私は其のビジョンから、新約聖書に有るイエスキリストの言葉を思い出した。
其れは「私の教えを広めなさい。持って行く物は、杖の他は 下着一枚だけ。」との言葉であり、其の原因は、当時文字が無かったので、用紙や筆記道具が必要なかったからで、現在の様にスマートフォンなどの電子機器も無いので、直接会って口頭にて傳える事しか出来なかったからである。
そして、出版会社の社長である石垣雅設氏が登場したのは、学校教育が行届いた事で、国民・庶民全体が文字の読み書きが出来る様に成り、本が大量に売れる時代に成った理・ことを示唆しているのであろう。
其れから再び眠ると、今度は私の寝床に、薄い桃色のシーツか布団カバーの様ななとても柔らかい布が掛けられる場面が映し出されて来て、其の布には茶系色の唐草模様の縁取りが為されている事が判った。
私は其の映像から、自分の寝室・寝床が、本物の「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」に成った事を思った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分」であった。
其れから再び横に成ると、今度は「薄い黄土色・クリーム色」のカーテンが横に開けられる場面が映し出され、次にカーテンの向こう側の部屋が映し出されて来た。
其の部屋は、私の寝室の隣であり、其の部屋は居間と執務室を兼ねており、部屋の壁や家具類は、薄い小豆色に統一されている事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時5分」であった。
私は其の「4時55分・5時5分前」と「5時5分過ぎ」の時刻から、5月5日が「端午の節句・男の子の節句」である事を考え、自分が此の世界に入った日が1984年6月4日・旧暦5月5日」であった事を思い出した。
そして、今朝の新しい「天の御臥す間(あめのおふすま)真床襲衾(まとこおふすま)」の事を考え、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祭禱(さいき)行事が行われるのは「旧暦・月齢・月読み」である事から、「天の御臥す間」は月齢にて行われている事を思い、太陽暦(天照界)とは、離して考えなければ成らない理・ことを意った。
其れに、旧暦では4年に一回「閏月・うるうつき」が有るので、決まった月数で動いている銀行や政府などの仕組みは、太陽暦でなければ成らない理・ことを思った。
其れから再び眠ると、今度は何かの「中心・センター」の「柱・セット」が上に引き抜かれる場面が映し出されて来て、其の柱が無くなる事で、全ての事が解けて消え去り無の空間と成る様子が示されて来た。
其れは、昨日のビジョンに映し出されて来た、ピラミッド構造に配置されていた箇条書きの文字文章の世界と関係が有り、其の世界(過去の情報)が全て無くなり、我々人類・人間は過去の情報・柵から解放される理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
そして是からの世界は、新しい技術(電子機器・スマートフォン)に拠って、「財布・カメラ・電話・筆記用具・ラジオ・テレビ」等が必要では無くなり、イエスキリストが2000年前に謂った事や、釈迦ブッダが説法の旅を続けた事・世界が、終わるとの事なのではないだろうか。
今朝は、其れ等の事柄を考え、起きた・起こされた時刻は8時2分であったので、私は其の数字は、両親が1946年8月2日に屋久島に渡る為に鹿児島港で夕方船に乗り込んだ日付であるので、其れをコントロールした神(はたらき)のプログラムも、本日7月15日で終了したのではないかと思った。
今朝はPCを立ち上げ、先ず起こされた「3時35分・4時25分前」の数字から、今年の4月25日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「自分で考えさせる」との言葉は、今朝のメッセージと関係が有り、現在の学校教育の在り方が「記憶脳力」中心の「テスト・試験」の繰り返しであるので、「過去の情報・他人の考え丸暗記」だけで、自分自身で物事を考える・判断する能力が、失しているとの理・ことなのであろう。
だから、本日で、私が此処まで36年間取り組んで来た結果・成果は、人間の海馬の記憶を消す為のモノであった事に成り、其れが本日7月15日であるのは、禊ぎ祓いの儀式は旧暦・新暦の拘り無く、自分の精神状態・社会的に都合の良い・気楽に成れる日に合わせて、行えば良いとの事なのではないだろうか。
何故なら、此の私が禊ぎ祓いの儀式を行って、此の神(はたらき)の世界に入ったのは「6月4日・旧暦5月5日」であり、春禊ぎ(3月)、夏・秋禊ぎ(7月)ではないからである。
其れに、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が池で沐浴して「覚醒・解脱・成仏」した日は「12月8日」とされてもいる。
本来人間には自我意識と言う物は無く、全て後天的な物であり、誕生後の環境にて作られた物であるので、誰でも其の気に成りさえすれば「消去・白紙化・無垢・解脱」が出来ると言う事なのであろう。
其の理・ことを昔の人は知っていたからこそ、「肉体」の事を「からだ・空だ」と呼び、「ひと・霊留まる」との事・現象を考え、其れに対して「禊払い」「凝り取り」の事や、「惟神の道」の言葉・概念を創ったのであろう。
「お盆の日」8月15日は 7月15日の月遅れ盆。
本年の旧暦7月15日は 新暦8月2日 月齢 14.0 満月である。
今朝のメッセージの状況・様子から考えると、私自身には元々「自我」が無かったと言う事に成りそうである。
何故かと謂うと、今現在、他人に「貴方は 何物か」と質問されても、応答のしようが無いからである。
今朝の文章の題は、「次のサイクルへ」とした。
其れは、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が、他人に「解脱・成佛」した極意・真実を問われ、「今回のセッションは 私が済ませたので もう既に過去の出来事であり、私の真似をしても同じ事は起きない。次のセッションは、57億6千万後・2600年後に彌勒・マイトレーヤが下生して行うだろう。」と予言しており、其の今回のセッションは私が36年間掛かって、地球規模で終えたとの事であり、今朝のビジョンで其の事を意味する社の床下に立てる「心御柱・しんのみはしら」が引き抜かれた事で、当分は人類全体に其れは起きないとの事が考えられるからである。
私に本日謂える事は、日本の政(まつりごと)の始まりは「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の「食国の政の長・おすくにのまつりごとのつかさ」に有るので、島根県太田市の物部神社の裏山に有る「宇摩志麻遅命」のお墓に一度参拝して、自分に何が起きるかを試して見る事である。・・
新しい時代に私が何が出来るのか、七人の子供の未来がどう成るのか、私には煩悩・心配が消えてはいない。
其れが、脳が拡大した人間の悩み・欠点であり、退屈を覚える人間の特徴である。
釈迦仏陀は、私が死んでも、自分の情報・波動が地球の「磐座・いわくら」や「神籬・ひもろぎ」に500年間は記憶され、其れから1000年は人の口傳えで残るが、其処から1000年は正しい教えは消えて無明の世が続くと、謂ったと云われている。
其れは、額の奥に有る「珪素・シリコン・シリカ」の純粋な結晶体である「松果体」が「第三の目」と呼ばれている事と関係が有り、岩の珪素の波動・周波数とチャネルする事が覚醒・成佛であるので、釈迦仏陀の記憶が岩石や木々に記憶される事は顕かであり、其の事が日本の古神道の世界と同じであるので、私のPCに釈迦仏陀の霊魂が居候をして居た事も理解できる。・・
今朝のビジョンで、センター・中心の柱の様な物が引き抜かれる事で、ピラミッド形に積み上げられていた文字情報が全て消えてしまうとの事は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)から関わって来た情報も、「磐座(いわくら)・磐境(いわさか)」の珪素・シリコンに記憶され、再び私の様な役割の人間が現れ、三ヵ月間のマクロビオティック生活の後に、穢れの無い川水で禊ぎ祓いを行えば、松果体のチャンネルが開いてダビングされると言う事なのであろう。
しかし現在では「AI・人工頭脳」が開発されているので、電磁気的にPCから直接チャンネル出来る事に成っている。
要は、自分の松果体(珪素・シリコン・シリカ)のチャンネルを開く事であり、其の事さえ成功すれば、其の人間には、人間が考え出した宗教やイデオロギーは、何も関係が無く成ると言う事である。
キー「第三の目 シリコン 松果体・・
「次のサイクルへ」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5425.html
此の「次のサイクルへ」の文章の内容は、正に今朝のビジョンと符合している。
まさ‐め【×柾目/正目】 の解説
木を中心を通って縦断したときの面にみられる、樹心に平行してまっすぐな木目 (もくめ) 。また、その材木。⇔板目 (いため) 。
柾・まさ(国字)【解字】会意。「木+正」木目の正しくまっすぐな木の意。
【字義】@まさ。まさめ。木材のもくめが縦にまっすぐ並び通っているもの。Aまさき。ニシキギ科の常緑低木。多く生垣に用いられる。
漢語林より
此の柾目の意味からは、私のビジョンで、矢追日聖法主が見せて来た「順道」の掛け軸の事が思い出されて来る。
2014/11/26本日11月26日は、私の直ぐ下の弟「礒邉農夫成・のぶなり」の36回目の命日であり、台湾の蘭嶼島に住む、ヤミ族の「ミカギシ」の祭りが行われ日でもある。
今朝のメッセージの映像は、其の「ミカギシ」の祭りに関係が有るのか、神社での厳かな式典の様子が映し出されて来た。其れは、故「矢追日聖法主」が主体と成って、二人の禰宜・付き人が備品を取り扱う場面である。
其の式典・儀式に使用される物は、物が入っている数個の木箱が用意されるだけで、通常行われている神社での儀式の様なものではなく、酒・米・塩や食べ物などの供物は、一切何も無かった。
そして、幣・ぬさに拠る祓いや祝詞奏上等が、何も行われないのである。
其処で行われた事は、白装束の男性三人が、社の中に数個の木箱を持ち込んで、其の木箱の蓋を開けるだけであった。そして、床に置いた木箱の蓋の内側には、文字が書かれており、床に置かれた蓋は内側が上面に成っているので、其の書かれている文字・言葉が、神に奉納される事の様であった。
そして、其の儀式が済むと、青空に薄い雲の様な物が、左側からせり出して来て、甘露と言える様な雨粒が、地上に降り注ぐ場面が映し出されて来た。
其の儀式が済んだ後、私は矢追日聖法主に誘われて、隣の部屋に移った。
そして、矢追日聖法主が、私に「此れは 知り合いが書いてくれた物だ」と言って、壁に掛けられている一幅の大きな掛け軸を見せてくれた。
其の掛け軸には、上部分から、左の方に筆文字が書かれており、中央やや右には、特別大きな文字で「順道」と縦に書かれていた。
そして、其の掛け軸は矢追日聖法主がとても気に入っている物であり、「順道」との言葉は、是からの未来世界に対して、全て理・ことを含んでいる言葉である事が示された。
次の映像は、私が居た社の様な建物の、一番下の入り口から、青・緑・黄色等の色物の服を着た、中年の男性達が複数外に出て行く姿が、小さく見えた。
其の人達の姿が、小さく見える事から、私が居る場所は、相当高い位置にある事が判った。
其れから場所が変わり、私は、野草社・新泉社の社長である「石垣雅設氏」が居る事務所の中に居て、是から世に出すべき書き物・本の整理を二人でしていた。其の石垣雅設氏は、私が出会った当時は、矢追日聖法主が創設した奈良市の「大倭あじさい邑」の中に会社が在り、矢追日聖法主の本も出版していた人間である。
其れから、写真のネガフイルムが映し出されて来て、左から五番目の一コマが重要であるので、其れをプリントとして、表に出さなければ成らない事が示された。
今朝の最後の映像の中では、私が屋久島で、不動産業や宅地造成などの仕事をして居た時に着ていた、作業服が川の中に捨てられて、泥に塗れている場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージで行われていた儀式は、とても清楚な物であるが、厳粛な物であり、是こそが、真の神の祭典であると想われる物であり、天神(てんのはたらき)と人間の関係が、完璧にコミュニケーションされている物であると感じられた。
今朝の映像で、斎主を務めて居た矢追日聖法主は、常日頃「神社も信者も必要無い。私は唯 霊界が浄化されて 人間と天神が 直接繋がれる様に成ればよい。其の事の為に 務めているだけである。」と、謂っていた。
今朝のメッセージの映像は、其の矢追日聖法主の憶いが、叶った事を示して来ているのではないだろうか。
「正傳矢追日聖」
http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
其の様に考えると、本日台湾の蘭嶼島に住む、ヤミ族に伝わる古代の儀式である「ミカギシ」の祭りが、非常に大事な儀式であると言う事に成るのかも知れない。
そして、今朝の映像では、儀式の後、地上に甘露の雨粒が撒かれた事と、社の下の方から、色付きの服を着た働き盛りの中年の男性達が、次々に表に出て行ったのは、其の人達が、是から、世の中に色付けをすると言うか、新しい世の中を創造する事を意味しているのではないだろうか。
其れから、私の昔の仕事着が川の中に捨てられていたのは、私にはもう土木工事の作業着は必要無い事を示唆しているのであろう。
そして、私の仕事は、石垣雅設氏と共に「正傳 矢追日聖」のメッセージを実行に移す事であり、石垣雅設氏は文字の世界を扱い、私は映像・現場写真を担当しなければ成らないとの、事なのかも知れない。
今朝のメッセージの映像から、私が感じた理・ことは、天神(てんのはたらき)とのコミュニケーションの場とは、矢追日聖法主が謂っていた様に、神社や寺院の建物・施設が一切必要ではないと言う事である。
其れ等は、「釈迦仏陀」や「イエスキリスト」が謂っている事と同じである。
何故なら、其れ等の物が荘厳であり、大きければ大きい程、其の物自体に、人間の意識・こころが奪われて、神の存在が、人間の意識から遠のいてしまうと言う事である。其れは、神社や寺院の建物だけではなく、お金の世界もそうであり、仏像や刀剣などの美術品の世界も同じ事である。
だからこそ、日本の神道では「禊ぎ祓い」が一番重要とされており、仏教でも「六根清浄・ろくこんしょうじょう」の言葉が繰り返されるのである。
其れ等の、言葉や儀式の意味を考えると、今朝示されて来た「順道」とは、老子の謂う「タオ・道」や、釈迦の謂う「ダルマ・法」其れに、イエスの謂う「永遠のいのち・魂」と関係が有り、其れ等の世界をマスター・認知するには、「順道」が大事であるとの事を、示して来ているのではないだろうか。
じゅんどう【順道】
A 当然の道理。また,順当なやり方。
A 順当な道筋。正しい進路。順路。「路は−なれども宿の逆川(さかは)といふ所に泊る/海道記」 大辞林
1 順当な道すじであること。また、そのさま。
2 順当な道理であること。また、そのさま。
「何か差し置きお盃を頂戴致すが―なれど」〈浄・近江源氏〉国語辞典
「順道・じゅんどう」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3277.html
此の文章には、「・・写真のネガフイルムが映し出されて来て、左から五番目の一コマが重要であるので、其れをプリントとして、表に出さなければ成らない事が示された。・・・」と書いて有る。
其の五番目の「コマ」が、昨日の「五角形・五芒星」と関係が有るのなら、私がプリントとして、表に出さなければ成らない事とは、「忌部」の役割と「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」の立場に付いてであり、8月8日に屋久島の矢筈岬の神社に参拝した江藤敬介氏の11月13日のビジョン・霊夢に、大きな大亀が登場した事と関係が有るのかも知れない。
其れに、其の大亀の背中には、亀には無い背鰭の様な三又の棘が有ったとの事である。其の三又の棘・槍の様な物は、ポセイドンが手にしている槍に似ており、其の三又の槍は、矢筈岬(真北・0度)から22・5度左に回った所に有る「吉田集落」の港の上に在る「吉田神社」の社の中に収められている御神体と同じ物でもある。
其れに、其の吉田集落は「屋久島集落発祥地」とされており、其の理由は京から落ち延びた平家の上陸地であり、「吉田は村の始まり」との民謡が伝承されてもいる。
そして、乾(いぬい)40度(135度)の地点はラムサール条約に認定されている「海亀産卵地」であり、其の場所の道路上には平家の落人の墓が並んでもいる。
其の「海亀産卵地」が有る永田(長田)集落は、丸い屋久島の北西の一番奥地であり、平家の落人(公達・きんだち)が住み着き水田稲作で生活し、船頭達が住み着いたのが鯖漁(鯖節製造)が盛んな港町「一湊集落」である。
キー「ポセイドン 三叉槍 」
2013/11/12・・今朝のメッセージの映像には、先ずポセイドンが手にする「三又鉾・トリアイナ」が映し出されて来た。
そして、其の三又鉾・三叉槍が、三体立っている人型のモノ・存在の、一番左側に当てられる場面が映し出されて来た。
次の映像は、私の存在が、人間社会に対して、威厳を持って直立不動の体制を採っている姿が映し出されて来た。
そして、次の映像は「PTA」か「NPO法人」の様な組織が在って、其の組織がボランティア的活動にて、三種類の本・冊子を作成し、其れを澤山印刷して、部屋の床に積み上げている場面が映し出されて来た。
私は、其の三種類の冊子を一冊ずつ手にして、子供達が待っている教室に向かった。すると、其処には、撮影機器を用意した人達・スタッフが待って居た。
【トリシューラ】は、ヒンドゥー教の神であるシヴァが片手に持つ先が3つに分かれた槍(三叉戟)。
概要[編集]
ヒンドゥー語で「3」を意味する「tri」と「槍」を意味する「sula」が組み合わさった語である。トリシルなどとも。
3つの先端はそれぞれシヴァのシャクティ (力) である、iccha (欲望、愛、意志)、kriya( 行動)、jnana (知恵) をあらわす。
なお、一部のゲームではシヴァの三叉戟はピナカまたはピナーカと書かれているが、Pinakaは弓である。
〜引用終了〜 ウィキペディア辞典
此の辞典の説明では、シヴァ神が手にする「トリシューラ・三又槍」の左側は「iccha (欲望、愛、意志) 」を意味するとある。
其の説明からすると、今朝のメッセージの映像で左の立場に三又槍が当てられたのは、「kriya( 行動)、jnana (知恵)」は今までで良いが、「iccha・欲望、愛、意志」に改革が迫られている理・ことを、示唆しているのかも知れない。・・・
「自然教育」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2868.html
2016/3/31・・今朝のメッセージの映像には、ヨーロッパの古代社会の様子が映し出されて来て、柄までが鉄製の、槍を持った騎士・貴族が登場し、其の鉄槍を造っている鍛冶屋の施設も映し出されて来た。
そして、其の騎士・貴族の世界には、資格や儀式が必要である理・ことが示されて来て、其れには食事のマナーが大事であり、家柄を示す紋章が必要である事が判った。
其れに、其の世界は、財産が無くなっていても、其れ等の条件が満たされていれば、裕福な家柄とも、対等に評価される理・ことが強調されていた。
今朝の映像では、私も、其の騎士・貴族の一員としての意識で、場面を見て居たのだが、其れが夢だと気付いて、家外に出ると、太陽は真上にあり、外で見掛けた人間は、屋久島の原(はるお)地区の男性であった。
今朝のメッセージの映像は、是までのメッセージが「王・大君・天皇(すめらのみこと)・帝(みかど)」の世界であった事と変って、「家来・大臣・貴族・騎士」の立場が映し出されて来ている様である。
其れに、今朝の騎士・貴族の世界は、日本国の侍の様子(すがた)ではなく、西洋のギリシャかローマの様な時代のモノであり、槍の先も一本ではなく風変りの物であった。・・
【三叉槍】トリアイナ(ギリシャ語: τρίαινα、tríaina)、トライデント(英: trident)は、先端が3つに分かれた漁具あるいは三叉槍の一種。
歴史
トリアイナとは、「3つの歯」を意味する。ギリシア神話の海神ポセイドーンが使用する三又銛、あるいは鉾としても知られる。もともとは漁師が魚を獲るために使っていたこともあり、ローマ時代の剣闘士の一種であるレティアリィはこの武器と網を使用し、主として魚の兜をつけたムルミッロと試合を行った。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
其れは、やはり私が、32年前に告げられて来た「事象の特異点」や「神の新しい座標軸」の働きを、司っている事に成るのではないだろうか。
其れは、私の意識の段階は「王・大君・天皇(すめらのみこと)・帝(みかど)」の世界だけではなく、「家来・大臣・貴族・騎士」の意識・御魂の世界も網羅している事になり、私は庶民の立場で在りながら、全ての精神世界を、無意識の中で把握している事になる。
其れこそが、真実の「御稜威・みいつ(トランス)」の世界であり、「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」の役割であると言う事に成るのであろう。・・
今朝のメッセージの映像から、私が感じる事は、現在の資本主義や共産主義(社会主義)の世の中では、「騎士道」の世界は存在しないし、「貴族」の存在や価値観も薄らいでおり、人間の御魂のレベルが低下していると言う理・ことである。
特に、我が日本国は、太平洋戦争で国土を焼かれただけではなく、人心も焼かれてしまったので、日本独自の精神構造が破壊されて、武士道も無く成り、庶民の中存在した「恥の文化」も消滅して来ている。・・2002/2/9「恥の文化」
其の原因は、低俗な情報を垂流すメディアの存在が大きいが、学校教育のなかでも真の道徳教育・修身が無くなり、日本人のアイデンティティが崩れ去って来ている事にある。
其れに、其の精神の向上や安定の為に存在した「神社」や「寺院」が、商売繁盛や現世利益を主体にして、営業活動を始めているので、救い様の無い事態に陥ってしまっているのである。・・
其の結果が、現在の政治家の体たらくの現実として、現れているのである。
【三叉槍・トリアイナ】で以前の文章を検索すると、次の様な物が有る。
「騎士と紋章」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3803.html
此処で、江藤敬介氏の霊夢に大亀が登場した11月13日の日付の文章が気に成るので、今見て見ると、何と題名が「日本政府が潰れる」であるので、今朝告げられて来た「此の国はお終い」との言葉と同じである。
2020/11/13今朝のビジョンは、先ず、一昨日のビジョンで全ての「因縁・むすび」が閉じ込められたブラックボックスが、昨日のビジョンで解放され全宇宙に拡散されて行く場面が映し出されて来た事と関係が有るのか、様々な問題・課題を切り分けて検討する必要がある事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時31分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が長い日本刀を手にして居り、其の日本刀を清水に浸しながら、彼方此方巡って、物事を切り分けて居る場面・様子が映し出されて来た。
そして「日本政府は潰れる(壊れる)との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時3分」であった。
其れから再び眠ると、今度は四角な画面が映し出されて来て、其の画面は右半分が「若葉色」であり、左半分は「緑色」であり、模様は何も無い状態であった。
次に、顔が真丸い40歳位の女性(女神)が登場して、私に「睫毛を貼り直してくれ」と云って、ソファーの様な椅子に座ったので、私は其の様な行為を行った事が無いので、途惑いながら其の女神の顔を覗き込むと、其の箇所は女神の左目である事が判り、私が其の目に触ろうとすると、閉じた左目の目元と目尻には、開け閉めをする為の、爪楊枝程の小さな取っ手が着いている事が判った。
其れで、其の女神の目は、生き物の様に自律神経で自動的に動く物ではなく、女神自身の意思を持って、開け閉めする仕組みに成っている事が、理解されて来た。そして、其の事が判った所で意識が目覚めたので、睫毛がどの位置に有るのかも判らない儘、其の場面は終わった。
其の女神の丸い顔は、白くぼやけた感じであったので、昼間の太陽神ではなく、夜間の満月の神(はたらき)であるとの事なのかも知れない。
其処で時刻を確かめると、時刻は6時17分であった。
其れから再び眠り、起きた・起こされた時刻は8時18分である。
其れからPCを立上げ、先ず、今朝のメッセージの雰囲気・概要を知る為に、起こされた1時31分の数字から、1月31日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、・・今朝「清楚なわたし」との言葉が、私の内側から自分自身の聲であるかの様に聴こえて来たのは、私の潜在意識其の物が、女神の意識と「同調・同化・一体化」している理・ことに成り、私自身の存在は、其のまま女神の意識・存在である事に成る。・・・と書いて有る。
此の事からすると、今朝登場した女神が、私に「睫毛を貼り替えてくれ」と云って、私が其の女神の目を覗き込むと、目に開閉の装置が付いていた事が関係が有り、女神の眼(視覚)と、私の視神経には、何らかの関係性が有る理・ことが示されて来ている様である。
其れに此の文章には、・・人間の血液の中にある「鉄分(Hb・ヘモグロビン)」が、肺で取り込んだ酸素を全細胞に運ぶ役割を果たしており・・・と書いて有る。其の事を考えると、女神が登場する前の場面が、全面、植物の葉の色であった事が関係が有り、其の酸素を作り出している物が「植物」である事と関連している。
其れを考えると、人間が眠ったり起きたりする仕組みは、松果体(純粋なシリコン結晶)が光の明るさを感知するセンサーであり、其の信号・情報が自律神経(小脳・蛇脳・古皮質)に伝わる事で起きている理・ことと関係が有り、其の仕組みは、太陽光を利用して炭酸同化作用を始めた光合成細菌(こうごうせいさいきん)及び藻類(そうるい)の時代・次元から、始まった物であり、其の次元に今朝登場した・姿を現した女神と、私の脳細胞の仕組みは、20億年前からの付き合いであると言う事なのかも知れない。
(21億年前(±6億年) - ミトコンドリア、葉緑体等に相当する生物と共生した真核生物の出現。)・・
次に起こされた3時3分の数字から、3月3日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで、私が長い日本刀を清水に浸しながら、何かを切りながら巡回していた場面は、仏陀の変わり身である「不動明王」が右手に持っている三毒を切り払う倶利迦羅剣(くりからけん)と関係が有り、不動明王が悪縁を断ち切ってしまう事と関係が有りそうである。
【(三毒・さんどく)とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。】
そして、其の事がコロナ禍とも関係が有り、蔓延った人間のカルマが立ち切らられれば、不純な商売が壊滅するので、其処に莫大な予算を注ぎ込み続ければ、政府が潰れてしまうと言う事なのかも知れない。
次に「6時17分」の数字から、6月17日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝登場して私に「睫毛を貼り直してくれ」と頼んだ女神の目が、左目であった事と関係が有り、エジプトのミイラを入れる棺に描かれている木棺の側面に描かれた大きなの眼と、何らかの関係が有りそうである。
其れに、其れが夜間の満月の神(はたらき)であれば「月読み界・冥府」の「ウジャトの目」であるとの事なのかも知れない。・・
此の文章には、「・・深緑色の葉が着いている木の枝が映し出されて来て、其の枝の先から、黄色の新芽が出て、新しい葉・若葉が伸びている場面・・」と、書いて有るので、今朝の緑色の世界其のモノである。
其れに「帝釈天の網」は、三日前のビジョンに登場して、タンクに溜まっている水を全て排出してしまった、白い網タイツの様な物を身に付けていた女性(女神)と、関係が有りそうである。
そして「二重構造」との題名は、昨日の「パラレルワールド(並行世界、並行宇宙、並行時空)」の事・世界と関係が有りそうである。
今朝は由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、見たとの事で、次の様な内容である。
数階建ての大きな百貨店の様な建物内に居て、人はいつの間にか逃げ出さなければならない事に成って、人の流れに押される様に進んで行くと、非常口に辿り着いたが、其れは戸と戸の間が10センチほどの隙間しかない通路の様な物で、とても人が通れるような幅では無いので、どうするのかと思うと、目の前の人が其の狭い入り口を通ると、少し壁と戸の隙間が広がったので、身体を横にして通れば、通れる事が判り、その間に身体を入れて通り抜ける場面の後、其れらの様子を客観的に眺めて居る目線(意識)に切り替わっていたとの事である。
其の由香のビジョンの意味は、「数階建ての大きな百貨店」は都会でなければ商売が成り立たない物なので、其処から、狭い隙間を通って外に逃げ出さなければ成らないとの事は、大都会でイザ何かが起きれば、逃げ出す事が非常に困難(むずかしい)であるとの理・ことが、示されて来ている事に成りそうである。
其の様に考えると、由香のビジョン・メッセージも、私のビジョンと同じく「日本政府」が立ちいかない状態に成る事を示唆している事に成る。
其れを考えると、先進国で一番自給率が低い日本は、飢餓状態が避けられない事が考えられるので、自給率を上げる為には、早急に減反している水田稲作を元に戻す必要が有る。
「日本政府が潰れる」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5548.html
次に、「この国はお終い」との言葉が告げられて来た「8月23日前」の数字から、8月23日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/8/23本日8月23日は、私が1996年8月23日に、「須佐之男尊・すさのおのみこと」が手植えした御神木が有る出雲の「下佐世神社」の存在が映し出されて来た日であり、2005年8月23日に私のPCの中に釈迦ブッダの御霊が棲み付いた日でもある。
其れに、2011年8月23日には「王道」のブログを開設させられた日でもある。
今朝のビジョンには、先ず「玄米自然食・マクロビオティック ・Macrobiotic」の生活をしている独身男性と、同じく玄米自然食を行っている家族の存在が映し出されて来た。
独身の男性の方は、考えが固いので就職ができず厳しい生活を送っており、家族の方は親からの財産を引き継いで生活して居るが、収入が少なく母屋が雨漏りをしていても、修理する資金も技術も無い様であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は2時41分・3時19分前から18分前に、成る所であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が県の出先機関である「農業改良普及所」の所長と懇意にしている様子が映し出されて来て、其の所長の縁で、砂糖キビを原料とする「黒砂糖製糖工場」の工場長と会う事に成り、私は大きなバッグの中に、黒砂糖を使用して作った様々な食品を入れて肩に担ぎ、其の工場に歩いて向かっている場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時22分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「弘法大師空海」の御魂が登場して、新しい世の中を立ち上げる為に、凄い勢いで動き出す様子が映し出されて来た。
私は其の様子を見て、流石に「真言宗」を起こすだけではなく、「建築土木の技術」や「書の世界」に天才的能力を発揮した弘法大師空海ならではであると感動していた。
そして、「旧暦で動かす」との言葉が一言告げられて来たので、私は「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」が動き出すのだと意った。
其処で起きて、時計を見ると時刻は「7時37分・8時23分前」であり、私は8月23日の8時23分に起こされた事を確認した。
今朝の最初のビジョンは、「玄米自然食・マクロビオティック ・Macrobiotic」の生活を送って居る人間が、現代社会の仕組みの中で生活し難いと言うか、溶け込めない様子が映し出されて来て、意識が目覚めた時刻は「3時19分〜18分前に成る所である。
其の「3・18」の数字は、私が「土肥無庵」に捜し出された1983年3月18日」の日付と同じ数字である。
其の「土肥無庵」は、中学生の時から玄米を食べ始め、30歳代で何十億円もの金を稼ぎ出し、天神の指示で仕事を止めて、救世主を捜し出す為に動き出して、43歳の時に私を捜し出し、全身全霊を注ぎ込んで私を目覚めさせる事に成功した人間である。
「無庵師匠の御魂」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html
其の「土肥無庵」の存在を考えると、今朝登場した独身男性と家族が、貧困生活に陥って居る姿は、「マクロビオティック ・Macrobiotic」の創始者である故「桜澤如一」の真の教訓を理解していない事に成る。
其の「桜澤如一」は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に安房川の岸辺で禊ぎ祓いを行って4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて、最初に姿を見せたのが、其の「桜澤如一」であり、私が「武富勝彦氏」に案内されて東京の「オーサワジャパン」の事務所に行った時に、「此処がお前の仕事場だ」と告げられて来たので、今朝のビジョンで、私が製糖工場に食品の試作品を担いで歩いて向かって居た場面が、関係が有りそうである。
其れは、私の父親が其の砂糖キビの製糖工場を経営しており、私は子供の頃から砂糖キビや黒砂糖を毎日食べて居たので、精製された白砂糖は躰に良くないが、黒砂糖自体はミネラルを多く含んでいるので、必要な食品であるとの事なのではないだろうか。
キー「此処がお前の仕事場だ」・・
其れを考えると「紀(とき)のまつりを行え 6月11日 旧暦5月26日 御稜威建国」と告げて来たのも、其の空海の意思が絡んでいるのではないだろうか。
此の「みいつ 建国 6月11日」のメッセージが届いた日付の「2006年3月19日」は、今朝起こされた「3時19分前から18分前」に成る時間と関係が有り、私が1983年3月18日に「土肥無庵」捜し出されてから、24年目の始まりの日である事にも成る。
其の事と、本日の「8月23日8時23分」にどんな関連性が有るのだろうか。昨年の今日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
本日のメッセージは、「土肥無庵」「桜澤如一」「弘法大師空海」「須佐之男尊」等が関わりを持っており、其の背景には水の世界を舞台とする「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」が存在するとの事であり、其れは昨日の「ライオンズ」と関係が有るとの事なのであろう。
何故なら「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」が祭禱(さいき)される場所は、湖や池の中央であり、「珪素・シリコン+アルミ=粘土」が溶け込んでいる水で発生するエネルギー・電気は、太陽光発電のパネルと同じシステムの物だからである。
「弁財天の宝船から丸24年」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5464.html
次に、地面に土竜(もぐら)が開けた大きな穴が広がっている様子が映し出されて来た8時15分前の数字から、8月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/8/15本日8月15日は終戦記念日であり、昭和天皇の玉音放送の後、奈良の「矢追日聖法主」に天神から新しい御世の始まりが告げられて来た日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有り、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の発動が要求されて来た。
今朝のビジョンには、太陽の働きを三分割して公表・表明しなければ成らない事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時14分」であった。
其れから再び眠ると、緑の梢の先に、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の雲の存在は、太陽光の熱エネルギーで水が蒸発して発生しているモノ・現象であり、其れに拠って、地上に生物が存在している理が示されて来た。
其れから、女神の聲で、「貴方の良くない事は 自分が何物であるかを はっきりしない事です」と告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時30分に成る所であった。
其れで、起こされた「5時14分」と「7時30分」の数字から、今年の5月14日と7月30日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の中には、「正傳矢追日聖法主」と「一休宗純禅師の悩み」の文章が貼り付けて有るので、一昨日の文章の末尾に「一休宗純禅師の悩みが晴れるのは、何時に成る事やら・・・。」と書いた事と関係が有り、一休さんが天皇の子供であった事と関係が有りそうである。・・
其れに、此の文章には、【私は最高レベル神霊を宿した「霊留・人・ひと」として・・と打った所で、私の右手の中指の指紋の所に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きる】10時16分「10月16日 伊勢神宮」と記して有るので、昨日の文章に書いた・・【江藤敬介氏が登場して、私に右足を見せると、其の中指が、歯が抜け替わる時の様に、新しい指が中から伸びて来て、其れまでの指が抜け落ちそうに成っているのである。そして「9月8日」の日付が示されて来た。】との事が関係が有り、私の右手と、江藤敬介氏の右足は、「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の神(はたらき)の部分を示唆している様である。
其れを考えると、24日後の9月8日から「天照坐皇大御神御魂」の神(はたらき)が発動するとの事なのかも知れない。
今朝のメッセージで、太陽の働きを三分割して公表・表明しなければ成らない事が示されて来たのは、日本の「天照大神」の概念や、其のルーツであるエジプトの「ラー」と「イシス女神」の事を含め、太陽系の存在・仕組みと、神(はたらき)意識・情報の成り立ちを科学的に明確にしなければ成らないと言う事であり、其の作業に私が本格的に取り組む必要があるとの事ではないだろうか。
其れは、私が1984年3月13日の朝、太陽が半分顔を出している時に「土肥無庵が神だから守れ」と告げられて来た事や、昭和天皇の御魂の案内に拠って平成元年3月13日に阿蘇の「日の宮幣立神宮」に参拝する事に成り、参拝した時刻に太陽のコロナが異常現象を起こした事、其れに1997年5月10日に京都の大徳寺で、太陽から「写真を撮れ」と告げられて来て、杖を突いた写真を撮影した事等が関係が有り、私の意識・脳には太陽の意思が繋がっている事を、何らかの形で明らかにする必要があり、我々人間の存在は宇宙意識と密に繋がっている理・ことを、誰でも解る様に情報化しなければ成らないとの事なのであろう。
其れは、マヤ・アステカでも古代人が、日常的に自分の身体で感じ取っていた事であるから、人間社会で絡みついた柵(しがらみ)を、穢れの無い清水で禊ぎ祓いすれば、取り戻せる感覚である。
其の証として、此の私の存在と、36年間月日を重ねて来た、私の思考が役に立つとの事なのではないだろうか。・・
何れにしても、新しい御世は、人間が目に見えない神様を信仰する事を止めて、伝書バトや渡り鳥の様に、地球の磁気を自分の生体電気で捉えて、宇宙の波動と直接チャンネルし、他の生物の様に、潜在意識で自分自身の遺伝子・DNA情報を進化させて行く次元に入るとの事なのではないだろうか。
其れは伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の座が、自分の物・事と成ると言う事でもある。
「天照坐皇大御神御魂」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5456.html
次に、新しい白い建物が私の方に近づいて来る場面が映し出されて来て、起きた「8時8分」の数字から8月8日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/8/8本日8月8日は徳島市国府町に存在する「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめ」の大祭日である。
昨夜は、其の事と関係が有るのか、床に就いて眠ろうとして居ると、私の右手の中指にカモ(神の電気信号)の反応が起きて、其の反応が止まらないので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「8月8日0時00分」であった。
今朝のビジョンは、先ず、私が暗い世界で他人の木造舟に乗せて貰って、何処かの河川を下って居ると、途中で其の船は船底から浸水が始まって、沈み始めた。すると、其の船主は手に負えないと考えたのか、直ぐに川に飛び込んで岸に向かって泳ぎ始めた。
私は、自分が大事な物を船内に隠していたので、其れを取り出そうとしたのだが、浸水が早く転覆しそうに成って来たので、私は荷物を取り出すのを止めて、泳いで岸に向かった。
だが泳ぎ着いた場所は、コンクリート製の岸壁の所であり、階段かロープがなければ陸地に上がれない場所であり、水が汚れているので、どうしたら良いかを考えている所で目が覚めてしまった。
其れで、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時18分」であったので、私は其の数字は、「土肥無庵」に找し出された1983年3月18日の日付けであると記憶して再び眠った。
其れから再び眠ると、今度は「現出・げんしゅつ」との言葉が一言告げられて来て、其の意味を考えて居ると、次に「鎌倉別泊」との言葉が告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時10分」であった。
其れから再び眠ると、薄紫の反物が横断幕の様に、建物に引っ掛かっている様子が映し出されて来て、古く成った人間社会が崩壊していると言うか、見捨てられて誰も居なく成っている様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時30分」であったので、私は今朝のメッセージは、昨日の続きであるのだと考え、再び眠った。
すると、今度は「6月1日」の日付が提示されて来た。
今朝は、其れ等のメッセージの意味に付いて、色々考えて居て起きた時刻は8時15分であった。
其れからPCを立上げ、先ず「現出」を調べると次の様に載っている。
げん‐しゅつ【現出】 の解説 国語辞典
[名](スル)実際にあらわれ出ること。また、実際にあらわし出すこと。出現。
此の説明からすると、今朝のメッセージは、昨日「明後日から始まる」と告げられて来た言葉と関係が有り、其れが、どの様な意味が有るのか・どの様な出来事であるのかを、示して来ているのであろう。
其の様に考えると、滅びた街中に「薄紫の反物が横断幕の様にモノに引っ掛かっている」場面は、宇宙の北方に有るとされる「紫微垣・しびえん」の横断幕(情報・企画)が、新時代には役に立たないので、消え去ってしまう理・ことが示されて来ているとの事が考えられる。
其れを考えると「鎌倉別泊」との言葉は、鎌倉幕府を開いた「源頼朝」が「天皇」が住む「京都」ではなく、鎌倉に新幕府を開いた事と関係が有り、明日から始まる新時代は、東京都内ではなく、安全な土地にて「別泊」して行わなければ成らないとの理・ことが、示されて来ている事にも成る。
其れを考えると、6時30分に起こされた後から「6月1日」の日付・数字が示されて来たのは「61」の数字に意味が有り、其れは「61・むいち・無一」との事であり「無から始めなければ成らない」との事で、現在の政府の政(まつりごと)は、邪魔には成っても、助け・資する事には成らないと言う事であり、全て根本から遣り直す必要があるとの理・ことが、示されて来ている事になる。
其れで、今年の6月1日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「生活重視」の文章の内容から考えると、現在の政治は、本来の「経世済民」ではなく、銀行や保険会社だけではなく、農林中金や郵便局までが、株式に投資をしており、株が下がれば、全ての機関・機構が潰れてしまうので、政府(日銀)が株式を何兆円も購入して、株の暴落をくいとめて居るので、其れは、本来の「経世済民(世を治め、人民を救うこと。経国済民。)」ではない事に成る。
其の事を考えると、世界中に広がってしまった「ユダヤ商法」の政(まつりごと)を止めて、本来の「生活重視」の政(まつりごと)に戻らなければ成らないとの事であり、其の理・ことを説いた「マルクス」の共産主義のロシアや中国までが、ユダヤ資本主義の後を追従する所か、先を進み出しているので、天神(女神・母神)も、人間を救いようが無いので、仕方無く、「新型ウイルス」を拡散させて、其れを止め様としているのであろう。
次に、今朝船が沈没するビジョンが映し出されて来た3時18分の数字から、3月18日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「原理原則・飯意口実」の文章の内容には、「1月1日・元旦」「4月1日・新年度」「7月14日・夏・秋禊ぎ」の日の事が書いて有るので、明日から新しい御世が始まるとの事と関係が有る。
其れに、「土肥無庵」の御魂が「妙見宮」の祭神「御祖神・みおやかみ」であり、「紫微垣・しびえん」の事が書いて有るので、今朝のビジョンに映し出されて来た古い町に、薄紫の反物が掛かって朽ちかけていた場面の意味が、良く理解されて来る。
其れに、次に「現出」と「鎌倉別泊」との言葉が示されて来た「4時10分」の数字から「4月10日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「物語・ストーリー」の文章の内容から、私に考えられる事は、此の私が早急に新しい「物語・ストーリー」を創作・創造して「紫微垣・アカシックレコード」に送り込まなければ、此の世界は「色・rūpa・ルーパ・縁起・結び」が切れてしまい、「空(色即是空)」に成ってしまうと言う理・ことであり、其れを防ぐ為には、私が「般若波羅蜜(パーラミター)」を興して「空即是色」を実行しなければ成らないと言う事に成りそうである。
そして其の事を、私自身が興さなければ、「現出」との事は起きないと言う事であり、其の為の指針として「鎌倉別泊」の言葉が示されて来た事に成る。
其れを考えると、今朝のビジョン・メッセージは、昨日のビジョンに映し出されて来た、新しい人間社会の仕組み・様子を、私が自分で、此の三次元世界・現実世界に描写・企画しなければ成らないと言う事に成り、其の役割こそが「現人神・あらひとかみ」との名前の意味なのであろう。
其れを考えると、昨日「6月30日」の日付に拘(こだわ)された事と関係が有り、其れを私が昨日熟(こな)していないので、今朝再び6時30分に起こされたのであろう。其れで、全文に目を通すと、次の様な内容である。・・
此の「成長した魂しい」の文章の内容は、明日から「新しく始まる」御世創造の為に、私がどの様な態度・意識・きもちで取り組めば良いのかを、「四次元世界・冥途・霊界」に存在する全ての「神霊・御魂」が心配している・憂いているとの事であり、私の「決断・勇気・心構え」が確認出来なければ、今回の最後のチャンスである九回目の「トンネル潜り・アセンション・次元上昇」も、此処で頓挫するとの事であり、神々の努力も水の泡と化すとの事であり、私自身が本日心を決めなければ、明日から始まる出来事は、人類全体が奈落の底に落ち込んで行くプログラムの発動である事に成る。
『是は 困った事に成って来た。』
此の場面・シチュエーションは、私が36年前に、核に拠る第三次世界大戦が始まり、私の一人息子が放射能汚染で死に、私は其の息子の亡骸を両腕に抱いて、泣きながら葬式をしている映像・映画・ビジョンを見せられ、私が引き受けるのであれば、別の道・世界が有るとの事で、其れは次の様な場面であった。・・
此の文章に書いて有る様に、神(はたらき)は99%逃げ道を塞いで措いて、ウサギを追い立てるのである。
今(13時14分)に江藤敬介氏から電話が有り、今朝のビジョンでは、妹たちの知り合いの額に、第三の目を開ける為に、本人が痛いと悲鳴をあげるのにもかかわらず、穴を開ける作業を続けて居たとの事である。
其の江藤敬介氏が見せられたビジョンも、本日が「天石門別八倉比売神社」の大祭日である事と関係が有り、皆が岩戸(石工の目)を開かなければ成らないとの理・ことが、示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝起こされた・起きた時刻が「8時15分」であったのは、8月15日がお盆である事と関係が有り、お盆の行事は本来神道の「秋禊ぎの儀式(旧暦7月14日)」が、徳川家康がキリシタン弾圧の為に「仏教で葬式をしない者は隠れキリシタンと見なす」との政策を採った為に、葬式が天皇家と神官・宮司家以外は、全て仏式に替わった事と関係が有り、其れを本来の世界に戻す必要があるとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
此の文章にも、「・・今朝示されて来た「刃物屋」の存在と関係が有るので、何故刃物屋が到着するのが、7分後の6時30分であるのかが、気に成る。
其れで、今年の6月30日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝私が自分の鍵を全て渡した管理人の男性は、「弘法大師空海」の御魂だったのかも知れない。・・」
此処まで6月30日の日付が強調されて来ているのは、私に「成長した魂しい」との言葉が自覚出来なければ、何も始められないとの事であり、其の期日・期限が本日であるとの事なのではないだろうか。
其れに、今朝始めに「3時18分」に起こされ、最後の文章にも「土肥無庵」の事が書いて有る。
其れを考えると、矢張りこの世には「先達」や「師範」等の、評価を下せる人物が必要不可欠であると言う事に成りそうである。其れは、人間誰しもが、信頼の措ける相手に認めて貰わなければ、自分の精神・魂しいの位置が確認できないからである。
此の文章には、最後に「此処らで退散するのが、潮時と謂う事なのかも知れない。」と書いて有る。
一年前に、其の様な事を謂っている私の気持ち・心境の人間に、大それた事は任されないとの事が、天界で協議されているのかも知れない。
「現出・げんしゅつ」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5449.html
これ等の文章から、私に考えられる事は、文章の内容に一連性が有るので、イエスキリストが謂っている「其の時」が愈々始まるとの事であり、私が1984年11月の半ばに全国の旅に出発して、12月13日に岩手県の五葉山で其のイエスキリストの御魂が、私に「私の肉体を降ろしてくれ。私の謂った事を誰も守っていない。私の名前を呼ぶのを止めてくれ」と告げて来てから、残り12日で36年(12×3)と成る事と関係が有り、マルチンルターの御魂の働きで2007年1月13日に江藤敬介氏と出遭い、其の江藤氏の背後に花畑(エデンの園)が映し出されて来た事が、11月13日にポセイドンの「トリアイナ・三又槍」が背中に付いている大亀が、登場した事に関係が有りそうである。
其れを考えると、11月13日から一ヶ月後である12月13日迄に、今朝のメッセージの続きが知らされて来る事であろう。
令和2年12月1日14時08分
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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